16
その、魔が差した結果何かがどうにかなって産まれたフィーアとしては、ちょっと複雑な沈黙だ。
そもそも魔女は夫を持つことが少ないというから、母が父を全く愛していなくても不思議ではないと思っていたのだが。
「特に依頼も来なかったから、心配なら近くで様子見するといいっていうそいつの言葉に乗ったのが間違いだった」
「ていうと……正体がばれたけど、居残ったってこと?」
「結果としてはね」
本当に間違いだったとファランティアはぼやく。
「下女から騎士の世話係に昇進したまでは、まあ良かったよ」
「それで、国王陛下と出会っちゃったのね」
近衛騎士というと、王族に近しい存在だ。その世話係となれば、何かの拍子に出会うこともあるかもしれない。
確信に満ちたフィーアの言葉に母は首を横に振った。どういうことだと眉根を寄せた娘に、母はそれ以上のしかめつらを見せる。
「あんたは短命だった先代国王を知らないね?」
まさにその通りだったのでフィーアはうなずいた。田舎に住んでいたフィーアが知っているのは当代国王の似姿くらいだ。
「若い国王が流行り病でぽっくりいっちまうなんて予想がつかないだろう。あたしにもつかなかった」
「うん?」
「だから、あたしはアレの熱烈なアピールについうっかりうなずいちまったわけだ」
「あれって?」
「おまえの父親だよ。先代国王の弟――かつて王弟だった、その騎士の申し出にだよ」
「んんん?」
首をかしげる娘を見て、母ははぁーっと大げさなため息を漏らした。
「魔が差したんだよ。あたしの正体を知ったのは、王位を継ぐ予定なんて全くなくて何故だか騎士をしていた王弟だった。王族でありながら王族に忠誠を誓う近衛騎士になるなんてややこしいだろう?」
「あー、うん。さっぱり意味不明」
「その複雑さからかあえて王族扱いされていなかったからあたしも知らなかったし、それをあえて教えてくれるような親切な人間もいなかったのが不覚さね」
その王弟だったあいつが、しばらくしてなぜかあたしに迫ってきたんだよ――と、ファランティアは言った。
その理由を母に聞いても答えが返るとは思えない。フィーアがじっと見つめた母もどこか不思議そうに見えるからだ。
「遠慮のない男でねえ……見た目はこれでも実際は遥かに年上のあたしがいいんだと言って聞かなかった」
「それで、その――ほだされたの?」
「だから魔が差したんだ。不用意にあたしの正体をばらすことはしない、その証拠に自分の秘密も教えると言われてついうなずいちまった。世継のいなかった先代の、王位継承権第一位の弟だと聞いた瞬間に後悔したよ」
だってさ、母は忌々しそうな顔になる。
「秘密を教えるって言っても、あたしが知らなかっただけでアレの正体は周りに知られていたんだ。魔女の血を求めてあたしにあえてわからないようにふるまってたんじゃないかとさえ考えた」
フィーアはんんっと首をかしげる。
「魔女の血は王家にとっては汚点じゃないの?」
「北っ側では明らかに汚点だが、南では――まあ、そこまでじゃないかねえ。王弟ならば傍流だし、そう問題はないってことだったんだろうさ。その上血縁に魔女ができれば、法外な報酬を渡すことなく魔法の力が期待できる」
複雑なことを理解するつもりはないが、母が言うからにはそういうものなのだろう。言われたことをそのまま飲みこんで、フィーアは口を開いた。
「いいように魔女の力を扱われないように、魔女は権力と結びついたらいけないとか掟っぽいのがあるんでしょ?」
「そう厳密なものじゃないけどね」
「それを盾に断ることはできなかったの?」
ファランティアはそれを言うんじゃないよとばかりに苦い顔。
「一度うなずいたことをひっくり返すのはあたしの主義じゃない。それに、あえてあたしに正体を知らせなかったっていうのは穿った見方だ。下女をしていた頃に知らなかったのはあたしが国王以外の王族に興味を向けていなかったからだし、世話係になってから知らせないようにするのも骨が折れる」
「そういうもんかな?」
「意図的に正体を隠し続けるなんて、少なくともあたしが世話係になった最初から意識しないと不可能だ。大体このあたしのどこが気に入ったかはしらないけど、魔女なんて得体のしれない女に若い男が初めから興味を抱くと思うかい?」
