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時を刻む紅  作者: 榊原
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6-6.生け捕り

 ルリたちはホウキンの言っていたかすかな血臭をたどる。それは決して強いものではないが、ルリの中の魔物の部分がこの方角だと告げていた。ホウキンが離れたために足元がでこぼこしていて走りにくい。

 しゃ、という剣が抜かれる音を耳にしたルリはコクフウとクロウに隠れているように言って今まで以上に速く駆けだした。早く行かなければ、あの男は獣の首を取ってしまうかもしれない。

 木々のあいだを通り抜けてルリが目にしたものは、黒い獣の首のあたりから落下する男と、その男に前肢を叩きつけようとする白い獣。ルリは無意識に懐を探り、その獣に向かって手にした珠玉を放っていた。

 肉の焼け焦げるにおいが鼻につく。

「どうしてついてきた」

 剣腕をさすりながら近づいてきたホウキンが言った。全身を地面に打ちつけた以外に傷はないようだ。巨大な爪のついた前足に叩きつけられるよりはましなはずだ。

「あたしたちがいなかったら、今ごろ死んでたかもしれないわ」

「俺の質問に答えろ」

 その言葉にルリは口を開くが、しかし白と黒の二頭の獣が突進してくる。ルリとホウキンは左右にはけるように別方向に飛び退ってそれを避けた。話している余裕などない。

「白いほうは任せた」

 ルリがその声のほうを見ると、ホウキンは薄ら笑いを浮かべながら黒毛の獣に剣を向けていた。いったいどこが楽しいのだろう。任せたと言われても命を絶ってしまうわけにはいかないのだから、ルリの技量ではどうすることもできない。

「殺さないでって言ってるじゃない!」

 まだなにもしていないのだが、とばかりにホウキンは顔をしかめた。

「これを傷つけずにどうにかするのは無理がある。生け捕りなどと言っていてはこちらの命が危ないだろうが」

「それはそうだけど、ゴーストランドで死ぬなんてこと、ありえるの?」

「ああ。跡形もなく消えていくのを見たことがある。滴り落ちた血も、衣も、毛一本だって残らなかった」

 わかたれた二人は機を見て再び適当な一箇所で横に並んだ。

「もう二人はどうした」

「人間に子供よ? 戦うのには向いてないから、そのあたりに隠れてるわ」

 言いながらルリは木の密集しているあたりを指さす。クロウの淡い色の髪がちらちらと黒ずんだ枝のあいだからのぞいていた。改めて見ると目立つものだ。

「では、おまえは戦い慣れているということか」

「そういうわけじゃないけど……」

 戦い慣れていないわけではないが、それは同年代の女と比べたらの話だ。まさか樹木ほどもある巨大な獣を一人で相手にできるわけがない。先ほどもいきなり任せたなどと言われ慌てたほどだ。

「ならば邪魔だ。一緒に隠れていろ」

 ルリの返事を聞くと、ホウキンはくだらないことに時間を使ったとばかりに彼女に背を向けた。守ろうとして背中を向けるというよりもこれは拒絶に近い。

 もし戦うことになったら生け捕りにしなければならない獣が殺されてしまう、そう思ったから追ってきたのだ。言われなくても隠れていたかったが、隠れてたら意味がないではないか。

 しかしそれを言葉にすることはかなわなかった。声を荒げるでもないホウキンの静かにのしかかってくる巨大な気迫に、ルリは気を呑まれていた。襲いかかる瞬間を見定めていた獣たちも動きをとめる。

「お願い、殺さないで……!」

 振り絞っても、喉からはたったそれだけしか出てこなかった。だったそれだけを絞りだすのに、立っていられないのではと思うほど消耗した気がする。

 だが、この男にとって虫の羽音程度にしか聞こえていないだろう自身の声は彼に届いたらしい。剣を握っているホウキンの手が、あろうことか、震えている。本人は手が震えていることに気づいていないようだ。

