4-9.零れ落ちる砂
賑わいを見せる街の大通りには、大小さまざまな露店が立ち並んでいる。
「水が小桶一杯で五百ロント……ずいぶん高い」
「サンドランドには雨が少ないですから。大きな川もなくて。これでも安いほうなんですよ」
露店に置かれている商品を見ながら、クロウとコクフウは人ごみの中を流されないように進んでいく。大きな呼び込みの声、話し声、値切りの声などがあちらこちらから聞こえてくる。
彼らが立ち寄ったのは装飾品店や宝石店だ。
「すみませんが、なにかいわく付きの装飾品を知ってますか?」
コクフウが声をかけた店の怪しげな男は唸った。さすが宝石店に勤めているだけあって、邪魔になるくらいじゃらじゃらと飾りをつけている。
「いわく付き? そういうのはこの店じゃ取り扱ってないんだよ。悪いな」
「いえ、ありがとうございました」
コクフウが再び歩き出すと、男は忙しそうに他の客の接待をはじめた。
このようなやり取り、すでに何回としている。それでも収穫はなし。日は暮れはじめたため店をしまう者が増え、街全体が静かになりつつあった。
「やっぱり簡単には見つかりませんね」
クロウは相槌を返した。いつもこのような調子なのがわかっているのか、無愛想な返事でもコクフウはなにも言わず、嫌な顔一つしない。
「もう日暮れですか……。そろそろ戻りましょう」
二人がそろって方向転換したときだった。
「コクフウ君、クロウ!」
明るい声とともにルリが彼らに駆け寄ってきたのだ。
「ああ、ちょうどよかった。待ち合わせ場所に行こうとしてたんですよ」
そうじゃないの、と一度息を継いでルリは目でついてくるよう促すと、再び駆け出した。
ルリは走りながら説明する。鮮やかな色が走る姿を人々は振り返って見た。
「民家の窓から、女の人がなにか光る物に祈ってるのが見えたの。偶然見ちゃったんだけどね」
「まさか、それが探し物ということですか?」
「覗き見したのか……。カロンは?」
「その民家の近くで待ってるように言っておいたわ」
いくつもの似たような黄土色の家の前を通り過ぎ、家と家のあいだにあるちょっとした階段を駆け上がる。その階段を上がったところでカロンを拾って、井戸の横を走り抜ける。サンドランドの街は日暮れと共に眠りに就く。急がなければ。
「ここよ、その民家って」
息も絶え絶えにルリは言った。長く走ったのは久しぶりだ。
その民家の壁には無数のひびが入っている。直すための資金もないのだろう。汚れている窓から家の中を覗いてみると、本当に小さな祭壇のようなところに金色に光る物が奉られているのが見えた。
「入れてもらう?」
「まだ少し時間はありますし、そうしましょう」
コクフウは戸を二、三回叩いた。返答がある前に取っ手に手をかけ、開けようとする。サンドランドの文化なのだろう。が、その戸は向こう側から開けられた。勢いよく開いた戸からは出てきたのは一人の男だ。
「畜生、ぼったくりかよ!」
その男は罵声ととも腕を振り上げ、なにかを地面に叩きつける。それは弾むと同時にきらりと光った。
一目見ればわかる、金の希望。人差し指と親指で丸を作ったくらいの大きな金色の石、その周りには国一番の工匠が何年もかけて作ったかのような金の繊細な装飾。ルリたちが必死になって探していた物だ。
「やめて、あなた!」
続いて女が飛び出し、地に落ちたそれを拾って自分の胸元に抱え込む。やがて女はルリたちの存在に気づいた。
「すみません、お見苦しいところを……」
「いえ、気にしないでください。あの、それは……?」
ルリがやわらかく言った。警戒心を抱かせてはいけない。
「……どうか、中へ入っていただけますか?」
女の物言いに、ルリはそっと周囲を見た。数人がちらちらとこちらを見ている。騒ぎ立てられでもしたら面倒だ、と彼女の促すままにルリたちは家へ入った。
家の中にはなにもなく、四角く区切られた空間同然だった。厚めの布の上で眠る十にも満たない子供がいた。昏睡状態としたほうが語弊はないかもしれない。よく見れば黒斑が出た赤い顔をしているし、息も荒い。
「なんでも願いが叶うと言われて、通りすがりの商人から買ったものです」