ファランティアは自慢になりそうにないことを胸を張って言い放つ。フィーアはついそうかも、と思った。
それから、正体を知って性格を知ってなおかつ言い寄る父の趣味の悪さに気付いて頬をひきつらせる。
なんせ相手は自称得体のしれない魔女の血を引くくせして魔法の使えない、利用価値もなさそうな娘に、全力で抱きついてきた男だ。裏に思惑があったと考えるよりも、たまたま母が正体を知らず押しの強さに引っかかってしまったと考えた方が納得できそうだ。
「そんなわけで王位継承権第一位とはいえ、先代も若いしすぐに王妃が嫁いでくると決まっていたからまあいいかと思ったんだよ」
だけど、世継どころか婚姻もまだのうちにぽっくりさ、と続けた。
「予定外もいいとこだよ。当時あたしはお前の父に嫁ぐために身分調整中だった――先代のルガッタ公の籍に入ったり、礼儀作法の講義を受けたりでね。知らせを聞いた時には先代王は身罷ってた」
早く知っていればねとしみじみ漏らす母の真意は「そうすれば助けることができたかもしれない」なのだろうか。
「で、結果的に国王さまの側妃に? まだ嫁いでいなかったらどうにかできたんじゃないの?」
「そうさね。王弟なら王家の傍流だが、国王になるとなれば面倒くさいことになる。だが婚姻こそまだだったが、契約は済んでいた。婚姻の契約だから、前提条件が変わっても絶対条項であるそれを破棄することはできなかった」
それもそうかと思わないでもないが、何とも妙な話だ。
「あたしにできたのは、前提条件の変更に伴う詳細の変更だけだ」
「つまり、契約のために国王の妃になったけど、契約条項の何かに引っかかって私を連れて城を出て、それでまた戻ってくることになったってことなわけか」
フィーアにはなにがどうなってそういうことになったか想像すらできないけれど。
「あんたさえここに来なけりゃ、戻ってこなくてもよかったんだけど」
ちくりと嫌味で刺されてフィーアは首をすくめる。
「どのみち、そう遠くない辺りで体裁を整えただろうから、遅かれ早かれであったかもしれないけどね」
「っちょ、母さんそれって私、嫌味言われ損じゃない! ていうか、どのみちここに来る羽目になってたってこと?」
たぶんねとファランティアはうなずいた。
「気軽な王弟の時分でもどうかと思ったが、国王になると決まってもあたしを必要だって曲げずに主張した馬鹿だよ、アレは」
「それって……」
「なんだい?」
それってやっぱり国王陛下は母さんにべたぼれってことかとつい聞きたくなって、危険な思考にフィーアは口をつぐんだ。
我が道を行く母(しかも魔女)にべたぼれの父とか、どうなのよと思う。
ちょっと父はマゾ入ってるのかも、とか考えちゃって嫌だ。
「ううん、ナンデモナイ」
乾いた声で呟く娘に首をかしげて、だけど我が道を行く母は娘の真意なんてちっとも気にしない。
「変更した条件は大まかに三つ。公爵家の養女になったとはいえ庶民出の王妃は認めがたいだろうから、王妃の存在は許す」
「許すって」
「ふん、仮にも魔女を娶るというのだから、当初はそんなもの認める気はなかったんだが。王統の血に魔女のそれを混ぜるわけにいくまい」
「それって……ううんなんでもない」
フィーアはうっかり口にしてしまいそうだった言葉を飲みこんだ。
他の女の存在を認める気はなかったとか、意外と母も満更じゃなかったんじゃないかとか信じられないし信じたくないし。
「あれ、でも、王さまには今三人の妃がいるよね?」
「ああ。もし何らかの理由でそれを破った場合について、詳しく決めておいた」
「あー、それで私を連れて出たってわけか」
「戻る条件はもう少し厳しくしておいてもよかったねえ」
「ああそう」
話半分にフィーアはうなずく。
国王陛下が即位前に母を唯一の妃にすると決めていたならば、後から嫁ぐことになった王妃たちはさぞや複雑な気分だったんじゃないかなあとか、その割になぜか魔女の母に好意的だなあとかいろいろ思うところはあるものの、聞いたって何かがどう変化するわけでもないだろう。
いや、変化するとしたらフィーアの常識の砦がガラガラ崩れるとかそういうろくでもないことになるに違いない。
持ち前の思考回路で後ろ向きに結論付けてフィーアは気にしないことに決めた。
