5-1.さまよい歩き
雪が降っている。霜が土を持ちあげている。そこはまさしく氷の国だった。
だんだん転移に慣れてきたルリは体勢を崩しはしても転倒することはなくなった。全身雪だらけという事態を回避できてよかった、と銀世界を見回す。足元ではカロンが震えていた。
リューズエニアも冷えこんできたという話だったが、それでもアイスランドとは比較にならないことを肌で感じることができた。祖国ウィンドランドもどちらかといえば寒いが重ね着をすればたいしたことはないし、雪など滅多に見られるものではない。
「こいつ、どうする」
クロウは雪の上に横たわっているコクフウを見て言った。コクフウの体には欠けたところは一つも見当たらないので転移は成功しているようだが、なにかのはずみで頭でも打ってしまったのかもしれない。
「やっぱり来てたのね」
「連れて行くのか?」
「置き去りになんてできないでしょう。サンドランドから出たこともなさそうだったし、このまま放っておいたら確実に死ぬわ」
南方の国から一気に北国へ来たのだ、そうなる可能性は否定できない。目の前で死ぬとか、この転移術に巻きこまれたせいで死ぬとか、そういったことは勘弁してほしかった。寝覚めが悪すぎる。
「……連れて行くの、やっぱり反対?」
「別に。ここまできたら反対しても仕方がない」
クロウが小さな手でコクフウの頬を叩くと、少年は小さく呻きながらも目を覚ます。上体を起こして辺りを見回し、そのうちにルリとクロウの存在に気づき慌てて立ちあがった。
「大丈夫? 違和感とかない?」
「はい、大丈夫です。ここは……」
「アイスランドよ。巻きこんじゃって、ごめんね」
「いえ、僕のほうこそ結果として無理やりついてきてしまって」
旅を一緒にすることは断ったのだから、イシズミアの城へ向かう途中で襲われなければコクフウはこの場にいなかった。最終的に旅を共にすることになったのでコクフウにとっては万々歳だろうが、ルリには罪悪感があった。無関係の人間を巻きこんでしまった。
一歩先を行くルリにコクフウがついていくように、それぞれ怒りと疑問を話しながら歩きだす。
「それにしても、どうして襲われたんでしょうか。直紋もちゃんと持っていたんでしょう?」
「そこがわからないのよ。効力を失ったようには見えないし」
サンドランドでいきなり襲ってきた雷。旅のはじめのころは援助すると言っていたのに、どうして今さらルリたちを消せと命じてきたのだろうか。秘宝である希望と絶望が集まるとなにか魔王にとってまずいことでもあるのだろうか。それらを集めるよう言ったのは王のほうなのに。
ルリは直紋を手にとって眺める。グリフォンの神々しいまでの輝きは今も変わっていない。
秘宝を探す一番の近道のために、まずはアイスランド城に住む領主の元へ行かなければならない。領主の認可があればたいていの要求は通る。城への道のりで秘宝についての話を拾うことができれば幸いだ。
しかし不安はあった。サンドランド出国間際の一件でルリは命を狙われていることを知った。勅命となれば各国へそれは広がっているだろう。伝達が遅れていることを願うばかりだった。
それからずっと歩くうちにあたりはすっかり暗くなった。人間の目でやっと形が認識できるくらいだろうか。
城下大都の場所もわからないままとりあえず適当に歩いてみて、廃墟じみた小さな村に行きついた。大都の場所は村人に訊けばいいと思っていたのだが、それはかなわないようだ。家はあっても無人だったのだ。
腐った板でできた家が数軒ほど並んでいるだけの村だった。村人はずいぶん前に全員が逃げ出したようで、耕作地には雪が降り積もり、枯れた雑草がその隙間から顔を出している。あばら家のような家の中を失礼して覗きこんでみたが、やはり食料の蓄えなどはなかった。
「なんだか不気味ですね……」
ふと、ルリはサンドランドの残骸のような街を思い出した。誰もいない寂れた街。そこで捕らわれたことがコクフウと出会うきっかけだった。まさかこのようなところで襲われないだろうと思いつつ、そっと足を進める。
「誰か来る」
唐突に、緊張した面持ちでクロウが言った。意識を集中させてみるとたしかに足音が、続いて声が聞こえてきて、ルリたちは朽ちた家の陰に身を潜めた。暴れるカロンを必死に腕に抱く。
何者かが村に足を踏み入れた。明かりは持っていない。しかし彼らは明かりのないことなどまったく気にせず、暗いところには慣れているといった具合で歩いている。クロウが早くに気づいていなければ見つかっていた。
「でも姐さん、本当にばらまいちまうんで?」
「ああ。おまえさては新入りだな? 覚えておけ、赤花賊ってのは……」
