13
そうして、一瞬でフィーアの周囲は変わっていた。
「ここは――」
呟きつつ、フィーアは辺りを見回した。視界が揺らいだ時は家に帰るものだと思ったけれど、見覚えのない室内だ。
それは、先程までいた部屋にどこかよく似た内装の一室。
「座りな」
中央のテーブルの一脚をファランティアは指さした。
「どこ、ここ」
母の指示に素直に従いながらフィーアは呟く。
魔女の魔法は有能ではあるけれど万能ではないことを、魔女の娘たるフィーアは知っている。転移の魔法は便利だが、使い勝手の悪い魔力食いであることも。
魔女本人が見知った場所にあらかじめ陣を敷いていなければ、簡単に移動などできない。そうするとここが母の知ったところであるのは間違いないのだろうが――それにしてはどうも上等な場所かつ陣を敷くのに不適に思われる室内であることが疑問だ。
フィーアの真向かいに腰掛けながらファランティアは実に忌々しげに鼻を鳴らした。
「別宅のようなもんだ」
「別宅?」
オウム返しする娘に母はうなずいた。
「ツァルトの城の中。さっきとそう離れちゃいないところだ」
さてどこから話すべきだろうね――ファランティアは独り言のように漏らす。
「あたしとしては、まったくこれっぽっちも話したくないことなんだけども」
「私も聞きたくないような気がする気がするわ」
嫌そうに言う母に、フィーアも嫌そうに応じる。
フィーアは自分の頭の出来良さを過信しているわけではないが、少なくともバカではないつもりはある。
得た情報から思いつきそうな「もしかして」が、頭の中から落っこちてきそうだった。
「ま、そう言うもんじゃないさ。何がどうしてこうなったかは聞かないけども、あたしの許可も得ずにこんなところまできたあんたが悪い」
「だって」
フィーアは思わず口をとがらせる。
「自分が住んでる国の騎士が自分を名指しでお迎えに来たら、なんとなく従わないわけにはいかないでしょー?」
「何がなんとなくだよ」
「私だって突然あり得ないことを言われて動揺しなけりゃ、もう少しうまいこと断ったと思うわよ!」
「あり得ないこと?」
「いきなり自分の父親が国王陛下だと言われた私の気持ちだってわかるでしょ!」
はんとファランティアは鼻で笑った。
「わかるわけないだろう。国王を父に持つのはあんたであってあたしじゃない」
身も蓋もない返答にフィーアは一瞬言葉に詰まり、瞬時に気を取り直す。
「そっんな言い方ないでしょー?」
フィーアが睨みつける母はそんな視線をものともしないが、それでも視線に力を込め続けて声を張り上げる。
「どういうことかと思ったわよ。愛想もないし説明の足りない騎士に馬車の中に押し込まれて、ぐるぐる考えちゃう羽目になるし!」
「説明が足りないって――そういや、一体なんて言われてこんなとこまで連れて来られたんだい?」
「ボーゲンシュットの王太子殿下が、姫さまに会いたいとか言ったんだって」
「ハァ?」
「こんなことで呼びたくなかったけど、背に腹は代えられないんだって」
ファランティアはガシガシと乱雑に頭を掻いて、大きなため息を漏らした。
「ボーゲンシュットねぇ……関係上その次期国王を無下にできないのはわからんでもないけど。何が背に腹は代えられないだ、あの馬鹿」
フィーアに聞こえない音量でなおもブチブチ文句を言って、ファランティアはもう一度嘆息する。
「なんにせよ、あたしがいなかったのをいいことにあいつは本懐を遂げたわけだ」
「本懐って?」
「会ったんだろ」
首をかしげるフィーアを見て、ファランティアは大げさに頭を振った。
「――お前の父親、この国の国王にだよ」
「国王って人には会ったけど」
うなずいてフィーアはごくりと唾を飲み込んだ。
「でもさ、それって……母さんが言うからにはホントなの?」
恐る恐るの娘の問いかけに、渋面で母は応じる。
「なにがどうなって魔女と国王の間に子供が生まれるわけ?」
聞きたいことは山ほどあったから、フィーアはこの際とばかりに次々に疑問を投げかけることにした。
「そりゃ、することしたらできることもある」
