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時を刻む紅  作者: 榊原
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6-1.悪い夢を見た

 朝を知らせる光が、葉と葉の間から差し込む。

 小鳥たちがさえずりはじめるのをきっかけに、温和な性格の小さな魔物が巣穴から顔をのぞかせる。彼らの命を脅かす夜の生き物はすでに寝床に戻っている。一度二度と安全であることを確認して木の根に作った巣から這い出ると、その魔物は身体をほぐすようにのびをした。魔物だといっても、そのさまは動物とさして変わりがない。

 朝の空気が森をゆっくりと目覚めさせていった。



 ざ、と草を踏みしめる音がする。その音にクロウははっとしたが、己のたてた音だと気づいてそっと息を吐き出した。なぜだろうか、熱っぽくてふわふわと浮かんでいるような、それで身体がとても重く感じる。どうしてこのような場所に突っ立っているのだろうと思うと同時に答えは見つかった。フォレストランドについたのだ。

 アイスランドを出たのはそう遅くもない夜のこと。しかしあたりはすっかり明るい。立ったまま寝ていて、今しがた目が覚めたのだと錯覚してしまいそうになる。

「ここがフォレストランド……?」

「うわさほど酷くはないみたいですね。焦土と化したってアイスランドの人たちは言ってたんですけど」

 もやのかかっていた意識がだんだんしっかりしてきた。前に立っているルリの金髪がクロウの鼻先をくすぐる。クロウの隣にいたコクフウがルリに寄り添うように一歩前へ出た。

 奥で気味の悪い暗がりをつくる木々。背の低い雑草。その緑ばかりの風景をやわらげるように小さな花が黄色い花弁を揺らしている。人の手の入っていないその光景も、フォレストランドではそれほど珍しいものではない。

 しかし今の時期、このようにのどかな場所があるのは少々不自然だ。見えるのは野生の生き物ばかりで、兵士など一人もいない。ここを攻め入られたら簡単にこの土地は奪われてしまうだろう。戦中なのだから。

「アイスランドのときみたいに楽に進めたらいいんだけど、そうもいかないわよね」

「そうですねぇ。アイスランド領主様はとても優しいかたでしたから。ところで、そろそろルリさんの人相書も出回ってるころじゃないですか? サンドランドを出てからずいぶんたちますよ」

「それじゃ、領主に見つからないようにしないと。あーあ、街もまともに歩けなくなるってこと?」

 二人はクロウのことを忘れているように見受けられた。たしかにクロウは背も大きくないし、あまり多くを話さない。だがクロウがちゃんとそこにいるかの確認くらいはあったものだ。どこかおかしい。

 夢でも見ているようにルリとコクフウはゆっくりと前進する。本人たちにとっては普通なのだろうが、一つ距離をとってみるとなにかに誘われているように感じられた。

「ですけど、フォレストランドの女性は外に出るとき顔を布かなにかで隠すって聞いたことがありますから、少し出歩くくらいならなんとかなるかと。フォレストランドの奥地に棲む魔物は、なんでも美しい女性ばかりを狙って巣に引きずり込むとか」

「美しくない人は?」

「もちろん、そういう人だって顔は隠しますよ。そうしないと、自分は美しくないって周りに言ってるようなものでしょう?」

「他国の文化ってよくわからないわ……。コクフウ君って、ずっとサンドランドにこもってたわりに物知りよね」

「……アイスランドにいたとき、ちょっと本で読んだので。おもしろいものですよ、自分にとっての常識や知ってることがまるで通用しないんですから」

 後ろにいるクロウに、ルリやコクフウの顔は見えない。クロウは足元にいるカロンを肩に乗せて二人の後をついていった。カロンが自身の肩には余るようになっていたことにクロウは少しばかり驚いた。

 前を歩く二人が談笑しているうちに、クロウは妙なひっかかりを覚えた。はっきりとしたものではない。ありえないくらいに細く切れやすい糸にひっぱられたような感覚だ。切っても払っても糸が絡みついてくるようで、さして支障はないにしてもどこか不快で薄気味悪い。

