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そして、夢を見た。
意識を失う前に聞いたことが反映された夢を。
フィーアの視界は低く、明るい色のドレスを身につけてた。
周りを囲むのは国王陛下に、母、それからサリアナで、遠くから「姫さま!」と叫びながら男の子が駆け寄ってくる夢だ。
ああこれは夢かも――そう思った途端に目が覚めて、起き上って頭を抱えた。
それはフィーアの覚えていない過去の記憶がよみがえったものだろうか? 単に頭が情報を整理しただけだろうか?
どちらが正解でも、あるいはどちらも不正解だとしても、いたたまれない気持ちがわき起こることに違いはない。
見覚えのない寝台の上でフィーアはなんて夢を見たんだと身もだえし、年を重ねた今、少なくともしばらくそれを現実に体験することを思い出して嘆息した。
「なんで私、マリーのように育たなかったんだろ」
幼なじみの顔を思い出しつつ頭を抱える。彼女なら喜んでこの環境になじむべく努力をしただろうに。
「むしろあんたがあの子をああしたんだと思うけどねー」
独り言に返答があったので、フィーアはがばりと顔を上げた。
起きた時には周囲にいなかったはずの母が気配もなくそこにいたことには驚かないが、その言葉には違和感を覚えた。
「なにそれ」
「ここでの暮らしを覚えてた頃のあんたに影響されたんだろ」
しれっと言ってのけたファランティアは手に掲げていたトレーから水の入ったグラスを持ち上げて「飲むかい?」と差し出した。それを反射的に受け取りながらフィーアは首をひねる。
「どういうこと?」
ファランティアはにやりとして「幼かったあんたは」と口を開いた。
ようは小さくて、環境の変化がわかっていなかった幼き日のフィーアがきらびやかな王城での生活を親しくなったばかりのマリーにあれやこれや話して聞かせたらしい。
「マリーには衝撃的だったんだろうね、すっかり影響されちまった」
そんなことを言われても、フィーアにそんな覚えはまったくないので「はあ」などと生返事するしかない。
「それでもって自分はけろりと忘れちまうんだから」
「そんなこと言われても」
フィーアは口をとがらせた。
覚えていると言われて思い出してみようと思っても、そんな過去はまったく思い出せない気がするのだ。
フィーアは想像の翼を広げて、幼き日の自分とやらを思った。
真綿でくるまれるような生活をしていた小さな王女が、今の自分の生活に慣れるのは大変だったんじゃないだろうか。
フィーアが思い出せる城やら宮殿での思い出にろくなことはない。何故なら魔女の娘だと軽んじられ続けてきたから。
それを考えれば――フィーアが過去とやらをすっかり忘れたというのにも無理はないと思う。どう考えても待遇に大きな違いがあるのだ。
自分が夢見る頃は過ぎたと考えていたが、その「夢見る頃」は夢でなく現実だったらしい。そうだとしても、それを補って余りあるほど現実は厳しかった。だからきっと、かつての自分は過去の記憶を葬り去ったのだろう。
「なんにせよ、あんたが自分でここまで来ることに決めたんだ。責任持ってそれなりの態度を取るんだよ」
「わかってるって」
それくらいは既に了承済みだとフィーアは胸を張る。
「なら、いいけど。さて、じゃあ今の状況を説明するよ」
「状況っていうと?」
「何を他人に知られてよくて、何を知られればまずいかってことだね」
フィーアが相槌を打つとファランティアは「まず」と切り出した。
「王家の他はルガッタ家しか真実は知らない。王家というのは、お前の父である国王とその妃、そして息子である王子たちだ。正確にはもう少し人数は多いが、わざわざあたしの素性を話すと害になると判断された」
「……王妃さまとかに知られているのは、普通は害になりそうだと思うけど」
フィーアが思わず口を挟むと、母はにやりと笑った。
「サリアナは私に恩がある。たいした恩でもないが、向こうがありがたがってくれているんだからそれを利用しない手はない」
「じゃあ、マイラさんは?」
「あれは私に恩と負い目がある。恩義を受ける覚えはあれ、別にあの娘が負い目に持つ必要はないと思うが、それでこちらが優位になるなら否定する必要はないね」
