4-2.子供たちは呼ぶ
風が吹くたびにさらさらと欠けていく、誰も住んでいない黄ばんだ家々が立ち並ぶ。
廃墟のような街。その中心より少し北に行ったところに屋敷がある。外壁こそ崩れ落ちてはいるが、やはり周囲の民家と比べれば大きさは何倍とあり、門もあることから、街の長の屋敷といったところだろう。
屋敷の木製の門前には、無数の白いかけらが散らばっている。それは小動物の大きさではない。成人の頭蓋骨と思しきものも転がっていた。これらの骨に気づかないのか、子供たちはそれを足で踏みながらやってくる。やがて彼らは、力の加減を間違えてしまえば壊れてしまうくらい脆くなった門を押し開けた。
重々しい音を立て、門が開く。
彼らは囚人のように一列に並び、暗い顔をして敷地に入った。それに続いて荷台を押す子も入ってくる。荷台にはルリとクロウが乗せられている。
屋敷は砂嵐に包み込まれた。
ずるずると服が砂にまみれた床を擦る。先ほどの子供たちが何人かでルリとクロウを引き摺って運んでいる。屋敷内は荷台が使えないのだ。
まっすぐに歩いていくうちに、扉に行き当たった。子の中の一人が小さな手で扉を叩く。
入れという言葉があって、その子は身体を滑らせるように中へ入った。他もそれに続く。
「街の中で見つけました」
体型にあっていない継ぎはぎだらけの薄汚れた服の裾を引き摺りながら、クロウよりも年下と思われる女児は部屋の中心まで歩く。青くこけた頬。本来ならば、血色よくふっくらと丸みを帯びた顔をしているだろうに。
「また子供か。……女だけ置いていけ。小さいほうはいつもの場所に」
「はい、お父さま」
子供たちの中で一番年上の者が一礼をして部屋を後にする。下の子たちも、たどたどしく彼女の真似をして部屋から出た。
ざわめきを感じる。この場に気配は一つ、二つしか感じられないのに、まるで何百もの生き物がひしめきあっているようなざわめきだ。
ルリが身を捩って身体を起こした途端にざわめきは消える。暑かったが外を歩いていたときより格段に涼しい。服についた砂の感触に眉をひそめた。そして周囲を見回してクロウがいないことに気づく。
「やっと気がついたか」
上のほうから男の声がした。声の主をよく見ると、椅子に座った彼は顔の上半分だけ仮面をつけている。
「クロウが、もう一人いたはずですけど、どこにいるんですか?」
ルリの問いは黙殺された。仮面の男は手を二回打ち鳴らす。
脇の控えから一人の少年が酒の乗せられている盆を持って出てきた。給仕の者だろうか。痩せ気味だが落ち着きのある容貌だ。肩ほどまでの髪を後ろでひとまとめにしている。やはりというか、暗い顔をしていた。
出てきた少年の姿を見て男は口端を吊り上げた。酒を運んできた少年の前へわからないよう足をそっと突き出す。その足に気づかなかった少年は当然ながら転倒した。盆に置かれた酒瓶は宙を舞い、やがて派手な音を立てて瓶が割れ、中身がこぼれた。
「コクフウ、おまえは十四にもなって酒もろくに運べないのか!」
「す、すみません」
「謝る暇があったら床を拭いて新しい酒を持ってこい」
仮面の男は少年の腹部を容赦なく蹴り飛ばした。しかし少年のほうは慣れた様子で受け身を取り、衝撃を和らげる。受け身を取られたことに対しての男の怒りを買わないよう、あまり動かず気づかれないよう慎重に、ではあったが。
「はい、ただいま」
自分で転ばせておいてなにを言う、とルリは思った。酷い。楽しみながらやっている。
彼はふらつき、咳き込みながらも立ち上がる。理不尽な扱いに対する不満の声は一つもあげなかった。汚れてしまった服を軽く叩き、出てきたのとは反対の脇の控えから退出する。
「見苦しいところを見せたな」
身内に対して厳しいように思われる男はまだにやついていた。口元くらいしか見えないためよくわかる。にやつきを隠そうともしないと取るべきか、本人は友好的な笑顔を作っているのだと捉えるべきか。
「おまえ、紅の混血児というそうだな」
「そうですが……なにか」
