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「作法はそのうち身につくかもしれないけど、絶対にポカをやらかさないとは言えないです。それでも私が居て何かいいことがありますか?」
フィーアは尋ねながら、自分のデメリットを探した。
メリットは全く思いつかなくても、長年培ったマイナス思考はそれをいくつも思い浮かべることができる。
「政略結婚するにも、病弱な礼儀作法も怪しい王女をもらう人間はいるとは思えません」
まず、他人に裏付けされた確実な理由で様子を見ると、サリアナは首を傾げた。
「陛下がたやすく貴女を嫁に出すとは思えないので、議論する余地もありません」
「は?」
「あの方はとにかく貴女を甘やかせて過ごしたいのね」
しみじみつぶやいた王妃はむしろ心配そうな声色だ。
「政略結婚の心配よりも、行き遅れの可能性の方がよほど高いのではないかしら。生半可な覚悟では嫁入りの許可を与えないでしょうね」
「あー……」
フィーアは言葉を失った。
「十分な覚悟を持って説得にきた相手と貴女が相思相愛であれば何の問題はないでしょうが」
そんな絶望感の漂う可能性なんて無きに等しい。
フィーアはどう転んでも自分の人生に結婚なんて文字は縁がないのだろうと悟り、ため息をもらした。
「政略結婚もなくて、恋愛結婚の可能性もないとしたら、一生ここで過ごすってことになるんじゃないですか? そんなの、息が詰まります」
高貴な出自のサリアナはフィーアの主張に首を傾げる。
「そうかしら。快適だと思うけれど」
「大体、お父さまがいる間はいいとして。将来、エセルが跡を継いだときに行き遅れの姉がいつまでもいるのは、それこそ大問題だと思います!」
フィーアは感じる居心地の悪さをいくら主張しても理解してもらえない予感に、新たな方向性を探る。
「どうしてですか?」
「どうしてって。だって、私がこのままここで過ごすとして、いくら質素倹約を心がけても、こういうドレスとかすごく高そうだし、すっごくお金がかかりますよね?」
「ええ」
「それはすごく心苦しいですし、次の王妃さまだってあまりいい心地がしないはずです」
当代の王妃はそれを聞いてあからさまなため息をもらした。
「散財はもってのほかですが、適度に使うことも上に立つ者には必要です」
そういう器じゃないとフィーアが反論する前に、サリアナは言葉を封じるように鋭い眼差しを彼女に注いだ。
「それに」
気圧されて頷くフィーアにサリアナは唇の端を持ち上げてみせる。
「私は人を見る目があるつもりです。たとえ腹違いであろうと夫が慕う姉を疎んじるような了見の娘を次代の王妃に据えることなど、断じて認めない」
鋭い言葉に息を飲んで、フィーアはぴしりと固まった。
脳内で何度か彼女の主張を反芻して何とか動揺を押さえ込むと、王妃の真意を想像する。
――まったく、想像が及ばなかった。
ただ、理由は全くわからないのにサリアナの好意が本物のようだと思わざるを得なかった。
「えーと」
掠れた声で呟いて、フィーアは視線をさまよわせる。
「なんでそこまでして、私のことを考えてくれているんですか?」
「好意に理由が必要ですか?」
「王妃さまが即妃の娘に好意的なことに疑問を持ってはいけないですか? 私の知る限り、こういうことはまれだと思います」
一理あるとでも思ったのか、サリアナは「それもそうですね」と納得した。
「私は貴女の母ファラ――いえ、ここは深き森の魔女と言うべきですね。彼女に恩義があります」
「ああ。母もそのようなことを言っていました」
「そして、貴女には負い目がある」
「え?」
きょとんと目をしばたたかせるフィーアから、サリアナは珍しくも視線を逸らした。
「負い目、ですか?」
「好意に理由が必要だとすれば、第一に挙げられる理由はそれです」
