4-7.光に向かう賢者
見せかけだけの活気から離れた場所、誰も通らないような暗い通路に男と女がいた。石の壁に囲まれているだけあり、影が一つあるだけで涼しい。夜の冷気が渦を巻いている。
「あの魔物を殺してよかったの? 休ませてもらったのに」
「王城を襲撃しただなんて勇気ある青年だ、混血なのがただ惜しい、と向こうが言い寄ってきたんだ」
座り込んだ女を前にして、彼はわざとらしく手を広げて演技して言った。目だけが冷ややかだ。
「おかげでしばらくの水は手に入った。食料はどうにか工面できる。これから表に出るとすればサンドランドを出るときだ」
青い目の若者は太陽に二つの金細工をかざした。細工が第二、第三の太陽のように輝く。それぞれの中心には蜜を固めたような、深みのある金色の石が埋め込まれている。まるで獣の瞳のようだ。
一対の秘宝、絶望と希望。一方は光を取り込んで澄んだ輝きを放ち、もう一方は死人の目のように濁っているように見える。
「まさか奴が持っていたとは、おれだって思わなかった。しかも二つもだ。考えてみれば、大人一人とその他の子供だけであの屋敷を維持できるわけがないな」
「疫病に、それから砂嵐に?」
「ああ。秘宝が意思を持ってあの男に力を貸した、とは考えづらいが、そうなんだろう」
彼は澄んだ光を宿すほうを女に手渡した。澱んだほうを握り、顔を隠すためにぼろ布を頭からかぶる。
「出てくる。すぐ戻るから」
疲れた様子の女がうなずくのを確信して、青年は陽の下を歩きはじめた。
「暗い……」
「無駄口を叩くな!」
砂の離宮に入り、感想を小声で呟けば、逃げられないようにと隣にいた兵に注意を受けた。この兵士、相当いらついているようだ。
ここは静かすぎる。同時に暗すぎた。明かりは兵の持つ灯火だけだった。その明かりで、うっすらと前方に鉄格子を確認できた。この後の展開は容易に想像できる。
「ここで大人しくしていろ」
「うわっ、危な……!」
ルリたち三人とカロンは背を押され、前のめりになる。兵は全員が牢の中に入るのを見ると、無情にも鉄格子の戸を閉め、丁寧に大きな鉄製の鍵までかけてくれた。見るからに頑丈そうでちょっとした衝撃では壊れてくれそうにない。
「脱出は考えないほうがいい。いくら生かしておけと言われていても痛い目を見る」
そう言い残した兵たちの足音が消え、砂の離宮の外に出たと思われるまで、ルリたちは一言も話さなかった。話したらまた文句をつけられそうな気がしたからだ。ここに来るまでの間ほんの一言、二言喋っただけだというのに、あの兵の機嫌はみるみるうちに急降下していき、かなり怒鳴られたのだ。
そして彼らの気配も感じられなくなるほどの時間が過ぎ、一番先に口を開いたのはコクフウであった。
「すみません、僕が人質に取られたせいで。一人になったとき、ちゃんと注意していればよかったんです……」
「いいのよ。悪いのは全部偽物の領主のほうなんだから」
この暗さにようやく目が慣れてきたようだった。お互いの顔を見合わせ、それぞれ怪我のないことを確かめる。目立った傷のないことを祈るが。
「コクフウ君、その首の傷、大丈夫?」
偽領主がコクフウを人質にとったとき、ルリは血が流れるのを見た。急所といえどごく浅いもので、命に至るものではなかったが、やはり心配だった。
「ええ、なんとか……?」
己の首を手で押さえながら話していたコクフウだったが、眉をひそめているクロウにその首の手をつかまれた。やがてその手を上に持ち上げられ、首の傷を覗かれる。
「ルリ、明かりを」
「そんなの持ってないわよ」
「炎術がある」
「ああ、そういえば」
ルリは自分が炎術師だということを忘れていた。普段あまり術を使わないためか、たまにこういうことがある。日常生活で術を使う機会はあまりない。物騒なものを使う機会などないほうがいいのだ。
クロウに言われたとおり、ルリは手の上に炎を乗せる。
ルリもクロウも、叫び声を飲み込んだ。手の上に収まりきらないくらい大きく揺らめく炎が出現したのだ。もしルリがその炎をうまく操れずにいたら、今ごろは焼死体ができあがっていただろう。
