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時を刻む紅  作者: 榊原
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4-8.無彩色の日々

 正規の歴代領主しか知らないという隠された通路を使って城へ入った。どこの城にもこういった隠し通路はあるものだ。城内を警備する兵一人たりとも侵入者に気づいていないようだった。

 中から外の様子を見ることはできるが、外から中の様子を見ることはできない。ここはそういった場所だ。中の音は外に漏れないように術がかけられている。その術の源は、真の領主が持つ力。今までこの城はイシズミアの兄が領主に成り代わっていたため眠りについていたが、イシズミアが帰ってくると同時に城は本来の機能を取り戻した。

 まがい物の領主が城をあら探ししたのはところどころに傷がついていることからわかる。しかし血縁関係があるにしろ本当の領主ではないため、その試みも無謀だったようだ。領主にしか開かれない場所はいくつもある。

「あなたたちはここで待っていてください。ここなら誰にも見つかりません。巻き込んでしまったとはいえ、ここから先は私たち兄妹の問題ですから」

「大丈夫なんですか?」

「ええ、あのときとは違います」

 そう言って、イシズミアは一人で彼女の兄がいる部屋へ歩き出した。

 歩き続けるあいだにも隠し通路の道はどんどん変わっていく。部外者がこの通路に入ることなど海が干上がってもありえないが、もしも間違えて入ってしまったら、領主がそこを通らない限り永久に出ることは叶わない。

 領主の意思は城の意思。隠し通路を使えば城が行きたいところへの道を作ってくれる。だから領主だけは迷うことがない。三つに分かれた道はそれに近づいていけば一本道になり、行く手を阻む壁は崩れ去る。

 そして、道が開けた。

「……イシズミア。脱出するだろうとは思っていた」

 その領主を騙っていた男は気持ち悪いくらいの猫撫で声で言った。

「お兄様……いいえ、ラオビス。あなたなど私の兄ではありません。この城から出ていってください」

 もはや兄とは呼べなくなったラオビスという男にイシズミアは自分の居場所から出ていけと告げた。なぜこのようなことに、と離宮に閉じ込められてからずっと考えていた。領主の家に生まれてしまっては争うしかないのだろうか。

「逆らえばどうなるか、おまえがよく知っているだろうに」

 ラオビスが以前のように左手を上げて兵を呼んだ。たったそれだけの動作で兵がわいて出るのだからサンドランド軍は統率が取れている。戦場に立てば優位になれたに違いない。あっという間にイシズミアは兵士に囲まれる。

「兵たちはもうおまえの命令など聞かぬぞ、イシズミア」

「別に構いません。私が争いごとを嫌っているのは知っていましょう」

「同じことの繰り返しだ。無駄なことだとは思わないか」

 ラオビスがそう言い終わると同時に扉が叩きつけられるようにして開かれた。城の前で別れた少年、コクフウがすさまじい勢いで城に入ってきたのだ。城に入る方法はイシズミアが別れ際に教えてある。

「大変です、領主様!」

 複数の兵士も含めたその場に居合わせた者は、なにごとかとコクフウを見た。

「私の許可なく城に入るとは……」

「それどころじゃないんです! 街で暴動が起きて、今の領主に直訴しに行くって、大都民がここに向かっています!」

 コクフウの言葉を聞いたラオビスの目が、驚きと恐怖により見開かれる。

 支配者が最も恐れているものはなんだ、と混血の少女は言っていた。その答えは支配下の民だ。

 圧政を敷いている支配者ほど民を恐れている。彼らが結びついてしまえば国民は団結力のある大軍となる。国の有する軍も、相手が守るべき国民ならば刃を向けることはためらわれる。もし刃を向けたと他国に知れ渡ればそれは立派な醜聞になってしまうだろう。

 弱い民が結びつき反乱を起こすのが怖くて支配者は権力を振りかざす。

「きさま、無礼者め」

 兵の一人がコクフウを拘束した。しかし領主の命令はなく、まだ殺されるおそれはない。

 彼はルリの言いたいことを理解し、街まで行って吹聴してきたのだ。今の領主は偽者だ、と。サンドランド国民たちは、貧困状態にあっても領主がイシズミアだったからこそ大人しかったといっても過言ではなかった。国土は荒れても、大戦への不参加を決めたイシズミアだったからこそ。