何人かの男と一人の女の声だ。男たちが雑談する中でもよく通るのが女の声だった。どうやら彼女が統率者のようだ。
「姐さん、ちょいと失礼しますよ」
空気を切るような音がして、一番端に隠れて様子を見守っていたコクフウがさっと身を捻った。彼がいたところ、ちょうど胸の位置には刃が突き刺さっている。松明もないのに恐ろしく狙いが正確だった。
「なんなんだ、いったい。誰かいたのか?」
「ねずみかなんかじゃないですかい?」
「だとしても厄介だ。ねずみは穀物を食い荒らすからな」
「場所を変えよう。お前は先に行ってこのことを伝えておいてくれ」
はいと答えて一つの足音が遠ざかっていった。
「今夜はここで寝る」
声を張り上げてなどいないはずなのに、本当によく通る女の声だ。彼女が宣言して初めて男たちは小さな火をおこして寝床の準備をはじめる。
ここにいては見つかるのも時間の問題だ、と暗闇に紛れてルリたちはこっそりと寂れた村を後にした。
ここで寝る、そう宣言した女を青年は恨めしく思った。一番の先客はこちらだ。二番目の客はそそくさと逃げたようだがこちらは連れを待っているためそうもいかない。野営の準備をはじめた彼らがいては連れも警戒して戻らないかもしれないが。
足音が近づいてきたため慌てて身体を丸め眠ったふりをしていると、襟首をつかまれて引きずられた。乱暴に火の前に放り出され、今しがた目が覚めたと装う。
「姐さん、奥の家にこいつが」
「混血なんて珍しいね。一人?」
赤い髪の女はこちらに話しかけていた。混血と知りながら態度を変えないあたり、なにかありそうだ。案の定、女はいいことを思いついたとばかりに笑みを深くする。
「あんた、青の混血児だろう。あたしたちの仲間になる気はない?」
「姐さん、なにもこんな混血なんか仲間にしなくても」
「あいつの言うことは気にするな。で、どうだい? 盗賊をしてるんだけど。もちろん宝は山分け」
仲間の反対を押さえつけて女は詰め寄ってくる。こちらの通り名を知っているとなればそうかたくなる必要はないかもしれない。
「どうしておれを誘う?」
「あんたが集めているっていう、あれだ。あたしたちはあれかもしれないものを持ってる。本物だったらあげるかわりに手伝ってほしいことがあるんだ」
「あれには価値がある。魔王のものだ」
「知ってる。でもそう言って売ってみてもくず石扱いされた。それだったらあんたにあげて協力させるほうがましさ」
青年は迷った。彼女の持つあれは偽物で、盗賊をしているというのは嘘で、のこのこついてきた自分を領主に突き出すつもりだったらと考えると即決するわけにはいかない。しかし本物であればこれほど楽なことはない。
「とりあえず、これを見なよ。決めるのはそれからでかまわないから」
女は近くの男に声をかけて小さな袋を持ってこさせ、二つの宝飾品を取り出す。
夜空のように青い石だった。ただ両方とも濁り内側が傷だらけで、それがくず石と呼ばれた原因だろう。石の一方は蛇のような台座に、もう片方は氷柱のように鋭い台座に収まっている。どちらの台座も銀で、これもまたへこみがあり傷ついている。
「貸してくれ。触らないとわからない」
「逃げるつもりじゃないだろうね?」
「慣れない雪道を一人でどうやって」
それができないのは事実だ。数で追われれば逃げ切れず、足となる連れは今はいない。赤毛の女は納得してその二つをわたしてくれた。
手にした途端、二つのうち台座が氷柱であるほうが淡い光を発した。石自体の濁りはなくなり透き通るような美しさを得る。焚き火の明かりを取りこんで水面のように揺れ、青年の顔をはっきりと映し出した。
青年はそれらを女の手に返す。手が離れると同時に光も失われた。
「どうだい? 仲間になってくれる?」
「……ああ。蛇の台座のほうはわからないが、少なくともこっちは本物だ」
「じゃ、交渉成立ということで」
差し出された手を青年は恐る恐る握った。女の手だが節くれだっていた。
「あたしは赤花賊のレアズ。あんたのことは知ってるよ、青の混血児のトーリュウだろう?」
名が知られていることへの驚きを青年はどうにか隠した。この女が情報によく通じているのか、こちらの名が知れ渡っているのかは定かではない。だが各地を飛びまわる盗賊の近くにいれば有益な情報の一つくらい耳にすることができるかもしれない。
協力しても女が約束を破ってあれを渡してくれなかったらどうするか。それを考えながら青年は危険がないことを知らせるためどこかに身を潜めている連れの女を呼んだ。
ルリが炎術で道を照らしてくれることはコクフウにとって本当にありがたかった。その証拠に転ぶ回数が減っている。けれども注意しなけなければならないことに変わりはない。雪はやんでいたが歩きづらく、中途半端に雪が溶けている場所は凍っている。木の表面の露すら白くなっていて、どうりで指先の感覚が怪しいはずだとコクフウは思った。