「そんなものを売る商人がいるんですか?」
「今思うとやましいことでもあったのでしょう、ぼろをかぶって顔を隠していました。でも突風が吹いて……そう、目が青かったことだけは覚えています」
青い目。それで真っ先に思いついたのは青の混血児に他ならない。
先を越されてしまった、と知らず知らずのうちにルリは溜息をついた。新たに勅命を受けたルリは、彼の集める絶望よりも先に希望を集めなければならない。
それにしても納得がいかない。なぜ青の混血児は金の希望を所持していて、それを売ろうと考えたのか。
秘宝は限られた者が使うことによって初めてその効力を現す。一般国民が希望に祈り続けても子供が回復するはずがないことを、青の混血児とていくらなんでも知っていただろう。それに、旅の最初の公式な勅命でルリが希望を集めているのを知っているはずである。旅の資金集めにしても、わざわざ敵対するであろうルリを遠まわしに手助けするような真似をするだろうか。
「あのー……」
今度はコクフウだ。
「同額……いえ、それ以上でもお支払いしますから、それを譲っていただけませんか?」
突然の申し出に、女も、遠くからことの成り行きを見ていた男も驚いていた。ルリもぎょっとして彼を見る。誰がそれだけの金額を持っているというのだ。サンドランド領主に貸してくれとでも頼むつもりか。
いまだ驚きを隠せない女に代わり、男が口を挟む。
「金なんていらねぇ。この子が治ればそれでよかったんだ。こんな物、勝手に持っていけばいい!」
「ですが、お金があれば薬を買ってあげることも、医者に診てもらうことだってできるんです」
「この国で医者に診てもらうだと? それだけの金を、今ここで出せるのか。おまえだってサンドランド人だろう、薬一つにどれだけかかるか……」
その小さな命が尽きかけているのが傍目からでもわかる。不気味な黒い斑点。子供だけがかかるサンドランド特有の伝染病の特徴だ。黒斑病という、不治の病の。
「ねえ、クロウ」
ルリが話しかけると、クロウはルリのほうを見た。
「あの癒しの力で、その子を治せないの?」
「治せないわけではない」
用意されていた答えを読むようだった。クロウにとって予想されていた問いだったのだろう。
「なら」
「どうしてわざわざ力を使う必要がある」
冷たい答えだった。
「いつの世だって、自然に逆らうのは人間だけだ」
ルリはなにも言えなかった。今のクロウは冷たい目をしている。この目を見て、ルリは久しぶりに出会ったころのことを思い出した。
何者も信じないという凍った心。子供が持つには早すぎるその心が、どういうわけかか型にはまっていた。目の前の、少年と言うにはまだ幼いこの子供に。親もなく、まるで単独行動をとる野生の獣のようだった。自分以外のすべてに牙を剥き、必死に威嚇して傷つけられないようにしていたとルリは感じた。
「だが、契約は取り消せない」
運命を、生死を共にする血の契約。生死だけではなく、それはさまざまなものを拘束する。強い効力だけに契約を取り消すことはまずできないといっていい。特定の者だけが契約を無効にすることができる。
クロウは立ち上がり、子供の手に己のそれを重ねた。
ふっくらした白くきれいな手、肉が落ちた黒い手。色が違うのは民族が異なるからだとはいえ、ほぼ同じ年ごろのはずなのにその二つはひどく対照的であった。
結局、クロウはあの子供を癒した。そのおかげでこうして金の希望がこの手にある。これからまた城のイシズミアを訪ね、転移術を施してもらうのだ。城に行くには砂漠を越えなければならないためコクフウが道案内を名乗り出た。
夜の砂漠は昼のものと比べものにならないほどだった。アイスランドとまではいかなくとも、リューズエニアに匹敵する寒さである。息は自然と白くなった。ここまでくると昼はファイアーランド、夜はリュースエニアの影響を受けているのではないかと疑ってしまう。
月の青白い光りがほのかにあたりを照らす。砂が風で舞う。声を出すのもはばかられるような静寂の中、コクフウが声を漏らした。
「……あれ?」
本人は小声のつもりであっても、この静けさの中ではよく通った。