「ごめんなさい、いつもどおりやったつもりなんだけど」
もう一度仕切り直して、今度は小さく安定した炎を手に乗せた。闇に慣れた目に揺らめく炎は小さくともとても明るかった。クロウの長い髪がそれを反射する。
「術封じも魔除けもなにもないなんて、囚人に逃げられない自信があるのかしら」
ウィンドランドの司令部で捕らわれたときは魔除けがあったのに、という言葉を含ませて、ルリは牢の中を見渡して言った。ルリたちではさすがに転移術は使えないが、術の使い方を工夫すれば脱出するのは簡単だろう。あの偽者の領主はいったいなにを考えているのか。
ルリの炎を頼りに、クロウは自らの手でコクフウの首の傷をそっと押さえた。その小さな手から、緑色のような淡い光が発せられる。
癒しの力。修行などでは決して身につくことはなく生まれ持ったもので、自分の力であるにもかかわらずそれを操るのにたいへんな技術と技量の必要な力。その力を持つ者は混血児以上に珍しい。一人が魔王専属の医師として働いていると聞く。
死んだ者をこの世に呼び戻すことはできない。しかし傷を受けた者が死んでいないならば、たとえ死に至る傷ですらいとも容易く癒してしまうという。それがかろうじて命をつなぎとめている状態であったとしてもだ。
ルリもこの力を実際に見るのは初めてだった。光が止むと、コクフウの傷は跡も残らずきれいに消えていた。
「すごい……ありがとうございます」
べつに、とそっけなく言ってクロウは別方向を向いた。
「また牢だなんて」
ルリがため息をつく。ウィンドランドの司令部、初めてコクフウと会った場所、そしてここ。どうも牢に入る機会が多い気がする。普通に生活していれば一回だって入ることはないだろう。
と、そのとき。
「誰かいるのですか?」
ルリたちは声の方向へ振り向いた。自分たち以外には誰もいないと思っていた牢の奥から、か細い女の声がしたのだ。
女が暗闇の影からルリたちの前に姿を現す。褐色の肌、長い黒髪に、白い布をもったいないほどふんだんに使った服。牢にいるというのに清潔感溢れる身なりだ。飾り気はないに等しいが、それでもどこか高貴さを感じさせる神秘的な雰囲気を彼女は身にまとっていた。
「まさか、本物の……?」
ルリはウィンドランド領主の娘であり、決して低くない位にいる。だが、普段はその権威を振りかざすこともなく、民に対しても相手を敬う気持ちを忘れてないよう心がけている。無闇に力を振りかざすのは愚か者でしかない。
領主は世襲制だ。最善を尽くそうともしない者が領主になってしまったら、民衆は代替わりが起こるまで苦しむことになる。もちろんいい領主もいるだろうが、ルリは善悪関係なしに領主のことが好きではない。しかしその立場上、領主とはそれなりに面識がなければならなかった。いつも他の領主と話をするときは上辺だけの敬語を使ってきた。
だがイシズミアは、ルリが思わず心から敬うような何かを持っていた。本物のイシズミアは心から民のことを想い、国を想っているのだろう。
そのような者がどうしてこの場所にいるのだろうか。
「本物、とはどういうことですか」
さすがは魔界一の才人。ルリの一語を気に留め、尋ねてきた。
「実は、サンドランド領主と名乗る人物が城に……」
ルリは素直に語りはじめた。彼女から話を全て聞いたイシズミアは、悲しげに俯く。水色の優しげな瞳が陰りを帯びた。
「そのようなことが……。きっと私の実兄です。身内がたいへん失礼なことを」
イシズミアは頭を下げた。あの男が彼女の兄。血を分けた兄妹でも似ないことはあるのか、とルリは感心した。顔立ちにも態度にも考えかたにも、まったく共通点が見当たらない。強いていえば髪と肌の色が同じところだろうか。
「ところで、どうして領主様がこのような場所に?」
コクフウが尋ねた。ルリが尋ねたくてたまらなかったことだ。問いかけられたイシズミアは少し困った顔をする。
「兄が私をここに閉じ込めたのです。兄は私の才を妬んでいましたから」
「それだけの理由で……」
