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すっかり冷えてしまったお茶を飲みながら、フィーアは今自分にわかることを振り返る。
フィーアの母は深き森の魔女と呼ばれる魔女だ。世間ではあまり知られていない名はファランティア。正確にはもっと長いらしいがそれは娘であるフィーアでさえ知らず、ごくごく親しい人間にはファラという愛称で呼ばれている。
その愛称で母を呼び捨てる王妃サリアナはどうやら母と親交が深い様子で、ファラ様と呼ぶ側室マイラも母と親しいことが推測される。
一国の王妃や側室と親しくしている母と、その国の国王陛下との間に産まれたのが自分らしいということも一応は理解した。人に忌避される魔女との間に子供を作っちゃう国王ってどうだろうと思うし、何度聞いても信じがたいけれど。
「フィーアに会いたいだけで策を弄すとはなんだと声高に主張する彼女が目に見えるわ」
「策を弄すだなんて! サリアナ様、陛下はそのようなことをなさいませんわよ」
フィーアをさておいて王妃と側室の会話は続く。言い争ってはいても、同じ男の寵を競う二人にしてはおままごとみたいなそれ。
かつて同じような関係の人間がもっと辛辣なやり取りを交わしていたのを見た記憶のあるフィーアには違和感がぬぐえない。
「フィーアを呼びよせるのにちょうどいい口実が出来たと思ったのでしょうよ」
「まさか! 陛下がそうやすやすとフィーアを年頃の男性に紹介なさろうとするはずがあるはずないではありませんか」
「そうでもなくては呼び寄せられなかったからに違いありません」
会話の俎上に上がるのが自分のことだというのだからフィーアはちっとも落ち着けない。
とうとういたたまれなくなって「あのう」と口を開くと、驚いたように視線が一挙に集まった。沈黙を守っていたアデレイドさえびっくりしたらしく「どうなさいましたの?」と久しぶりに言ったくらいだ。
フィーアは「よくわかんないですけど」と続けた。
「こんなことで呼びたくなかったけど背に腹はかえられないからって私は聞いたので、マイラ母さまの方が正しいんじゃないかと」
援軍を得たマイラがそうでしょうとばかりにうなずく。対してサリアナは不満顔だ。
「それこそ、フィーアを呼びよせる理由が他国の男性に会わせることだということが不満なだけではありませんか」
先程遭遇した自分の父であるという国王陛下をフィーアは思い出す。ごく短い間だったけれど、あれは確実に娘に愛情を抱いているなとよくわかる抱擁だった。
そして思う。その短時間で自分にそう悟らせる行動をとった国王がどれだけ娘を溺愛しているのだろうと。娘と言ってもフィーアではなく、田舎育ちのフィーアでも噂を聞く本物の王女の方だ。
「病弱な姫様を会わせるよりましってことじゃないですか? 影武者に魔女の娘をあてがうのはどうかと思いますけど」
全くの他人を代役にするのではなく離れていた娘を持ってくるところが、サリアナの言う通りしたたかなのだろう。それが魔女の娘であるのは知られたらまずいが、その危険性を押しても理由をつけて会いたいと思ってもらえていたのならば――正直、あまり実感はないがうれしいように思う。
なんとなく面映ゆく感じつつ、フィーアは自分の考えに疑問を持たなかったのだが、対する反応は間の抜けたものだった。
まず常に冷静な様子を損なわなかったサリアナが綺麗な所作で持ち上げていたカップはテーブルに落ちて割れ、耳障りな音が高く響いた。
マイラは大きく目を見開いて固まっている。
アデレイドは「ええと」だとか「その」だとかと何くれとなく呟き、続く言葉が出ないようだ。
やがて三人は顔を見合わせて、無言のうちに意思疎通を交わした気配を見せる。その結果口を開いたのは、アデレイドだった。
「つかぬことをお伺いしますが……」
それに、はいでなく「うん」とうなずいても、動揺しているらしきアデレイドは言葉遣いに対する指摘はしてこない。
「姫さまはどこまでご存知なのですか?」
フィーアは今更の質問に半分呆れながら、曖昧にごまかしていた自分も悪いんだろうなと思った。自分なりの処世術だったのだが、おかげで何もかもさっぱり分からない。
「どこまでもなにも、まったく分かってないけど」
それを堂々と口にできたのは、少なくともここにいる人間から自分が疎まれていないらしいと思えたからだ。正直に告げて態度が変わったらその時はその時、元から好意的だったのが異常なのだから。
室内に沈黙が落ちて、フィーアは居心地が悪くて身じろぎした。
すぐさまののしられるようなことはなかったのは救いだが、いつまでもそうとは限らない。最悪を想定する処世術はこんな時にもぶれない。
フィーアの顔をまじまじと見た三人のうち、最初に口を開いたのはサリアナだ。
「――あり得ることと、想定しなかったのが間違いなのでしょう。フィーアはまだ幼かったですし、ファラはひどく怒っていましたから。当人が覚えていないことをあえて告げることはなかったのでしょうね」
「でも、ですけど、それは」
反論の言葉を探すようなマイラをサリアナは視線でもって黙らせた。
「ファラの立場からすればその方が好ましい、でしょう?」
マイラが完全に沈黙したのを見て、サリアナはフィーアに視線を戻した。
「さて、どこから語ったらいいのでしょうね」
「語らない方がありがたいと言いたいところだけどね」
迷うように呟く彼女に応えたのは室内にいたはずの誰でもなく、その場にいなかったはずの存在だった。
闇のような色合いの髪と瞳を持つ二十歳半ばほどの女がいつの間にやら現れていて、言うやいなやフィーアの肩にぽんと手を置いた。
「か、母さん――」
肩に置かれた手にギリと力が籠る。無言のうちに怒りを見せる母に慄いて、フィーアはかすれ声を上げた。
茶色い髪に青い瞳のフィーアと母の共通点は似た顔立ちだ。とはいえ瓜二つと言うほどではないし、色合いが大きく違えば印象も大きく異なる。
長命な魔女ゆえにいつまでも若々しい母と並べば、いいところ姉妹のようにしか見えない。
「ファラ」
サリアナがその母の名を呼んだ。その彼女を見据えるフィーアの母、ファランティアの眼差しは冷ややかだ。
「人が不在の間にずいぶん面白いことになってるじゃないか?――ああ、別に言い訳なんぞいらないよ。悪いのは十中八九あいつだろう」
ぼやきながらファランティアはフィーアの頭をぽんと叩いた。ぐしゃりと髪をかき乱して、ぱっと離す。
「それにこぞって全員で加担しただろうことは、正直面白くないけどね。さあ、行くよフィーア」
誰にも有無を言わせずに、ファランティアは娘の手を引いた。フィーアが数歩たたらを踏むうちに、その足元に魔法陣が現れて視界が揺らいだ。