「これまでなのか?」

「ラオビス?」

 領主を騙っていたラオビスは力なく床に滑り落ちた。動揺を隠すように息を吐き出して領主が座るべき椅子へ緩慢な動作で腰かけ直す。

「おまえは女だ。それを領主に立てようとする奴らはどうかしている。玉座に女が座った途端に王城が崩れかけたという話を知らないはずがないだろうに」

 イシズミアが訝しく思って一歩踏み出したときだ。彼は恨みとも怒りとも悲しみとも取れない顔をして叫ぶ。感情の水面が大きく波打っている。

「おまえなんぞに私の気持ちなどわかるものか。生まれた妹によってなにもかもが無駄になったのだぞ? 今まで私はいったいなにをしてきたというのだ!」

「ラオ……」

「黙れ! 弟だったらまだ許せた。おまえさえいなければ……せめて、その才さえなければ……!」

 ラオビスの顔にぎらぎらとした狂気の色が宿った。

 その瞬間、乾いた音が城に響いた。苦痛に満ちた表情で右手を自分の胸に抱えているイシズミアと、左頬の赤くなったラオビスの姿であった。

「あなただけには言われたくなかった。あなただけには。私は生まれてきたくて生まれたわけでも、才を持ちたくて持ったわけでもありません。偶然に偶然が重なり今の私がいるのです」

 偶然サンドランド領主の子として生まれ、たまたま彼の妹で、それが偶然才を持っていた。もし違う家の子だったら、彼の姉として生まれていたら、才を持っていなかったら。イシズミアの今を形成する要素がたった一つ違うだけで、なにもかもが違ってくる。

 自分が領主となったのも、偶然の一つに過ぎないのだ。

「あなたは変わってしまいました。偶然に偶然が重なる、奇跡といってもいいほどの確率に、偶然、遭遇してしまってから」

 思い出されるのは昔の記憶。成長の遅い魔物のことだ、もう何十年も前のことになる。しかし、その記憶だけは色あせることはなかった。

 羨ましがられ、しかし理解されない才を持っていたイシズミアを唯一受け入れてくれた、たった一人の兄。あの頃の彼はイシズミアを一番に慈しみ、守ってくれた。それがどうして。

「偶然、偶然と……偶然などありえない。すべては緻密に計算されつくされた運命、必然だ」

 イシズミアは、はっとしてラオビスを見た。頭が冷えてきたのか、俯いている彼の口調は先ほどとは打って変わって落ち着いたものだった。

「羨望はいずれ妬みに変わる。私は親に愛されるおまえが羨ましかった。優秀な妹が生まれた途端、あれだ」

 次期サンドランド領主と言われてこれまで生きてきた道が全否定された気分は想像に容易い。だが彼の絶望はそうした想像に収まるものではないだろう、とイシズミアは思った。両親はこちらにかかりきりになり、彼は邪険に扱われるようになった。

「私はおまえの優しさにすがり、おまえへの妬みや憎しみといったものをを糧として生きてきた。唯一の救いといえば、貴様が私以外の誰にも理解されなかったことだ」

 めったなことでは笑わない彼の口角が吊り上がった。イシズミアはその異変に気づく。愛想笑いはしても本当に笑うことはなかったのに、今は心から笑っているように見える。

「なにをしたのです」

「才人と名高いイシズミアにも、わからないことがあるのか?」

 静かな嘲笑。今までとの差を感じさせられて反射的に半歩後退った。

 イシズミアが生まれなければ、本来ラオビスは領主になっていた男だ。国力は劣っても他国の領主より頭が回るということもあり得る。イシズミアの神獣から与えられたような才に隠れてしまっただけで。

