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時を刻む紅  作者: 榊原
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3-1.春は過ぎて

 頭がぐらぐらして気持ち悪い。身体が刻まれるような感覚がある。

 転移術に慣れていれば心地よい感覚だそうだが、慣れない者が術を行うとこのような症状が出るのだと聞いたことがある。陣は力の消費を抑えるだけで技量を上げてくれるわけではない。そしてルリとクロウは転移術を使うのには慣れていない。

 悲鳴をあげた二人は仲良く地面に放り出され、やっとのことで身体の内側を持っていかれる感覚から開放された。

「だいじょうぶ、か?」

「……背中とか腰とか、いろいろ打ったみたい。折れてはいないようだけど」

 ルリ、クロウとも地面に横たわったまま言葉を交わした。強い衝撃のために全身が痺れ、立とうという気がしない。このまま眠ってしまいたいくらい消耗していた。空が白い。

「旅に出てまだなにもしてないのに、早々『処刑だ』なんて言われて焦ったわよ」

「……まだ?」

「別に、問題なんて起こす気はないけど」

 二人は全身が訴える痛みを堪えながらもなんとか上半身を起こす。じっとしている分にはなんともないが、動くとなると強く打ちつけたところが痛んだ。

「たいした転移はできないとか言ってたけど……ここは?」

「知らない。あそこからは結構離れたみたいだが」

 座りこんでそのままぼうっとしていると、なにか冷たいものがルリの手の甲を濡らした。

「雪……っていうことは、アイスランドまで来ちゃったのかしら」

「どうりで寒いわけだ」

「けど、アイスランドにしてはそれほどでもないと思わない? もっと寒いものだと思ってたわ」

 白い雪。ウィンドランドでは北の国境あたりでごくまれに見られるものだ。少し南へ行けば、雪がどんなものなのか知る人はいないといっていい。空中を華麗に舞いながら手のひらに落ちてくる雪は、人肌で瞬く間に溶けて水になってしまう。

 しばらく寝転がっていたせいで衣の上に積もった雪を払い、二人はやっと立ち上がった。とそのとき、二人の足元が陰った。

 わっと声をあげたクロウが体勢を崩し、うつぶせに倒れた。突然のことで両手をつくこともできず顔面から地面に突っこむことになってしまう。

「ああ、すまねえな、倒しちまったか。小さくて見えなかった」

 太くて低い男の声が降ってきた。その方向を向けば、どうして足元が陰ったのかがわかった。

 そこには見上げるほど大きな身体をした男がいた。長身で、横幅も結構なものだ。気候のため厚着をしていて、引越しの最中のように大荷物を背負っているのも彼が大きく見える原因の一つだろう。帽子をかぶっているため顔はよく見えない。どうやらクロウはその大男にぶつかられたらしい。小さいと言われても相手がこれほどの大男ならば、クロウとて文句は言えない。

 大男は手を差し伸べ、緩慢な動作で身体を起こそうとするクロウの手助けをした。起き上がったきれいな顔は赤くなっていて、紫の瞳はわずかに潤んでいる。

「悪い、悪い。大丈夫だったか?」

 腰をかがめて子供を心配した男を、クロウは見るなと言いたげに一睨みした。助け起こしてくれた人に対してその態度は、とルリは思ったが、彼の目には水の膜が張られているから怖くもなんともない。泣き出しそうな子供の顔など、この男にとってはかわいいものだろう。

「こんなところで子供がなにしてるんだ。おまえたちも早く街に向かったほうがいい。ここももうすぐ沈むからな」

 一度にっと笑い、言うべきことは言った、とばかりにその大男は帽子を押さえて再び大股で歩きだした。あまりかまっている余裕はないようだった。

「沈む? それって……」

 あっけに取られているあいだに大男はどんどん雪の中を進んでいき、小さくなっていった。遠目から見ればまさしく雪男。人間であったが、こうして遠い後ろ姿だけを見れば魔物と勘違いしてしまうようなものだ。

「どうする、ルリ」

「どうするもなにも、追うわよ。街にはどっちにしたって行かなきゃならないもの。とにかく人がいるところに行かないと」

 転移術で一気に進みたいところだが、転移できるような力は元から持っていないに等しい。ルリに領主の血が流れるといっても半分は人間のもので、血が混じると互いに力を打ち消しあうようだ。大将軍ほどの人物であれば二度三度は連続して転移術が使えるというが。

 沈むという言葉に疑問を持ちながら、二人は進むごとに深くなっていく慣れない雪道を小走りで行き、男を追った。



 男に追いつくことはできなかった。だが進むべく方向は定まり転びそうになりながらも歩き続けた二人は、街の賑わいを感じ取った。

 小さな丘を頂上まで登ると、高く堅固な壁に覆われた街が眼下に広がっていた。石積みの茶色い壁と真っ白な雪がこの情景をさらにひきたてる。壁があるところを見ると、やや小さい城下大都のようだった。

