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時を刻む紅  作者: 榊原
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4-5.砂漠の潤い

「空き部屋がない?」

 歩いて疲れて汗をかいて。今度こそ人のいる街についた、と思えば休める場所がない。さらに一泊、一食はおろか水一杯すら出せないという。やはり領主のところに行かなければならないようだ。

 ルリは領主の城というのがあまり好きではない。城というのは国々の環境や領主の好みによって変わるのだ。ある領主の趣味で、ずっと続いてきた伝統のある城が取り壊されまったく別の城が造られたこともあった。ウィンドランドは比較的安定した気候でまともな城だが、その城でさえ構造がよくわからない。

 一方、民間の宿というのは、普通は旅人や観光者が利用する。さまざまな国の人々が宿に来るということだ。そうなると宿においてもっとも重要だろう寝台はだたの床でも藁でもなく布で作られ、気候の安定した国のごく普通の生活様式となる。そうでなければ泊まってくれる者がいなくなる。

 城に滞在していたほうが文献をあさるのにいろいろと便利ではあるが、特に領主に用のない今、こういった理由からルリは強く宿を希望していた。

「すみません。ほら、今は戦時下でしょう? 他の国より少しは安全なサンドランドへ来る人たちが多くて。他の宿屋も空きはないと思いますがね」

「そうですか……」

「申し訳ありません」

 それを聞いて、ルリたちは再び砂漠に足を踏み入れた。目指すは領主の城。

「領主がいないのにどうして城に行くんだ?」

 クロウと同意見、と言うようにカロンは鳴いた。リューズエニア領主はサンドランド領主に話をつけておくと言っていたが、その領主がいなくては門前払いを食らうのはまず間違いない。主のいない城に、いったい誰が見ず知らずの子供を入れるというのだろう。

「どうしてだと思う?」

 笑いながら問いを返すとクロウは半歩下がった。魔王直紋を使えば入れないこともないのだ。野宿するくらいなら領主の城へ行ったほうがまだいい。

 そんなやり取りをしたのは昼ごろだった。今はもう太陽が大きく西に傾いている。じりじりと肌を焼く日差しも少しは弱まってきたかのように思えた。

「失敗したわ」

 ルリが呟く。こんなことなら多少高くついても案内人を雇っておくべきだった、と。カロンはサンドランド城へ行ったことはあるらしいが、それを頼ろうにも目印となるものがなにもなくては話にならない。見渡す限りの砂。この砂漠には草木一本生えていないのだ。

 水も、やはり高くても買っておくべきだった。例の屋敷とつながっている井戸は無事に水の流れを取り戻し、魔物退治の礼にと貴重な水をもらった。しかし宿を求めて砂漠を歩いているうちに飲み干してしまったのだ。いくら水を飲まなくては暑さで倒れるとはいえ、もう少し節約して飲んでおけばよかった。今さら後悔しても遅い。

 疲れたと言ってじろりとクロウはルリを見る。誰のせいでこのようなことになった、と顔に書いてある。さらに、ルリの肩に乗っているカロンが尾を意思をもって揺らす。

「悪かったわね」

 歩き詰めだ。日も落ちてきている。城には辿りつけなかったが、なんとか野宿できそうな場所を探しながらルリたちは進んだ。慣れない者にとっては命取りになる、延々と続いていくかのような砂漠を。

 あ、とクロウが声を漏らした。同時にある方向を指差す。その指の先にあったのは、赤い夕日の光を受けて輝く泉。

 泉を見つけると駆け寄ってそれを口に含む。身体の隅々まで行き渡るようだった。泉の水は砂漠にあるのがおかしなくらい澄んでいた。どうして干上がらないのかと思ったが、のどを潤しているうちにどうでもよくなった。

「今日はここで休みましょう」

 ルリの提案に誰も反対を示す者はいない。反対する気も起きない。休息を取りながらではあったがずっと歩いていたのだ。リューズエニアはその点楽だった。

 いつの間にか日はすでに沈み、昼の気温が嘘のように低くなっていた。



 翌日。目を覚ましたルリたちが見たのは、サンドランドの澄み切った空ではなかった。

「天幕……?」

 薄黄色の天幕だった。涼しい。陽射しを遮る布一枚でこれほどまで差があるとは驚きだ。暑いからと言ってあの少女に与えた外套も、ルリが気づかなかっただけで役に立っていたのかもしれない。