フィーアは母に話を聞いたときのことを思い出そうとした。
確かあの時母も恩だとか負い目だとかで、王妃や第二妃に素性を知られていても問題ないとか言っていたはずだ。
(でも王妃さまが私に負い目とは、言ってなかった気がするんだけど……)
さほど興味を持って聞いていたわけではないので、記憶はあやふやだ。
「そうなんですか」
相づちに熱が入っていなかったのを見て、サリアナはわずかに苦笑した。
「負い目とは何だと問われるかと思いましたが、そうでもなさそうですね」
「自分の記憶のないところで負い目を持っていると言われても実感ないです」
聞いたってたぶん母に話を聞いたときと同様に話半分に聞き流すに決まっているのでフィーアはさらっと言い切る。
「ふふ。最初は負い目からでも、私も貴女は可愛いと本気で思っているの。王妃としての務めは果たしたので自らの娘が欲しいとは言いませんが、義理の娘を可愛がってもよいでしょう?」
「嫌われるよりはいいですけど、あの、それ、息子の嫁じゃだめなんですか?」
「駄目だとは言いませんが、幼い頃を見知った貴女の方に親しみを覚えても仕方ないのでなくて?」
「そういうもの、ですか……?」
はっきり頷かれてしまうと、否定の声も上げにくい。
フィーアは複雑な顔で黙り込んだ。
「ファラは貴女にまともな教育を施していないなどと言っていたけれど、それでここまで気が回るならこれからに期待ができます」
満足げにフィーアを見つめながらサリアナは言った。
「さて、貴女の気にするお金のことだけれど。我が国はそれなりに豊かで、妾腹であれど王女にはそれなりの予算が付きます。先ほども言ったとおり、ある程度それを使うのも上に立つ者の務めですから、気にせずともよろしい」
「はあ」
「その予算は少なくとも、陛下が逝去なさるか退位なさるまでは十分に確保されます。順当に行けば次代を担うエセルの代では、王姉への予算は軽減されるかもしれません。ですが、その際も陛下には個人資産がおありです。その資産を貴女に継がせないわけはないでしょうから、無理な使い方をしなければ十分にまかなえるでしょう」
予算だなんて、全く想像のつかない存在にフィーアは目を白黒させる。
見たことがないようなお金なんだろうなということだけはわかるが、それをむやみに消費する自分を想像するだけで恐ろしい。
「貴女が居なかった期間の使いきれなかった予算も、そのまま陛下が貴女の個人資産としていたはずですよ」
「ぅえっ」
「心配事はなくなったかしら?」
「……いえ、あの、逆にあの、怖いような気がしてきたんですけど……」
どう言っていいのかわからずに「怖い」などと表現しても、王妃は不思議そうに「何が怖いのかしら?」と首を傾げるだけ。
「田舎暮らしだった魔女の娘には、そういうお話は想像するだけで恐ろしいです」
幼き日、母に連れられて垣間見たどこかの王宮のきらびやかな姿を思い起こす。
あれは、表面上はきらきらとしていて、裏では恐ろしい場所だった。
そこは――少なくとも魔女の娘とは相容れないそういうところだったはずだ。だって、お貴族さまというのは魔女の力を借りようとするくせに、それを忌まわしいと談じる存在だから。
フィーアはこれまでそう信じて生きていた。
この王宮で相対する人たちは限られていたし、短い間と自分に言い聞かせていた間はよかったのだ。それがこの先一生続くなんて、もはや想像の外だ。
いつボロが出るのかと考えるだけで胃痛と親友になれそうだ。
「何か心配事があるなら、私が対処しますが」
「そこまでして、なんで私なんかにいて欲しいんですか、ホントに……」
王妃本人が「幼い頃を知っている義理の娘が可愛い」と言ってくれても、やっぱりフィーアは疑問だった。
魔女の娘なんて面倒な即妃の娘を正妃がかばい立てする理由があるだろうか?