それを知っていながら上からの目線だったのには驚いた。紅の混血児だということを知っているのならルリをウィンドランド領主の娘と知っていてもいいはずだ。気に食わないわけではないが、彼の態度はそれを知っている者たちと比べると不遜すぎる。
「ここは街から北に行ったところにある屋敷だ。親のいない子供たちの面倒を見ている」
なにを言いたいのだろう。話が見えないルリは男の言葉を待つ。
「短期間でいい。子供たちの母代わりをしてくれないか? 本当に、短期間でいい」
「母代わり?」
それならクロウやカロンの相手をするだけで十分だ。世話される側だったルリに子供の世話などできるはずがない。
「ここにいるのは母親というものを知らない子ばかりだ」
ルリは俯いて石床を見た。
母は生きている。本当の親に捨てられたということもない。だが、子が親を求める心情を想像するのは簡単なことだろう。暇があれば、もしかしたら母代わりを請け負っていたかもしれない。しかしそのような余裕はない。
「お断りします。今はいろいろと立て込んでいて」
「断る? なぜ」
「そんなに余裕がないんです。すみま……」
「そうだ、のどが渇いているだろう。おい、水を持ってこい」
ルリが謝ろうとしたのを男の言葉が遮った。先ほどのように手を叩き、一人の痩せた子供を呼んで耳打ちをする。軽く頷き、その子供は一礼して下がった。また別の子供が少年のかわりに酒を持って入ってくる。
「水? だって、街の井戸は……」
「この屋敷ではなにかあったときのために貯水をしている。あー、なにか食べたい物はあるか? 持ってこさせよう」
どうにかして母代わりをさせようとルリの機嫌を取っていることは見え見えだった。心変わりを待つ拙い時間稼ぎだ。いや、自分の言うことを聞かない者などいらない、と隙を見て殺そうとしているのかもしれない。疑ってかかるとなにもかもが怪しく見えてくる。
「食欲はありません。ところで」
杯を持った子供が端から出てくる。ありがとうと言ってルリは差し出された水に口をつけた。水は欲しかったところだ。
「どうして街に誰もいないのか、知っていますか?」
「この街は昔、かなりの規模の砂嵐に襲われた。屋敷はそれほど被害は受けなかったが、民家はほぼ全滅。誰も住む者がいなくなったのだ。誰もいない街。いつからか、この街は子供の捨て場所となった」
「そんなに簡単に、子供を……?」
どうして自分の子を捨てるのか、ルリにはわからなかった。いくら城を出て民と遊んでいようが、領主の娘であるルリにはわかるはずもない。
領主は金銭などには困らない。だが民は違う。子が増えればお金がかかる。家計が苦しくなる。全員が生きていけなくなる。そうなれば、誰かを殺すか、捨てるしかない。それは家族にとって最善で、しかし苦渋の決断。だが一部の親にとっては簡単なことかもしれない。選ばれるのはたいていの場合が物心つかない幼い子供だ。
「ここらはよく砂嵐が発生する。もともとこの国には水が少ない。大戦がはじまる前までは、子を捨てる親が他の国からもよく来ていたものだ。拾う者がいなければ簡単に死ぬ」
彼は捨てられた子供を哀れむような悲しげな声で語って俯いた。
「では、どうしてここにいる子供たちはみんな痩せているんですか?」
「……この国には食料も水もあまりない。不作の年のことも考えて蓄えているのだ」
「痩せるまで食を削って、ぼろの服を着せてまで? 善意から子供たちを育てていたのでは?」
ここまでくると男は取り繕いも振り払い、開き直ったかのように口元を歪めた。
「さすがは紅の混血児だ。魔王が目をつけただけのことはある。しかし、しゃべりすぎたようだ」
ぐらりとルリの体が傾いた。手足がまったく動かず、ルリは床に崩れた。
「水に薬を入れさせてもらった。母代わりの役を受け入れてくれれば、こんなことはしなかったのだが」
今さらながら、はっきりとわかった。この男は反魔王派の一人。反対勢力というものは昔からいるものだ。
彼はルリに母代わりを求めていたのではない。殺そうとしていたのでもない。勅命を受けたルリを取り込むことが目的だったのだ。王に命じられルリは秘宝である希望を集めている。それを途中で放り出されては魔王もたまったものではない。