「ああ、そう」
ファランティアに詳細を説明するつもりはなさそうだし、フィーアもそこまで詳しいことに興味が湧かない。
「そしたらルガッタ家はなんで知っているの?」
問う途中で、聞き覚えのある家名はアデレイドやアルトベルンの家のことだと思いついた。
知っているからアルトベルンがフィーアを迎えに来て、アデレイドが面倒を見てくれたのだろう。
だからといって、王家でも現在の国王一家という限られた人間しか知らないことを公爵家が知っている理由は想像がつかない。
「当代のルガッタ公は国王の側近中の側近をしている。もともと学友として親しくしているというのが第一の理由だ。だからこそ第二第三の理由ができた」
「なにそれ」
「お貴族様が婚姻で関係を強化しているのはあんたも知っているだろう。公爵家なら王族に嫁いでもおかしくない家柄だが、先代のルガッタには娘がなかった。そういう時に、王族の気に入った身分の低い娘を養女して嫁がせるってことはままあるらしいね」
「なるほど?」
「わかってないのにわかったような口を聞くんじゃないよ、フィーア」
ファランティアはじろりと娘を睨み、つまりはと言葉を続ける。
「つまりルガッタの先代公はあたしの義理の父ってことになってる。それで、当代公は第三妃と王女の後見役ってわけだ。だからこそルガッタ家にはすべてを知らされているのさ」
「ふうん」
「自分で聞いておいて興味がない態度はいただけないねえ」
「聞いたはいいけど、別にどうでもいいことだったなって思って」
文句を口にしたもののそれほど気にかけていないようで、ファランティアは「まあいいけどね」とあっさりと言った。
「そんなわけで、対外的には第三妃が深き森の魔女であることは秘密だし、そうであれば第三妃とその娘が不在だった理由を取り繕わなければならない」
「王女さまは病弱でめったに姿を見せないって噂だけど」
そうだねとファランティアはうなずいた。
「そういうことになってる。療養のため遠方の療養地に行っているということになっていた。警備の関係上ごく限られた人間にしか居所を知らせておらず、同じ理由でごく限られた護衛を連れてこの度無理を押して帰還したってことにするらしいね」
ファランティアは説明すると、楽しそうに笑った。
「あんたは病弱な姫君ってわけだ。頑張って猫を被るんだね」
「わかってるわよ」
もとよりそのつもりだとフィーアはうなずく。そして、駄目だろうなと半ば思いつつも、根本的な疑問を母に尋ねることにした。
「ねえ、母さん。母さんが言うことは全部ほんとだろうなって思うんだけどさあ」
「もちろんさ」
遠慮がちに切り出すと、応じるファランティアの機嫌は悪くなさそうだ。
「魔女の母さんが国王の側室に収まった理由は、まあ聞かないけど」
さっきの様子からすると突っ込んでほしくなさそうだしと内心漏らしつつ見つめる母の機嫌はまだ大丈夫。
「一夫多妻がちな貴族さまに一般常識が当てはまるか分からないけど、結婚って一種の契約なんだよね? 側室でも一応その範疇だと思う……けど」
母の様子を伺いながら続けると、続く言葉を予想でもしたのか眉間にシワが寄り始めた。
「契約を重んじる魔女である母さんが、そう簡単に立場を放り出すとは思えないんだけど」
覚えのない幼い日はともかく、物心ついてからの大半を市井で育ったフィーアには──特に母の仕事場で貴族に蔑まれがちに育った身にとっては──その方があれこれ気を揉まずに済んだかもしれないなとも思う。
今のところこの国とは縁がなさそうに見えるが、上層階級は本来腹の探り合いや陰謀の渦巻く場所である。少なくともこれまでフィーアが知っていた限りは。
だから別に城で育ちたかったわけではないけれど、事情はともあれ途中で契約を放り出す母には違和感を覚える。
果たして。
娘の問いかけは面白いことではなかったのだろう。ファランティアの機嫌は目に見えて低下した。
フィーアが寝ていた寝台にぼすりと腰を落とし、母はふんと鼻を鳴らす。
「正しくその通りだ。すべては契約通りさ」
面白くなさそうにファランティアは告げて、「この際だ」と前置きして苦々しい口ぶりで話始めた。