7-3.子供の村
ルリはあばら家で目を覚ました。身体を起こし頭を振って眠気を払い、周囲を見渡す。
明かりは蝋燭一本のみだが、狭い小屋だ、光源としては十分だった。雨風をしのげるか不安になるほどあちこちが朽ちて黒ずんでいる。
「目覚めたかい。気分はどうだ?」
背後からの声。しかし不思議と警戒心を呼び起こされることなくルリはゆっくり振り返る。歳はルリと同じほどの少女がそこに座っていた。ここは彼女の住処なのだろうか。ルリをここまで連れてきたのはきっとこの人物だ。
「あたしを連れてきて、なんのつもり?」
「気分は悪くないみたいだな。おまえ、混血だろう」
言われてルリは目を見張った。言い当てられたことにというより、じっと見つめればわかる、色白の彼女も同じ混血だった。だから警戒心が生まれなかったのだ。注意深く人を見れば魔物か人間か、はたまた混血児かはすぐにわかる。
日光を浴びたことがないとでもいうように彼女の肌は白い。白髪が左目を隠している。片方だけのその金目はコクフウを思い出させた。ついてきていたはずのルリがいなくなって、彼はどうしただろう。
「なんのつもりか知りたい? 外を見ればわかるさ」
そう言われてルリは扉代わりの布から顔を出した。
夜に包まれた村がある。貧しそうな村だ。畑はあるにはあるが土地が痩せていて、かろうじてできている作物の葉は貧相でしおれている。水遣りをしているのも子供、見張り台の上にいるのも子供だ。よくよく見れば、村には子供しかいない。
「この村を見せて、なんだっていうの?」
暗く殺風景な村ではあるものの子供たちは生き生きしていて、どこか懐かしい雰囲気がある。まさかここが本当の故郷なのだと言うつもりではあるまい。
「魔王陛下から紅の名前をもらった、ウィンドランド領主の一人娘、混血のルリ」
「どうしてそこまで知って……」
「手配されてるんだ、それくらいは耳に入る。同じ混血だしね。それで、なにか気づいたことは?」
「ここには子供しかいない」
「もっと他にあるだろう。よく見て」
ルリは再び村に目をやる。広がる光景は大人がいないというだけで特に変わったところはない。
子供が土をいじっている。子供も子供、十歳程度という子ばかりだ。大人の手伝いとしての農作業にしては手慣れている。クロウほどの歳の子になにか教えてもらっている子もいる。ルリくらいの年ごろの者は隣にいる名も知らない少女のみだ。
注視してやっとこの親近感のある懐かしい雰囲気に納得がいった。ここにいるのは全員混血だ。
「気づいたかい。そう、ここは混血児の村さ」
混血児は成年に達するまで生きることはない。だからこそ混血「児」と呼ばれている。この村に大人がいないのはそういうわけだ。成年近くまで生きることも稀であるためここにいるのは幼子ばかりだったのだ。
「混血児の村だってことはわかったわ。でも同じ混血だからってあたしを連れてくることはないじゃない。一緒にコクフウ君が、友人がいたのに」
「もうすぐ夜だった。おまえは昼の生き物だろう。人間より同族を助けるのが普通だよ。場所がなかったからここに連れてきただけ」
「それじゃ、助けてくれてありがとうと言うべきかしら。夜が来る、夜が来るって、いったいなにがあるの?」
もうすぐ夜だから助けたと言う彼女の狙いがわからない。コクフウも今までにないほど夜を恐れていた。昼と比べて夜はたしかに危険だが、あの焦りようはおかしかった。目の前の彼女にしても、混血ならば夜は恐れるものではないはずだ。
「ああ……そうだよね、あんたはフォレストランドの住民じゃなかったね」
彼女は一人理解したような顔をした。ルリは眉をひそめて首をかしげることしかできない。
「フォレストランドは昼と夜で住民が違う。昼はまっとうな生き物の時間、夜は道を外れた生き物の時間だ。昼の生き物が夜に外に出ると恐ろしい罰が待っている、と言うね。説明しないで悪かったよ。ずっと前からあんたはここに住んでるような気がしてさ」
「ううん、そういう理由だったら、本当にありがとう」