「魔女である母を囲い込むためでしょうか? でも、あの人は私がいようがいまいが契約があるのでしばらく居るように言ってましたけど」
「そんなこと、十分に存じていてよ。魔女の力は魅力的だけれど、きっと彼女は契約を果たすまではこの国のために力をふるうことはありません。囲い込む意味はないわね」
そうなると、ますますわからない。
「じゃあ、なんでですか?」
「陛下のためです」
はっきりと言い放つサリアナを、フィーアはきょとんと見つめた。
「陛下のため、ですか?」
ぼそりとオウム返しをしながら何となく納得がいく思いだった。
それが母ファランティアへの寵愛からくるものなのか、唯一の娘に目を曇らせているだけなのか、長く離れていたことで何かをこじらせたのか――それはフィーアにはわかりかねるけれど、国王陛下は娘に執着している節がある。
あのフィーアはしばし考えて、おそるおそる口を開く。
「娘にうつつを抜かしてしなければならないことをしないなんてことになってないんですか?」
それは陛下のためにはなってないんじゃないでしょうか、フィーアはそうぽつりと付け加える。
「政務はいつもより遅れがちなようですけど、滞っていると言うほどではないようです」
「遅れるのは問題じゃないですか?」
「陛下が愛娘との再会に舞い上がっていらっしゃるのは事実ですが、それに目くじらを立てる臣下は皆無とは言いませんが……ごく少数でしょう。貴女やファラと会った後は効率が上がるようですので、そのうちかえって処理が早くなるのではないかと考えられます」
サリアナは淀みない口振りで応じる。
「逆に言えば。貴女がいなくなってしまうと、落ち込んで何も手につかなくなるかもしれませんね」
「……え」
「十数年前に、実際起きたことですから」
「ええええ、ええと、それは……私がいなくなると国王の仕事が滞るからずっといろっていう脅しでしょーか?」
いいえ、とサリアナは首を横に振る。
「脅すなんてしませんよ? 貴女は私にとっても可愛い娘だと言ったでしょう」
いや脅しだろうと喉元まで出掛かったが、それを言うほどの度胸はないフィーアは文句を飲み込んで苦い顔になる。
「公的な面で言えば、多少陛下の処理能力が落ちたところで、ある程度のところまでは臣下がいかようにでもできるのです。私も王妃としてできる限りそれを補佐しましょう」
話の着地点が読めなくてフィーアは続く言葉を待った。
「望まぬ王位を継いで兄の婚約者だった女を正妃として娶らざるを得なかった陛下に、人並みの家庭を与えてあげたいと思ってはいけないかしら?」
そして、あまりの発言に二の句が継げなくなる。
目をただぱちくりとさせて自分をじっと見つめるフィーアをどこか面白そうに眺めて、王妃はすっと視線をはずした。
「私が本来、陛下の兄上、つまり先王陛下の婚約者であったことはご存じ?」
フィーアは記憶をひっくり返して、かくりとうなずいた。
「私と陛下との間に親愛の情はあれど、その間に愛などというものが介在したことは未だかつてありません。私は亡き先王陛下の大事にしていたものを守りたいだけなのです」
サリアナは何かを思い起こすように一瞬瞳を閉じた。
そして目を開くと同時に強くフィーアを見据える。
「その守りたいものには陛下も含まれるのです。できれば、彼には幸せであってほしい。国の主が幸せならば、国を幸福に導くでしょう。それがひいては、先王陛下のご遺志を実現することになるはずです」
フィーアは断言されてたじろいだ。
現実逃避気味に、母親にこうまで両親の間の愛のなさを断言されたら弟たちはひねくれるんじゃないのかなんて考えはじめそうになったが、そんなことを考えている場合じゃない。
国の幸福に自分の進退がかかっているなんてそんなわけないだろうと声を大にして言いたかったが、真顔の王妃は大まじめに言ったようなのだ。
思わずうめいたフィーアを見て言い過ぎたと思ったらしい。サリアナは気を落ち着けるようにカップを手に取り、一息を入れる。
「申し訳なかったわね。つい熱が入ってしまったわ」
場を和ませるように砕けた口調で言われてもフィーアはとても和めるような気分にはなれない。
「私としては、貴女がこのまま王宮に留まってくれるのが最善と考えています。ですが、それを無理強いしたいわけではないとも理解していただきたいの」
「そうなんですか?」
この話の流れでそれはないだろうとたっぷりの疑惑を込めた眼差しを注いだだけあって、サリアナは苦笑するように唇を持ち上げる。
「何度も言うようだけれど、私も貴女を可愛く思っているのよ。当人が息が詰まるという環境に無理強いして押し込めるつもりは毛頭ない」
フィーアはサリアナの真意を探ろうとしたが、辺境育ちの田舎娘に社交界でもまれた王妃のそれが読めるはずもない。
「私にできることは、陛下と貴女の落としどころを探ることくらいでしょう」
「落としどころ、ですか」
「そう。そのためにも時々こうして席を設けてもよいかしら?」
そんなの嫌だとフィーアは言いたかった。
だけど、そんなことを言えば望ましくない未来に突き進みそうな気がとてもした。
平然とした顔で「落としどころを見つけられないのなら、このまま留まってくれた方がやはりよいわね」なんて言われたらたまったもんじゃない。
なんで私を引き留めようとしてんのと内心泣きそうになりながら、
「わ、わかりました」
そう渋々頷くしかなかった。