21
ボーゲンシュットの王太子殿下来訪予定日がようやく正式にフィーアに届いたのは王城住まいをはじめて半月ほど経った頃だった。
その知らせを持ってきたのは、未だフィーアがその存在に慣れぬ弟たちだ。
彼らは大抵そろってフィーアの部屋を訪れる。
冷え冷えとした上流階級の存在しか知らなかったフィーアにとって、ツァルト王家の人間は異端である。国王の妻たちは何故だか大変仲がよろしいように見え、その影響でか母の違う上の王子二人と末弟の仲もとてもいい。王位継承権一位と二位を分け合う双子の兄たちが王妃サリアナの子であり、末の第二妃マイラの子が年齢が少々離れているのもよかったのかもしれない。
毎日のように王室全員で食事の機会があるのでその席でもいくらか会話はするのだが、その席にはもれなく事情の知らない使用人たちが多数控えている。だから、彼らが三人そろって訪れ、アルトベルンでさえ部屋の外に追い出して話すという気軽な交流は貴重なのだった。
母たちと同様に、彼らは魔女であるファランティアとその娘のフィーアを忌避しない。
でれでれと娘にやにさがる父を見ても特に嫉妬することもなく、逆にフィーアは戸惑うくらいの好意を感じるくらいだ。
今も、彼らはフィーアに知らせをもたしたあと、口々に文句を言っている。
「まったく、父上ももう少し考えてくださればよかったのだが」
今更なことを今更つぶやくのは一番上のエセルで、それに次弟のリックが続く。
「問題は父上よりもあの方でしょう。あの方が無茶を言わなければよかったんです」
「でも」
くりくりとした瞳を瞬かせてバートがさらに続いた。兄二人を順に見つめて、それからフィーアににっこり微笑む。
「姉上が戻ってきくれたのは、イアンさまのおかげなんでしょう?」
フィーアは無邪気な言葉にすぐに返事ができなかった。
「えーと、イアンって言うのは」
なぜならば、聞き慣れない名が出てきたからだ。弟たちの名前でさえ正確に覚えていない自覚はあるのでしばらく考えたフィーアだったが、記憶の端にも引っかからず恐る恐る問いかけると上の二人が渋い顔をする。
「……ボーゲンシュットの、王太子殿下のことですよ」
はあとため息を漏らしながら答えたのは真ん中のリックだった。長兄のエセルはといえば、末弟の首根っこをつかんで「こら!」と声を張り上げている。
「おまえは馬鹿か! あれほど姉上にはあれの情報を入れるなと言っておいたろう!」
リックがため息をついたときには呆れられたかと思ったフィーアだが、続くエセルの声に首を傾げる。
兄にどやされたバートは首をすくめるようにして逃げ出し「だって」と呟く。
「現に姉上が戻って来てくれたのは、イアンさまのわがままのおかげなんでしょう?」
「結果としてはそうだが、それに恩義を感じる必要なんぞない」
「そうですよ」
フィーアを置いてきぼりに、三兄弟はそれぞれ主張する。
「好色なあの男の目に姉上をさらす羽目になるだけでも業腹なのだ。このうえ姉上の耳にあの男の余計な情報を入れる必要はなかろう」
「名前は余計な情報じゃないと思うんだけど……」
「嫌ですねえ、バート。確かに名前は必要な情報かもしれませんが、姉上のお耳に入れるのは一日でも遅い方がいいでしょう」
「我々の努力を無にしてからに」
ぶつぶつとエセルがぼやくのを聞きながら、フィーアは聞き覚えがない名だったのはその努力とやらが原因かと納得した。
努力の理由は全く理解できなかったけれど。
「あのう」
ともあれ、納得すると小さな弟に寄ってたかって言い募る上の二人の大人げなさが気にかかる。なので恐る恐るフィーアが呼びかけると、三兄弟はそろってバッとフィーアを振り返る。
「心配しなくても、その王太子さまとやらのことにはまーったく興味がないので大丈夫ですよ?」
言い終わって自分でもなにがどう大丈夫なのか疑問に思ったが、三対の瞳にさらされてテンパったのだから仕方ない。
「そうですか」
「姉上がそうおっしゃるなら」
そして、エセルとリックにとっては疑問を抱くようなことでもなかったらしい。あっさりと矛を収めてにっこりするのでフィーアは不安を感じてしまう。
ファランティアの昔語りでは曖昧だったが、フィーアが四つの頃まで共に成長していたと仮定して、フィーアの一つ下の双子は当時三つだったはずだ。当然、末弟のバートは生まれてすらいない。一番上のフィーアの記憶が曖昧なのだから二人の記憶もロクにないと考えるのが妥当である。
なのになんで自分が慕われているのかが理解できない。
(いやほんと、この国の王族おかしいわ……)
それに自分が含まれていることの自覚なしに内心ごちて、フィーアはふうと息を吐く。
まあ壮大なペテンにかけられてるとしたら、その黒幕は母だろうし娘を死地には追いやらないはずだ。自分に言い聞かせながらフィーアは気持ちを切り替える。
「でも、興味はなくたってその人に会うからには、一通りの話が聞けたらうれしいなあ。よくわからないけど、外交上波風立てないために私が呼ばれたわけでしょ?」
弟たちを順に見回しながら口にすると、やはり上の双子が渋い顔をする。
「バートが親しそうに名前を言うような関係の人なんでしょ?」
説得できなければできないで問題ありそうなときは仮病使えばいいんだもんね、という緩い感じで駄目押ししてみると、しぶしぶうなずいたのはエセルだ。
「姉上のお言葉にも一理ある」
気楽な駄目押しが興味のなさを演出していたのがよかったのだろうか。どこか嫌そうでありながらもエセルは思い切ったらしい。
「ボーゲンシュットは我が国と直接は関係が深くはないのだが、間接的には親しい間柄にあるのだ」
だけどやはり抵抗があるのかエセルの言葉はどこか要領を得ない。大げさなため息のあとに「つまり」と言葉を続けたのはリックだった。
「母上の生国と縁戚関係にあるのです。国をまたいで好色と名高いかの王太子殿下イアン殿の母上、つまりボーゲンシュットの王妃殿下は母上の姉君に当たる方でして」
「そうすると」
さらりと嫌みを交えながら回りくどく説明してくれるリックの言葉を飲み込んだフィーアが呟くと、にこりと微笑んだリックは心得たようにうなずいた。
「僕と兄上の従兄となります」
「今回の件は、母の生国で父上がアレ相手に姉上の自慢をしたのが原因で。姉上はお体が弱いのだと説明しても是非会いたいのだと強引に話をするものだから」
エセルは頭を左右に振って苦い顔だ。
「あんな男と我らが大事な姉上を面会させるなど了承できるものではないのだが、縁続きにある以上無碍にもできず、大手を振って姉上を呼び寄せることができると思い至った父上が仕方なく了承したというわけで」
「はあ」
さらりと大事と主張される違和感にフィーアは間の抜けた相づちしか打てない。
エセルの言葉に大きく同意したのは次弟のリックの方だった。
「姉上にようやくお会いできると思ったらその最たる理由があの方に姉上を面会させる為だなんて、納得したくないしできませんが! 理由はさておき、姉上とこうして親しく話す機会ができたことは大変喜ばしいことです」
「そ、それはどうも?」
三人も弟がいるなんて知らなかったフィーアには感慨深く力を込めたリックの主張には違和感もあったが、やや引き気味にうなずいてみせると、姉の様子に違和感を感じなかったらしい弟たちはにこやかに笑った。