それは姉上に知らせぬこと 前編
本編48~49の間くらいの話です。
「協力?」
夜も深まり、一日にするべきことを終えて相方と二人自室で落ち着いた頃を見計らったように私的に訪れた年嵩の幼なじみを見て、ツァルト国の皇太子エセルは呟いた。
父国王がもっとも頼りにしている親友にして側近の息子は彼とは少し年が離れていたが、一応それなりに近しい距離で育ってきた気が置けない仲だ。
「ぜひとも、お願い致したく」
真剣な顔で頭を下げる次期ルガッタ公爵であるアルトベルンを見る自分の視線はさぞ胡散臭いものを見ているようだろうなあと、エセルは思った。
アルトベルンを挟んで正面でカップを傾けている自分の片割れであるリックがまさにそのような眼差しであったので間違いない。
エセルたち兄弟は王族であるので、もちろん他の主要な一族の子女たちとも関わり合いがあるが、その中でもアルトベルンとは特に親しい部類だ。
その理由は祖をたどれば王族に行き着くルガッタ家は代々文官として重用されている一族であるというのが一つ、それ以上に重要なのは病気という名目で長らく不在であった姉と幼い日に親しくしていたという親近感が一つだろう。
姉を慕うエセルたちにとって幼き日の話であっても姉のことであれば何度でも聞きたいことであったし、同じ話を要求されてもむしろ喜々として繰り返し語ってくれた彼に親しみを覚えるなという方が無理だった。
「お前がそんな風に言うなど珍しいな」
当然上っ面だけの付き合いではないので、お互いの性格をよく知っているつもりである。
年上のアルトベルンが協力を求めてくるなど、これまで一度としてなかったのではないだろうか。
優秀かつ抜け目のない彼は、基本誰の力も借りずに何事もこなすというのがエセルの認識だ。リックに言わせると、「それと悟らせずに巧みに周囲を使うんですよ」となる。
とにかく真っ正面から事に当たりがちなエセルにとってはその手腕は見習いたいところだが、実際問題出来る気はしない。
殊更姉を溺愛している父を籠絡して素早く婚約まで持っていった手腕は、とても真似できる気がしなかった。
「姫さまと想いが通じましたので、婚姻の許可を賜りたく――」
などと。
彼が言い出したのは突然だったが、いつそうなってもいいようにあらかじめあちらこちらで手段を講じていたのだろう。それが次々に芽吹くように効果を現して、渋っていた父は折れることとなったのだ。
「やはり城にいられないなどとどこぞに飛び出すよりは、ルガッタ家に嫁いだ方が、安心だな……」
父は時折自分に言い聞かせるようにそのようなことをぶつぶつぼやいているから、納得しきってはいないのだろう。
だが、少なくともエセルとリックにとっては納得がいく縁組みだった。
かつて騎士になりたかった少年の心を無邪気に救いあげたことで、姉は彼の忠誠を手に入れた。
はじめ、それはきっと恋や愛などではなかったのだろうけれど。
半ば執着にも似た忠誠心はそう時を経ず変化したのだと思う。
――でなければ、かつて従兄が来た折りに牽制のために彼はあんな行動には出なかっただろう。
アルトベルンが病を得て遠方にて療養していた王女に執心していたのは、ツァルトの貴族ならば誰もが知ることだ。お飾りの騎士の位を盾に「私は姫さまの騎士ですから」などと数ある縁談を断っていた人だ。
であるからして、ツァルト王城内では姫さまの忠実な騎士がそばに侍るのはごく当然のことと目されていたのだが、アルトベルンはそれをいいことにボーゲンシュット側に「王女と騎士が恋仲だ」などと誤認させたのだ。
従兄は女好きではあるが、横恋慕をするような人ではない。
事実はともあれ、従兄の魔の手から姉を守ることに誤認は大きな効果を発揮したのだが――どこか釈然としなかった。
身分も責任感もある人なのに、あまりに不用意な行動をとるなと思ったのだ。
他にも詰み上がる違和感に名前が付けられないうちにいつの間にやらアルトベルンは姉の心を手に入れていて、そうなるとなるほどと得心がいった。
お似合いだと思った。
父は姉を嫁に出さない勢いで大事にする構えを見せていたし、母などはそれに協力する様子だったが、それで姉が幸せになれるとは思えなかった。
城に戻って以後、慣れない環境に塞ぎがちだった姉が時を経て生き生きしてきたのはきっと彼のおかげだ。