「私にこの才がなければ、私がいなければ、領主の座には兄が就くことになっていました。就任の際は特に反対もせず、むしろ祝ってくれたのですが……。私を領主に就けた後、密かに私を幽閉して領主になろうと考えていたのでしょう。兄と言う立場を利用すれば、警備も薄くなる。そうなれば、部屋から私を連れ出すのは簡単なこと」
今まで話を聞いていなかったような素振りを見せていたクロウがここで口を挟んだ。
「逃げようとは思わなかったのか」
普通の領主なら、いくら相手が幼い子供だとしてもこんな口の利き方では不敬罪もいいところだ。けれどもイシズミアは温和な性格なのだろうか、気にも留めずに答えた。
「この離宮は格子一本折れただけで崩れる造りになっているのです。壁など壊して脱出しようとすれば、生き埋めになりましょう」
「転移術は」
「ここは術無効化の陣がありますから……。何度か試してみたのですが、やはり」
イシズミアは首を振った。
足元を見ると、大きな陣と術式が書き込まれている。高度で精密な無効化の陣だ。
「……おかしいですね」
訝しげに言うコクフウの言葉を受けて、ルリが言う。
「ねえクロウ。あたし、さっき術使ったわよね」
クロウは頷いた。たしかに、クロウの手元を照らすためにルリは先ほど炎術を使った。牢の入り口付近のできごとだ。
「どういうこと?」
陣は完璧に施されている。サンドランド領主が何度試しても術を使うことはかなわなかったのだから。それなのに、ルリは術を使うことができたのだ。ルリの力が普通の魔物より上のものだとしても、才人として名高い領主イシズミアの力には遠く及ばない。彼女に破れなかった陣の効力がどうしてルリに破ることができるのだ。
突如、牢の戸の近くにいたカロンが高い声を出した。クロウはそこまで歩を進める。
「カロン? どうした」
クロウの問いかけにカロンは鉄格子を見るよう促した。そこから視線を徐々に下へずらしていく。文字が一字、変わっていた。
術式が間違っているのは、鉄格子がはめられているところの近くのほんの一文字だった。ルリたちが牢に入れられたとき、戸が床と擦れて文字の形が変わってしまったのだろう。繊細な術式の場合、たったの一文字や交差する直線が変わるだけで陣の効果が変わったり、効力を失ったりする。
「この陣……増幅か」
たった一文字が変わってしまっただけで、陣はその効力を無効化から増幅へ変化させた。だから先ほど、ルリの炎術が暴走しかけたのだ。
「じゃあ、この状態なら簡単に転移術が使えるってこと?」
かすかに微笑んだイシズミアは長くて白い袖を翻して立ち上がり、牢の戸の近くまで移動する。
誰かを送ったり、一緒に力を使って転移するのは比較的簡単だ。だが術の使えない他人を、しかも子供とはいえ三人も同伴して転移するのは、たとえ増幅の陣があってもかなりの負担がかかる。一歩でもイシズミアから離れればたちまち置いてけぼりをくらうことになるだろう。
イシズミアが転移術を使うと察したルリとコクフウは、クロウとカロンを呼び寄せた。
「私から離れないでくださいね」
彼女が術の詠唱を終えると、この場は光に包まれた。その光のまぶしさに、各々が思わず目を瞑る。次に目を開いたとき、イシズミアたちは太陽が照りつける城の前に立っていた。
「まぶしい……」
ルリは目を袖で覆いながら言った。目が潰れそうだ。暗い場所に慣れていた目にとって直射日光というのはつらい。だがイシズミアは平然としている。
「それでは行きましょうか」
「あ、少し待ってください」
ルリは城に入るところを遮った。無理矢理目を開く。
「コクフウ君、ちょっといい?」
「はい、なんでしょう」
コクフウはルリに歩み寄った。彼もまぶしそうに光を手で遮っている。
「圧制を敷く支配者が一番恐れているものはなんだと思う?」
「一番、恐れているもの……?」
コクフウは目をつぶり無意識にあごに手をあて、少しのあいだ考える。
「……わかりました。では行ってきますね。間に合うといいんですが」
答えのわかったのだろうコクフウは、一度意味ありげに微笑をたたえてからルリたちといったん別れ、一人砂漠の中を小走りで進んでいった。残るルリたちは、イシズミアの兄が支配する城へと足を踏み入れた。