「……どうしても殺してはならないのか」

「ええ。もし殺したりしたら、あたしたちは魔王につきだされることになるもの」

 あふれだしそうな感情を押し殺したような男の声にもわずかな震えを感じ取ったルリは、自分の中に潜んでいる自分でないなにかに突き動かされるようにそう言った。

「結局のところ、自分のためか。そのために犠牲が出ても自分がよければそれでいいのか」

「生きていればなんとかなるじゃない」

 日輪を取り戻してほしいという約定だったが、しかしこれらの獣をまずはどうにかしなくては。二頭は日輪の場所を知っているに違いない。光を奪い返しに来たのだといえば、二頭は必ず牙を剥いてくる。その命を絶ってしまえばルリたちは魔王に引き渡される、それまでだ。だが陽光が戻らなくても獣が生きてさえいればまだ術はある。

 殺してしまったら、もう戻れない。

「ああ、領主と約束したのだったな。……仕方ない、おまえ、あれを眠らせられるか」

 ホウキンは獣を見据えて言った。白毛と黒毛の巨体も彼も互いに睨みあったまま動かない。男から立ちのぼる闘気に動けないのかもしれない。

「眠らせたら、そのまま領主の城に送る。暴れでもしたら面倒だ。あの赤い石を使えば簡単だろう」

「でも、そうしたら帰りの道が……」

 ルリは戸惑った。ここは霧の森、別名を帰らずの森。領主アルドラから渡された赤い珠玉をこの場面で使ってしまえば、ゴーストランド城には二度と戻れなくなるだろう。逡巡していると、ホウキンはルリの迷いを読み取ったようだった。

「心配しなくていい。俺があれと一緒に城まで送ってやろう」

 隙を作るから少し待てと言ったホウキンはありえないほど高く飛びあがった。とん、と重さを感じさせない動きで黒い獣の平らな額に降り立つ。黒い獣が不快に何度も頭を振るも、彼は片膝をついて身を低くするくらいだった。獣も男も身を覆うのは黒ばかりで、まるで影のようだ。

 ルリはホウキンと獣から目を離さないまま、紐の通された赤い珠玉を首からはずす。石の持つ冷たさがじんわりと手に伝わってきた。冷たく、けれどもあたたかい。

 獣のどこを狙っているのかわからない真っ黒な眼球の前に、ホウキンは鈍く光る刃をちらつかせた。途端、剣というものを知っているのか、獣は石と化したように動きをとめる。

「よし……伏せろ」

 人語が理解できるのか、黒色の巨体は身体を強張らせながらもホウキンの指示に従った。白毛が赤く汚れているもう一方の獣は、右に行ったかと思えば左に行くということを繰り返す。片割れが男に屈したことに動揺しているのか、今牙を向ければ片割れも傷つくことになるのを恐れているのか。

 隙というには大きすぎる油断だ。もう獣の眼中にはなくなったルリは肩の力を抜いて手にした石を胸元で握りしめた。息を深く吐いてから彼女は両眼に二頭の獣を映しだす。

 眠れ。

 そう念ずれば、甘いにおいが石を握る手から徐々にもれだした。色などないにおいではあるが、ルリにはそれが手中より水が湧き出るようにして地を進んでいくように見えた。

 ややあって、樹木ほどもある二つの体が折り重なるように倒れた。地面の揺れが森中に伝わり、森に息づく生き物たちががざわめきはじめる。たいした異変がないことがわかると、そのざわめきはそれが広まったときのように静まっていった。

「クロウ、コクフウ君、もう大丈夫よ」

 ルリの声に反応し、二つの影が動いた。獣たちが倒れたことを先ほどの地響きで知っていた彼らはがさがさと音をたてながらやってくる。クロウの髪についた枯葉をコクフウが取ってやっていた。

 半開きになった黒い獣の口からのぞく牙を見たクロウは顔をしかめた。欠けたところのある牙の一つは手を広げたよりも大きい。これでかみつかれでもしたら簡単に骨など砕けてしまうに違いない。

「改めて見るとすごい大きさですね……。よくこれだけ大きい獣を眠らせられる」

「珠玉には転移できるほどの力が宿ってたんだもの、当然よ」

 ルリは握りしめていた赤い石に目をやった。大きさこそ変わらないが色が抜けてしまい、灼熱の炎を宿していたそれは淡く色づいた花弁のようと思えるまでに薄くなってしまっている。こうなれば元は珠玉だといってもただのきれいな石でしかない。