「魔物にでも襲われそうですね」
「気をつけて。唸り声が近づいてきてる」
この暗さは魔物にとって有利だ。動物と違って魔物が炎を嫌わないことはサンドランドの閉じた場所にいたコクフウでも知っている。遠くから狙うぶんにはよく見えることだろう。
心配そうなルリの緑色の目にコクフウは大丈夫ですと告げて胸元に隠してある短剣を押さえる。魔物を倒すことはできなくとも自分の身を守ることくらいはできる。
人間が魔物とわたりあうには特別な力を持つ武器が必要だった。少し大きな街へ行けばいくらでも売られているそれをコクフウも持っている。
ルリが火力を上げて地面の雪を溶かすとあたり一面を白い蒸気が覆った。炎ともやのおかげで明るいものの視界は悪い。コクフウのすぐ横に金にきらめく風が吹きこむとともに騒々しい気配が遠ざかる。
常の視界を取り戻したとき、ルリの姿はなかった。
「……あの、クロウさんは行かないんですか?」
「ルリに任せておけばいい」
向こうに炎が見えた後、重い音がいくつか聞こえてきた。それを聞いたクロウは不機嫌そうに眉をひそめる。彼にはすべて見えているのだろうか。人間であるコクフウにはなにが起きているのかわからない。
「一匹逃したらしい。来る」
そう呟くとクロウはすぐさま後ろに飛び退る。コクフウはクロウが視界からいなくなるのを認識すると同時になにか動くものが近づいてきているのを感じた。
目が異様にぎらついた、白い体毛に覆われた魔物。闇の中にあっても白い雪のならば気づきにくい。魔物の形までを見るのは難しかった。明らかなのはコクフウの背丈の二倍はあることだ。
コクフウは手にした短剣で上から振り下ろされる魔物の前肢を防ぐ。蹄だ。体重をかけられたその蹄をぎりぎりで抑えているが、そろそろ限界だ。手が震えている。
踏み潰されるというコクフウの予想とは裏腹に、腕にかかる魔物の体重は一気に軽くなった。恐る恐る魔物を見上げると、首を地面から伸びた蔓によって締め上げられた魔物は苦しがってもがいていた。
クロウが退いたほうを見やれば、彼は地に手をつけて魔物を睨んでいる。魔物が一層強く逃れようと身を捩じらせると、その後は急に弱々しくなり首を垂れて絶命した。
「す、すみません」
息をついて謝罪するコクフウをクロウは一瞥した。眠りについた木を起こすということがどれだけ大変なのかは汗ばんでいるクロウからもよく見て取れる。自分を助けてくれたクロウに今度は感謝の言葉を述べるも特に反応は見られなかった。
「大丈夫だった?」
後ろから肩を叩かれコクフウは振り返った。明るい声はルリのもので、彼女もスフィンクスも無傷だった。髪が乱れている程度で一滴の返り血も浴びていない。
「クロウさんのおかげでなんとか」
「そう、よかった。ところで馬みたいな魔物を一頭こっちにやったんだけど、どうした?」
尋ねながらルリは周囲を見回す。そこで、蔓に巻きつかれて首が折れ曲がった魔物を見つけた。
「なんとかすればこれに乗れると思ったんだけど……殺しちゃった?」
「ええ、まあ……」
コクフウの言いかたは歯切れの悪いものになってしまった。倒したのはクロウだがそうさせたのはコクフウだ。
どんな形の魔物であれ、ただの馬よりは足が速い。滞りなく旅をしようというルリの考えに思い至らなかった自分をコクフウは恥じた。捕らえて乗りこなすことができたら雪も苦にはならなかっただろうに。
「こんな大物に、手加減なんてできませんよ」
言いわけがましくなったことをコクフウは自覚しながら倒れた魔物を見る。三人乗っても無理のないほどたくましい魔物だった。惜しいことをした。
「ごめん、なんだか手間取らせたみたいで。余計なことだったわね」
「いえ。ところでどうします? このまま進みますか?」
どのような道を示されようとコクフウは彼女に従うつもりだったが、ルリは少し考えたようだった。夜は魔物と遭遇しやすい。ここで夜明けを待ってもよかったが、同じだけ魔物と出くわすというのなら先へ進んだほうがいいといったところだろう。しかし夜通し歩き続けるのも体力面が心配だ。
「進みましょう。村でも見つけて、宿が取れるといいんだけど」
ルリが決断すると、カロンは彼女の肩にとまり器用に眠りはじめた。
「クロウさん、その……大丈夫ですか?」
真夜中はとうにすぎている。クロウはまぶたは半分以上閉じ、人の話を聞いているのかいないのか定かではない。子供の身体ではもう起きているのがつらい時間であったし、先ほどのちょっとした戦いで体力も消耗したのだろう。しばらくの間があって、クロウはうなずいた。




