表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を刻む紅  作者: 榊原
3/82

1-2.国境村

 その昔。神獣が新しい世界をつくりだした。跳躍し駆けるところは天と地となり、眠るところに草木が茂る。孤独の咆哮が雷雨となり、海ができ、その海から生き物が生まれた。

 ひたすら平穏であったその世界は、しかしいつしか理性をなくし、暗黒に覆われていった。その時代が戦乱の世と呼ばれるようになったのは間もなくのこと、地上には血と炎と恨みが蔓延するようになった。

 そんな中、一人の男が立ち上がった。彼は戦乱の終結を図るため、世界のどこかで眠りについているという神獣を探す旅に出ることを決意した。

 彼は死んだ山を越え、腐った野を越え、骨の転がる荒地を越えて旅をした。

 そして男がまた山を越えようとしたとき、一人の青年が声をかけた。彼は男の酔狂を嘲笑い、惑わした。しかし男は耳を貸そうともしなかった。

 そこに問答があり、旅の男は正しい答えを導いた。それを認めた青年は、男をからかうのをやめ、真の姿を現した。青年こそが神獣であった。

 神獣はその男を背に乗せ、戦の一番激しい地へ飛翔した。神獣が不思議の光を放つと、その戦はどういうわけか鎮まるのだった。

 そうして世には安寧がもたらされた。さらに男は王となり、平定した世界の初代魔王として君臨した。

 しかしそれもつかの間、数年後、王は病に倒れた。世界中が祈りを捧げるもむなしく、彼は世を旅立った。王が王でなくなると、神獣は涙をこぼし、姿を消した。

 王を失った絶望と、新たな時代への希望。二つの涙は結晶となり、世界の終わりが訪れるその日まで、世界を支える柱となった。


 * * *


『ルリ、ちゃんと……』

『大丈夫よ、うまくやれるわ』

『つらくなったら、いつでも戻ってきなさいね。待っていますよ』

『ありがとう。……それじゃ、行ってきます、母様』

 そうしてウィンドランド城を出たのはいつのことだろう。母セリナの転移術によって祖国であるウィンドランドを出立したルリは、目が覚めると見知らぬ森の中で倒れていた。

 人間の身でありながら領主の妻となった母は、それが許されるほどの術者だった。本当ならばどこか街の近くにルリを送るつもりだったのだろうが、外を知らない娘を送り出すにあたり、さすがに心が乱れたようだ。珍しい失態だ。

 だか、ルリも悪いのだ。これからどこへ送ってくれるのか聞きもしなかった。城を出られるということで、行き先を聞き忘れるほど心が躍っていた。

 木々はうっそうと茂っていたが、それほど暗くはない。葉のわずかなすきまから木漏れ日が差しこんでいるからだ。その森には道という道もなく、足元には緑色がびっしりと生えている。茶色の地面がまったく見えなかった。

 ここはどこだろうと思って、ようやくルリは自分が無謀な旅に一人で出たということを自覚した。自国の地図は持っているが、他国のものは持っていない。そもそも現在地がわからなければ地図があったところでどうしようもなかった。

 ルリは世界のはじまりを伝える神話を思い出した。一人の男が苦難の旅に出たという。あの話と比べれば、きっとルリのほうが恵まれている。そう思うことで、萎えるそうになる気を奮い立たせた。

 それからはなにも考えずに歩き続けた。幸い、追い剥ぎのたぐいには遭遇しなかった。

 外の世界に憧れていたとはいえ、ずっと変わり映えしない緑ばかりではルリとて飽きる。いつの間にかうつむいて歩くようになっていた。

 いったいどれほど歩いたのだろうか。距離の計算も無理だろう。なにしろ歩数など数えていない。梢の隙間に夜空が見えるが、もしかしたらこの森でまた、何度目かになる太陽を見るはめになってしまうかもしれない。

「あれは……」

 ルリの視線の先に、開けた場所とかすかな光が見えた。小さな村だ、とルリは直感的にそう弾きだした。そして人がいることに対して安堵のため息をつく。一人でいるのはつらかったのだ。

 暗い森を一歩抜けた途端、身体から力が抜け、硬い地面に体を強かに打ってルリはその場に倒れこんだ。



 人の話し声と足音がする。食器のぶつかる音がする。なにか、温かい食べ物の匂いがする。鼻腔をくすぐる香ばしい匂いがする。深く沈んでいたルリの意識が徐々に浮上してくる。

「おお、目が覚めたか。森の入り口で倒れてたんだが、覚えてるか?」

「えっと……?」

「ここら一帯はアイスランドとは休戦中とはいえな、あんなところで倒れてたらどうなるかわからんぞ」

 長椅子に横たえられた自分の身体には、身につけていた外套がかけられている。ルリはおもむろに上体を起こした。

 酒場のようだった。仕事終わりの一杯、といったところか。

 声をかけてきたのは、知らない男だった。ひげを生やし、日焼けをした色の濃い肌をしている。酒のためかその顔は少し赤い。吐息が酒くさかったが、見た目ほど酔っているようには見受けられなかった。

