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フィーアが色々なことに折り合いを付けながら過ごしているうちに、あっという間に婚約から一年の時が過ぎた。
その一年間はそのまま、フィーアの父と婚約者の戦いの歴史でもあったようだ。
身近に取り戻した愛娘をすぐには嫁に出したくない国王陛下はしぶるだけしぶり、そんな国の権力者に姫さまの精神衛生上という名目を盾にすぐにでも婚儀をあげたいアルトベルンは正面から挑みかかったらしい。
往生際が悪い国王を言いくるめるのに、さすがのアルトベルンも苦労したようだ。
「昔から当家によくお忍びでおいでだったのですから、これまで通りいつでもお越し下さいと何度申し上げても、同じ屋根の下でいつでも会えるのにはかなわないと――」
時々似たようなぼやきを漏らしていたのだから、間違いない。
ただ、常識的に妥当な婚約期間を経てからの婚儀の日付を最終的にもぎ取ったのだから、きっと最後に勝ったのはアルトベルンなのだろう。
その日は、朝からよく晴れていた。夏が過ぎてすぐ、まだ寒さは遠いすがすがしい秋。
朝ご飯もそこそこにフィーアはたくさんの侍女たちに囲まれていた。
マリアベルとシャーロット、それから以前王女付きであった侍女たち――彼女たちに寄ってたかってああでもないこうでもないと、かしましく飾りたてられている。
「あのー、前に試着したとおりでいいんですけど」
ぼそりと呟くフィーアが身にまとうのは、白い婚礼衣装だ。
シンプルでいいとするフィーアの主張をもってアルトベルンが挑んで破れた、国王陛下の意志を反映した豪華なもの。
多少は主張を汲んでくれたようでこれでもかと宝石で飾りたてるようなことは避けてくれたが、手触りの良い上質な絹地にはフィーアの手に寄るものとはけた違いの職人技による見事な刺繍があちこちを彩っている。
布をたっぷりと使ったドレープを見れば、「これこそがお姫さまが結婚式で着るドレスよ!」と幼なじみであれば狂喜乱舞するだろうなと、フィーアは思わず遠い目をしてしまう出来である。
着るだけで肩が凝る衣装を着せられ、頭には精緻の凝らされたティアラを乗せられる。
顔を覆うベールの下はいつも以上に粉が塗りたくられ、鮮やかな紅が刷かれた。
まじまじと自分で鏡を見ても濃いようにしか思えなかったが、遠くから見ると映える出来なのだと口々に侍女たちに言われれば、フィーアはすごすごと引いて納得するしかない。
動けばずれるであろうドレスの裾の広がり方や、ティアラの位置、結い上げた髪の後れ毛などを侍女たちはいつまでも直したいようだ。
国王陛下の訪れを告げる声を聞いて、名残惜しそうに侍女たちは離れていく。
「おお、フィーア!」
扉を開けた瞬間に叫んだ国王は隣に母を伴っていた。
「いつも以上に愛らしく、美しいな!」
「ありがとうございます」
手早く人払いをした国王は足早にフィーアの元に駆けてくる。
「私の娘なんだから当然さね」
嘆息混じりにその後を追いながら、ファランティアがさらりと言ってのけた。
「ああ……あの時のファラはただ美しかったな。フィーアのために愛らしさ優先でデザインさせたが、ファラの婚礼衣装を直して着せても似合ったのではないか? いや、あまりサイズは変わらないように見える――直さずとも着れるのではないか?」
「お前、この土壇場で衣装を変更するなんて無茶言い出すんじゃないだろうね?」
「色直しに一着追加なら不可能じゃないと思うが」
呆れた顔でファランティアは夫の頭を叩いた。
少しずつ関係を改善させていった両親は、いつもこのような調子だ。一国の主ともあろう人が、はたかれたところでにこにこしている。
「うむ、まあ、あの小僧のためにこれ以上着飾らせることもないか」
そううそぶいて諦めた様子の父は改めて娘を見つめる。
「フィーア――可能ならば私の手元でいつまでも大事にしてやりたかったのだが」
「無茶言うんじゃないよ」
「そうだな、どだい無理な話だ」
茶々を入れる母に父は真顔でうなずいた。
「娘を愛する父としては非常に悔しいが、アルトベルンはできた男だ。加えて、お前を裏切る未来が予想できないほど一途でもある。何があってもお前を幸せにするために動くだろう。そういうところを私は買った」
いつもやに下がりがちの父親にしては真面目な話なのでフィーアは真剣な顔でうなずいた。
「とはいえ、長い人生何があるかわからない。不安や不満があれば言うんだよ? 臣に下ったとしてもお前は私の愛する娘だ。ルガッタがごねても離縁させてみせ……テっ」
「お前は何言ってんだい」
ごちんと大きな音を立てて傍らの男を殴りつけたファランティアは、花嫁の母に見合う落ち着いた衣装に見合わぬ顔で目を細める。
「そんなに簡単に離縁がかなうなら、明確に夫に裏切られた経験がある私が先に縁を切ってやってもいいんだよ?」
「ちょっ、ファラ、何を――」
「娘の幸せを素直に祝う気持ちがないのかねお前には」
呆気にとられるフィーアの前で、父は「あるある、ありますとも。だけど複雑な思いがだな」と慌てて言い募った。
「幸せになるんだよ」
「最初からそうとだけ言っておけばいいものを」
何とかそうまとめた人ににべもなく言い放つ母を見て、思わずフィーアは笑ってしまった。