 ここはどこなのだろうとルリは幕の外へ出ようとした。そのときクロウに声をかけられる。

「やめろ」

 それにルリは身体をすくめた。十にも満たない外見のクロウだが、どこか迫力があった。たとえスフィンクスを頭に乗せていようとも。遊んでいたのだろうか。

「外で賊同士の縄張り争いが起きてる。術でここは隠してあるが……外に出ないほうがいい」

 そう言われ、ルリは耳を澄ました。外からは喧騒が聞こえる。砂を踏みしめる音や、剣を交えたような甲高い音。どのような様子か気になるところだ。

 ほんの些細なことから、サンドランドは戦時下ではないが、治安はお世辞にもいいとは言えないことがうかがえた。しかし縄張り争いをしていられるということは平和なことだ。他の国ではこのようなことはできない。男のほとんどが兵士として召集され、どこが戦場となるかわからないからだ。

 外に出ることを諦めたルリは天幕内部を見回した。幕でできた仮宿ではあるが結構な広さがあり、あまり整頓はされていないが生活用品も数多く存在している。

「誰かここにいるのかしら」

「私が起きたときは、誰も」

 そこで会話は途切れ、両者は沈黙したまま賊の勝負がつくのを待つ。それまでのあいだ、クロウは時間を潰すためにカロンと遊びはじめた。

 そしていくらか時間が経ち、砂漠に似合う静寂が訪れる。

「それじゃ、ここの人には悪いけど、行こうか」

 ルリは立ち上がって外に出ようとして、出入口で立ち止まった。出ていこうとするのを防ぐかのように人が立っていたからだ。ルリと同じかやや低いくらいの背丈で痩せ気味の、いかにも善人そうな少年。彼の抱えている籠にはたくさんのみずみずしい果物が入っている。

「どこに行くつもりですか」

 そこをどいてくれませんか、という言葉は少年の言葉にかき消される。彼の優しげな面持ちがが一変し、激情を見せた。

「あんな場所で眠るなんて、僕が見つけなかったら全員凍え死んでるか干からびてましたよ。外では縄張り争いが起きてましたし」

「なんだ」

 なかなか進もうとしないルリにいらついた口調でクロウが問いかけた。ルリの後ろから顔を出す形になる。その瞬間、少年の目が見開かれる。

「あなたも、いたんですからちゃんと注意してください。夜はそれなりに冷えるサンドランドの気候は知っているでしょう?」

 わけがわからない、といった表情をクロウはする。

「ちょ……ちょっと落ち着いてよ、コクフウ君」

 ルリは少年の、コクフウの顔を見据えてそう言った。



 クロウは一人、隅に座り込んでそっぽを向いていた。不機嫌を絵に描いたようにだんまりを決め込んでいる。そんなクロウに、ルリはコクフウの持ってきた黄色い果物を投げて寄こす。クロウはそれを器用に片手で受け止め、皮を剥きはじめた。

「それで、どうしてあんなところで寝ていたんです?」

「サンドランド城に行こうとしたら迷っちゃって……」

「慣れない人が案内なしに砂漠を歩けば迷いますよ。ここの人だって迷うこともありますから」

 ルリの乾いた笑いにコクフウは苦笑いで返す。

「コクフウ君こそどうしたの? ここで生活してるみたいだけど」

 彼を使用人として手酷く扱う者はもういない。幼い妹とともに近くに住んでいる親戚の家へ行く、と言ってつい先日別れたのだ。それが砂漠で野営しているとなれば、ルリも訊かずにはいられない。

「それが……」

 コクフウは言いにくそうに言葉を濁した。その表情はこちらを心配させる。笑顔が消えた。

「無理して言わなくてもいいわ」

「……すみません。でも、妹は元気にやってますから心配しないでください。毎日笑ってますよ、はい」

「それならいいんだけど」

 皮を剥くのにてこずっていたクロウは、やっとその一欠けらを口にした。途端、彼の口元が引きつる。どんな味だったのだろう。

「さ、僕たちも食べましょう」

 それを見ていたコクフウはそう言って自然に話題を替え、ルリにいくつかの赤い果実を手渡してから紫の実を手に取った。籠に山積みにされている中では形も色もまともなほうに入る。