「うわぁ……!」

「すごいな、これは」

「早く行きましょ」

 見たことのない光景にすっかりルリは寒さを忘れるほど興奮してしまい、ついに抑えきれずに駆けだした。

「……っ待て」

 もはやクロウの制止の声すら聞こえていない。

 が、丘を下ってそのまま少し走ると、無粋な男声に引き止められた。

「おい、おまえ……このあたりの者じゃないな。出身国は?」

「いくらリューズエニアが戦の及ばない土地とはいえ、こんなところまで女が一人で来るとは、どういうことだ」

 リューズエニア、とルリは心の中で繰り返した。アイスランドではなかった。もともとこの地を訪れることが目的だったのだから転移術は成功したということだ。近年独立を果たしたばかりのリューズエニアはウィンドランドの南で接する小さな国。そのわりに、魔界の北に位置するアイスランドのような気候だ。

 門番の任に就く二人の男は、ルリが門に近づくと持っていた槍を門の前で交差し、ルリの行く手を阻む。丘から見たかぎりでは、鉄で縁取られた木製のこの門以外に出入り口はないようだった。ここで揉めごとをおこせば人がすぐに集まってくるに違いない。

「何者だ、と訊いている。答えろ」

 いかにも筋骨隆々な男らが硬い声で言う。

 と、そのときだ。クロウがときたま転びそうになりながら、息を切らせてルリに駆け寄ってきた。

「待てと言ったろう」

「ごめん、聞こえなくて。声が小さいから」

 一度クロウに向けた意識を門番らに向け、ルリは例の首飾りを取り出しながら言う。

「あたしはウィンドランド出身で、こういう者ですが、なにか問題でも?」

 怪訝な態度を取っていた今までの門番たちの態度が一変した。ルリが見せたのは銀板に魔王直紋であるグリフォンが細部まで彫りこまれた首飾りだ。やわらかな日差しを受けて輝くそれは今にも動き出しそうだった。

 ルリが門にちらちらと視線を向けて早く入りたいのだということを示すと、彼らは慌ててかまえていた槍を地に置き、膝をついて礼を取る。

「申しわけありませんでした。先程のご無礼、お許しください」

「どうぞお入りください」

 これを見せるのはなるべく控えたいが、大人からすればまだまだ子供のルリが旅人だと言ったところで信じてはもらえない。国境村の宿屋がいい例だ。仕方なしに直紋を出したのだが、やはりこういった反応を見るのはおもしろい。だが、これが褒められたことではないことだというのは知っている。

「ここの領主は誰かしら」

「はっ、リューズエニア領主、ヘル様でございます」

 返答に対してルリは短く礼を述べる。外套を翻して門をくぐり街へ入ろうとするルリについていく子供を見て、門番の一人が言った。

「その子供は?」

「ああ、その……あたしの連れよ。気にしないで。クロウ、行くわよ」

 肩で風を切るように歩いていくルリを、クロウは小走りで追いかける。早く男たちの目から逃れたくて、クロウを気遣う余裕はなかった。二人が門を越えて数歩したところで、後ろにいる門番の一人が切り出した。

「あんな危機感のなさそうな子供に持たせて平気なのか?」

「直紋見せればなんでも事足りるなんて考えてるようじゃ、近々痛い目を見るな」

 国を治める強大な領主たちですら恐れる魔王が、意思を託した者。その者に害をなそうとすれば王の裁きが下る。直紋を託された者は魔王の信頼を受け、それに対して正しい知識を持つ者でなければならない。直紋を託されたならなにをしても許される、そう考える者は決して少なくないのだ。

「魔王はいったい、なにを考えてるんだ」

 無論、半分魔物の血を引いているルリの耳にこの会話はしっかり届いていた。街に入った瞬間妙に機嫌が急降下したクロウも、その原因は門番の会話にあるだろう。だが理由はもう一つ、ルリの行いにもあるようだった。

 頭から二つの男声を閉め出してからルリは歩調をクロウとあわせた。人が多くなってきた。はぐれたら面倒だ。

「嫌な奴だと思われても仕方がない。そんなものを振りかざして」

「わかってるわよ、これに頼ってちゃいけないってことくらい」

 そんなこと、魔王直紋を持っていると知った上で捕縛された昨日今日で実証済みだ。あらゆる危険から守ってくれるとは限らない。王に反感を抱く者であれば直紋など気にせず襲ってくるだろう。

「……わかってるわよ」

 わかっている。でも、それを行使しなければ先へ進めないこともわかっている。これから直紋を見せびらかすような機会が少なくなっていけばいい。



 街には大きな荷物を背負ったたくさんの人がいた。自分の身体よりも大きな荷物を持った者もいるのではないだろうか。これなら先ほどの大男もこの地にいそうだ。ほとんどの者が家をひっくり返したような量の荷を持っているから、それだけの情報で男の所在はつかめないだろうが。まあ、彼のことはもういい。人のいる場所へ行くために追っていたに過ぎないのだ。

 行き交う大人は皆防寒具を身につけ、子供はちょっとした上着を羽織って元気に走り回っている。石畳を歩きながら談笑する人々。あちこちに置かれている鳥を模した石造。寒さにも強い花、という看板を出している花屋。古ぼけた、けれどもきちんと手入れされている宿。休憩用の椅子に腰掛けた若者たち。

