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時を刻む紅  作者: 榊原
19/82

3-8.棺に眠れ

 彼が三年を過ごしたシル村はもう存在しない。十日とたっていないのに、家も馬小屋も畑も、すべてが湖の底だ。風に運ばれてきた枯葉が水面を漂っている。

「偽物だ」

 倒木に座る青年はそれを水面に叩きつけた。少しのあいだ浮かんでいたが、なにかに引き寄せられるかのように沈んでいく。村を象徴する大木もこのようにして沈んだのだ。

 隣に佇む彼女は水中へ消えていった銀細工を不思議そうな顔をして見つめていた。

「魔王のところから盗ってきた秘宝、の偽物だ。おれが盗むのを見ていたはずのに慌てもしないで、どうもおかしいと思ったんだ。でも領主たちには『盗まれた』って言ってあるようだから、偽物を作っておいたっていうのは知らせていないんだろう」

 若者は立ち上がり、すぐ横にある女の顔を見やる。顔色はやや悪い。

「飛べるか?」

「もう行く気? せめてオサードに顔を見せに行くくらいしても……」

「手遅れだ。街の宿に兵士が突入していくのを見ただろう。おれが行けばますます面倒なことになる。あそこは旦那が混血嫌いだった」

 彼は南西を向いた。こちらの空がどんより曇り地面には影が差すのとは対照的に、あちらは空も霞むほどまぶしい光が大地を照りつけている。見えない境界線でもあるようだ。

「頼む、飛んでくれ」

 その請願を聞き入れた女のまなじりが裂ける。唇の形が人外のものとなり、硬質なものに変化していく。繊手が鱗に覆われていく。白い裸足には骨の形が変わるにつれて黒毛が生えてくる。二足で立つことができなくなると鉤爪のついた前足で身体を支えた。漆黒の翼が背中を突き破るように現れる。

 人から姿を転じた獣に彼は跨り、上空へ飛び立つ。アイスランドほどではないのだろうが、切り裂く空気が冷たい。

「……サンドランドへ」

 行き先が決まると、黒いグリフォンは大きく羽ばたいた。



 ティーナを退出させ、彼女が戻ってこないことを確認したヘルは椅子から立ち上がった。ゆっくりした動作で段差を下り、座りこんでいるルリに近づく。

「監視つきでは言いたいことも言えんな。……さて、おまえたちはなぜこの国に?」

「クロウに……この子供に、リューズエニアに秘宝があるかもしれないって話を聞いて」

 ルリは腕に抱いたクロウを見ながら言った。

「ああ、その子供が。ジャッキーがなにかやらかしたときの話は聞いている」

 ヘルはクロウの顔を覗きこんだ。

「別に周りが騒ぐほど息子のことは気にしていない。これを飲ませてやれ。すぐに気がつく」

 そう言って、彼は懐から小瓶を取り出した。小指ほどの大きさのそれを、薄青の透明な液体が満たしている。

 彼からそれを受け取ったルリはふたを取ってクロウに飲ませた。半分もいかないうちにクロウは意識を取り戻したようで、眉間にしわを寄せて咳きこみ、落ち着いたところでルリを見上げた。

「……なにを飲ませた」

 これよ、と示すようにルリは小瓶にふたをし、クロウの手に握らせた。小瓶をまじまじと見つめるクロウの膝に幼獣が飛び乗った。

「なにがあったの?」

 なにも、とクロウはぼそりと答えた。妙なところで自尊心が強いから失態が気にくわないのかもしれない。ティーナは術がどうのと言っていたため覚えていないという線もある。

 彼の意識が回復したのを見届けると、ヘルは椅子に戻る。

「まったく、面倒を起こすなとは言ったのだが」

 椅子に深く座り、ヘルはふぅとため息をついて、心底疲れたような顔を引き締める。

「やはり、秘宝があるように見えるか」

「ええ。そのせいで『沈む村』も出てきていると街で噂されているようなのですが」

 隠すのは無理だと悟ったのか、すべて話そう、と彼は独り言のように遠くを見て言った。ヘルも行き場をなくして街に逃げ延びる民のことは知っているはずだ。

「大戦は七大国間のものだ。七大国の領地であるから狙われる。つまり、独立してしまえば火の粉は飛んでこない。王も無用な争いは避けたいと思っておられるようでな。だから陛下と契約を結び、独立した」

