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【挿絵あり】聖輪女神教団の司祭  作者: ドヨ破竹


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第一話:灰色の聖者と、不良債権の価値

第一話:灰色の聖者と、不良債権の価値


1. 聖輪の偽善と「普通」の仮面


 空は、煮え切らない泥水のような色をしていた。

 アルディア大陸を東西に貫く「祈りの街道」。かつては巡礼者で賑わったというその道も、今や雑草が石畳を割り、あちこちに野盗の返り血が黒ずんだ染みを作っている。


 その道を、一人の男が歩いていた。

 擦り切れた灰色の外套を羽織り、歩くたびに腰の木杖と革の荷嚢がのうが、カチャリ、カチャリと乾いた音を立てる。


 **クロード・ヴァレンティス**。二十八歳。

 聖輪女神教会の「巡回司祭」という肩書きを持つ男だ。


 教団の公式記録によれば、彼は「一般出身の、可もなく不可もない凡庸な司祭」である。家柄もなく、特筆すべき魔力量もない。政治闘争の派閥にすら入れてもらえない「数合わせ」の駒。それが、クロードが心血を注いで維持している偽りのプロフィールだった。


(……有能であることは、この国じゃ死刑宣告と同じだ)


 高位の回復術師がどうなるか、彼は嫌というほど見てきた。戦地の塹壕で兵士の肉を繋ぎ合わせ続け、あるいは肥え太った司教の精力増強のために魔力を吸い取られ、最後には精神を病んで使い捨てられる。


 だから、クロードは「普通」を演じる。

 初級の奇跡を無難にこなし、野心を見せず、ただ灰色に染まって生きる。それがこの腐り果てた時代を生き抜くための、彼なりの聖域だった。


---


2. 奇跡の対価と「信仰」のやり場


 午後、街道から少し外れた場所にある寒村へ到着した。

 村人に、案内されたのは、隙間風のひどい藁小屋だ。そこには十歳にも満たない少年が、土気色の顔で横たわっていた。


「…………」


 クロードは無言で少年の額に手を置いた。

 実際には、この程度の衰弱など彼の本来の力を持ってすれば数秒で完治する。だが、彼はあえて時間をかける。わざとらしく額に汗を浮かべ、魔力を絞り出すフリをしながら、最低限の「初級回復術」に見える程度の淡い光を放った。


「あ、れ……父ちゃん?」


「トマ! おお、司祭様、ありがとうございます! 教会の方々は本当に慈悲深い……!」


 村の長らしき老人が、震える手で小さな布袋を差し出してきた。中には使い古された銅貨が数枚、カチリと音を立てて入っている。


「司祭様、これは……せめてものお礼です。どうかお受け取りください。教団へ収める寄進もすぐに用意いたします」


「取っとけ」


 クロードは老人の手を無造作に押し返した。

「見りゃわかる。冬越しのための蓄えだろ。俺がこれを受け取って、お前らが野垂れ死んだら後味が悪い」


「ですが、それでは教団に対して申し訳が……」


「礼なら女神に言っておけ。あんたらの感謝があれば、それで女神は十分だ」


わざわざあの腐った教団の連中にまで届けてやる必要はない。


 クロードは危うく本音を漏らしそうになり、言葉を飲み込んだ。

 教団の司教どもに感謝するなど、ドブに金を捨てるより無価値だ。それなら、まだ実体のない女神に祈りを捧げている方が、俺も精神衛生上よほど健全になるだろう。


 村人たちは、無欲な聖者が現れたとばかりに涙を流して拝んでいた。


(……よし。これでこの村の連中は、次に巡察官が来ても俺の悪口は言わん)


 クロードは内心で冷徹に計算していた。

 少額の謝礼を断って「高潔な聖者」という評判を買っておけば、教団本部への言い訳が立つ。司教達にとって数枚の銅貨などゴミのようなものだ。そんなゴミを上納されるくらいなら何も受け取らず、名声を得る。本部の中年司教どもにとって、クロードが「名声を集める優良な巡回業者」である限り、彼の身分は安泰なのだ。


---


3. 「不良債権」への投資と潮風の便り


 夕暮れ時。

 街道沿いの岩に腰を下ろしたクロードのもとへ、羽音と共に小型の伝信鳥が舞い降りた。鳥の脚から抜き取ったのは、南東諸島の端、フェルナ群島に位置する「潮鐘の修道院」からの書簡だ。


