5-9.石のかけら
「いつまでもこそこそ隠れてないで出てきたらどうだい?」
女の声が響く。ルリは軽いため息をついて、先に姿を現したクロウの隣に立った。クロウが出て行かなければ、もう少し違う結果になったかもしれない。
岩陰から前に出ると、一人の女と十数人の男がこちらを見ていた。睨み据える者、一瞥しただけですぐ目をそらす者などさまざまだ。その一人の女と目があった。見透かすような眼差しに居心地が悪くなりルリは目を伏せる。
「魔物……じゃないね。人間でもない。まさか、混血児かい?」
途端、周囲がざわめいた。見下ろすような視線もあるが、どういうわけか周りを見るとなにかを察したような表情が多い。広いとはいえないが狭いわけでもない空間、そこを等間隔に岩壁に設置された蝋燭が内部をよく照らしていた。
女は、頭から足先までをざっと見ただけでは男と間違えてしまいそうな格好をしていた。紅髪を無造作に頭の上でくくっている。胸まであるだろうかというその髪は血のようだが、しかし波打つさまは炎のようでもある。
その女をどこかで見たことがある、とルリは思った。
「金髪に緑の目……。じゃ、あんたが紅の混血児ってわけだ」
「どうしてあたしのことを?」
「ある人物からね。あんたとはまたずいぶんと正反対の奴だったよ。まあ、そのへんに座んな。話くらい聞いてやることになってるから」
もともと悪い性格ではないのだろう。女の態度が急に軟化したのでルリはその言葉に従った。壁と同じ岩の地面はごつごつしているものの角が取れていて滑りやすい。地が濡れていないか確認して腰を下ろす。
ルリたちの追ってきた少年が、彼を殴ろうとした男の後ろに恐れとともに隠れるようにしているのが目についた。明かりの下に来て、そこでようやく彼が少年と呼ぶには幼すぎるに気づく。
「あのちびがどうかした?」
「別にそんなんじゃないですけど……あ」
声を漏らして唐突にルリは思い出した。あれは、ルリの旅嚢から金入れを奪っていったあの子供だ。旅費がなくなってしまったせいで、つまりその男の子から金入れを盗られてしまったせいで必要のない遠回りという苦労をした。
だが、それももうすぎたこと。赤花賊の捕縛に手を貸したためすでにルリたちは報奨金として百レイルという大金をもらっている。所持していた約十倍、二十倍はあろうかというものだ。咎める気持ちはまったくない。感謝とまではいかないにしても、それに似た感情がある。
ルリが声を漏らしたのは聞こえなかったようで、赤毛の女はそのまま口を開いた。
「それで、こんなところになんの用だい? あたしらを捕まえに来たってわけじゃなさそうだけど」
「どうしてあなたたちを捕まえる必要があるんですか」
「……知らないのかい? あたしは赤花賊の頭、レアズだよ。けっこう有名だと思ってたんだけどねぇ、知らない奴もいたのか」
おどけたように放たれたその言葉に、ルリは愕然とした。どうして気づかなかったのだろう。そうだ、彼女はテーリアソンという尊大な男が長をつとめていた町で町民に囲まれていたのを一度見たことがある。赤毛の女が賊を率いていると。
「本当はもっと仲間がいたんだ。けど、あたしじゃこれだけ引き連れて逃げ出すのが限界でね。他の奴らは、きっと約束の地で待ってるさ」
死者の住まう国ゴーストランドは約束の地とも呼ばれている。ゴーストランドへ行った者はもう帰ってくることはない。
「それって……」
「あんまり言わないでおくれ、まだ気にしてる奴もいるからさ」
そっと賊長レアズはルリの唇に指をあてた。空気が重いものになっているのを感じ取ったルリは頭を下げた。誰かが死ぬのはつらい。
「あたしたちは、あんたのことを教えてくれた人物に助けられた。そいつが、あんたにはよくしてやれって言う。だからこうして本来取りあわない相手と話してる。そういうわけだ、用件は手短に頼むよ」