「前言を撤回しよう。おまえは先ほど偶然と言ったな。ならばこの城が崩壊するのもまた偶然であるということだ」

「まさか」

「陣を刻むのは思っていたより簡単だった。砂だけにここは脆い」

「こちらへ向かっているという民たちは……」

「決まっているだろう。偶然城が崩れてしまったために死ぬ。……終わりだ、すべて」

 ラオビスが床に手を当てた。点が、線が、文字が浮かびあがってくる。

 イシズミアも拘束された少年も、兵士ですら表情をなくした。脳裏に浮かぶのはサンドランドの崩壊。

 次期領主もいないまま現領主が死ねば国は滅亡する。大戦への不参加を表明したサンドランドだが、それをしたのはイシズミアだ。イシズミアがいなくなればその表明はなかったことにされる。そうなれば今は支配者のいない国など他の大国に吸収されてしまうだろう。北西では好戦的なフォレストランドと接している。

 そのとき、ラオビスの側の壁が内側から崩される。刻まれた文字は読めなくなった。

「壊せとは言っていない」

「だから、加減ができなかったのよ」

 崩れた壁からゆっくりと姿を現したのは少女と少年、そしてスフィンクスだった。

「だいたい、どうして道はできるのに壁はなくならないのかしら」

 二人はようやく今の状況を理解したらしく、口を閉じる。

「あなたたち、どうして……」

「その、心配になって」

「そうではなく、どうやってあそこから出てこられたのです」

 顔をこわばらせたまま尋ねるイシズミアに、ルリは年相応の笑みを浮かべて、淡い輝きを放つ魔王直紋を見せた。

 イシズミアは直紋を知ってはいるが実物を見たことはない。しかし、それでも見ればすぐにわかる、グリフォンの紋章。なるほど、たしかに魔王直紋を持っているなら迷うことはない。魔王は領主と同列、あるいはその上に位置する。

「な、なんだ貴様ら、なぜ陣が発動しない!?」

「あの壁に彫られていたものならさっき壊したけど」

 淡々とルリが言った。ラオビスは目を見開き、彼女を凝視する。動じないところを見ると、さすがはウィンドランド領主の娘というべきか。

「こっちでいいのか?」

「迷わず進めー!」

 遠くから声と、かなりの数の足音がする。まったくといってもいいほど統率の取れていない乱れた音から、それは兵のものではない。城へ向かっているという民だ。

 兄の最後の賭けが終わったのだ。



 あれから数日、ようやく事態が収束に向かいはじめた。

 イシズミアはルリが王命で秘宝を集めていることを聞き、希望らしきものやそれに関する書物を探していた。が、たいしたものは見つからなかった。食料庫から隠し部屋まで探したのだが、どうやら城の中にはないらしい。

「寝床から食事まで、本当にありがとうございました」

「いえ、礼を言うのはこちらのほうです」

 ルリたちはイシズミアの元を一度去った。民ならなにか知っているかもしれない、とイシズミアに言われたからだ。ルリも城下に遊びに行かなければ得られないような、たくさんの情報を民から得た。

 そして今、ルリたちは城下大都にいる。初めてこの国に来たときよりも城下大都は活気に満ち溢れていた。城下大都だというのに城からずいぶん離れているため、イシズミアは行きだけは馬車で送ってくれた。帰りはいつになるかわからない。

「コクフウ君、あのとき大都まで行ってまた戻ってきたんでしょ? ずいぶん早かったじゃない」

「ええ、まあ。裏の道を通ってきたので」

「『金の希望』……調べられたのはこれだけ。簡単に見つけられれば、苦労はしないんだけどね」

「それって、もしかして創世物語の? どんな物なんですか?」

 ぼやいたルリにコクフウが問う。コクフウに関しては、クロウがここに置いていくと言い張っている。しかし砂漠の中で迷ってはかなわないということで、今はともに行動していた。

「陛下から探すよう命じられただけで、見たことはないの。宝石みたいな物だってよく聞わ。名前からして、金色なのかもしれない。探すの手伝ってもらえる?」

「もちろんですよ、僕や領主様まで助けてもらいましたから」

 快くコクフウは引き受けた。

「この城下大都にあればいいんですけどねぇ」

 日暮れにこの街の入り口にあったスフィンクスの彫刻の前に集合ということで、ルリとカロン、クロウとコクフウといった具合に分かれて探すこととなった。

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