 なんの利益もないように思える契約を王が結んだのはそのためだったのだ、とルリは納得した。争いを奨励するでなく心を痛めていることに安心する。

「だが、独立したとはいえ、なぜここは大戦の影響がまったく及ばないのかと怪しむ者も多い」

 独立したばかりの小国を、魔王の後ろ盾があるとは知らずに領地の拡大を狙う他の五大国が見逃すはずがない。それなのにリューズエニアは今まで平和を保ってきた。出兵令も出ず、戦死者もない。民家に火が放たれることもなく。

「この街の気候は変わった」

 以前母とともに独立前のこの地を訪れたルリもそれはよくわかる。場所の名称まで変わるほどだ。

「数百年ものあいだルーディアス区はファイアーランドの支配下だった。サンドランドとも接しているのだから、たかが八年で冬の一区と呼ばれてしまうほどにまで変わるはずがないのだ。皆、暖かさを対価に秘宝を利用したと思っている」

「ということは、ないんですか、秘宝」

「ああ、そんなもの一度だって見たことない。気候が変わった原因は私にある。私は氷術師だ。私が領主となったころから戦が拡大をはじめていたから、氷術で領地全体に障壁を張り、戦火を免れていたというわけだ。陛下もそこまで面倒をみきれなかったようでな」

 氷術で作られた外壁の冷気が街を冷やしてしまい、暖かさが失われていったのだ。そう告げるヘルに弁明の色は見られない。国を守れるよう最善を尽くしたのだと語っていた。

 落ち着いて考えてみれば、今となっては領主であるが、ファイアーランドに属する小さな街の長程度だった者が、秘宝を扱えるわけがないのだ。由緒正しい領主の家系にだけ伝えられる秘宝の存在。それをヘルが知っていたというだけでも驚きなのに。

「『沈んだ村』については?」

「最近は災害が多いから一部はそのせいかもしれん。……が、おそらく反領主派の水術師たちの仕業だ。私が区を独立させたせいで村が犠牲になった、と失脚を狙うものもいるのだろう。税さえ納められれば村人の命などたいしたものではないと主張する者もいる」

 そういう考えがあることにルリは驚いた。母国ウィンドランドではそのようなこと、ありえない。

 反勢力をどれだけ押さえつけ、納得させられるかは領主の力だ。街ならともかく国を任せるのはヘルには荷が重かったのかもしれない。村と街が違えば、街と国だって違う。

 これで確信をもって言える。彼は秘宝を持っていない。

「だとしたら、秘宝はどこに?」

「秘宝は国々の均衡を保つため、それぞれ七大国に散らばっていると聞くが。国の安寧を願う神獣が落とした涙だと言われるだろう」

 七大国。それは魔王の直轄地セントラルランドを第一に、ゴーストランド、ウィンドランド、ファイアーランド、フォレストランド、アイスランド、サンドランド、という序列で成り立っている。

 魔王が所持していた秘宝は銀だという。その秘宝の片割れである絶望を、青の混血児は奪っていった。秘宝すべてを集めるとしたら、次に狙われるのはどこか。

「サンドランドはここから近いですよね?」

 青の混血児を最後に見た場所はあの司令部だ。司令部から一番近いのはルリの生国だが、ウィンドランドは序列第三位。かなり高位である。まともな者なら、攻略していくならやはり弱小国と言われるサンドランドを選ぶだろう。

「ああ、さきほども言ったが隣国だ。金色の秘宝があると言われている。ここまで来たついでだ、送ってやろう」

 思ってもみなかった申し出に、ルリはお願いしますと頼む。

「案内をつけるから、城の最奥にある小部屋へ行っていてくれ。そこで転移術を施す」

 ヘルが再び手を打つ。すると年老いた侍女が二名現れた。

「この者を最奥の小部屋へ。私は後から行く」

「かしこまりました。……さあ、こちらへ」

 二人は一礼し、ルリたちについてくるよう促した。

「ほら、クロウ。行くわよ」

 クロウはスフィンクスを抱えて歩きはじめる。子供には懐きやすいのだろうか、獣に嫌がる様子はない。

 やや細めの通路に入った。等間隔で置かれた蝋燭は廊下を明るく照らしている。当然ながらウィンドランドのあの牢とは大違いだ。

 女の案内で通された小部屋は、そう、本当に小部屋だった。部屋を支える柱は一本もない。氷の床がルリの姿を映している。不気味な魔物の剥製もあった。現実から切り離された、静かでなにも聞こえない部屋。四隅の灯りだけで十分内部がわかる。