自分たちを知っている人物とは誰のことだろう。他人に教えられるくらいだから、近いところにいる者のはずだ。アイスランド領主が秘密裏に彼女たちを釈放したのかと考えたが、いくらなんでも領主が犯罪者を逃がすとは思えない。ルリたちはアイスランドには来たばかりというわけではないが、知人などいない。
いくら考えをめぐらすも思いつかなかったので、ルリはその人物を知るのを諦めた。その名前を出そうともしないレアズに尋ねても教えてくれないだろう。
「あたしたちは探しものをしてるんです。とても大切で、重要なものを」
「……秘宝とやらだね?」
どうしてそれを、という驚きをできるだけ表情に出すまいとしていたルリだったが、表に出てしまっていたらしい。レアズが軽くいきさつを話してくれた。
「貴族のところに盗みに入ったら金になりそうなものがあって、失敬してきた。ところが売っ払おうとしてもくず石呼ばわりされて、結局最後まで手元に残った。それを、魔界の秘宝だから紅の混血児に渡せって言われて」
言いながら、彼女は腰に何重にも巻いてある布から平たいものを取り出す。
「これでいいのかい?」
緩やかな曲線を描く、親指の爪より一回りも二回りも大きい青く澄んだ石。それを中心として小さな青い石がいくつもはめ込まれていて、それらを取り巻く蛇のような形をした台座は銀でできている。首飾りだと言われれば、なにも知らない者は信じてしまうだろう。
青に銀という配色が青の混血児を思い出させて、ルリは顔をしかめた。その顔をどうにかして元に戻し、秘宝を受け取る。すると青い石が光を溜めこんで淡く光った。湧き出る湖の明るい色の中に、海底の静けさや氷雪の凍れる厳しさがある。
「やっぱり正当な持ち主じゃなきゃ輝かないってことか」
「あの、これは……」
「あたしらのことを誰にも言わないでいてくれるなら、もらっておくれ。あんたが持つべきものだろう?」
たしかにそのとおりだった。魔界の秘宝、希望を集めるように魔王が言った。しかし本当にいいのだろうか。今まで苦労してきたがこれはうまくいきすぎている。いや、さしたる苦労などなかったか。サンドランドで手にした秘宝も譲られただけだ。
迷っているルリの手の上を小さな手が掠めた。手の主を見ると、クロウが蝋燭の炎にかざすようにして青の希望をしげしげと眺めている。凍てついた滝のようだと思った彼の髪はいつのまにか元のやわらかさを取り戻していた。
「ちょっとクロウ、なにしてるの」
ルリが言うのと同時に、かち、というごく小さな硬質な音。クロウは同年代の子供と比べると分別がある。まさか壊したということはありえないだろうが、心配になってその手元を覗きこんだ。なにもおかしなところはない。それどころか、ルリの手にあったときよりも光が増しているような。
大きな石の周囲にちりばめられた小さな石。よくよく見ると、その青い石にルリは見覚えがあった。初めてアイスランド城で朝を迎えたとき、誰かが部屋に落としたのだろうとそのままにしておいた石だ。
「今はめた石、どこで見つけたの?」
「城の、ルリの部屋。落ちてた」
ルリは納得した。宝石類は見慣れているルリが部屋に落ちていた青い石から目を離すことができなかったのは、あの石が秘宝の一部であったからなのだ。秘宝には見る者を惹きつける力があるようだ。
「さあ、それを持ってとっとと失せな。早く行ったほうがいい、道が閉ざされちまうからね。キューメン、案内してやんな」
レアズが言うと男が一人ずいと前に出てくる。まだ若くほかの男たちと比べると貧弱だがいかにもといった策士の顔をしている。彼女たち赤花賊が盗みをはたらくときの綿密な計画はおそらくこの男が立てているのだろう。
「どこから来た」
「えっと……氷柱の洞窟から」
押し殺した低い声で無愛想に尋ねてくる男はクロウと雰囲気が似ている。顔の造形は置いておくとして、クロウが成長したらこのような男になるのだろうか。
「あたしらがここに逃げ延びていることは、絶対に言うんじゃないよ。もちろん、あんたのお仲間にもね。信じるのもほどほどにしないといつか裏切られる」