 この修道院は、教団本部の杜撰な管理の末に放置された、いわば「不良債権」だった。

 王都から遠く、古代遺跡の残骸が転がる流刑地のような島。本部からは「維持費ばかりかかる無駄な施設」として、責任回避の末に彼のような閑職の司祭に押し付けられた場所だ。


 クロードは封を切り、羊皮紙を広げた。そこには、丁寧だがどこか温かみのある文字が並んでいた。


---


> **クロード・ヴァレンティス司祭様へ**

>  潮風が一段と冷たくなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

>  今月も多大なるご支援をいただき、修道院一同、言葉では尽くせぬ感謝を抱いております。

>  先日いただいた資金のおかげで、長年の悩みだった西棟の窓枠をすべて新調することができました。

>  特に小さな子供たちは「もうお化けの足音がしないね」と大喜びしております。貴方様が贈ってくださったのは、単なる資材ではなく、私たちに安らぎの時間そのものなのです。

>  リシェルは相変わらず騒がしく、昨日は「クロード様への感謝の気持ちを込めて豪華な夕飯を振る舞う」と張り切っておりました。結果、大きな魚を焼こうとして台所中を煙で真っ白にしてしまいましたが……。

>  ですが、彼女は焦がしてしまった部分を丁寧に削り、それを半日かけてじっくりと煮込んで、とても美味しい出汁を取ってくれました。

>  本部の記録から忘れ去られたようなこの修道院が、今日まで存続できているのは、間違いなく貴方様というお方がいてくださるからです。

>  見ず知らずの私たちを救い続けてくださる貴方様は、私にとって女神様が遣わした本物の使徒のように思えてなりません。

>  どうか、お体をおいといください。貴方様が今夜も温かな火の側におられることを、私たちは毎日祈っております。

>  女神様の慈愛が、貴方様へ届きますように。

>  潮鐘修道院 **セレディア**より


---


「……フン。相変わらず、重たい手紙だ」


 クロードは皮肉げに呟いたが、その指先は丁寧に手紙を畳んでいた。

 彼は自分の給金や、巡回先で集めた正規の寄進の教則上限を、この修道院へ援助金として送っている。


 理由は単純だ。

 どうせ本部へ送ったところで、あの肥え太った司教が高級酒を飲むか、愛人を囲うための金として消えるだけだ。それなら、海の向こうの顔も知らない「不良債権」へ投げ捨てたほうが、よほど金の使い道として「マシ」である。


 彼はまだ知らない。

 その手紙を書いたセレディアという娘が、愚王エドガル三世の血を引く「落胤」であり、大陸最強クラスの聖魔力特性**《濃厚芳醇》**を宿した、教団はおろか邪教徒までもが喉から手が出るほど欲しがる「聖女」の原石であることを。


---


4. 静寂の鍛錬


 深夜。

 人気の無い林の中で、クロードは一人、自身の研鑽に耽っていた。


 彼は安物の木杖を中段に構える。

 呼吸を整え、自身の魂から生まれる魔力を、外界へ漏らさぬよう内側で練り上げる。


 ――。


 突如、爆ぜるような速度で杖が動いた。

 突き、払い、叩き。

 魔法による身体強化をあえて使わず、長年の放浪と孤独の中で練り上げられた、純粋な武術の技術を研ぎ澄ます。風を切る鋭い音だけが、深夜の静寂に等間隔の拍子を刻む。


 彼がこれほどの腕を隠し持ち、さらには禁忌とされる「灰術」の知識まで深めている理由は、英雄になるためではない。

 ただ、「死なないため」だ。

 そして、自分という存在を、自分が「マシ」だと思って支援しているあの小さな修道院を、理不尽な運命から守り抜くため。


 一通りの型を終え、クロードは軽く息を吐いた。

 額に浮かんだ汗を灰色の外套で拭い、再び「冴えない司祭」の表情に戻る。

 

 腐敗した王国、搾取する教団、そして地下で蠢く邪教の影。

 その巨大な闇が渦巻くアルディア大陸の片隅で、一人の男の物語が、今はまだ静かに胎動を始めていた。


「ふう…」


 クロードは木杖を腰に差し、冷たい夜の闇の中へ、淡々と歩を進めていった。

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