「じきに領主様がこちらへいらっしゃいます。それまでお待ちください」

 侍女の二人は深々と頭を下げてここを後にした。彼女たちが姿を消して初めてクロウは口を開く。

「……この部屋、本当に大丈夫か?」

「たぶん。こんなに小さい部屋だったら柱なんかなくても大丈夫な気がするし……」

 とは言うものの、いつ重さに耐えられなくなって崩れるかと不安だった。侍女も決してこの部屋に足を踏み入れなかった。

「罠じゃないか?」

「まさか、それはないでしょう」

 独立の後押しをしてくれた魔王の力はヘルも知っているはずである。その王命を受けたルリたちをわざわざ殺すようなことはしまい。しかし、そうとわかっていても、やはりいささかの不安はあった。なにしろ知らない場所だ。

 ちょうど不審がっていたところへ、待たせたなと言って領主が部屋に足を踏み入れた。どうやら危険ではないようだった。今まで別の場所で下準備でもしていたのだろうか、途端、部屋に風が吹き荒れ、二人の足元に陣が浮かび上がる。

「サンドランド領主には話をつけておく。安心して旅立て」

 この地が少々名残惜しくもあったが、秘宝がないとわかった以上、よほどの用がない限りここに来ることもないだろう。

 四方に置かれた火が大きく揺れるとともに、小部屋に光が溢れた。

 いろいろなことが起こったような気がするが、リューズエニアでの滞在期間は短かった。ルリはこの地で起こったことを思い出していた。そのすべてはあの男がクロウにぶつかったからこそ起こりえたことだ。

「その、あたしを庇ったオサードさんのことなんですけど、彼のことは……」

 オサードが働く宿屋で兵の襲撃に遭い、彼はルリを逃がしてくれた。その後のことは知らない。

「ああ、彼か。……本当に残念だった。逆らわなければこんなことにはならなかったものを」

 ルリは言葉を失った。では、彼は。

 術の詠唱が終盤にさしかかり、ルリたちを包む光がいっそう強くなる。目も眩む閃光が走り、宙に投げ出される感覚。目をきつく閉じて吐き気をぐっとこらえる。今度は本当に身体が浮いている気がした。



 この小部屋にはヘル以外の生き物はいなくなった。そのうち彼はなにごともなかったかのように部屋を出る。

 揺らめく蝋燭の炎が、風も吹かないのにすべて消えた。真っ暗になった廊下。転移術により生じた光の残滓、一雫の淡い光が彼の手のひらに舞い降りる。それだけが唯一の灯りだった。ゴーストランドにはこういった雪のような光が降ると聞いたことがある。

「オサード、か」

 その名を口にしたとき、ヘルは優しく、懐かしげな表情を見せる。人間の友人は彼一人しかいなかった。いい友人だった。

 まったくの無駄死にだった。いくら背後に王がいるとはいえ、だからこそウィンドランドの娘を殺せるわけがなかったのに、無駄に庇ったせいで絶命した。理性を失ったとでも思ったか。

「だが、お前は死なない。よかったな、弟思いの優しい姉がいて」

 いつの間にか浮かんでいた笑みがますます深くなる。

 死後の国というゴーストランドのことがこちらに伝わっているということは、過去にも帰還した者がいるのだ。成功すれば彼の姉が経営している宿の黒字分八割を手にすることができるとなれば、かの国に掛け合ってみないこともない。

 彼は今、この手の中にある。このリューズエニアのさらなる発展の好機をみすみす逃がしはしない。

「さあ、戻ってこい」

 自ら手中に舞い降りてきた淡い光を、彼はぎゅっとその手に握り締めた。そして暗い廊下を悠然と歩き出す。

 また違う客人が訪れるため、先ほどまでウィンドランドからやってきた少女を迎えていた部屋へ戻る。背もたれに身体を預けていると、横から肩に置かれた手に気がついた。

「いい人ぶって、よく飽きませんわね」

「いい人ぶる? まさか、全部欲のために決まっている。ときに、これからどこへ行くつもりだ。もう頼んだ仕事は終わっただろう?」

 彼女はヘルの肩に置いていた手を離し、氷床の上で踊るかのようにくるりとまわった。さらさらとした髪が宙を舞う。実りの季節にはよく似た金色を見たものだ。

「わたくしはわたくしの行きたいところに行くだけですわ。そうですね、例えばファイアーランドとか」

「望むなら転移術をかけてやるが」

「いいえ、いりませんわ。船で海を渡って行きますので。王城に閉じこもっていたものですから、海を見るのは初めてなんですの。では、また」

 にこ、と年相応の笑みで彼女は告げた。言うだけ言うと白い手を振り踵を返す。天井でうごめいていた影が彼女に従って部屋を出て行くのが実際目で見るように感じ取れた。

 オサードの姉がもうすぐ訪れる。死んだ後にもためになってくれる友人がいて幸せだった。

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