コクフウが急いでいた理由がわかった。他者の記憶を持つ彼のことだ、すべて知っていたに違いない。残されたコクフウが心配だが、おそらくはクロウとカロンが助けてくれただろう。彼らは不穏な気配には聡いのだから。
「とにかく夜明けまでは村を出ないほうがいい。仲間のところに戻りたければ朝になったら送るから」
彼女は耳打ちするように静かに言った。炎の赤が瞳の金を溶かしている。
ルリがもう一度礼を述べようとしたそのとき、小屋に少年が駆けこんでくる。
「大変だよミーレ、誰か来る!」
彼女は外に顔を出し、続いて抱きとめた少年とルリを交互に見た。眉間のしわの様子からして、村を訪問する者がいるのは好ましいことではないようだ。
「こいつを連れて裏に隠れて」
指示されると少年は子供らしいちょろちょろした動きでルリの手を引いた。ぼろ布をまくって外に飛び出し、あばら家の裏に高く積まれた薪の陰に隠れる。あばら家とは言ったが、この村にあるどの家よりも大きかった。
息を潜めて来訪者を待つ。しばらくして、足音が近づいてきた。せかせかした歩きかただ。外と内を仕切る布がまくられるをの聞いてからルリは壁に耳をつけた。
「ミーレ、仕事だ」
男の声だった。短い言葉だが高圧的な態度がよくわかる。
「わかってる。でも、七席盟約が終わってからじゃないと。それに、しくじったときのために会っておきたい人がいる」
「しくじる? おまえが?」
「もしもの話さ。あたしがいなくなったらこの村はどうなる」
どうも仕事というのは危険なもののようだ。一緒に隠れている少年はこの話を聞きながら震えている。
「おまえが消えればこの村も消えるだろうな」
「だから、そうならないようにここを任せられるやつに会っておきたいんだ」
「……わかった。七席盟約が終了したら連絡しよう。落ちあう場所はそのときに指示する」
「そうしてくれると助かるよ」
女性が発せられるとほぼ同時に男が大股で去っていった。その足音は少しでも早くここを離れたいと語っている。男が十分遠ざかってもまだ動かず、小屋の中から彼女の声があって初めて少年はルリの手を取って中に戻る。必要以上の警戒ではないか。
半ばうつむいた彼女は沈んだ面持ちだった。
「なんの話だったの? 仕事って……」
ルリへちらりと目を向けた彼女は、ルリの問いには答えず少年のほうにしゃがみこんで目を合わせた。
「エズを呼んできてほしい。これから村を空けることになる」
「帰ってくる?」
「もちろん。さ、早く呼んできて」
少年は駆けこんできたのと同じ勢いで小屋を飛び出した。子供に聞かせるべき話ではなかったのだろう、彼を追い出すことに成功した同族の少女はルリに向き直る。
「盗み聞き?」
「別に、そんなつもりじゃ」
否定はしたものの、あれは完全な盗み聞きだった。だが彼女はいいんだと手を振って言葉をなかったことにする。
「聞いていたなら話は早い。頼む、あたしたちを助けてくれ」
「……なにがあったの?」
手伝え、ではなく助けてくれという思ってもみなかった発言にルリはそう返すことしかできなかった。
スフィンクスは二人を乗せフォレストランド上空を飛んでいた。地上から見上げたなら黄金色の光が空を行くのを確認できるはずだ。
コクフウの人間の目に森の姿は判然としない。眼下には暗闇が広がるばかりだ。その闇を指差してカロンに行き先を指示するクロウを見て、魔物の視力のすばらしいことと感心した。こういうとき自分は人間であることを痛感させられる。
なにもできないまま夜が来てしまった。コクフウがフォレストランドの夜についてとルリとはぐれた経緯を話すと、クロウはすぐにルリの居場所を探しだした。
「よく場所がわかりますね」
「血の契約を結んでいる。居場所くらいわかる」
「そういうものですか」
クロウはうなずいて答えた。
「かすかにだが。本気で探さないと見落とすくらいの」
「手間をかけてすみません。僕がしっかりしていれば、こんなことには」
「すぐ見つかる。気にするな」
