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来たときと同様にアルトベルンを供にしてフィーアは私室に戻った。
侍女たちが二人を出迎え、お茶を用意して去っていく。
「お疲れさまでした」
パタンと扉が閉まるとほぼ同時にアルトベルンは言った。
「疲れるってほどでもなかったけどね。確かに気疲れはしたけど」
何で私はあそこに行ったのかなあ、なんて自問しながら、フィーアは皮肉混じりに応える。
「私、行く必要あったのかしら」
「彼の方は姫さまに会いにいらっしゃったのですが……」
「いてもいなくても同じだったよね、きっと」
「ええまあ……そうですね」
フィーアの主張にアルトベルンは控えめに同意してくれた。
「牽制に十分意味があった、ということでしょう」
「エセルもリックも牽制というか威嚇してたように思うけど。よかったわー、うっかり母さんに援護頼まなくて」
「援護、ですか?」
「何かあった時のために、こう、防御の魔法みたいなのをかけてくれないかなと。でも、娘の頼みでもきっとただで魔法は使ってくれないもんねえ。一国の王女なら対価を払わなきゃ、魔女の掟だかなんだかに引っかかりそうだし」
「ああ、確かにあの方はその辺りはきっちりされているでしょうね。そうでなければ、陛下も苦労されていないでしょう」
「苦労?」
首を傾げるフィーアにアルトベルンはうなずいた。
「ファーラ妃様は近しいとはいえ一国に肩入れするわけにいかないと考えているように見受けられますので。城から出奔なさって以降、ことさら北方面の依頼のみ受けていらっしゃったのはそれが一因でしょう」
んんっとフィーアはさらに首を傾げた。
「陛下に嫁がれて以来、本業は控えていらしたと聞いております。末席の第三妃とはいえ公人としては他国の事情を目にするわけにいかないとお考えのようだったと父は申しておりました。出来る限り我が国の遠方で仕事をなさることにより、影響を最小限にしようとお考えでしたのでしょう」
いつになく饒舌なアルトベルンをフィーアはまじまじと見つめる。
「ファーラ妃様は思いの外義理堅く、そして深き森の魔女殿はかたくなでいらっしゃる。私が政に関わるようになったのはこの数年の話ですが、陛下が出した魔女殿あてのいくつもの依頼をことごとく断られておりました」
しみじみと呟いて、アルトベルンは言葉を結んだようだった。
「はあ」とフィーアは間の抜けた声をあげた。聞いた言葉のほとんどは意味もなく頭をすり抜けた気がしたが、陛下はそれなりに行動に出ていたんだなあということは理解できた。
「それで結局私が必要な用事をでっち上げたってわけ?」
「あちらからの強い要請でしたが……まあ、そうですね」
「実際私必要なかったもんね? あの殿下、絶対異母姉をだしにして従弟と交流するつもりだったんだよー」
「それだけではないと思いますが。なんにせよここまで長く掛かりました。ファーラ妃様は公に妃殿下や姫さまが必要になるまで戻らないと約されていたようですから」
ふうんと軽くうなずいたフィーアは、遅れてだから自分が引っ張り出されたのかと合点が行った。
「公爵家の後見があっても庶民上がりの、しかも第三妃に公式の仕事は来そうにないもんねぇ」
アルトベルンはよくできた生徒を見るかのように口の端を持ち上げて首肯した。
「でもだからって何で娘を巻き込むかな!」
「魔女殿ではなく、妃殿下に向けた依頼もなさったようですが、すべて姫さまの付き添いを理由にお断りなさったようです。これならばと豪華に開催した即位十年の式典まで断られたそうですから」
「で、王女の縁談っぽい話?」
「縁談ではありませんが。我が国とボーゲンシュットの関係は良好でいたずらに断ることも忍びない、そう大義名分をたてれば何とかなるのではないかと進言いたしました」
さほど興味もなく何となく思っていたような話を聞いて相づちを打っていたフィーアは、ふと引っかかりを覚えて声を上げた。
「進言した?」
問いかけるとアルトベルンはあっさりとそれに同意した。
「縁談のようだと姫さまは認識されているようですが、そうはならない確証があります。殿下方の関係は良好で政略で結ばれる必要はありませんので」
「それでもより強固に、と望まれる可能性は……」
自分で言っててないなと思ったのに、アルトベルンはそれも否定できませんがと続けた。
「陛下が病弱な姫さまに後宮生活は耐えられぬと突っぱねられて終わりでしょう。逆に関係を損ねる可能性を見てまで望むなら誠意を見せる必要がありましょうが、それも病弱な姫に正妃をというのでは世間的に無理があります」
「確信を持ってないって言われたら安心するわ」
一応はそう口にしてから、フィーアはでもとアルトベルンを睨みつけた。
「だからってなんにも知らない私を巻き込むなんてどうかしてるわ」
「姫さまが――その、幼少時の記憶を止めていらっしゃらないとは存じ上げておりませんでしたので」
ばつが悪くなったのか、アルトベルンはぎこちなく身じろぎした。
「ですが、同時に都合が良かったのも事実です」
申し訳ございませんと真摯にアルトベルンは頭を垂れる。
「言ってることとやってることがあってない気がするけど、反省してるのはわかったわ」
「姫さまがなにも覚えていらっしゃらず、妃殿下がご不在であるのをいいことに勝手を致しました」
「今更いいけどさあ」
正面切って謝られて我を張る勇気はフィーアにはなく、居心地が悪い。あちらこちらに視線をさまよわせながら、ぶつぶつと呟く。
「でもさあ、あのさあ。今みたいに話せるってことは別に無口じゃないんでしょ? だったらもうちょっと説明とかあっても良かったんじゃない? 少なくともここに来るまでにいろいろ教えてもらえてたら、もうちょっとこう、なんていうの? いろんな衝撃が少なかったと思うんだけど」
「いろんな衝撃、といいますと」
「森の中に住んでた魔女の娘が、一国の王女だなんて自分でも信じられないんだから! わかるでしょ! てっきり自分が本物の姫さまの身代わりだと思ったし」
ちらりと「最初に聞いていても信じられなかっただろうけど」と冷静になった自分が頭の中でささやいたが、黙殺してフィーアはじろっとアルトベルンを睨みつけた。
「さっきみたいにもうちょっと懇切丁寧に説明してくれても良かったんじゃない?」
恨みがましく言い切ると、彼は難しい顔で唇を結ぶ。
そんなに難しいことかしらとジト目になるのを自覚しながら見据えていると、アルトベルンは再び頭を下げた。
「大変申し訳ございません」
「なんであんなだったのよ」
フィーアは眉間にしわを寄せてアルトベルンが迎えに来てからのことを思い出した。
あの頃と今とではだいぶん印象が違うよねと、今はいかにも貴族然とした正装を纏う彼を見る。
「絶対、俺は王女さまに忠誠を誓ってるというのに、こんな魔女の娘をその身代わりで持ち上げるなんてめんどくせーって考えてるって思ってたのに」
彼の目にもあの頃と今とでは当然自分が違って見えているはずだ。
猫は被れるけど素はこうなのよとあえて乱暴な言葉遣いをすると、何か指摘したそうにアルトベルンの口が動きかけた。だけどそれは言葉にならずに、ため息で誤魔化される。
「お聞き苦しいとは思いますが」
それから、渋々といった口調で彼は口を開いた。
「なに?」
「言い訳をしてもよろしいでしょうか」
いいわよ、と軽くフィーアはうなずいた。
まさかその言葉を後悔することになるとはちっとも思わずに。