 誰も、この奇妙さに気づかない。

 彼の頬をカロンの柔らかい毛が掠めた。その大きな双眸は好奇心で満たされている。人語を解す賢い生き物といえど、この異質な雰囲気に気づいていないようだった。

 違和感の正体をやっと見抜き、クロウは足を止めた。

「虚無……」

 それは悪質な術者が好んで使う、夢を見せる術だった。クロウはすでにその術にはまっていたのだ。いったいいつから術中にはまってしまったのだろうか。

 虚無の術を作りだしたのは何者だろう。魔王の命令で紅の混血児の命を狙う者か。

 違和感に誰も気づかないのは当然だった。この場所はクロウの夢、意識の中なのだから。なぜ居心地が悪いのかわかった途端、肩に乗っていた心地よい重さは消え、また先を行くルリやコクフウの姿も空気に溶けるように消えた。

 ここはフォレストランドではなく、虚無という夢の中だ。日の位置は知っていたものと変わり、身体は異常であることを伝えていたのに、どうしてこのときまで気づかなかったのだろう。

 朦朧としてくる意識の中でクロウは考える。虚無に落ちてしまったのはルリと結んだ血の契約のためかもしれない。あれはどちらかが死ねばもう一方も死ぬというものだ。片方が生きているからといって死にかけの一方が生きながらえられるというものではない。

 頭がかすんでいくのに耐えられず、クロウは膝を折った。とても立ってなどいられない。

 常に弱い立場に引きずられる特性をもつ血の契約がはたらいているのなら、ルリも虚無の中にいるということで間違いない。そしてもうじき終わろうとしている。

 まぶたの裏に胸が締めつけられるようなひどく懐かしいものを見て、クロウの意識は沈められた。



 一歩踏み出したルリは、別の世界へ入ってしまったのだということを感じ取った。緑のあふれる風景は変わらないが、なにやら異様な空気が漂っている。

「コクフウ君? クロウ、カロン……?」

 振り返るがしかし、誰もいない。さっきまで話していたコクフウも、その後ろをいつものように黙って歩いていたはずのクロウとカロンもいない。これはいったい、どうしたことだろう。

 なにか不吉な予感がして、ルリは駆けだす。

 景色が変わる。これはどこかの城の中だ。壁の石の積まれかた、敷物の色、柱に刻まれた文様などからルリはこの城をウィンドランド城だと思った。

 走り続けても終わりの見えない、闇へと続いている城の廊下。旅に出る前まで住んでいたウィンドランド城の廊下はこんなにも長かっただろうか、と疑問に思わざるをえない。いや、城にこのようにまっすぐにのびた廊下はなかったはずだ。ここは、慣れ親しんだ城ではない。

 これ以上ルリを走らせまいとするように窓が割れた。氷のようなその破片が敷物に深々と突き刺さる。触りでもしたら、きっと手を切ってしまうだろう。中でも大きな破片がルリの姿を映し、さらに自身の背後までを映しだす。――炎が。

 使役するべき炎が荒れ狂っている。ルリが振り返って直接それを目にすると、真っ赤な炎は獲物を狙って低く身構える獣に姿を変えた。すべてを焼き尽くす炎の色をした獣の内に、黒いものが見えた。

 立ち止まっている場合ではない。早く逃げなければ。早くしないとあれが、あの黒いものがやってくる。

 走っても走っても炎の獣との距離はいっこうに広がらず、むしろ縮まっていた。このままでは追いつかれる。きっと喰われてしまうのだ。

 行く手を阻むように再び窓が割れた。しかし逃げきれるのなら足や身体など傷ついたってかまうものか、という思いでルリはそのまま駆ける。すると、なにか境界線を越えたような感覚があった。おそるおそる後ろを見ると獣の姿はすでになく、それどころか、今まで走ってきたはずの廊下さえない。では、このときまでいったいどこを走っていたのだろう。

 そう疑問に思ったのが合図だったかのように、その場が目のくらむほどの白い光に満たされる。同時にルリの身体からは力が抜け、彼女の自然に閉じられた目はしばらく開かれることがなかった。



 やりたいことを伝えられるようになったばかりといった子供をコクフウは眺めていた。男児であるとやっと区別がつくくらいのその子供が走っていく。後を追う、それより三つばかり年が上の少女。その無垢な笑顔が眩しすぎる。