これ以上話していては注意を払ってルリを探すクロウの邪魔になるだろうとコクフウは口を閉じた。手をつなぐなりしてルリと一緒にいれば彼女が消えるなどという事態は起こらなかった。すぐに見つかるという言葉が気休めにしか聞こえない。
昼ならば風を切って進むのは心地よいのだろうが、夜に飛ぶとなると指先がまともに動かなくなるほどに寒い。アイスランドのような寒さではないにしても吐息が白くなるのを見ると気が滅入る。コクフウが手に息を吹きかけていると、カロンの翼が遅くなった。こちらの様子を気にかけていてくれたのかもしれない。
しばらくのあいだそのまま飛び続けていると、クロウの声があがる。
「あそこだ」
コクフウは身を乗り出してクロウの指先が示す場所を見つめるが、やはりなにも見えない。街ならば明かりの一つは見えることを考えると、ルリが連れ去られたのは人気のないところなのだ。
カロンにはもちろん下の様子をありありと見ることができるのだろう、迷いなく下降をはじめた。
ルリは白髪の少女の顔を見つめた。焦燥の色がにじみ出ている。なかなか口を開かない彼女にルリは再度問いかける。
「いったいなにがったの?」
「協力してほしい。危険な目には遭わせるかもしれない。でもそうなったら必ず助ける。だから」
「待ってちょうだい。話を聞かないと、よくわからない」
あまりにも必死な形相にルリは気圧されてのけぞった。
我に返った彼女は己の愚行に気づいたようにうつむいた。おずおずと顔をあげ、先ほどの勢いを失って言葉を発しはじめる。
「この村は王の目を盗んで作られた。だからここの者にはあんたみたいに紅だとかいう特別な名前がない」
王が混血児に特別な名前をつけるのは管理を徹底したいからだ。公の管理の下にあればある程度の保護を期待できる。逆に罪を犯せばすぐ身元がわかり簡単に捕らえられる。
「村を作ったのは領主だ。異種と交わるのは罪で、でも、できた子供をここに捨てれば許されるって広めてね。単に領主が混血嫌いなだけなんだ。ここじゃ混血は罪人と同じ扱いを受けてる。夜にしか出歩けない」
「領主だからってそんなことが通せるわけ……」
「領主だから通せる。この土地がどうしてこんなに痩せてるか知ってるかい? ……領主を恨んで死んでいった同胞が埋められてるからさ。野ざらしになってたのを埋めてやったから、これでもずいぶん豊かになったんだよ」
ウィンドランドとの違いにルリは愕然とした。種を問わず、たとえ罪人であっても死んでいたら埋葬するのが母国での決まりだ。衛生上の問題もある。自国の法を他国に押しつけるわけではないが、罪人だから混血だからと放置するのは心がないように思えた。
「ああ、ウィンドランドのことはよく聞こえてくるよ。いい国だってね。そりゃ、自分の娘が混血だったらそんな風に扱えるわけがない。娘だけは特別にとなれば差別だ不公平だって言われるからね」
「この国を出ようとか、考えなかった?」
「親に捨てられようが殺されかけようが、ここはあたしの生まれ育った国だ」
金色の瞳を獣のように輝かせて彼女は毅然と告げた。
「領主を殺して陽の下を歩く。日なたで生きるおまえは混血児にとっての光なんだ。だから、頼む」
彼女が請願するように言ったとき、暴風が小屋全体を揺らした。その衝撃で蝋燭が消える。裏に積みあげられた薪が崩れるほどの大風だ。二人は急いで外に出る。村の様子も気がかりだった。
その風はただの風ではなかった。スフィンクスの純白の翼から放たれたものだ。広い背中には心配そうな表情のコクフウと険しい顔つきのクロウが乗っている。今までの話をすべて聞いていたかのように彼らはルリがどう出るのかを待っていた。
「あれがあんたの仲間かい」
振り返るとこちらもルリの判断を待っている。
「別に無理強いするつもりはない。仲間のところに戻っても文句は言わないよ」
同族の少女を見れば迎えに来てくれた彼らの顔がよみがえる。彼らを見れば、頼むという消え入りそうな声がよみがえった。