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時を刻む紅  作者: 榊原
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5-10.赤い花

 領主が呼んでいると強面の兵士に左右を固められて案内された場所は、以前ルリが領主と言葉を交わした部屋ではなかった。

 大広間といっても差し支えないような広い部屋だ。床は澄んだ水のように透明で、一歩踏み出せば下に落ちてしまうのではないかと思わせる。客間の床も透明ではあったが、ここと比べてしまうとあきらかに曇っていた。

「来たか」

 横に控えていた女二人が扉を開けた音で領主ガルディンはこちらに気づいたようだった。一応ルリたちのほうに顔を向けてはいるがどこを見ているのかはわからない。焦点が合わず、虚空を黒い双眸に映している。

 小隊を十は収容できるであろう部屋の中央で彼は四肢をついていた。青白い右手で、まさしく氷のごとく透きとおった床に文字と図形を赤色で書いている。邪魔にならないよう一歩下がったところにそれを見守るほっそりとした女がいる。たしか彼の妻だったか。

「いったいなにが……」

 コクフウの口からかすかに漏れたそれはガルディンの耳に入ったらしい。

「青の混血児がやってきた。不覚にも遅れを取ってこのありさまだ」

 ガルディンがそれとなく右腕を示してみせた。黒に近い濃紺色をした厚手の生地が裂けている。その内側に着こんでいる白布さえ破れていて、彼の血色の悪い腕から血が流れているのが見えた。

「ねぇ、あなた。本当に手当てのほうは……」

「大丈夫だ。放っておけばじきに治る」

 膝をつくガルディンに近寄ると、必然的にルリのほうが彼を見下ろす形になる。彼は盲目だからあまり気にしないだろうかと思いつつも落ちつけないでいると、それを感じ取ったのかガルディンが立ちあがった。が、ふらついて体勢を崩し転倒しかける。それを支えたのは女だった。

「これで手当てなしで大丈夫なの?」

「必要ないと言っている。すまなかったな」

 背が特に高いというわけでもない細身の女がガルディンを支えることができる。いくらガルディンが細いとはいえ、領主がこのようなことで大丈夫なのだろうか。覇気は十分ではあるものの、この様子では子をなす前に領主のほうが先に死んでしまいそうだ。そうなればアイスランドは波乱に飲みこまれてしまう。

 ガルディンは彼の半身につきそわれ、部屋の奥のほう、二段ほど高いところにある椅子へ座った。領主が腰をかけるにふさわしいその椅子に行くまでにも点々と血が滴る。良妻らしく女がガルディンの隣に一歩下がって立つ。

「目的のものは手に入れられたのか?」

「はい。あの地図がとても役に立ちました」

「それはよかった。ところで、赤花賊のことを知っているだろうか。牢がもぬけの殻になっていてな。下に放りこんだというのに一日もしないで抜け出したことになる」

 赤花賊という言葉を聞いた瞬間、内心ルリはうろたえた。すべての情報は領主のもとに集まるというが、まさかルリが彼らと接触したことに気づいているのだろうか。

「知らない、です。捕縛に協力しただけで、あたしは……」

「それは真実なのか? アイスランドに長いこと滞在しているが、本当に、ただの一度も、誓って?」

 このように繰り返し詰問されることにルリは慣れていなくて、本当に知らないのだと言おうと口を開くが、紡ぐ言葉を失ってしまう。視線を泳がせているとコクフウの金色の光と目があった。なんでしょうとばかりに不思議そうな顔をするコクフウに、本当は氷柱の洞窟の奥で赤花賊と会ったのだとは言えない。

「くどい」

 右下から聞こえてきたクロウの言葉にルリは飛びあがりかけた。子供とはいえ領主に向かってそのような言葉を使っては、礼知らずで殺されてもおかしくない。

「何度も言わせるな」

「……ずいぶんと礼儀のなっていない。仮に私より長く生きているとしても、幼い姿をとっているのならそれなりの態度を取るべきではないのか?」

「子供だから礼儀は知らない」

「またそのような」

 ガルディンはどこか諦めたふうにため息をつきながら頬にかかる一筋の黒い髪を払う。声が若干震えているように聞こえた。

「では、なにも知らないと、そういうことにしておこう」

 気づかないうちに張りつめていた糸が緩んで、ルリはクロウを見た。ここからでは表情まで見えない。意識してのことかはわからないがクロウに助けられたのだろう。あのままで話が進まなければきっと余計なことを話していた。