仮とはいえ騎士としての立場と疑いようのない優秀な文官の手腕でもって、アルトベルンはなにくれとなく姉のために動いていた。
例え他に姉に思いを寄せる男がいるとしても、彼ほど献身的な人間はそうはいまい。加えて、姉が気にする出生を知りかつ気にしないのだから文句の付けようがなかった。
それを悟りつつも渋る父に「姫さまが城を去ろうとして考えていたあれこれ」を吹き込んで、最後は折れさせたのだそうだ。
新しく得た趣味に夢中になっていると見せかけて、姉が裏では諦めず城を去ろうとしていたということを知ったのはショックだったが、それをのらりくらりと宥めたアルトベルンの功績は大きい。
姉の気持ちさえ確かならばこれ以上の良縁はない。
このように私事では一番難関の父の反対さえ自力で退けたアルトベルンが、わざわざ私的に訪問して何かの協力を願い出るなどなかなか考えがたい。
だからといって私的な訪問で仕事の話をするのは彼の主義ではないだろう。
エセルの王太子という身分も、リックの王太子の双子の弟という立ち位置もともすれば煩わしいのだが、国王陛下の親友にして側近の筆頭公爵家の当主の後継の立場も相当煩わしい。
困難があるからと一度でも個人的に親しい王子に協力してもらってそれを乗り越えれば、周囲の視線が鋭くなり過ごしにくくなるはずだ。
だからこそ彼はやっかまれぬよう常に自力で仕事に当たっている。
なのに何故だと考えても、正確な答えは出そうになかった。
「姉上に関わることか?」
とはいえ、私的に彼が何か求めるとすれば、自ずと答えは絞れる。
「我々が姉上のことで協力できるようなことなどそうはないが」
ある程度答えは絞れても、それで協力を要請される意味はわからなかった。
「姉上のことであるならば、自分で何とかした方が早いんじゃないでしょうか? 残念ながら、僕たちはまだ貴方ほど姉上に慣れていただいてないようなので」
エセルの出した答えをさらりと否定するようなことを言ったリックは、
「正妃のお子さまが魔女の血を引く姉にこれほど懐かれるのはおかしいという疑惑がなかなか晴れないのでしょう」
しれっと応じたアルトベルンを軽くにらんだ。
「半年以上好意を余すところなくお伝えしていたはずなんですが、まだなのですか?」
「姫さまは心配性ですから」
「その心配性の姉上をどうやって貴方が籠絡したのか、実に気になります」
片割れの言葉にエセルも同感だった。
言われたアルトベルンが冷静な表情を崩したものだから、珍しいと双子はひそかに視線を交わす。
「それは――私が姫さまの生涯で初めて、明確に好意をお伝えしたからではないかと」
「は?」
「自分を魔女の娘と知ってなお好意を伝えた私にほだされたのだというようなことをおっしゃっておられました」
「その言い方ですと、他の者が姉上に好意を伝えても同じようにほだされてもおかしくないということになりませんか?」
「可能性としては高いのではないかと」
リックの言葉を聞いて想像したのか、アルトベルンは冷静に応じながらもわずかに眉根を寄せる。
「あまり想像したくはありませんが――もっとも、それだけでお心を預けていただいたわけではありませんよ?」
「お前は姉上のためならばどこまでも献身的に動くからなあ」
エセルはしみじみと呟いた。
職務上は国王をはじめとする王族の手足となって勤勉に働く次代の国王の側近候補だが、私的な場面では案外そうでもない。
彼が常に全力を尽くすのは姉のことのみではなかろうか。
「お前ほど出来た男に献身的に尽くされたら、そりゃあ心も傾くだろうさ」
エセルは納得した心地だったが、
「アルトのことですから、純粋な姉上を上手に手のひらの上で転がしたのでしょう」
リックはどこか疑う様子だった。
「まさか。あわよくば、城を遠く離れることを諦めた姫さまに我が家にお越しいただければと考えてはいましたが、それを狙って行動したつもりはありません」
「それこそまさかでしょう」
あわよくば、などと言っている時点で怪しいとリックは主張したそうだったが、そこでいったん口をつぐむ。
「――よいのですけどね。姉上には絶対に幸せになっていただかなくてはなりません。市井に混じって暮らす考えを姉上はお持ちだったようですが、あの人付き合いが苦手そうな純粋な人がうまく過ごせるわけがありませんから」