「意識ははっきりしているだろう? あるかたから頂いた薬でな。よく効いていると見える」
悔しかった。たいした抵抗もできず、まさかこうもあっさり捕らわれるなんて。過去に戻れるのなら水を飲もうとしている自分を蹴り飛ばしたい。
「あの小僧と同じところに連れて行け」
「かしこました、お父さま」
いつの間にここへ来たのだろう。少女だ。先ほど水を運んできた子とは別の子供。彼女はルリの耳元で小さく謝罪する。
「ごめんなさい。命令なんです」
少女とはいっても体格的にはルリより小さい。なのでルリの身体を持ち上げることなどできず、一歩、二歩、と少しずつ引き摺る形になる。それでも確実に進んでいき、曲がりくねった通路を通って、薄暗い部屋に辿りついた。
「なにかありましたらコクフウという人物を訪ねてください。あの子ならなんとかしてくれます」
現れたときと同じように、ルリを運んだ少女は闇に溶けるように姿を消した。
ぼろの煤けた布の上で、クロウは目を覚ました。黒々とした天井が目に入る。
「お兄ちゃん、気がついた? ここはね、アンリたちのお部屋だよ」
一体ここはどこだろうという顔をしていたクロウの気持ちを読み取ったのか、目の前にいた短い茶髪の女の子が言った。名前はアンリというらしい。
「アンリたちのお部屋はね、明かりがないの。だから朝でも夜でも暗いの」
すごいでしょう、と彼女は自慢げに言った。子供というのは本当によくわからないとクロウは思う。自分がまだ子供だということは忘れて。
「他には誰かいないのか?」
「お姉ちゃんとかお兄ちゃんとか、いっぱいいるよ」
彼女はにこにこしながら腕をできる限り広げる。話し相手ができて嬉しい、と目が語っていた。
「同じ部屋に?」
「そうだよ。どうして?」
「いや……」
これでは牢獄とほぼ同じ状態ではないか。冷たい床、燭台もない暗い部屋、狭い場所に何人もが押し込められて。よくよく見れば、クロウが横たわっていたのはそこに座るのも躊躇してしまうような布だ。このアンリという少女の姿からすれば食事も満足に与えられていないだろう。衣服もところどころ破れている。
「それで、ここは?」
「だからアンリたちのお部屋だってば」
「そうではなくて……」
クロウは無邪気なアンリの目を見ていられなくて目をそらした。人のことは言えないが相手が幼すぎる。うまく話が通じない。
錆びついた戸が開いた。入室者は疲れきっていたようだが、中に少女がいることを確認すると、表情ががらりと変わる。口角はこころもち上がり、穏やかな笑みをたたえた。
アンリは勢いよく振り向くと、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
「お兄ちゃん! お父さまのご用は終わったの?」
「そうだよ。お酒こぼしたからまた蹴られちゃったよ、僕。……そちらは?」
「えっとね、えっと……」
どう言えばいいのかわからない様子のアンリに代わり、クロウが口を開く。
「クロウという。ここに連れてこられた。ルリという女が一緒のはずだが」
「僕はコクフウです。……ルリさんというのは、金髪で紅色の服の女性ですか?」
そうだ、とクロウは肯定する。彼となら話もできそうだ。少なくとも女児の相手をするよりよほどいい。
「そのかたなら、さっきここの主人の部屋にいましたけど」
ろくでもない主人の部屋にか、とクロウは思った。先ほどコクフウと名乗る少年が言っていたではないか。また蹴られてしまったと。暴力は珍しいことではないのかもしれない。
「会えないのか?」
「わかりません。彼女があの人の機嫌を損ねてしまったらどんな仕打ちを受けているか」
少年はふと振り返った。同じ場所に目をやってもクロウにはなにも見えない。クロウに見えないものを彼は凝視している。
「そろそろ部屋に戻らなければならないようです。僕はこれで。じゃあアンリ、また明日」
アンリが手を振るのを背中で受け止めて少年が出ていく。戸が耳障りな音を立てて閉まり、外と内とが隔てられた。