まるで自分がそうだったと言いたげな口調だ。しかし心配には及ばない、コクフウはそのように簡単に裏切る人間ではない。
その言葉をうなずくことで受けとめて、一礼をしてから案内をする男の後を追った。
日も暮れはじめ、すべきことが一区切りついたコクフウはのんびりと廊下を歩いていた。そのとき後ろのほうからまた誰かが走ってくる音がして、先ほどのように突き飛ばされまいと壁側に寄る。
駆けてきたのは女だった。コクフウには目もくれず女は薬箱を抱えて廊下を疾走していった。それにやや遅れてまた女。衣服からして下働きだろう。こちらはコクフウの前でとまる。
「コクフウ様ですね?」
はい、とコクフウは遅れて答える。敬称をつけられて呼ばれたことなど一度もないから、同じ名前の他の誰かを呼んでいるのかと思った。
「申しわけありませんが客間でお待ちくださいませんか」
尋ねるという形をとってはいるが否定させない強い口調。肯定の意を含ませてコクフウが問う。
「なにかあったんですか?」
「事情は後ほどお伝えします。とにかく客間のほうへ。ご一緒しますので」
女はコクフウの手を取って足早に歩き出す。同じくらいの背丈のためか足早といってもルリと歩いているときより少し早いくらいだ。育った環境の違いからか年齢差からか、コクフウはルリより頭一つほど背が低い。
手を引く彼女はコクフウの知らない道を使ったので予想よりも早く部屋についた。入室した途端、蝋燭に炎がともる。いつものことながら、勝手に蝋燭に火がつくこと、また部屋の中がほのかに暖かいことをコクフウは不思議に思う。炎術に似た術でもかけられているのだろうか。
「では、許しがあるまでここで待っていてください」
礼をして去ったものの女は閉め損ねた客間の扉を閉めに戻ってきた。相当慌てている。なにかあったことは明らかだ。
窓のそばに寄ると城下大都にちょうど明かりがともされるころだった。この場所からは城を中心に広がる大都がよく見えた。サンドランドにももちろん大都はあるが、上から見たことはない。きっと整った白い街並みがきれいだっただろう。
コクフウは、日が落ちはじめてから完全に夜になるまでのあいだがサンドランドより短いことを滞在中に知った。日が暮れる、と思ったらいつの間にか夜になってしまうのだ。すぐ明かりをつけないと夜に飲みこまれてしまう。
夜になって待ち人たちが帰ってきた。獣であるカロンの表情を見分けることは難しいが、それぞれが不機嫌そうな顔をしている。
「コクフウ君、城でなにがあったかわかる? 帰ってきたと思ったら問答無用でこっちに押しこめられちゃったんだけど」
「それがさっぱり。一応訊いてはみたんですけど、答えてくれなくて。薬を持った人たちが走り回ってましたね」
外套を脱いだルリは身震いをする。クロウはカロンを暖にして椅子に座った。冷えきった彼女たちが入ってきたことで部屋の温度も低くなったようだ。部屋でぬくぬくとしていたコクフウであったがこちらまで寒くなってきた気がする。
「洞窟のほうはなにかありました?」
「ええ。見つけたわ、秘宝」
翡翠の目が喜びに細められた。隠しから誇らしげに取り出される秘宝は青い。中央の大玉がひときわ目を惹く。冷たくて、しかし優しい色だ。
「やっぱり氷柱の洞窟にありましたか。クロウさんが気づいてくれて本当よかったですね。ここはいい国ですけど、もうアイスランドにいるのは十分です」
「そうね。素通りしてたらまたアイスランドに行かなきゃならないもの」
そのとき扉から入室を尋ねる音がしたので、一番近くにいたコクフウが扉を開いた。兵の格好をした男が三人。
「皆様おそろいですか? 領主様がお呼びです。こちらへ」
槍や剣など武器を手にしている様子はただごとではない。丁寧な言葉にはまるで戦場にいるのだという緊張が含まれている。
やはりなにかあったのだ、とコクフウはルリと視線を交わした。
先にルリがカロンごと身体を抱いているクロウの手を引いて客間を出る。コクフウは最後に部屋の蝋燭を吹き消してから部屋を出た。