「そこの円陣に入れ。フォレストランドへの道を開いた」

 話の終わったらしいガルディンが示す血で書かれたそれを覗くと、円の中にいまだ踏み荒らされていない草原が見えた。直接フォレストランドに通じているように見受けられる。なんの迷いもなくクロウが陣の中に立つが、しかしその場所に落ちるということはなかった。透明な床に景色が映し出されているだけのようだ。

「どうしてそこまでしてくれるんですか?」

「紅の混血児が王命を受けているというのなら、否が応でもその目的のために力を貸さなくてはならない」

 領主としての義務と責任があるのだ、とガルディンは言う。両眼がともにまっすぐにルリを射抜くので、目が見えないというのは嘘ではないかと疑ってしまう。

 知らないのだ、とルリは思った。アイスランドにはまだ、魔王から紅の混血児を殺すようにという命が下されたことを知らされていないのだ。だからいい目で見られなくても命を狙われることがなかった。領主が知らないことをどうして民が知ることができるだろう。

 ルリとクロウとコクフウとカロンとが血で描かれた円陣に入ったのを女に耳打ちされたか、椅子を立ったガルディンはその場で片膝をつき左手を氷の床にそえてなにごとかつぶやきはじめた。ルリには理解できない音が紡がれていく。転移術の詠唱とは少し異なっている。

「気をつけて行け」

 その言葉を最後にルリたちはアイスランドを去った。そのきわで領主が傷を負った腕を押さえながら顔を歪めるのをわずかに捉えたときは心が痛んだ。



「取り引きの場所はここでいいんで?」

 慣れ親しんだ男の声に、赤花賊の女頭領、レアズは思考の海から浮上した。男の言った取り引き、という言葉が耳に残る。これは取り引きというより、むしろほどこしに近い。

「間違いない。そろそろ約束の刻限だよ。五人来るはずだ。準備はできてるね?」

「へえ、荷はここにまとめてあるし、道も確保済みだ」

 口角をわずかにもちあげてレアズはうなずく。領主の城の牢から逃げ出して、それからずっと地下に広がる無数の通路で生活していたものだから、久しぶりのこの空気に思わず笑みがこぼれてしまった。

 紅の混血児と会って、彼に言われたとおりあの青黒い異様な光を放つ宝玉を彼女に手渡した。あの混血児がそれをなにに使うのかはわからないが、自分が持っていても仕方のないものだったのだからこれでよかったのだ。しかしなにやら引っかかる。彼を利用したのはこちら側だというのに、こちらが逆に利用されたような感じが残るのだ。

「来たみたいですよ」

 仲間のうちで一番目のいい男がそう知らせた。今は夜、あたりは暗い。目を細めてもレアズには待っている人影は見えなかた。しかし五人分の足音が聞こえる。

「やっと来たかい。おい、じいさん、それはこっちの荷台に積んでやるから無茶すんな」

 賊をはじめたときから一緒にいた男が手招きして、白いひげを蓄えすっかり腰の曲がった老人を呼び寄せる。彼一人では無理だ。穀物は重い。手伝います、と若者が老人に駆け寄った。

 荷台に積まれた木箱には町長などから掠め取った宝石類がある。穀類は上等な布を袋代わりにしてそれに入れている。今まで隠し持っていた戦利品を、遠い村からやってきた五人にくれてやるのだ。

「ありがとうございます。これでこの季節も越せる。本当に、なんとお礼を申し上げればよいやら……」

「べつに礼を言われるようなことじゃないさ。荷物が多いと移動するのも一苦労でね。もらってくれるんなら助かるよ」

 盗みをはたらいた後、決まってレアズはそう言った。領主はこのごろ税を上げてばかりいる。さすがにこのあたりは城下大都であるためにまだ平和だが、今は戦中。おそらく兵糧が足りないのだ。苦労するのは貧しい者ばかり。一段、二段上の裕福層は身を飾ることばかりしている。

「次はどちらに?」

 その言葉の意味を正確に捉えてレアズは答えた。

「……もう、盗みはやらない。領主に捕まっちまったもんだから、仲間もずいぶん減ってさ。アイスランドじゃもう無理だよ」

「では、我々はこれからどうすれば……」

 壮年の男の言葉を合図としたように、口々に不安がもれた。土地にあった作物がないわけではないが、他国と比べてしまえばアイスランドの作物はうまく育たない。このような状態で日々上乗せされていく税に耐えていくのは厳しい。