娘が興味を失ったことを悟ったらしきファランティアはにやりと楽しげに笑う。
「ま、過去の話は顧みたところで覆りやしないね。見るべきは未来だ。あんた、くれぐれもうまくふるまうんだよ」
「わかってるわよ」
「相手はボーゲンシュット王太子か――まさかあの国も世継を期待できない病弱と名高い王女を娶ろうなんて愚かな行為には出ないだろうが」
ファランティアはじろりと娘を見据えた。
「実際のところ、あんたは健康体だ。気をつけるに越したことはない。心配しなくても、あいつがあんたをよその国にやるとは思えないけどね」
「そうなの?」
「会いたくて会いたくて会いたくてどうしようもなかった娘をようやく招き寄せることができたのに、むざむざ嫁に出すほど抜けちゃいないよ、アレは。うっかり情にほだされて娘と離れ離れになる程度には間抜けだが」
「ああ、そう」
フィーアとしては、母の言葉が間違っていないことを祈るばかりだ。
母の正体を知っていてもなお親しげなこの国の王族はいいとして、他国の王族にいつ正体がばれるかひやひやするのは嫌だ。そもそも、知らない相手と結婚する気も全くない。しかもそれが政略結婚だなんて……生まれてこのかた想像したこともない事態だ。
「あ、なんか胃がキリキリしてきた」
本物の王女さまの身代わりではなく、自分が本当に王女ならそういうこともありえなくはないのだろうが――考えを巡らせたところでさすがにフィーアは考えるのをやめる。
きっと正体がばれたら即、死が待っている。その結論が思い浮かんだだけで十分だ。
「この痛みがあれば私、病弱の真似もばっちりだわ」
痛い辺りを抑えつつ神妙に呟く娘にファランティアは苦笑する。
「それならいいけどね。ああ、そうそう。一つ忘れてた」
「まだなにかあるの?」
聞く気もなかったことを話の流れで聞いてしまったが、これ以上余計な情報は必要ない。内心構えて、思わずじりりと後ずさった娘に、母は手を差し伸べた。
「な、なに?」
何かしようとされているのは、魔力のないフィーアでも経験上想像がついた。
それが何か予想もつかず、今度ははっきりとフィーアは後退する。
「このまんまじゃ障りがあるからね」
踊るように深き森の魔女は手を動かした。声にならない呪文が口を動かす。
その長い指先が最後にくるりと円を描き、そして止まる。
「これでいい」
ファランティアは満足そうにうなずいたが、何がどうなってこれがいいのかわからないフィーアは疑問に思う。
母が何かの魔法を使ったのだけはわかるが何だろう。首を傾げた途端に、その疑問は氷解した。
動きに伴って顔に落ちかかった髪の色が、見慣れた色じゃなかったので。
「ナニコレ!」
フィーアが思わず叫んだのも無理はない。
長年慣れ親しんだ茶髪が金髪に変わっていたのだから。
「なにって、それがお前の本当の髪の色さ」
「ええーええー、ええええー……」
触った感触はそのままに、色だけが違うこの違和感。当たり前のように言われても、フィーアはちっとも飲み込めない。
引っ張った髪の色はどこかで見たような色合いの、つまりは強烈に自分を抱きしめてきた国王陛下の色そのまま。
母は黒髪なので、元々自分の髪は父に似たとそもそも思っていたが、よくよく考えてみたら父だという国王陛下は金髪だ。髪色を偽るなら何故母の色に似せなかったのか疑問が残る。
が、まあ。それはさておき、納得することはあった。
(小さい時にいきなり環境も髪の色も変わったんなら、そりゃ過去のことは夢か何かと思って忘れるわコレ)
なにせ、物心つくかつかないかの頃だ。忘れた自分は悪くない――なんてことを現実逃避じみて考えながら、フィーアは自分のものとは思えない髪を無意識にぐるぐると指に巻き付けた。
本日ジャンルを恋愛に変更しました。最初っから薄々思ってたんですが、ファンタジーより恋愛寄りの話になりますこれ。はじめからそうしとけばよかった!
それはさておき投稿は2ヶ月ぶりです。時が過ぎるのって早いデスねー(遠い目
ちょこちょこ書きためてるので年内にもう一度くらい投稿したいのですが、ストックがないと心配&展開によっては修正しそうなのでもうちょっと書いてたぶん修正しないと思った時に投稿してるものでどうなるか予定は未定です。