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時を刻む紅  作者: 榊原
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1-3.魔王直紋

「すみませーん」

 声をかけてルリは木でできた宿の戸を開いた。その戸の真上に設置された鈴が乾いた音を鳴らし、来訪者の存在を知らせる。

「……ああ」

 しゃがれた声で老人が出迎えた。細長い受付台に座り、引き出しを開けて小銭を数えていた。

「一晩ここに泊まりたいんですけれど」

 さきほどの酒場と違って宿内は暗く、閑散としていた。唯一の明かりといえば、老人の手元を照らす灯火が一つ、それだけだ。これ以外の明かりは一つもなく、食卓も椅子も見当たらない。本当に以前は客が入っていたのか疑わしいほど寂れていた。

 老人はルリを見上げて、鼻で笑った。

「あんた、親はどうした。金があっても、子供だけじゃあね」

「親は、その……」

 ルリは老人の問いに口ごもった。未成年というのは面倒だ。

 人間も魔物も成年の基準は同じ、齢二十を超えた者。成年と未成年にどのような違いがあるのかルリにはわからなかったが、周りにいる大人たちはそれを見分けることができた。成年に達した者でなければわからない違いがあるのだろう。

 だが、硬い地面に身をゆだね、星を眺めて眠るのはもう遠慮したい。この時代だ、親のいない孤児などいくらでもいるだろうに。これだから理解のない頭の堅い老人は嫌いなのだ。

 できればこの手は使いたくない、と考えていたが使わざるをえないようだ。

 ルリは服の中に潜ませていた首飾りを取り出す。金鎖に小さな銀板が通っているそれを見せつけ、ルリは申しわけなく思いながらも言った。

「もう一度言います。一晩ここに泊まりたいのですが」

「なんだね、それは」

 老人は骨ばった指でルリの首飾りを手にし、まじまじと見た。それがなんであるか分かった瞬間、老人の口から驚きの言葉がもれる。

「……魔王直紋」

 ルリが差し出した銀板には、魔王直紋、頭から前肢までが鷲、胴から尾までが獅子である、大きな翼を持つ獣が彫られていた。大翼は円の縁に沿うように広げられ、前足の鉤爪を宙に浮かせて威嚇している。今にも飛びかからんとするさまは、魔王直紋にふさわしい。羽や毛などが細部まで彫りこまれている。

「先ほどの非礼をお許しください。あばら家でございますが、どうぞお泊まりください」

 老人の態度が一変し、恭しいものに変わった。彫りの見事な首飾りをルリに返し、客人を部屋に案内すべく、誰が来ようとも座り続けていた椅子から立ちあがる。魔王の紋とはこれほどの力を持っていた。

「ごゆるりと、おくつろぎくださいませ」

 こうして案内された部屋には、衣装棚や寝台、小さな机とそれにあわせられた椅子が一つずつあった。窓にいたってはひびが入っているという、それ以外にはなにもない部屋だ。ウィンドランド城に慣れたルリにとってはたしかにあばら家だが、一通り必要なものはあるようで安心した。

 部屋に入って一人になると、眠気がどっと襲ってきた。

 村の近くで倒れていたのを発見されて、目が覚めて、それからさほどの時間はたっていない。少しは休まされていたようだが、慣れない旅のせいだろう、知らず知らずのうちに疲れがたまっていたようだった。

「もう、寝よ……」

 ルリにその眠気に対抗する術はない。外套を着たまま、服が大変なことになるなと思いつつ古いが手入れの行き届いたベッドに沈みこんだ。誰も来なさそうな宿だが、きちんと手入れはされている。わずかかに開いていた目が完全に閉じる。

 意識はすぐになくなった。



 ああ、これは夢なのだ。どうせ目が覚めたらすぐに忘れてしまう、夢なのだ。

 ルリは幼い自分が城の廊下を走っていくのを見て、そう思った。

『父さま、母さまはどこにいるの?』

 廊下に幼子特有の高い声が響く。幼いせいか、たどたどしい言葉遣いをしている自分。これはいつのころだっただろうか。

『母様かい? 母様は私室に……自分のお部屋にいるよ』

 低音で優しい、七大国の一つを治める領主だとは微塵も感じさせない穏やかな父の声。そういえば、このころはまだ戦はなかったか。どうしてだろう、父の顔がよく見えない。まるで黒く塗りつぶされてしまったようだ。

 ルリには見ることができなかったが、父と向かいあっている幼い自分は彼の顔が見えているようだ。父の顔を目にして小さく笑っている。

『母さまのお部屋ね? わかった』

『ああ、ルリ、母様になんのご用があるんだい?』

『あのね、このお花を母さまにさしあげるの』

 幼い己が持っていたのは、庭に咲いていた小さくて真っ赤な花。いつも小さくともその存在を強調しているその花は、今や彼女の手の中でしおれていた。余程強く握っていたのだろう。

