2-4.地下牢の夢
「殺すべきだ」
物騒な一言は、会議室の中のものだった。数人の男たちが小部屋に集まり、深刻な面持ちで話している。
「いや、待て。仮にも領主の娘だぞ? しかも魔王直紋を持っているというではないか。そんな娘を殺せばどうなるか」
「しかしながら、我々にも体裁というものがあります」
これらの声は、会議の内容が漏れぬよう造られた室の壁に遮られ、外部に聞こえることはない。
「軽んじられるような行動は慎むべきだろう。そうは思わぬか?」
「だがあの子供のほうは処刑するべきだと。王城侵入。罪状は明らかだ」
書類をぱらぱらとめくる音。その言葉には、この場にいる全員が頷いた。領主からの言葉があるならまだしも、子供だからといって減刑する必要などなかった。
「それで結局のところ、女のほうはどうする?」
それを受け、ここに集まっている男たちと比べれば明らかに細身の男が言う。
「どう思いますか、大将軍?」
戸から一番遠い位置に座った大将軍と呼ばれた男を、彼らは一斉に振り返った。
どうも頭がはっきりとしない、とクロウは思った。もやがかかっているようだ。ここはどこだろう。
もやの向こうに人がいる。しかし、この小さな身で十歩と歩かない距離にある人の顔が、見えない。
自分のすべては彼からはじまった。自分の名前をくれた。生きる意味を、自分の存在理由を教えてくれた、自分にとって絶対の存在。この人なくしてはきっと今の自分はありえない。だがそう感謝する一方で、彼などいなければよかったのにと憎む心もある。
ずっと一緒にいたいと思っていた。しかし、あの日々はもう戻ってこない。今となってはどうでもいい話だ。すでに懐かしむ程度のものになってしまった。
その人の表情をようやく読み取れたとき、クロウは気づいた。これは夢だ。
彼の元へと駆け寄るとともに、己の口から言葉がもれる。
待て。今、自分はなんと言っただろう。自分で言っているはずなのに、その言葉がわからない。それでも彼を見るかぎりではきちんと伝わっているようだ。
瞬きの後に目にしたのは盛大に行われる葬儀だった。国中のすべての者が集まっているのではないかと疑問に思うくらい多くの参列者がいた。自分はそれを物陰からひっそりと見つめているのだ。どのような事情があろうと決して人前に姿を現してはならない、と強く言われたのをよく覚えている。
重い雰囲気に耐えられる自信がなく、あの人の眠る棺を背にしてこの地を発った。その際、誰かに抱きしめられたような感触があったのは気のせいではない。
肩の辺りが濡れているのを感じて、たたでさえ寒いのにどうして濡れているのだろうと思いつつルリは目を覚ました。クロウを抱き寄せているため、右腕は彼の身体の下だ。彼女は左腕を持ち上げて、ゆっくりした動作で目をこする。それでもまだ頭がぼんやりしているのは仕方がない。
「……クロウ?」
ルリの肩が濡れていたのは彼のせいだとすぐにわかった。閉じられた目から溢れ出てまなじりを伝う涙のせいだ。
「クロウ、どうしたの?」
まだ彼は静かに眠っている。怖い夢を見ているのなら、起こしたほうがいいのだろうか。だが、クロウの表情からして恐ろしい夢を見ているとは考えづらい。クロウは今までに見たことのない、穏やかな顔をして涙を流していたのだ。しかしそれが嬉し泣きのようにも思えない。
「悲しい夢でも見てるのかしら」
ならば必ずしも起こしたほうがいいとは限らない。それが悲しい過去の再生であっても、夢でしか会えない人物はいるものだ。
またうつらうつらと目蓋が重くなってきたとき、かつかつと硬質な音が威圧するように地下に響いた。急いでいるような足音は唐突に止まる。
「起きてるか?」
「誰……?」
「おれだ。さっきまで一緒だったろう」
ぼうっとしていたルリは一気に覚醒した。
格子の向こうからこちらを覗き見ているのは、ルリたちをこの建物までつれてきた赤い髪の男だった。中途半端にひげを生やしたあごに手をやりながらにやついている。酒と女が好きそうな顔だ。
