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同意を得てもアルトベルンがちっとも話そうとしないので、フィーアはいつの間にかすっかり冷め切ったお茶をゆっくりと飲み干した。
そして彼女がティーカップをそうっと置くのを待っていたようなタイミングで、いよいよ彼は口を開いた。
「言い訳に言い訳を重ねるような話になりますので、恐縮ですが……」
「うん」
初っぱなから言い訳みたいだよねと内心ごちながら、フィーアは相づちを打った。
「姫さまが私を覚えていらっしゃらなかった事実に、大変衝撃を受けておりました」
「はあ」
「ルガッタ家はファーラ妃さまとのご縁もあり、姫さまが幼少の時分、大変親しくさせていただいておりました」
そうなんだ、と軽くうなずくフィーアを見ているようで、アルトベルンはどこか遠くを見ているようだった。
そのどこかはきっと、フィーアの覚えていない過去だ。
「当時の姫さまの年齢を考えると仕方がないことだと、今はすでに理解しておりますが。私がこれほどしっかり覚えているというのに、姫さまのご記憶が全くないことに大人げない態度をとってしまいました」
三度頭を下げる彼をフィーアは慌てて押しとどめる。
「もう謝らなくていいし。むしろ私の方が、覚えてなくて悪いっていうか」
居心地悪く身じろぎながら呟くと、「恐縮です」とアルトベルンはほのかに笑みを見せる。
「ですが、説明を不足させた否は私にあります。私は大変衝撃を受ける一方で、大変浮かれてもおりました。その為に必要事項さえ十全に伝えられなかったことは問題です」
「まあ、そうだね」
確かに否定できないのでフィーアは同意した。
「本当に申し訳ございませんでした。今後、もう少し騎士としてのあり方を模索しようと思います」
「別に今更模索しなくてもいいんじゃないの?」
「そのようなわけには参りません」
過ぎたことは仕方ないだろうに、アルトベルンは真顔だ。
「といっても、アルトは本来騎士じゃないんでしょ? 今だって事情を知ってるからって本業を放って私の面倒を見てくれてるだけなんだから、そこまで突き詰めて考えなくてもいいと思うけどなあ」
侍女が置いていったポットから手ずからお代わりをカップに注ぎつつ気楽にフィーアは言ってみせたのだが、それに対する彼の反応はお気楽さからはほど遠いものだった。
真面目で冷静で表情の変化が少ないと思っていた彼が、くわっと目を見開いて顔色を変えたのだから。
驚きで取り落としそうになったカップをそうっとソーサーに戻したけれど、二人きりの室内に予想外に大きく音が響く。
アルトベルンは見るからに動揺しているようだが、自分もそうらしい。
フィーアは唇を湿しながら言葉を探した。
「だ、大丈夫?」
結局出てきた言葉はバカみたいにありきたりで、それに対して彼は取り繕った顔で「そうとは言えません」と応じた。
「さすがに、堪えます」
「ええと、何か悪いこと言ったかしら……」
眉間にしわを寄せながら自らの言動を省みても、フィーアには問題があったようには思えない。
「姫さまにご記憶がないのは理解しております。おりますけれども」
怖いくらい真剣な眼差しを受けて、正直フィーアは少し引いた。さすがにまずいかと身をそらせるのはこらえて、代わりに謝罪の言葉を口にする。
そのあとで、そういえばこの人はどうしても騎士になりたかったとか何とか聞いたなと思い出した。
「お家の事情で騎士に専念できない人に、失礼なこと言った、ね?」
おそるおそる付け加えると、アルトベルンは苦笑した。
「王家より公爵位を賜った当家の次期当主としては、仕方のないことです」
軽々しく相づちを打つのもためらわれて反応に迷うフィーアを見て、アルトベルンは彼女がはじめてみる種類の笑みを浮かべる。
秀麗な顔に浮かぶのは、どういう種類の微笑みか。
あまり表情を変えない人だと信じていたのに、先ほどからそれを覆された気がする。
「それに、私は姫さまのいない城で騎士であろうとは思っておりませんから、これまではそれで問題がありませんでした」
「は?」
「ですが、これより先両立には無理がありましょう。主の邪魔にならないように寡黙に控えるのが理想の騎士であると定めておりましたが、現状それが姫さまの御為になっていないのは明らかであります」
「あの、アルト?」
戸惑い顔のフィーアにかまわずアルトベルンはすうっと立ち上がり、彼女に近寄るとその横で恭しく頭を垂れた。
ひくりと顔をひきつらせてしまうフィーアには、きっと気付かなかったに違いない。
頭を下げたまま、彼は真剣な声で続けたから。
「私は貴方の騎士です。姫さまにとってもっともよくあれるよう、これから精進して参ります。あるべき形が定まるまで少々かかるやもしれませんが……しばしお時間をください」
呆気にとられたままフィーアが生返事をすると、それに満足したのかアルトベルンはにこりとする。
「姫さまもお疲れでしょう。侍女にもしばらく控えたままでいるように伝えておきますので、ゆっくりなさってください」
彼の背を見送って、そのまましばらくフィーアはただ呆然としていた。
ようやくそろそろと動き始めた彼女はカップを手にして一気に中身を飲み干した。
誰もいない室内で不調法をとがめる人間がいるはずもない。ポットに残るお茶をもう一度注いで、再び飲んで。
「なんなのあれ!」
持て余した思いをとりあえず口にしたが、当然それに対する答えが返ってくるわけがなかった。