 それらは大戦を忘れさせるほどだった。ほんの少し前までは司令部の暗い牢に入れられ、建物が崩れるというようなところにいたルリにとって、その光景はまぶしかった。思わず歓声が漏れる。

「素敵ね。あたしこういうところに来たの初めて……でもなかったかしら」

「ファイアーランド領だったわりには寒いな」

 クロウのその言葉でルリはぼんやりと思い出した。この景色は見たことがある。以前、来たことがあった。

 春の街、リューズエニア。ルリは母とともに、ファイアーランド領だったころこの街を訪れたことがあった。幼いころの話になるため鮮明には覚えていない。美しい光景が断片的に記憶にあるくらいだ。あのころは優しい陽の光が降り注いでいた。舞うのは雪ではなく蝶、街から少し歩いたところにある丘ではたくさんの生命の息遣いが聞こえ、穏やかな風で若草が音を立てて揺れていて。

「ファイアーランド領だったわりに、って?」

「……八年前に独立したなら、まだファイアーランドの影響が残っているはず」

 人の口から聞くくらいだが、火の国であるファイアーランドは火山活動が活発で昼夜を問わず蒸し暑いという。そんな国の支配下にあったはずなのに、なぜリューズエニアは寒いのか、と言いたいのだろう。ルリも似たようなことは思った。どうして春の街が冬の街になったのだろう、と。少し考えると答えが出た。

「ここの領主がファイアーランド領主を凌ぐ力を持ってたってことじゃないの? 影響も残さないほどの」

 二人が三つめの像を通り過ぎると、街灯に火が入った。もう夜になっていたのだ。日が落ちはじめてからは夜の来るのが早い。

「さあさ、そこの旦那も兄弟も、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。白羽黒紋の珍しいスフィンクスだよ!」

 素知らぬ顔で見世物屋の前を通り過ぎようとしたクロウは立ち止まってルリの外套を引いた。どうしたの、と問いかけると彼は少しばかり俯きながらある一方向を指差したので、ルリが背伸びしてすでに人だかりのできたそちらを見る。人と人のあいだから、小鳥でも入れるような籠が見えた。その中には黄金色の子猫のような生き物がいる。

 あれが珍しいという売り文句の白羽黒紋のスフィンクスか、とルリは思った。情のある者なら誰だってかわいそうと思うだろう、ちぢこまって怯えている様子だった。

「しかもまだ子供! 買うってんならお安くしときますよ」

「いくらだ?」

「そうですねぇ、まあ、ざっと……こんなもんですかね」

 集団から低いどよめきの声があがった。反応からして、安いと言っておきながらかなりの額が提示されたようだ。

「ああ、その程度か。ならこれで足りるだろう」

 声に動揺の色が一切見られない買い手は相当な富豪らしい。机の上になにか重い物をのせ、売り手のほうはその中身を確認すると、ぎょっとしたように声をあげた。

「たしかに。ではさっそく出しましょう」

 剣の交わるような高い金属音がかすかに聞こえた。鍵をいじっている。スフィンクスを入れておくのだ、ただの鳥籠でないことは当然だった。

「買い手も決まったみたいよ。あたしたちにあれを買い取るなんてことはできないし。ほら、寝る場所を探さないと」

 ルリがそう言うと、クロウはルリの外套を掴んでいた手を握り締めた。

「……クロウにも子供らしいところはあるのね」

 ルリとてあの売人や買い手からスフィンクスを逃がしてやりたい。だがそれをする勇気など持ちあわせていなかった。用もないのにスフィンクスを買って最低の生活をする気にもなれない。

 クロウは渋々、握ってた外套をなにも言わずに離して歩きはじめた。そして街を歩く人の流れに乗ったものの、立ち止まって名残惜しげに商人のほうを振り返った。

「ちょっと、クロウ。急に止まらないでよ、見つけるの大変なんだから。手でもつなぐ?」

 つられてルリも振り返る。

 開けられた籠の中は空だった。かといって、買い手らしき人物の腕の中にいるわけでもなかった。むしろ、スフィンクスを手に入れたとなれば満足な表情をしているのが普通だというのに、その男は怒り狂っていた。人ごみに紛れているのでよく聞こえないが、なにごとかわめいている。

 ふとクロウの豊かな髪がなびいた。クロウにはその風が下から来たように感じたようで足元を見た。同じようにルリも目を走らせるが、なにもない。だが視界の端で素早く移動するものがあって、あ、と自分のものともクロウのものともつかない小さな声が耳に入った。

 せわしなく行き交う人々の足をうまく避けながら走っていく黄金色の生き物は、先ほどのスフィンクスであった。どうやら、鍵で籠を開けた隙に逃げ出したらしい。これだけ早くてはおそらくもう捕まらないだろう。

「あれは……うまく逃げたみたいね。よかったじゃない」

 二人は安堵のため息をつき、本日の宿屋を探しはじめる。街の奥へ奥へと進んでいくにつれて人も少なくなり、やっとのことで見つけた宿屋で一夜を明かすことにした。

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