ルリはクロウを目覚めさせないように彼の下にあった腕を抜いて上半身を起こした。
「なにか用でもあるの? こんなところに放りこんでおいて」
「逃がしてやりたいのはやまやまだが、そうするとこっちの身が危ないんでな。面倒な命令だ」
彼は肩をすくめ、このような状況下でなければ親しみやすさすら感じるだろう口調で言った。優位に立っているからこその口調ともいえる。
「まあ、質問に嘘偽りなく答えてくれれば、逃げ出す機会を作ってやらんでもない。どうする?」
「答えられる範囲なら」
男は彼自身がやってきたほうをちらちらと見ながら胡坐をかいて口を開く。外が気になる様子だ。
「領主はどうしてる? 彼の娘だろう、これは知っていて当然だな?」
知っていたのか、とルリは瞠目した。しかしながら、考えてみれば混血児の数などたかが知れている。ウィンドランドで生活しているという条件で少し調べればわかることだ。そう驚くべきところではなかった。
「父様となにか関係でもあるの?」
「やつの娘は、質問に質問で返すような、礼儀も知らない娘だったのか」
「……北西の国境あたりで陣を構えてるんじゃないかしら。アイスランドとごたごたがあるって言ってたもの」
「まだ生きているのか?」
「あたりまえでしょう。そんな……もし亡くなっても、すぐ連絡が来るわ」
それを聞いた男は軽く息をついた。やはりまともに目もあわせずに外のほうをちらちら見ている。
何度も見るほど外部が気になるのなら、このような場所になど来なければいいのにとルリは思った。今はルリのほうが立場は低いのだから自分のところに来させるという手がある。それをしないということは、あまり地位が高くないのかもしれない。しかし、ここに連行するまでは先頭を一人馬に乗っていた。
「領主が向こうにいるということは、この国が相手をしているのはアイスランドだけなのか?」
「そうよ。セントラルランドは忙しいみたいだし、なにより魔王陛下がいらっしゃる。サンドランドは弱国だから戦わないって。ファイアーランドは海の向こうだもの。こっちもあっちも簡単に手出しできないわ」
「そうか、いいことを聞いた。リューズエニアは?」
「あそこはまともに戦えるような力なんて持ってないわ。そうでしょう?」
独立したばかりの小さな国にウィンドランドが揺さぶられるなどと。
言外にそう言うと、赤髪の男は感心したような表情をした後、用事は済んだとばかりに立ちあがって出ていこうとする。ルリはそれを格子のあいだから腕を伸ばして引き止めた。
「ちょっと待ってよ。逃げる機会っていうのは?」
「おまえたち二人の処刑が決まった。そのときにちょっとした騒動が起こるだろうから、騒ぎに紛れて勝手に逃げればいいさ」
「そんな……処刑って」
「ああ、一つ言い忘れていた。おれが来たことは誰にも言うな。もし言ったら、どこに逃げようが必ず捕まえて、磔刑にしてやる」
他人を見下すその目は憎悪を含んだ色をしていた。
朝だろうか。二人分の軍靴を鳴らし、地下への階段を下りてくる者がいた。
「おいおい、こいつら仲良く寝てるぜ? 姉弟かっつーの」
「起きろ」
眠りの浅かったクロウはその声ですぐに目を覚ました。ルリに抱きしめられているこの状況にぎょっとして、慌てて身を離してから彼女の身体を揺する。恥ずかしくなるほど名前を連呼したころ、ルリのまぶたがすっと開いた。
「やっと起きたか」
ルリがやっとのことで目を覚まして上半身を起こすと、不機嫌そうにこちらを見つめるクロウの姿が目に入った。機嫌のいい彼の姿はおそらく見たことがない。
「もう、なんなのよ。普通に起こしてくれればいいのに」
どことなく気まずそうにクロウはルリから視線をはずすと、それを牢外に向けた。ルリもつられて同じ方向を見る。
兵が二人。兵士というのはこうにも人相が悪いものなのか。夜中に質問をしたいがためにルリを起こした男も善人のするような顔はかけらもなかった。その険しい顔や言葉遣いを改めれば民衆も彼らのことを悪く言わないのではないだろうか。
「なんだよ、文句でもあるのか」