ひどいリックの言いぐさだったが、男たちは揃ってうなずいた。
「その姉上がご自身納得の上で公爵夫人に収まって下さるのですから、文句を言ってはいけないのでしょう。他にも姉上を任せるに足る者はいないわけではないでしょうが、その中に姉上の気にする魔女の血のことを気にしない者はいるかどうか」
「秘密を知るものをいたずらに増やすのも問題があるしな」
双子は顔を見合わせて、この縁談が間違いないと改めて思った。
「それを明かさずして姫さまが本当に心許されることはないでしょうから、敵はいませんね」
アルトベルンは余裕を持って笑う。
「半分血がつながっている俺たち弟にも、もう少しくらい心を許してくれてもいいと思うんだがなあ」
それを見て思わずエセルはぼやいてしまう。
「殿下方はお三方揃って姫さまにお会いになるのが悪いんですよ」
「どういう意味ですか?」
「姫さまは自分とは違ってずっと一緒に育って仲の良いご兄弟と、どのように接していいのか未だ戸惑っていらっしゃるのでしょう」
リックはなるほどとうなずいてエセルを見る。エセルもまた納得した様子だった。
「しかし……姉上に会える時間を分断するのはもったいない」
「そうですね」
年頃の王子ともなればそれなりに毎日多忙だ。双子であるエセルとリックは毎日ほとんどの行動を共にしている。
だから姉に会うことの出来る貴重な自由時間をずらすことは難しかった。
「殿下方はどうしてそこまで姫さまがお好きなんですか?」
アルトベルンはそれを見て不思議に思ったようだ。
「確かに昔からお二人とも姫さまに懐いていらっしゃいましたけど、毎日交流をもつほどこだわる必要はないのでは?」
「それを近頃は一日と欠かさないで姉上のご機嫌伺いに励むお前に言われたくはないな」
エセルの鋭い指摘にアルトベルンは低くうなった。
「いや、それはそうなのですが――私など、妹と同じ屋敷に住んでいても時には会わない日がありますよ」
「それは貴方がたがずっと共に育ったからでしょう。僕たちには長く断絶された時がありましたから、これまでの分もしっかりとした関係を築きたいのです」
「その必死さの理由がわからずに、姫さまは引きがちなのだと思いますけれどねぇ……」
アルトベルンは呆れた様子だったが、彼にはわかるまいとエセルは思う。
冷めた様子で頬杖をつくリックも、おそらくは同じ心地だろう。
ほとんど同時に母の腹から出てきた相方でも、性格は一緒ではないし考えが違うこともままあったが、こと姉のことに関して言えば思うところは一致しているとエセルは認識している。
――姉に好意を持つようにして自分たちは生まれてきたのだ、などと言えばアルトベルンはどうするだろうなとふと疑問に思うが。
それこそ秘密を知るものをいたずらに増やすわけにはいくまい。
「皆さまの好意はうれしく感じていらっしゃるようですので、時間をかければ姫さまもお慣れになるのではないでしょうか」
アルトベルンは意味ありげに視線を交わす双子のやりとりを気にかけた様子だが、問うても答えが期待できないと判断したのか無駄口は叩かない。
「それなりに時間はかけたつもりなのですけど」
リックはため息混じりにぼやいて、
「それで結局何に協力すればいいんですか?」
続けて投げやりに問いかけた。
「国王陛下の説得を手伝っていただけないかと思いまして」
応じたアルトベルンはどこか決まり悪そうに見える。
「父上の説得、だと?」
「まんまと姉上と婚約しておきながら、この上何を説得しろと言うんです?」
「早めに動かねばいつまでも挙式に至らないと思うんですよね……」
呟くアルトベルンはいつになく気弱だった。
「時間をかけろと言ったその口で、姉上をすぐにかっさらうとのたまうのか?」
「最大限急いでも、準備に一年はかかりますよ。その準備も陛下のご決断がなければはじめることすら出来ません」
エセルの怒気をアルトベルンは冷静にいなす。
「姉上の婚約騒ぎだけでも気落ちしている父上に、引き続いてさらに挙式を迫るとは酷だと思わないのですか?」
「ですから殿下方に協力を願い出ているのです」
「僕たちが口添えして、父上が納得すると思うんですか」
「婚約のことも渋々納得した様子だからな。本気で嫁に出す決断できるまで、それこそ数年かかるんじゃないか?」