 男は髪をかき上げながら、返事をしないルリを訝しげにのぞきこんだ。

「大丈夫か、おまえ」

「あ……はい、大丈夫です。ここは?」

「グン村だよ、国境の。ウィンドランド北西、最後の村」

「じゃあ、少し行けばもうアイスランド?」

 男は難しい顔でうなずいた。その顔には、いつ休戦を破るかわからないアイスランドが目と鼻の先にあるという緊張感があった。その緊張を振り払い、男は居住まいを崩す。

「ところでよ、なんでまた領主の娘さんがこんなとこにいるんだ?」

 ルリは黙りこんだ。名乗っていないのに、なぜわかったのだろう。その心を読んだかのように、男はにやりと笑った。

「その格好。一発でわかる」

 思わぬ指摘を受けてルリは自分の姿を見下ろした。

 特にいつもと変わらない服装のはずだ。紅色の生地は触り心地よく、花の染め抜きが美しい。袖口の白は、今でこそ泥に汚れているが、もとの白さがうかがえるほどにまだ新しい。胸元には細紐を組んだ飾り。

 ふと、ルリは男を見上げる。その服はくたびれ、色あせ、着古しているのがわかる。茶色一色に、飾りは申しわけ程度の刺繍。黄ばみ、硬そうな生地、荒れた手。

 周囲の者にしても、際立って彼と違っている者はいなかった。彼らのような者をウィンドランド城では見たことがない。それと同様に、ルリのような者も、彼らの村では見られないのだろう。

 何事もなく旅を続けるには、服装を改める必要があるようだ。ルリはそれを頭に刻みこんだ。

 そのとき、杯の割れる音が響いた。

 ルリと男がそちらを振り返ると、女が男たちに絡まれているところだった。

「この女、お高くとまりやがって」

 言うとおり、女は無言のまま、すました顔をしている。その態度を気に入らない男たちが、むきになってさらに女に詰め寄る。

 無骨な手が女の肩をつかんだ。そこでやっとた女の顔にいらだちが現れ、逆に男の腕をつかむ。だが、それをとめる手があった。彼女の影にもう一人、頭からすっぽりと外套で全身を覆った人物。

 二人とも言葉はない。耳打ちした様子もない。結局、女はただ一言も発することなく、外套の人物とともに席を立った。

 不思議なことに、絡んでいた男たちはそれ以上の行動に移ることはなかった。決まり悪げにすごすごと席に着くと、上階へ姿を消す彼女たちをちらちら見ながら酒をあおった。

 乱闘にならずにすんで緊張が解けた。ルリと向かいあって座る男もまたため息をつき、仕切りなおす。

「で、ここにいるわけは? 視察か?」

「……いろいろと、わけがあって」

 助けてもらっておきながら、ルリは言葉を濁す。別に旅の理由を秘さなければならない、ということはなかったが、安易に口にしないほうがいいような気がした。

 男はため息をついた。なにか事情があるのだと、言えないわけがあるのだと察したようだった。

「そうか。まあ、ゆっくりしていってくださいよ、ご領主様の娘さん」

 人の話し声でうるさかった店内が、波の引くようにすうっと静かになっていった。先ほどの、荒事に至る寸前の空気ですらまだ賑やかで明るかった。それが、領主の娘という単語を男が口にした瞬間だった。

「……領主の娘って、あの?」

「紅の混血児、だな。聞いたことがあるぞ」

「ご領主様もおいたわしい。人間の女にたぶらかされて、挙句に生まれたのが女」

「いや、男児でなくてよかったのかもしれん。どうせ成年前にお亡くなりだ。男児なら跡目の問題があるが、女なら、なあ」

 店内の目がちらちらとルリのほうを見る。さまざまな憶測が飛び交い、根も葉もない噂に紛れて本当の話も漂っていた。

「さて、と。酒がまずくなってきたな。……店主、金はここに置いておく」

 小柄な老人はこちらを一瞥した。その後視線を手元に戻し、黙って小さく頷く。その動作を見てから、男はルリを連れて酒場から出て、少しばかり歩いた。



 外は闇が支配していた。ウィンドランド城では夜でも蝋燭が灯り、松明が燃える。しかしこの村は明かりを惜しんでいた。もしかすると、煌々としているのは城だけなのかもしれない。

