5-8.奥の奥
その後もルリたちは馬車を使い領主ガルディンに渡された地図に書かれた場所を巡ってみたのだが、すべてはずれだった。ときには泊りがけでアイスランドの東端、ウィンドランドとの国境近くまで足を伸ばしたというのに秘宝の手がかりすら見つからない。簡単に見つかるとは思っていなかったものの、まさかここまで難しいとも思っていなかった。
「お帰りなさい、ルリさん、クロウさん、カロン。……その様子だと、やっぱり?」
アイスランド城で待つコクフウのその言葉、これまでに何度聞いただろう。アイスランドに入ってから数えられただけでも五十日がすぎていた。
ルリにあてがわれた部屋にカロンを連れて三人で戻る。それぞれが手ごろな椅子に腰掛け、コクフウが小さな白い机に地図を広げた。部屋を見渡したルリはあの青い石がなくなっていることに気づいた。きっと落とし主の手に戻ったのだろう。
「どうしましょうか。もうその地図に書かれている場所は全部回ってしまったんですよね」
机上に広げられた地図にはいくつもの地点が黒で塗りつぶされている。その部分は主に西側に集中していた。
「これだけ探してもないんだから、アイスランドにはないんじゃない?」
「そうなりますね。領主様には申しわけありませんが」
秘宝が七つあり、魔界に国が七つあるといっても、必ず一つの国に一つの秘宝があるわけではない。そう確信をもって言うことはできない。もしそうであるならば、ルリたちはゴーストランドに行くために死ななければならないことになる。
近いうちのアイスランド出国が決定事項になりかけたとき、沈黙を貫いていたクロウが口を開いた。
「洞窟に行ってない」
大都の北にある氷柱の洞窟。天井から無数の氷の矢が降ってくるような冷気漂う洞窟。初代魔王と神獣に縁のあるせいか、洞窟が意思を持っているだの望みをかなえてくれるだの言われている。
「なにもなかったじゃない。また行くの?」
「あのときは奥まで進めなかった」
「そうだけど……また?」
心底嫌だという気持ちを前面に押し出して言うと、クロウは子供らしくなく眉を上げた。これはまずい。以前に渋るクロウを無理やり連れ出したことをまだ根に持っているのかもしれない。
「わかった、わかったわ。行くから準備して」
ため息混じりにルリは抵抗もなく折れた。クロウの機嫌が悪いとこちらまでいらいらしてくるのだ。
「これから?」
不満げな様子で言うクロウを、言い出したのはそちらだろうとその口を塞ぐ。
「それじゃ、今度は僕もご一緒してもいいですか? このあいだ本で読んで、氷柱の洞窟には行ってみたかったんです」
「コクフウ君はちょっとやめておいたほうがいいわ。厚着しても寒かったんだもの、サンドランド人ならなおさらでしょう?」
「サンドランドだって夜は寒いですよ?」
どうしても一緒に行く気でいるらしい。コクフウが魔物であれば問題はない。しかしながら彼は人間、現地人ならまだしもサンドランドの人間にどれだけ洞窟の寒さが耐えられるかわからない。サンドランドとアイスランドは気候の差が大きすぎる。
「お願いだからここで待っててくれる? 荷物とかはコクフウ君に預けておきたいのよ。大切なものが入ってるし、また盗られたり落としたりでもしたら申しわけなくて生きていられないから」
多少大げさではあるがこう言っておけばコクフウも諦めてくれるはずだ。金色に輝く秘宝が一つだけ入っている小袋と大金の入っている皮袋を机の隅に置くと、場所を空けるためにコクフウが地図を巻いた。
「僕がお金を持って逃げるとか、ルリさんは考えないんですね」
「人を疑ってばかりじゃ楽しくないもの。それにコクフウ君はそんな人じゃないわ。そうでしょう?」
逃げ道と逃げ切れるという確信があるならば、枷なく大金を渡して役目を途中で放棄する者が出てくるのはおかしくない。ろくに顔や名前の確認もしないような日雇いに金や酒を持たせて使いに行かせて帰ってくるのはほんの一握りだろう。しかしコクフウは彼らとは違う。
目を大きくさせたコクフウがなにを考えたのかはわからないが、やや間を空けて、それから城で待っていることを笑顔で約束してくれた。