 それを承知の上でレアズは言った。

「アイスランドの民は耐えることを知っている。もう少し、あと少しだけ耐えれば大寒期が終わる。そうしたら耕した土地にそれを植えていけばいい。作物なんてろくに育たない土地だけど、自分の生まれた国よりもいい国はないってあたしは思ってるよ」

 我ながら嘘ばかりを並べた言葉だと思った。アイスランドをめぐりいろいろな場所を目にしてきたが、この国の人々にもう耐えるだけの力は残っていない。時季を見ても大寒期はとうに終わっているはずだ。種をまいても土が痩せていて貧弱なものしか実らない。

 いつの日からか、領主の城が融けかけただの、妙なうわさを聞くようになった。いったいアイスランドの何人が、自国がおかしくなっていことに気づいているのだろう。

「赤花賊のみなさんはどうなさるので?」

「解散さ。家を持ってる奴もいるから困らないはずだ。あたしはフォレストランドにでも行こうかね。ウィンドランドに行ってみたいけど、さすがに遠い」

 肩をすくめておどけてみせる。力の抜けたその肩が、緊張に固まった。空気が変わる。

 部外者が近づいてきている。

「誰か来たようだ。見つからないうちに帰ったほうがいい。あたしらはいいけど、そっちには荷台があるんだ、ぐずぐずしてると動けなくなるよ」

 遠い村から荷を受け取りに来た五人は改めてそろって頭を下げた。このように感謝されるたび、必ずレアズは悪いことをしているような気分になる。移動に邪魔だったから引き取ってもらっただけのことだ。

 小さくなっていく影を見送って、レアズは友を振り返った。

「そういうわけで、赤花賊は今をもって解散した。どこへでも好きなところに行きな」

 今までレアズに従ってきた男たちはそれぞれ別々に散るかと思われたが、予想は外れた。

「おれたちはあんたと一緒にいる。男ばっかで群れてるより女が一人でもいたほうがいいだろう?」

 レアズは黙って目を伏せた。だからといって、行くあてなどないというのに。

 ざ、と地面を踏みしめるいくつもの音にレアズは顔をあげる。いつの間にか囲まれていた。近づいてきたのはわかったのに囲まれたのはわからなかったとは。こちらは六、対してあちらはニ十と数名。これは抵抗しても無駄か。

「赤花賊、賊長レアズ。盗みをはたらき、さらには城の地下牢を破った。領主様からは、逃げ出した赤花賊を見つけたらそれらの首を刎ねて戻ってこいと言われている」

「おれたちの首だと? 何度も逃がしておいて、笑わせる」

 顔の幅よりも太い腕を持つ男がレアズを庇うようにその前に立った。そして右隣に細身の男が立つとレアズに耳打ちした。

「逃げて」

「誰が逃げるか」

 呟いて、隣の親友を手加減しながらも殴り倒す。自身に背を向けて立つ、体ばかりが大きい馴染を押しのけるようにしてその隣に立った。

「あたしは男の後ろに立つのは嫌いだよ。前が見えないからね」

「レアズ!」

 彼を目だけで黙らせ、彼女は自分たちを取り囲む兵士の一人と目を合わせた。

「さて……牢破りは非の打ち所がなかったはず。誰だい、あたしたちを領主なんぞに売ったのは」

 尋ねられた兵士は勝ち誇ったかのように笑いを含ませて言う。

「いいだろう、ゴーストランドの仲間たちに土産話でも持っていけ。青の混血児が赤花賊の情報で身の安全を買ったのよ。奴らの居場所を教えるからどうか見逃してくれってな」

 ――ああ。

「あの野郎……!」

「いいんだよ、あんなのを信じたあたしが悪い」

 お互いのことは接点を持ったことも誰にも言わないと約束したはずだった。やはり混血児など信じるべきではなかったのだ。小さな虫を信じるほうがまだ抵抗が少ないくらいだ。

「よかったな、あっちの仲間に土産ができて!」

 兵士が一歩踏み出したので間合いが詰まった。目の端でなにかが鈍く光る。

 どういうわけか視線が上がって、それから急激に下がった。まるで目の位置が変わったようだった。そう、変わってしまったのだ。でなければ自分の靴の裏が見えるはずがない。

 文字どおり首が飛んだのだと気づいたころには、目の前は真っ暗になりつつあった。

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