「それでは困るのです」
やんわりと断ろうとするリックにエセルも呼応したが、王子二人を前にアルトベルンは一歩も引かない。
「姉上と二人きりになれなくなったからか?」
エセルは思わず半目になる。
「品行方正で忠実な王女の騎士の名と義理とはいえ従兄という立場を生かして、姉上とよく二人きりになっていたものな。姉上が病み上がりだって建前がなければよからぬ噂が蔓延していてもおかしくなかったぞ」
「実際のところ王女と騎士の純粋な恋物語が、まことしやかに流れましたよね。うまいこと侍女を誘導したんでしょう?」
エセルの言葉を援護するようにリックが続けてきた。
「否定はしません。姫さまによからぬ噂があがるのは避けねばなりませんでしたから。あの方はあまり人に慣れていらっしゃらなかったのです――事情を知らぬ者ばかりに囲まれていては気が休まる暇もなかったご様子で。私というはけ口でもなければ、鬱屈が極限までたまっていたでしょう」
アルトベルンは双子の攻撃をするりとかわす構えだ。
「どこから姉上に忠誠心以上の感情を抱いたかは知りませんが、婚約にあたって上手にその噂も利用しましたよねええ」
それが姉のためだったと言われればエセルは攻撃の手を緩めざるを得ないが、リックは言わずにはいられない様子だ。
「姫さまのお心を頂けたのならば、使えるものは何でも使って事に当たる所存です」
「それでお前は、姉上を敬愛する弟まで使おうって言うのか?」
エセルが思わず突っ込むと、アルトベルンはためらいもなくうなずいた。
「私にとっては姫さまと婚約が叶っただけでも身に余る光栄です。常に他人の目があり二人きりになれずとも、向かい合って言葉を交わすだけでも満足なのです。新たな関係に戸惑い、侍女たちの見守るまなざしに恥じらう素振りを見せる姫さまも大変愛らしくていらっしゃる」
ふっとアルトベルンは目を細める。
「じゃあ、しばらくそれで満足していればいいではないか」
「いいえ」
同性のエセルから見ても色気のある眼差しは姉を思い起こしてのことだろう。のろけにきたのかとしらけた気分で冷たく言い放つと、彼はすぐさま真顔に戻った。
「私としては、しばらくこの状態でも問題はございません。恐れ多くも国王陛下が公に知らしめた婚約をこの先翻されることは、私が大それた失態を犯さぬ限りないと知っております。しかるべき時に婚儀がかなうのですから、いくらでも待ちましょう」
「その言い方ですと、姉上がすぐにでも結婚したいとでも? あの人はあまりに早く婚約が整ったこと驚いているばかりだったと思いますが」
「姫さまはまだ現実感が沸いていらっしゃらないようです」
「ならば何故急ぐ?」
エセルとリックが二人がかりで睨みつけても、アルトベルンは動じない。
「今はまだ現実感がない姫さまは気付いていらっしゃらないようですが、この半年姫さまは私に本音を語ることにより鬱屈を晴らしておいででした。今では侍女にある程度気を許しておいでですが、それでも侍女たちには語れぬことがあるのですよ」
「どういうことだ?」
「いずれ我に返った後、気心知れているとはいえ姫さまの正体を知らぬ侍女達の前で語れぬことの多さに、気を病まれてしまわないか心配なのです」
「気の回しすぎではありませんか?」
「それならそれでよいのですが」
アルトベルンは難しい顔で続ける。
公爵家に来れば王城よりはきっと気楽であると伝えたのに、娘を嫁に出したくなくて渋る父親に降嫁は無理ではないかと一人で思い悩む姫さまが予想されると。
「思いを吐露するはけ口をなくした姫さまが、勢い余って出奔すること――は、さすがにもうないとは思うのですが……先の予定が見えていればお心も安らかになりましょう」
「ううむ」
エセルは思わずうなる。弟を差し置いて姉と親しくする婚約者の言うことには一理あるように思えた。
「結局は、自分が早く姉上を自分の元に来て欲しいだけなのでは?」
「それも否定はしません。ですが――以前姫さまはおっしゃったのです。城では気が休まらないと。今では慣れてあの頃より穏やかに過ごされていらっしゃいますが、近くに侍る侍女たちに秘密を持ち続けるのは姫さまには酷な話です」
内緒話でも告げるように「あの方は隠し事にはあまり向いていないのです」とアルトベルンは続ける。