「気をつけてくださいね」
そうやって、コクフウはこちらが安心するような柔らかな笑顔で再び送り出してくれた。
氷柱の洞窟という暗い穴を、明かりを手にしたルリはクロウとカロンを伴って進んでいく。
松明を握る手はもう動かない。足先のじんじんとした痛みに耐えながらずっと進んでいくしかなかった。もっと奥へ、もっと先へ行くために再びこの場所を訪れたのだから。
「たしかここだったわよね?」
氷柱の洞窟の中にいると消耗するのかそれとも別の理由があるからか口数が少なくなる。クロウの無口にも拍車がかかり、ルリの問いにも彼は首を縦か横に振るだけだった。それもごく小さな動作だ。
上から下に向かって生えている氷柱、その奥にある透きとおった氷でできているような階段。先日はこのあたりで誰かいることに気づいて、衝突は避けたいと思って、そしてルリたちは洞窟の外に放り出されたのだ。
不思議なことに、ルリが炎術でなぎ払ったはずの氷柱は元の大きさに戻っている。いや、以前よりも大きくなっているような気がしないでもない。まるで氷の化け物が向こうにあるなにかを守っているようではないか。
しかしただ大きいだけの見かけ倒しで、それはルリが手で触れただけであっけなく折れてしまった。足元に落ちたそれを蹴ってみれば驚くほど軽いうえに脆い。これが氷の重さなのだろうか。
行こう、と互いに目で合図をして氷柱の奥に守られていた階段を上る。上るにつれてどんどん寒くなっていくので、おそらく階段の一番上のあたりがこの冷気の出所のはずだ。階段は氷でできていると思って滑りやすいだろうから気をつけていたが、途中でこれは透明な石でしかないことがわかった。氷よりもあたたかみのある音がする。
たかだか十段ほどの階段をのぼりきると、そこには、なにもなかった。
正確にいえば、階段は黒い岩へと続いていた。階段はどこかへ通じていたが、いつかに分断するような岩が落ちてきたと考えられる。ルリが松明で照らしても岩の奥が見えないわけだ。岩を炎術で砕けばという考えも浮かんだが、そうすることで洞窟が崩れてしまうかもしれないと思うとそのようなことはできない。
「やっぱり、なにもなかったじゃない」
言っておかないと気がすまなくて、ルリは寒さに震えながら声を振り絞った。階段を一段下るごとに寒さが遠ざかっていく感覚がある。
「そんなはずはない」
紫の瞳と同じような色をした小さな唇が言葉をつむいだ。確信があったのに裏切られた、そんな顔をしている。クロウもこの寒さは堪えるのか、そう言いながらもルリの後を追うように階段を下りる。
一番下まで下りてきて睨みあいに発展しそうになったとき、カロンが高い警戒の声を発した。カロンがこのような声を出すことなど滅多にない。はっとして二人は背中をあわせ松明をかざして周囲を見渡す。緊張が高まっていく中、背後の存在があたたかいとルリは思った。
しばらくそうしていたが静かな呼吸の音以外になにも聞こえなければ人影もない。耳のいいルリやクロウでも聞こえない類の、獣にしか聞くことのできない音だったのかも知れない。ならばたいした害もあるまい。
ルリが肩の力を抜いた、そのときだった。たたた、となにかが駆け抜ける音。獣の足音ではないそれは近い。今しがた横切った。
生き物はみな寄りつかない氷柱の洞窟、そこでルリたち以外の足音が聞こえるのは奇妙だ。
松明を放り捨てたルリは外套を翻してその音を追った。決して小さくはない松明はこの状況では邪魔で、火の近くにいては闇が濃くなる。この洞窟は外からでは暗闇しか見えないが、内部にいると外から入ってくる微量な光を氷柱が反射しているため、鮮明にとはいかないにしろあたりの様子を見ることができた。
ルリたちは軽い足音の主を追って走る。天井の低いところや氷柱のあいだなど小柄な者にしか通れないような道ばかりを選ぶようにして相手が進んでいくので、クロウやカロンはいいとしてもルリには少しばかりつらかった。クロウと比べればルリのほうが背が高い。