 領主と並んでもそれほど劣りはしない格好をした周囲の大人たちはほほえましげに、しかし幼子には悟られないよう苦さを水面下に隠して表情を和らげている。

「こっち、こっち!」

「待って!」

 そちらに行ってはいけない。しかし引き止めたくとも根を張ったように身体は動かず、思うままに駆けていく二人の子供を目で追っていくしかなかった。

 この後に悲鳴があがることを、コクフウは知っている。



 先程まで白い霧だった世界が、闇夜の世界に変わった。真っ黒な夜空に、球体で淡く光を放つものがいくつも浮かんでいる。だが光など存在しないかのようにそこは闇に保たれていた。

 人の家はおろか、生き物の気配さえ感じられない。枯れた草の間からは乾いた地面が露出している。風すら吹かない荒れ地を一台の粗末な馬車が走っていた。しかし、その馬車に御者はいない。馬車を引いているはずの馬の姿さえなかった。それでいて、鞭や蹄の音はする。はたから見れば、天幕をかけた荷台だけが荒野を走っているようだ。

 小石に乗り上げ、もともと欠けていた車輪がきしむ。馬車の中には、まだ子供といって差し支えのない混血児と人間と魔物。羽さえはえていなければ動物と見紛う獣の形をとった小さな魔物が、混血児の腕の中にいる。全員眠っているのか、それとも気を失っているのかは定かではない。ただわかるのは、穏やかな顔をしているということだけだった。

 馬と御者のいない奇妙な馬車は普段から決められた街へ通じる道から大きくはずれ、遠くからでもよくわかる巨大な城へ向かっていた。城よりもさらに大きな岩山の陰になっていながらも、その城はわずかな街の光を反射してぼんやりと輝いている。

 やがて馬車は城の門をくぐる。馬車は崩れた石像や枯れかけた木の間を通り、目には見えない御者が、同じく見ることのできない馬をうまい具合に操ってその足を予定通りの位置に止めさせる。

 馬車が門の内で止まってからややもしないうちに、まるで眠る者を気遣うように城の扉が音もなくそっと開いた。そこから出てきた四人の男が馬車へ近づく。馬車が来るのを待っていたのだ。

「御苦労。彼女たちはこっちで運ぶから、もういつもの仕事に戻っていい。妙なことを頼んで悪かったね。ああ、荷台はそのままで」

 四人の男たちは動かなかったが、かつかつと人の足音と蹄の音があった。御者と馬がこの場を離れたのだ。

「この人たちを城の……そうだな、ぼくの部屋の隣に空き部屋があったはずだ。全員そこへ」

「しかし」

 男の一人が渋る。四人のうちで最も地位が高いと思われる提案者はゆっくりとまばたきをして言った。

「かまわない。いくらなんでも魔王の手がこの国にまで及ぶとは考えられない」

「そうではなくて」

「心配しなくても、彼女はぼくを殺しにきたりしないし、もしそうなったとしても簡単に殺されはしない。さあ、城の中へ。できるだけ丁寧に、起こさないように。客人だ」

 それでも不満そうな面持ちだったが、三人はそれぞれ少女と少年と子供と小さな獣とを腕に抱き、先ほど出てきた扉の前に立つ。内部にも外部にも開ける者のいない扉が、今度は老朽してしまったような音を立てながら左右へおもむろに開いた。彼らは特に急ぐ様子もなく城の最上階へ向かう。

 寂しい中庭に佇んだままの男にとって、ここに運び込まれた混血児たちは予想もしなかった客だった。魔王のあの命令があるのだから、いつかは来るだろうと推測していた。しかし厄介ごとはごめんだ。ただでさえここ十数年で国の人口は膨れあがってもいたので、来てくれるなとさえ思っていた。

 この国は、実在しているのかの確認などできるはずのない、しかし七大国に名を連ねているのだから実在しているのだろうといわれる国だ。序列第二位であり、約束の地、死者の住まう国と呼ばれる国。

「さて――不本意ながら、ゴーストランドへようこそ、といったところかな」

 言いながら、男は要塞のような城を仰ぎ見た。少なくともこの敷地内を出なければ全貌を見ることはできないほど、城は大きい。ゆるく頭を振ってから、彼もまた堅固な城の中に戻る。

 城の向こう側にそびえ立つ岩山からは獣たちのぎゃあぎゃあという咆哮が聞こえてくる。夜が明けようとしていた。

読了感謝。

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