 ホウキンは白と黒の獣が重なるようにして倒れているあたりを指差した。

「そこに並んで立て。動くなよ」

 彼の言うとおりに三人そろって横に並ぶと、ルリは己に従って当然だといわんばかりの黒い目に自身の姿が映っているのに気づいた。彼の右頬にある黒斑はもう気にならない。

「……言いたいことでもあるのか」

「そっちこそ、あたしのことばかり見てない?」

「妙なことを。黙らないと置いていくが」

 言われてルリが彼から視線をはずすと、気分を落ちつかせるためか先ほどの彼女のようにホウキンは深く息を吸って、吐いた。

 それは、音のない言葉だった。周囲の大気が熱い。その熱くなった大気を拡散させるかのように風が吹きつける。しかし、木の枝はもちろん、葉すら指一本ほども揺れていないのだから風など吹いていないはずだ。ホウキンを中心にして揺らめいている。

 次の瞬間、まわりの景色が目の回りそうな速さで流れていった。樹木の一つすら目で追うことができない。ここまで速いといくらか抵抗を感じるものだが、ルリはただ立っているだけにしか思えなかった。転移術と似ているが、それとはまったく異なるものだ。

 それほどの速さであるにもかかわらず、岩山を背面にしたゴーストランド城はゆっくりと近づいてきていた。



 枯れた木や崩れかけた石像が点在する廃墟と称してもさほど障りのないゴーストランド城の薄暗い庭に、突如として巨大な獣が二頭現れた。続いて少女、男、少年と子供とが現れる。

 門番たちは大慌てでおのおのの武器、槍や剣を取ってそれに駆け寄った。城の警備を任される彼らにとって前触れなしに現れたそれらは排除すべきものだ。

「貴様ら、何者だ!」

 周囲を流れる景色から目をつぶっていたルリは、おそるおそる目を開けた。すると、全身を防具に身を包んだ兵士たちがこちらへ刃を向けているのが目に入ってくる。

「……領主はおまえたちのことを兵に伝えていないのか」

 ぼそ、と聞こえるか聞こえないかくらいの声でホウキンはつぶやく。取り囲んでいる兵士たちにはおそらく聞こえていない。コクフウの耳に入ったのかも怪しいものだ。

 見れば、この兵士たちはごく最近警備の任に就いたばかりといった風貌だ。こちらが少しでも動けば切りかかってきそうな余裕のない顔をしている。彼らの焦りはルリにも伝わってきた。

 この状態が続けばホウキンがなにかしらの行動にでるだろうと思われたそのとき、若くあるにもかかわらず髪の白い男が城より出てきた。アルドラだ。さすがに領主、不穏な空気でも感じたのだろうか。

 ゴーストランドの頂点に立つ者の存在に気づいた兵の一人がアルドラを背中にして立った。

「領主様、おさがりください。不審な者どもが」

「大丈夫だ、剣をおさめてくれ。彼らはぼくの客人だから」

「こ、これは失礼いたしました」

 槍をその場に置く者、鞘に剣をおさめる者のあいだを通りアルドラは白髪を揺らしながらこちらに近づいてきた。彼の後ろには這いつくばって礼をする兵士の背中が見える。新米兵は普通これほど近くで領主の姿を見ることはないものだから、必要以上に緊張しているようだ。

 アルドラはちらりと振り返って彼らの甲冑で覆われた背中を見やると、軽くため息をついた。

「にしても、驚いた。まさか本当に、それも二頭つれてくるなんて」

 彼はコクフウに似たやわらかい笑みを口元に浮かべながら、心底意外そうな口ぶりで感心の声をあげた。そちらが殺さずに生け捕りにするように言ったのではないか、とルリは胸の内で答えた。

「二頭じゃいけませんでしたか?」

「いや、充分な働きをしてくれたよ。あれはこちらで運ばせるから、君たちは先に入城してくれてかまわない。扉の向こうに案内がいるはずだ」

 あっちだよ、とアルドラは剣を知らない手で扉を示してみせる。その背後で、伏していた黒毛の獣が起きあがった。

読了感謝。

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