かと思うと獣の通り道のような急な傾斜の岩場が目の前に現れる。さしずめ険しい山登りといったところか。ところどころ突き出している足場を、慣れているのだろうか苦もなく駆け上がる音が聞こえる。げんなりとしつつルリは岩に手をかけた。
足をかけてよじ登り、また手をかける。服のせいで動きにくいが何度もそれを繰り返していくと急に手元が明るくなった。外が近いらしい。ルリが腕に力を入れて這い上がると、疲労を浮かべたクロウが二足ほど遅れてルリと並んだ。
「どうしてつけられてるってわからなかった、馬鹿野郎!」
「ご、ごめんなさい」
男の怒号と少年の怯えた声。まずいところに来てしまったようだ。いや違う、ルリたちが彼を追ったためにこうなったのだろう。
二人は近くに身を潜められそうな場所を探して隠れる。ルリは顔半分を出してそっと様子を覗いた。
「謝ってすむなら、俺たちゃこんなところにいる必要はねえんだよ!」
子供の頭よりもやや小さいくらいの男の拳。衝撃を覚悟して歯を食いしばり目を硬く瞑っていた少年にそれが振り下ろされる。が、細腕がそれをとめた。女の手だ。猛り立つ男をその手で制す。
「やめな。まだ子供だよ、なにも殴ることないだろう」
「でも姐さん、こいつ」
「つけられたことくらい大目に見てやんな。さて、じゃあ客人には姿を見せてもらおうか?」
ぎくりとルリの肩が跳ね上がる。その言葉に従うべきなのか、逃げるべきなのか。ルリが逡巡していると、クロウがためらいなく彼らに姿を見せた。十にも満たない子供の登場に彼らはどよめく。
「クロウ!」
黙ったままでいればいいものを、ルリは声をあげてしまった。
ルリとクロウとカロンの出立を見送ってしばらくして、コクフウはアイスランド城の地下にある書庫へ向かった。
彼女たちが出て行った後はいつもそうしていたものだから、とりあえずは自身のための客間から書庫までは案内なしで行けるようになっていた。だが無色透明の壁にはいつまでたっても慣れない。外から透けて見えることはないとわかっているが向こう側から見透かされている気がする。
道の途中で、背後でなにか騒動が起きているような気配がした。ざわついている。颯爽と駆けていく足音が近づいてきて、コクフウはなにごとかと振り返った。
「どけっ」
その言葉が耳に入るや否や、コクフウは横へ突き飛ばされ壁に肩を打ちつけて呻いた。強い力ではあるものの加減されていることがわかる。前を見ると、銀と濃紺の影がコクフウのずっと先を疾走していた。今さっき突き飛ばされたばかりだというのに、もうあんなにも遠い。
過ぎ去った影を追うように、鎧を身に着けた巡回兵のような男と槍を持って兵士の真似事をしているような女がそれぞれ十数人ほど、コクフウの目の前を駆けていった。そのうちの一人の男がはじめて壁に寄りかかっているコクフウに気づいたとでもいうように足を止める。他の者はいくつにも分かれている廊下に何人かで組んで散った。
「そこの少年、今、罪人がここを通らなかったか?」
「……罪人ですか?」
「長い銀髪に、濃い青色の服、それに青い目をした男だ。まだ成年じゃない」
あの、自分を突き飛ばした人物が罪人だろうか。その特徴からするともしや罪人というのは噂に聞く青の混血児かもしれない。
どういうわけかルリは彼に対抗意識を持っているようだが、いったい青の混血児がアイスランド城になんの用があって来たのだろう。なにか重大な案件を抱えたような、差し迫った様子だった。
「罪人かどうかはわからないですけど、それらしい人ならここを真っ直ぐ行きましたよ」
「わかった、礼を言う」
礼を言うと言いながらも指差すコクフウとろくに目もあわせず、男はその方向へ足を向けて走り出す。
青の混血児は王城に潜りこんで魔王に傷を負わせたと聞くものの、果たして正直に答えてしまってよかったものか。だが考えていても仕方がない。あの彼が罪人だというのならきっとそうなのだろう。
コクフウは改めて書庫への道を歩きはじめた。罪人らしい彼の行き先が書庫へ通じる道でなくて本当によかった。そのようなことになっていたら突き飛ばされるだけではすまない。