「そうですか?」
「取り繕うことはお上手ですが、優しい方ですからお心が痛むのでしょう」
双子はお互いの思考をはかるように視線を交わした。
「息子が口を出しても、あの父上がすぐに姉上を手放すとは思えないのですよねえ」
「突っぱねられて終わりという気がするな。アルト、お前の懸念が確かなら確かに憂慮すべきだが、起こらぬうちに先回りしても父上は意固地になるだけだと思うぞ」
「では、姫さまがお心を痛めるまで待てとおっしゃる?」
アルトベルンの声にわずかに怒気が混ざる。
「王家と公爵家との婚姻は一朝一夕で何とかなる代物ではありません。姫さまが吐露できない思いで鬱屈となってから動いても遅いのです。準備に奔走している間に姫さまが以前のように部屋にお籠もりになったらどうなさるのです! お心を慰めようにも、他の目があれば姫さまは全てを吐き出すことさえ出来ないのですよ」
仕事の上では常に冷静沈着で、仕事を離れてもひょうひょうとしたところのある公爵家の嫡子が、唯一感情を露わにするのは王女に関してだけだ。
「陛下が婚姻を渋っているうちに魔女の血を引く娘だとバレて、どこかに追いやられてしまうんじゃないかと思い悩んでも、お近くで慰めることも出来ないのですよ?」
「それは――いろんな意味で考えすぎじゃないか? 我らが口をつぐめば、誰がそれを知るというのだ」
「それでもそうお考えになるのが姫さまなのです」
「……仮にアルトの推測が当たっているのなら、そこまで気を回す貴方と姉上は似合いの夫婦になるのでしょうねえ」
エセルもリックも気にしすぎだろうとまともに取り合う気は起きないが、アルトベルンは引く気配を見せない。
「お二人とも、姫さまに気を許していただいていないからそんなに気楽なことが言えるのです」
「お前それは……!」
「喧嘩を売ってるんですか?」
さらりと双子が気にしていることを指摘したアルトベルンは、王子たちの怒りに触れてもひょうひょうとかぶりを振る。
「陛下の説得がすぐ出来たとしても、姫さまの降嫁までは時間がかかりましょう。それまでの間、姫さまのはけ口となれそうなのは弟の殿下方だけだと思いますのに」
「はけ口って……お前な……」
らしくないあけすけな物言いにエセルの怒りは引っ込んでしまう。
どこまでも姉のことしか考えていない男だと呆れながらも、だからこそ自分たちも認めたのだと思う。
「説得にはご協力いただけないのは残念ですが、代わりに姫さまに長い間姉君のことを慕い度々昔話をせがんできた弟君の話をさせていただいてもよろしいですか?」
「何故そうなるんですか! 内密にと約束したでしょう」
「それは説得に協力しろという脅しか?」
「いえいえ、まさか。幼い頃から姫さまを慕っていた殿下方の話を聞けば、謎の好意に思い悩んでいらっしゃる姫さまのお心も少しは安らかになりましょう」
エセルとリックは同時に「謎の好意?」と呟いた。
「以前は度々何故母の違う弟に好かれているのかわからないとおっしゃっていましたので。疎まれてもよさそうなのにそうでないのは謎だと」
淡々と答えるアルトベルンを双子は呆然と見つめた。
「姉上はそんなことをお考えなのですか?」
「毎日顔をそろえてやってくるのは好意を装った底意があるのではとお考えの節が……」
「そんなものはない!」
「存じております」
「否定は――してくれたか?」
冷静なアルトベルンを見て不安に思ったエセルが恐る恐る問いかけると、「一応は」と彼はすんなりうなずく。
「私は殿下方が真実姫さまを慕われていると認識していております、とはお伝えしました。しかし、言われてみれば父親に溺愛されている腹違いの姉に殿下方が純粋な好意を持たれているのも不思議な話ですし、どこまで納得なさっているのかはわかりかねます」
「一応は否定したが、フォローはしていないということか!」
「フォローと言われましても、姫さまに殿下方の好意をお伝えするのに最適な情報は昔お二人が私の知る限りの姫さまの話をこっそり頻繁にせがまれたことくらいですし――バツが悪いので内密にするように言われていたでしょう?」
ぐぬぬとうなるエセルを後目に、リックは考え込んだ。
「――それを明かせば、姉上は僕たちにもう少し気を許して頂けるとアルトは思うんですか?」