「ありがと、二人とも」
幸せになるね、なんてことは言えないフィーアなりの言葉に、二人は同時にうなずいた。
それからいつになく神妙な顔でファランティアは娘に近づいた。
ほとんど身長差はないのだが、母の方がわずかに高い。ファランティアは少し身を屈めながら娘を軽く抱擁した。
「か、母さん?」
驚いてフィーアは母を見つめた。
「私の事情でお前には苦労させた」
行動にも驚いたが、苦渋のにじむ声で告げられた言葉の方が驚きで、フィーアはあわあわと母の表情を伺おうとしたが抱きしめられていてそれはかなわない。
「……ど、どうしたの、母さん?」
「あたしの子に、魔力が引き継がれないなど考えたこともなかった。契約を盾におまえを連れだしたのはいいが、魔女の私にはただ人の幸せなんぞよくわからなかった」
常に堂々としている母の言葉にしては、それは妙にぼそぼそと独白じみている。
フィーアは何となく母の背中を優しく叩いた。
「何がお前にとって良いことなのか、今もまだあたしにはわからない」
身を離したファランティアはようやくいつもの調子を取り戻し、一歩後ろに下がる。
「お前自身が選んだことが一番良いのだろうとは想像するがね――まあ、若干流されたような気配を感じはするが……エドが認めるんだから、悪くはないんだろう」
「うん」
何となくうなずいてから、フィーアは首を傾げる。
着地点の見えない話をグダグダと続けるのは母の主義ではないと思ったのだ。
娘の思考を読んだのか、ニヤリと笑ったファランティアは「だから」と続けた。
「自分で行く末を選択してもなお、不安に駆られそうな後ろ向きで心配性なお前にひとつ贈り物をしてやろう」
「え?」
「深き森の魔女からの祝福をありがたく受け取るといい」
母はえらそうに胸を張ったが、フィーアは逆にぶんぶんと首を振った。
「魔女の祝福? なにそれ、こわっ」
「失礼な子だね。呪うと言ったわけでもあるまいし」
「だって!」
侍女たちが寄ってたかってきれいに整えてくれた髪型が崩れそうな勢いでフィーアは頭を振る。
「一体どういう風の吹き回し? 母さんが見返りなく魔法を使ってくれるなんて信じられないんだけど!」
「見返りならすでにもらってるよ」
さらりと言った母の言葉が信じられなくて、フィーアは固まった。
「え、もらっ……えええ?」
「さっき言ったろう。私の事情でお前には苦労させた」
「別に苦労したとは思ってないけど」
「底抜けに脳天気だったお前が、後ろ向きな心配性になったのは城を出た後私があちこち連れ回したからだろう?」
記憶のないことに同意を求められて困ったフィーアは眉を寄せるが、娘の様子などに母は頓着しないようだ。
「これまでお前の人生って奴は、魔女に大いに歪められてきたんだよ――それを対価に、あたしがお前に安心を与えてやる」
異論を受け付けない気配をみせる母に、うろたえるフィーアが何を言えるわけでもない。
思わずため息を漏らして、フィーアはそれを受け入れることにした。
「まあ、母さんがそう言うなら、ありがたく受け取るけど――具体的にどんな祝福なの?」
「うん、それなんだけどね……さっき言った通り、あたしに幸せって奴はよくわからないからねえ。あの小僧がお前を裏切れないように呪っておけば、安心かね?」
娘に問われた途端に困り顔で母が口にしたことに、フィーアは天を仰ぐ。
「結局呪いになんの?」
「お前が希望するなら?」
途方に暮れたフィーアは母と娘のやりとりを見守っていた父親の存在をようやく思い出して、すがる眼差しをそちらに向ける。
「あのー、魔女が結婚祝いに夫を呪うとか言ってるんですけど、どうすればいいんですかおとーさま」
「いやそれは……うむ、さすがにそれは祝いじゃないような気がするな」
さすがに困った顔での返答に、だよねとフィーアはうなだれる。
「あれが裏切る可能性など、万に一つあるかないかくらいだ。可能性の低いことに魔女の力を使うのはもったいないだろうなあ」
「可能性が低くてもそれを不安に思うのがこの子だよ?」
「だからといって、呪うだなんて幸先が悪かろう。アルトベルンがそれを知れば、さすがにいい気がすまい」
冷静に指摘する父に、フィーアは期待の眼差しを向けた。
そうすると俄然張り切るのが娘を溺愛する父だ。
「まあ、なんだ――フィーアに安心を与えたいなら、いつかフィーアのために魔法を使う権利でも与えておけばいいのではないか? それをいつどのように使うにしろ、人知の及ばぬ魔法の技が己を守ってくれると思えば安心だろう」
「そういうもんかねえ」
「うむ。今後困難に陥った際に、母が助けてくれると思えばお前も安心だろう、な?」
「うんうん。呪いよりそれがいいと思う!」
いまいち納得していない風情のあった魔女も、二人がかりでごり押しすればなんとか納得できたようだ。
「もうそろそろ式の時間だから、正式の契約は後にしよう――でも、あやふやな契約よりも、呪いが嫌なら一生お前に尽くすよう縛り付けるとかでもいいんだよ?」
もはやなんと母に突っ込めばいいのかフィーアにはわからない。
「それも充分呪いだよ、ファラ……」
ただ、娘に期待されて張り切ったままの父が苦笑しながら力なくうめいた。