「母さん……いや、そういう意味じゃなくて。そういう意味でなら、私はてっきり行きずりの男とあれだと信じてたんだけど」
「魔が差したんだよ」
「魔が差した、って」
馬鹿みたいに繰り返すしかないフィーアの前で、ファランティアはバツが悪そうな顔になる。
永く生きている魔女が若い娘を煙に巻くのは簡単だろうに、ことが娘の父親の話だからかいくらかは話すつもりがあるらしい。
「そういうので一国の主とどうにかなれちゃうわけ?」
「だから、魔が差したんだよ」
母に国王との馴れ初めを説明する気がこれっぽっちもないことだけを理解して、フィーアはため息をついて聞きだすことを諦める。
「さてどう説明したもんかね」
呟いて、悩むようにファランティアは室内を見回した。
もちろん部屋の中に求める答えが明確に書いてあるわけもなく、彼女は瞳を閉じて考えてからよしと呟いた。
「後で質問にはできるだけ答えてやるから、まずは口をつぐみな」
「……わかったわ」
ためらいつつもフィーアが大人しくうなずくと、ファランティアは満足げに唇を持ち上げる。
「ここはツァルトの城の中。庶民上がりの側室、ファーラに与えられた一室だ。ファーラって言うのがあたしの仮の名で、その娘があんた」
「は?」
フィーアは思わず声を上げたが、母は鋭い一瞥で続けたかった言葉を封じてくる。
母に逆らってもろくなことがないので仕方なしにフィーアは口をつぐんだ。
「何年前だったかね――あんたが産まれるちょっと前から、三つだか四つだかの頃まであたしはここに住んでいた」
問いたいことはいくつも思いついたが、禁じられたからには聞けやしない。少しでも疑問が解消されればいいとフィーアはそれだけを願う。
「だから、あんたはホントはぜーんぶ知ってるはずだよ」
だけど無情にも、フィーアの母たる深き森の魔女ファランティアはそれで説明を打ち切った。
ひどく満足げにうなずきながら腕を組んだから間違いない。
「えーと……」
言いつけを破って言葉を発してもお咎めがないから絶対に間違いないとフィーアは悟って、まったくもって疑問が解消されなかった事実に呆然とする。
「こう、なんていうの? もーちょっと何かないわけ?」
「思い出せばわかることを説明するのは無駄じゃないか」
にべもない母を見て、フィーアはめまいを覚えた。
「三つだか四つだかって……物心つく前のこと……じゃない?」
あまりにも自信たっぷりのファランティアにフィーアは力なく抗議した。
頭の片隅にでもその記憶とやらが残っていたら、もうちょっとすんなり場に慣れたかもしれないし、あれこれ気に病むこともなかったような気がするのだが。
説明する気もない母の言葉をまるっきり飲みこむと、フィーアはなんと国王陛下が溺愛する三番目のお妃さまとの間の王女さまであるらしい。
(おうじょさまって)
知ってしまったのは衝撃の真実だ。
短時間で娘を抱きしめて去った父が真実王女を溺愛しているというのなら。そして、何らかの理由で母が娘を連れて去ってしまったのならば、どうにかして娘に会いたいと思うのは無理がない――かもしれないと、思う。
母は魔女の性質として契約を重んじる性質だ。一国の側室に収まったのも、去ったのも、そして戻ってくるのにも何らかの条件をもとに契約を結んだのだろうということは、少し考えれば想像がついた。
娘を溺愛する父(仮)が娘が戻ってくる条件を満たすために「娘をよその国の王子に会わせる」を選択するのはきっと「背に腹は代えられない」ことなんだろうな、ということも。
それなりの年齢の王族の男女が顔を合わせるなんて大抵縁談がらみに決まってる。
そして世の父親なる生き物が娘を嫁に出すことを快く思わないことも大方の場合決まっている――フィーアの知る限り、それは庶民限定だったが……明らかに規格外のこの国の王侯貴族に限っては違うのかもしれない。
王妃と側室が仲良くしているどこかおかしい国のようだから、たぶん、きっと、おそらく?
そう考えついたところで緊張の糸でも切れたのか、フィーアの記憶はそこで一度途切れた。
できれば近いうちに完結させたいなあ~と頑張って書いてます。
相変わらずペースは遅いですが。