『しおれているな。ちょっと待って、貸してごらん?』

 彼はルリからその花を渡してもらうと、なにごとか呟きはじめた。淡い光が彼の花を持った手の中からもれる。その光がおさまった後、彼はルリに花を返した。

『ほら、ルリ。これで元気になっただろう?』

『ありがとう、父さま!』

 しおれていた花は、まるで摘んできたばかりのようなみずみずしさを取り戻していた。

『じゃあ母さまにあげてくるねーっ』

『気をつけるように。転んだりしたら、母様が悲しむ』

『うん!』

 花を持った小さな身体は、再び廊下を走りだした。追いかける気にもなれず、それを黙って今の彼女は見送った。これから幼い自分がなにを目にするのか、ルリはふとあの日の光景がよみがえってきた。母から馴染みの遊び相手が城に来ていることを聞くのだ。

 そしてその遊び相手は死んでしまう。毒虫に刺されるという、どうしようもない、偶然の事故だった。当時のルリはよくわからないまま、遊び相手はもう城には来ないとだけ告げられて、寂しい思いをしたものだった。

 大戦のなかった時代のことだ。今となっては思い出すのも難しい、遠い昔の過去の夢。



 朝陽の光が、ひび割れた窓から屈折しながら差し込んでくる。小鳥が絶えず鳴いている、穏やかな朝をルリは迎えた。だが内心はとても穏やかとはいえない。

 悪夢から目覚めるようにルリの目が見開かれた。いきなり目を開いたせいでまぶしい光が大量に入ってくる。目が焼かれるような気がして、ルリはぎゅっと目をつぶったうえに手で目を覆った。

「ああ……城じゃないんだっけ」

 怖々と開いた目で自分の格好を見て、呆れてしまう。部屋に案内され、外套も脱がずに寝入ってしまったのだ。恐れていたとおり、外套はもとの汚れも相まって無残なものだった。ルリは慌ててそれを脱ぎ、部屋の隅の衣装棚に吊るした。

 過去の夢を見た。しかし、それもすぐに忘れた。夢の記憶にはだんだんと霞がかかり、やがてどんな内容だったかも思い出せなくなった。

 ため息をつくと幸せが逃げるというが、それでもそうせずにはいられない。久しぶりに寝台で寝てひと心地つくと、今までごまかしていた疲れを感じた。

 このような戦乱の世であっても、権力に媚びへつらう者はたくさんいるのだと思った。いや、このような時代だからこそか。わずかな加護を求め、生きようと必死だ。

 けれど、彼らのおかげでルリは旅をすることができる。彼らがいなければルリは宿を取れなかった。

 昨日のできごとが思い出される。ふてぶてしい態度が、魔王直紋を見せた瞬間に恭しいものへ変わったこの宿の老人。父が明るいものだけを見せてくれたのかもしれないが、どれだけ己の世界の狭かったことか。

 ルリは胸元の首飾りを握り締めた。冷たい銀が、ルリの手によって温められていく。

 魔王直紋。

 猛々しい彫りのグリフォンが表すのは、王の力の大きさだった。七席盟約という領主の集う席での魔王の発言は絶対的なものであるし、魔王直轄のセントラルランドは不可侵だ。なにしろ、ほんの指先一つで町など簡単に吹き飛ばせる力を持っているという。兵が一歩でも足を踏み入れれば、その後ろにある国は間もなく滅びるだろう。

 その魔王の直紋を授けられた者は、王の庇護を受けているということになる。この者を害する者は、必ずや魔王の制裁を受けるだろうと。

「たかだかこんな銀板に、なんの価値があるんだか」

 けなしてみてもその価値は変わらない。物だけ見ればただの銀細工だが、そこには物以上の価値がある。心ない者の手に渡ったときのことなど考えたくもない。たとえ真の価値を知らないとしても、銀でできているのだから売ればいい値がつく。

 ルリは首飾りを服の中にしまった。お守り程度に思って、普段は人目につかないよう隠しておくべきだろう。

「さてと」

 昨日の肌寒さはどこかへ行ってしまったのだろう、今日は暖かい。しわだらけになった外套もこの陽気では必要なさそうだ。

 ルリは昨夜のやりとりを思い出す。この村で初めて会った男は、通りの向こうに古着屋があると言っていた。まずはそこへ行かなくてはならない。この村を堂々と歩くのは、着替えを買ってから宿に一度戻って、それからだ。

 早い時間のうちに適当な額を持って宿を出ると、古着屋はすぐに見つかった。

 店の主人は女だった。ルリが紹介を受けたことを伝えるでもなく、女は手招きし、店に並ぶものとは別のところからいくつか服を出してきた。紅色がいい、というルリの希望は聞き入れられ、そのうちの何着かを肩にあててみる。

 想像していたよりも悪い品ではなかったが、当然、良いものでもなかった。

 わがままを言うつもりはなかった。この先を思えば仕方のないことだとはわかっている。けれども、心の奥では納得できなかった。生地は肌が剥けそうに粗い。色も鮮やかとはいいがたい。見ず知らずの他人が袖を通したものだと思うと少し気持ちが悪い気がする。

 いや、とルリはその考えを否定する。そもそも、ただ城の外の世界を見たかったのであって、身につけるものにこだわりはなかったはずだ。最初のうちは外に出られるならなんでもするという心でいたはずではないか。

 そう自分で自分をなだめすかして、結局、どうでもよくなって服だけでなく靴まで変えた。

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