「どうかした?」
「その、もう城が見えてもおかしくないはずなんですけど……」
コクフウの見つける先をルリたちは見た。城などどこにも見えない。見渡す限りの砂漠。はじめは見たことがなくきれいだと思っていたが、もう見飽きてしまった。できることならば当分見たくない。
「城なんてどこにある」
「です、よね。すみません、迷っちゃいました……」
「サンドランドの人でも迷うことがあるっていうんだから、気にしないで」
「迷わない自信はあったんですが……」
力なく、申し訳なさそうにコクフウは言った。
と、そのときだ。
「紅の混血児様ご一行でいらっしゃいますか?」
頭上から声が降ってくる。声の主はゆっくりと下降し、乾いた血のような色をした翼を持つ生き物としての姿を現した。
「と、鳥がしゃべった……鳥でいいんですよね?」
一番驚いたのはコクフウだった。しかし驚きを隠しきれないのはクロウを除いた皆も同じだ。なにせその鳥らしき生き物には翼の部分以外に肉がまったくなく、体が骨でできていたのだ。とても大きな鳥で、クロウより少し小さいくらいの大きさだ。
「ご安心を。私は領主の使いの者です。魔王より紅の混血児抹殺の命が下されたとの情報が入りました。もうすぐ追っ手がこちらに来るでしょう」
ルリたちの表情は不安の色に彩られた。顎の骨をかたかたいわせながらも流暢にその鳥は続ける。
「これから領主がアイスランドへの転移術を施すので、今しばらくここでお待ちください」
「ここで?」
「はい。領主ほどであれば、遠くにいる者に対して術を施すことはそう難しいことではありません。が、少し遅かったかもしれませんね」
悲鳴のような奇声をあげたその鳥は、いつの間にかあたりを覆っていた禍々しい雲の中へ突っ込んでいくように翼をはためかせた。
雷が落ちるのと同時に、ルリたちの足元に陣が広がった。
「手間取らせおって」
立ち込める黒雲から発せられた電光がイシズミアの使いだという鳥はばらばらに砕いた。白く小さな破片となってしまった骨があちらこちらに散らばる。ルリは言葉を失った。
「気にするな。用が済んだらどうせああなる」
クロウの冷たく透き通るような声を合図にしたかのように、陣が一層輝きを増した。目も眩む閃光で場は満たされる。
光が収まったとき、ルリやクロウ、カロンはもちろん、コクフウの姿もなかった。
そのころ、城にある地下の石室の扉の隙間からは光が漏れていた。その中ではイシズミアが転移の術を使っていた。
「行きましたか」
彼女はその耳ですべてを聞き、その目ですべてを見ていた。
誰かが紅の混血児抹殺の任を果たすべく、国外へ逃げられないようにと彼女たちがいた場所に幻術をかけたのだ。迷ってしまうのも無理はない。そしてイシズミアは幻術をかけられたあの場所を一瞬で見抜き、すぐに転移術の準備に取り掛かった。
情報を少し制限しておけばアイスランド内では彼らの身の安全は保障されるだろう。それくらいしかできることがないのだ。弱小国と呼ばれているサンドランドではあるが、アイスランドへの情報通達を遅らせるくらいならなんとかなる。
「あの者たちの行く末を、神獣よ、どうか見守ってください」
イシズミアは石の天井に彫り込まれた獣に向かって呟き、兄を捕らえてある場所へ足を向けた。
その後、サンドランドの民は潤いを与えられた。イシズミアが兄の蓄えを民に解放したのだ。彼は砂の離宮で生かされている。領主を幽閉して成り代わっていたことをはじめに、いくつもの罪が明るみに出たのだ。死刑にと望む者が多かったが、イシズミアの妹としての願いに死だけは免れた。
しかし、どれだけイシズミアが優しくとも、どれだけ兄に蓄えがあろうとも、食料は貧困層まで行き渡らなかったという。金を取らずに倉を開けたというのに、いつの間にか一部は法外な値段をつけられて流れていった。
領主は善政を行っている。わずかながら水もある。作物の種も、それを育てるだけの土地もある。サンドランドはいつもぎりぎりの暮らしをしているが、それでも飢饉に対する備えは少なからずある。
にもかかわらず、数ヵ月後、この国には死者が溢れかえることとなる。