 空には無数の星が点々と輝く。冷風が大地を駆け、外に出ているルリの金髪をなぶり外套をはためかせ、男の頬を掠めていった。その風が彼の酔いを覚ましていく。

「悪かったな。あいつら、こんな村を領主様が気にかけるわけがないと思って、言いたい放題だ」

「気にしないでください、本当のことですし。あれはお酒の席でしょう?」

 酒場にいた男たちの話していてことは、紛れもない真実だった。

 父は魔物、母は人間、その娘であるルリは混血児だ。

 ほとんど生まれることのない幸運の子であり、その実態は疎まれる半端もの。しかし験を担ぐ歴代の王は、幸運の子の出生と死を把握したがった。つまり、届け出を求められた。その受理に伴い、王より名を与えられる。ルリには「紅」が与えられた。

 父がルリによく紅色を身につけさせたのはそのためだ。幼かったルリは似合うと褒められるとその気になって紅色を好んだ。事情を知ってからは、嫌いにこそならずとも、まるで目印のように紅色を着せられた。

「だがなあ、どうせもうすぐ死ぬ、なんて言われて」

「でも、事実ですから」

 人間と魔物、本来ならば交わることのない血が互いを殺そうとする。それで混血の寿命は短い。混血児、と特に呼ぶのは、けっして成年に達することなく死ぬからだった。

 男はルリを上から下まで見て、緊張を緩めた。

「申しわけない。もっと、気取って高慢な娘なのかと思ってた」

 ルリは首をかしげた。

「一般の子を城に呼んで遊ぶくらいのことはしてたらしいが、それ以外じゃ全然人前に現れない、城にこもって領地を見もしない。領主様はすばらしいおかただが、娘は最悪だ、って。でも、まあ、ちょっと外に出ればあんな噂話ばかりだ。そりゃ、外になんて出られないよな」

 ルリは苦笑した。外に出ることを許さなかったのは両親だ。ルリを好奇のまなざしと中傷の嵐にさらすまいとしたのだろうが、その結果、そういう風に思われているとは知らなかった。

 吹きつけててくる風のにおいが変わった。妙に血生臭い。

 嫌なにおいのする風は、馬が駆けてくる音を運んできた。複数の馬蹄の音が大きくなってきている気がする。こちらへ近づいているようだ。

 ルリの目の前で、先頭を走っていた馬が前肢を持ち上げて高くいなないた。甲冑を身に着けた男が下馬もせずに威圧する。

「この村にヨルジュンという者はおるか!」

 そのような大声を出さずとも聞こえるというのに、男は無駄に声を張りあげて言った。荒々しいものを嫌って顔をしかめるルリの隣で、男が名乗りを上げる。

「ヨルジュンはこの俺だ」

「おまえか。隊首より出兵令が下った。門で待つ。早急に支度をして参られよ」

「はっ」

 兵士はヨルジュンと呼んだ男を見定め、門へ馬を走らせた。

 二人のやりとりをぼうっと見ていたルリは、隣にいた男、ヨルジュンの返事にはっと我に返った。先ほどまでの気楽そうな表情は一転して厳しいものになっている。ヨルジュンの表情は陰りを帯び、ルリに背を向けてゆっくり歩き出した。ルリもそれについて行く。

「悪いな。宿でも紹介してやろうと思ったんだが」

「いえ、倒れていたところを助けてくれただけで十分ですから。……その、ご武運を」

「ああ。死んだら妻子に会わせる顔がないからな」

 二人は来た道を戻る。ヨルジュンは出立の支度をするため、ルリは今夜の宿を探すために。

 道の途中に先ほどの酒場があった。店内はすでに活気を取り戻し、外にまで酒の匂いが漏れ出ていた。これだけでも酔ってしまいそうだ。いっそのこと、酔ってしまいたい。

「本当はあの酒場も二階が泊まれるようになっていたんだが。たしか、他の宿があっちのほうにもあるはずだ。小さい村だが、なんだかんだ言ってもウィンドランド北西の最後の村だからな、戦がはじまる前はそこそこ客が入ったらしい」

 ルリは彼の指差すほうを見た。暗い道に家屋が並ぶ中、一軒だけが玄関に明かりを灯していた。おそらく、それが宿だろう。看板がひっかかっているのがうっすらと見えた。

「それから、向こうの通りに古着屋がある。ヨルジュンの紹介だと言えば、なにか見繕ってくれるはずだ」

 最初はなにを言われたのかわからず、納得するにはぽかんと彼を見上げて数拍必要だった。服装から素性が知れて、この先難儀するだろうことを気にかけていてくれたのだ。

「ありがとうございます」

 ルリは慌てて礼を述べた。その様子にヨルジュンはにっと笑い、次には唇を結んで真顔になった。

「それでは御前失礼いたします」

 礼を取って改まるヨルジュンに、ルリははっと息をのんだ。自分に流れる血と背後にあるものに意識がいった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