「黙れ低能。出ろ、おまえたち二人の処刑が決まった」
まさかそんな、とクロウは目を見開いた。
「聞こえなかったのか。処刑が決まったから出してやる、と言ったんだ」
兵の一人は冷静にそう言った。
普段のルリならば外に出してもらった隙に脱走を試みるところだが、魔除けが施されているせいか、寒気はするし眠ったのに身体はだるいのでそんな気にはなれない。クロウは平気と言うが、それで逃げてもルリが足手まといになる。
血の契約をしてしまったからには、どういう事情であっても共に行動しなければならない。血の契約は、運命をともにするということだ。片方が死ねばもう片方も死ぬ。クロウはあのとき、血の契約を結ぶことによって命を懸けてともに旅をすると示したのだ。もっとも、大人びているわりに抜けているところもあるようだから、その意味をよくわかっていなかっただけかもしれない。
「あのー、ちょっと言わせてもらえませんか?」
ルリは少し丁寧に頼むと、低脳呼ばわりされた男のほうが、渋る男にこう言った。
「外に出さなきゃそれくらい、別に悪いことじゃないだろ?」
「仕方ない。手短に言え。言いわけくらいならさせてやる」
「はい、ありがとうございます」
偉そうな態度のあの男、処刑の騒ぎに紛れて逃げるようにと言っていたがそれを信じていいものか。そう考えたルリは少しでもその処刑とやらを先延ばしにしようと行動した。
「それで、王城に侵入したっていうこの子が処刑っていうのはわかりますけど、でも、あたしは秘宝を探すという陛下からの命令を受けているんです。なのにどうしてあたしも処刑されなければならないのですか?」
「そんなもの知らん。処刑のときは上層部がいるはずだ。それはそのとき言ってくれ。上の考えは俺たちにはよくわからん」
冷徹そうな男はうんざりしているようだった。どうして、どうしてと質問されるのは気にくわない様子だ。
「……いいんですか? ウィンドランド領主の娘であるこのあたしを処刑しても」
近年独立したリューズエニアは除外されるが、この魔界には七つの国があり、それらは七大国と言われている。その国の中に街や村、城下大都があるのだ。国には序列が存在し、頂点はもちろん王のいるセントラルランド。その次にゴーストランドがくるのだが、その国の多くは知れられておらず戦にも参加していないため抜きと考えると、セントラルランドの下はウィンドランドとなる。
ルリの言葉は、セントラルランドの次に権力を有すウィンドランドの領主の娘を殺してもいいのかという問いだ。勅書や父の言葉があるならまだしも、一介の兵士はおろか大将軍だって殺すことはできないはずだ。
「これは上の決定だ。決定は覆らない。どんな災厄が降りかかろうと、不本意ながら、たいした権力もないおれたち兵士に文句は言えない」
「そういうわけだ。この鉄枷をつけろ。そうしたら外に出してやる」
言って彼らは鉄枷を放り投げた。ルリは観念し、牢に投げこまれた鉄枷を両手を前にしてはめた。ふとクロウを見やると、鉄枷をつけながら思いつめた表情をしていた。いざとなったら自分が契約を破り、裏切り者として死んででも、いや、なにがなんでも二人で生きて脱出すると。子供にどうしてそんな表情ができるのか、ルリにはわからなかった。
「枷はつけたな? よし、出してやる」
男の持つ鍵によって鉄格子の一部が開いた。二人はそこを抵抗しようともせず従順にくぐって外に出た。
牢内とは違い、一歩踏み出すだけでそこは明かりに満ちていた。牢の内から外を見るのはなんとも思わなかったが、外側から内部を見るとまるで世界が違った。隔絶されている。
そこで偶然ルリは今まで入っていた牢の奥のほうにある白い塊を見てしまった。ここで朽ち果てた者の骨だろう。隣の牢からはなにかを求めている血の気のない腕が出ている。限界まで伸ばされた肉の削げた手は宙をかき、虚空をつかむ。さらには呻き声が聞こえた。これは人間の耳ではきっと聞こえないだろう。
抵抗しようともしない二人に気をよくしている兵士に続き、ルリとクロウは地上へとつながる螺旋状の階段をのぼった。