「幼いバートさまの純粋な好意はすんなり受け入れておいでのご様子ですので、エセルさまやリックさまも幼い頃から好意を持っていたとお知りになればあるいは、と以前より考えておりました」
「何故それを今になって言う!」
エセルは思わず怒鳴ったが、
「一度かわした約定をたやすく違えることはしたくありませんでしたから。ですが、私が姫さまの愚痴をお聞きできない今、姫さまの気がかりは一つでも減らしたいと思いまして」
アルトベルンの答えには動揺一つ見られない。
「お前は……姉上だけがよければそれでいいのか! もっとこう、早いうちに助言とかしてくれても良かったんじゃないか?」
「と、言われましても。お二人とも、姫さまがお戻りの前にものすごい剣幕で内密にするようにおっしゃってたじゃないですか。お忙しい殿下方にお伝えしたところで無駄な議論の時間が過ぎていくだけかと思いまして――今のように」
「そ、それはそうかもしれない、が……」
「いくら今も変わらず姫さまをお慕いされていても、何年も何年も思い出話をせがんでいた話を姫さまご自身に知られてしまうとお恥ずかしい気持ちは私も分かりましたから」
微笑ましいものを見る目で見られても、エセルはちっとも微笑ましい気分にはなれない。
「まさか半年以上愚直にお三方揃って姫さまに日参されて交流が深まらないとも思いませんでしたし」
「ぐぬぬ」
「ですから先ほども申し上げましたとおり昔話をお伝えした上で、一人ずつ交流を深められたらよろしいかと思いますよ? 自由時間を無駄にしたくないのでしたら、バートさまだけでも」
「バートだけ?」
「一人で?」
双子は「ずるい!」と声を合わせたが、「それが一番だと思います」とアルトベルンは取り合わない。
「エセルさまとリックさまは、ご自分たちが姫さまにとっては突然降って沸いたような弟なのだと自覚なさるべきです」
「姉上に昔の記憶がないのはとうに知っています」
「姫さまはお母上と共に人里からやや離れた小屋にお住まいであったともご存じですよね?」
「度々ファラ母上に様子は見せてもらっていたからな」
エセルがうなずくと、アルトベルンは真顔で一つうなずいた。
「そんな姫さまにとって、殿下方はよく知らない男なのです」
「は?」
「半分血がつながった弟だと言われても実感に乏しく、揃って押し掛けてあれこれ話されては緊張なさるのでしょう。あまり人と交流する機会もなかったようです。親しい友人は幼なじみだという少女一人くらいだそうですから、男慣れしていないのですよ」
「……何故それを早く教えてくれなかったのです」
リックはうめくように問いかけた。
「兄弟水入らずで交流を深めることにこだわっているとお見受けしましたから」
アルトベルンは咎める視線にもちっとも悪びれない。
明かされた真実にエセルもリックも呆然とするしかなかった。
「私もそれこそはじめはよく知らない怪しい男扱いだったのでしょうけれど、今はすっかり心を許して下さっておりますし――考えられる可能性は一対一で交流した点ではなかろうかと」
「何故それを早く言わなかったのだと!」
「実例は私のみ、確証があったわけでもございませんので」
エセルは顔をひきつらせて、「それはそうだろうがっ」と悔し紛れに叫んだ。
ずっと前に聞かされていたところで受け入れなかったであろう自分が想像できるだけに悔しさが募った。
他にも一人で通い続ける父と姉の間に未だ距離を感じるくらいだから、「じゃあそれでもなじんでいない父上はどうなのだ」と冷たくあしらったであろうなあ、とか。やりとりの想定まで出来てしまった。
ただ――短いとは言えなくなった時間姉の元に一人通い続け、その愛を手に入れた男の言うことならば、確証は持てずとも受け入れる価値はあるかもしれない。
「ふっふっふ」
不意にリックがひきつったような笑い声をあげた。
「よいでしょう。貴方がそこまで言うのならば、忠告に従ってみせましょう!」
エセルとほとんど同時にリックは結論に達したらしい。
「いいですよね、エセル」
「まあ、そうだな」
「それはよかった」
アルトベルンは安心したようににこりと微笑んだ。
それを見るリックの眼差しがすさんでいたので、エセルはきっと自分もそうなのだろうなあと現実逃避しつつ思うのだった。