「ありがとう」

 ルリはその赤い果実を上から下まで眺めて、口に入れた。甘酸っぱくておいしい。

「どうしたの? これ」

「近くの大樹になってたんです。おかしな話でしょう? 砂漠に大樹があって、しかも実をつけてるなんて。たった一本だけ生えてるんですよ、その木。土が肥えてるわけでもないのに」

「……一本だけって、この果物が全部その木に?」

 コクフウは頷いた。

 籠に入れられた大小さまざまな果物。赤から紫、黒など妙な色の物まで混じっている。見た目はさておき、まずくはないところが不思議だ。

「おかげで結構助かってます。他の場所とつながってるような、おかしなところがあるんです、この砂漠。フォレストランドにはあんな木がたくさんあるんでしょうね」

「そういえば、あたしたちが休んでた場所にも泉があったわ。日差しを遮るものもないのに干上がる様子もなくて。本当にどこかとつながってたり」

「ありえないこともないですね。そういうところは多いですから。領主様のお城の中には滝があるって噂です」

 最後の一粒の実をカロンにやっていたルリは顔をこわばらせた。サンドランド領主は砂の城に住んでいると聞く。そこに滝があっていいのだろうか。

 ほどなくして、果物の入っていた籠はからになった。

「ところで、旅をしていたんでしたよね?」

「そうだけど、それが?」

 果物の汁で汚れた手を布で拭いながらコクフウが尋ねてきた。生活が変わり、骨と皮ばかりだった手にやっと肉がついてきている。これなら握手しても骨の感触を顕著に得ることはないだろう。

「あの、その……僕をその旅に同行させてもらえませんか?」

 コクフウは打って変わって真剣な表情になった。覚悟を決めたような顔だ。金の瞳が決意の色をたたえる。

「あのね、コクフウ君……」

「だめだ」

 ルリは頭上で一括りにした髪を揺らして振り向いた。言いよどむルリの言葉を遮りコクフウの申し出を切って捨てたのは、先ほどまでだんまりを貫いていたクロウだったのだ。しかしコクフウは引かない。

「足手まといにはなりません。サンドランドにいるあいだくらい役に立ちますから、お願いします、僕を連れて行ってください」

「コクフウ君には妹さんがいるじゃない」

「……アンリは親戚のところで暮らしています。お願いです、僕にはもう行くところがないんです」

 どうしてアンリだけが親戚の元に、という言葉は彼の表情に圧されて出てこなかった。今までに見たことがないくらいの必死さはまるで別人を見ているようだった。彼を奴隷のように扱う男から逃げるときもこれほど必死にはなっていなかったはずだ。

 クロウはそんなコクフウに目も向けず、拒絶の言葉を一言発する。

「だめだ」

「どうしてですか? 理由くらい聞かせてくれたって……」

「何度同じことを言わせるつもりだ」

 言うと同時にクロウは手に持っていた黒い皮をコクフウに投げつける。子供が投げたとは到底思えないほどの速さで飛んでくるそれを、コクフウは頭を少し右に傾けて避けた。目標を失った皮は薄黄色の壁に当たって落ちた。

 ついにクロウは立ち上がった。一拍おいて、感情を抑えるように深く息をする。ここで冷静さを失ってはいけない。クロウにとってそれが唯一といってもいい武器なのだ。

「行こう。こんなところに用はない」

「クロウ……」

 立ち上がった瞬間の激情はどこへ行ったのだろう。すっかり冷めた目でコクフウを一瞥してから、クロウはそそくさと出ていった。

 呆然と出て行くクロウを眺めていたルリは、はっと気づいてコクフウに謝る。

「その、ごめんね」

「気にしないでください。ほら、慣れてますから」

 彼は微笑んだ。浴びせられる罵声、理不尽な暴力の数々、屋敷の主。ルリにとってそれらのことはまだ記憶に新しい。きっと思い出しているのだろう。それらに比べれば、クロウの言葉などたいしたものではないのかもしれない。

「気をつけてくださいね。この砂漠は旅人にとってあまり安全ではないので」

「うん、ありがとう」

 コクフウの眼差しを背に受けて、ルリはカロンを連れてクロウを追った。

 礼は言っても、ルリは決して振り向かなかった。

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