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鼓動のような振動に背中を預けたまま、悠真はしばらく動かなかった。焦る必要はない、と頭では分かっているのに、内側では何かが急き立てる。
流れの上流。
あの壁の向こうにある“広がり”。
触れれば壊れるかもしれない。だが、知らないままでは先へ進めない。
立ち上がる。
通路を抜け、光の筋が走る空洞へ向かう。足音はやけに静かだ。自分で調整した床が衝撃を吸っているせいか、響きが薄い。そのことが、逆に緊張を強める。
壁の裂け目の前に立つ。
光は一定の速さで流れている。さきほど干渉した名残はもう消えているように見える。
今度は強めない。
辿る。
流れに逆らわず、その方向へ意識を沿わせる。指で水面をなぞるように、そっと。
最初は何もない。ただの感覚の延長。
だが、しばらく集中していると、微かな“抵抗”に触れる。
壁ではない。
境界だ。
この空間と、別の層を隔てる薄い膜のようなもの。
悠真は息を止める。
押さない。
破らない。
ただ、触れてみる。
瞬間、視界の奥に閃光が走った。
音はない。だが圧がある。耳鳴りに似た振動が頭蓋の内側を震わせる。
ほんの一瞬だけ、何かが見えた。
暗闇。
広い。
今いる空間とは桁が違う規模。
点在する、いくつもの光。
それが何なのかを理解する前に、意識が弾かれた。
後ろへよろめき、壁に手をつく。呼吸が荒い。胸が焼けるように熱い。
「……今の、何だ」
膜に触れただけだ。破ろうとはしていない。それでもこれだけの反動。
あの向こうは、自分の制御範囲外だと、身体がはっきり告げている。
だが、確信もある。
この空間は単独ではない。
巨大な何かの一部。
もしくは、連なりの中の一つ。
悠真はゆっくりと広間へ戻る。石台の前に立つと、鼓動が先ほどより強く感じられた。
反応している。
自分が境界に触れたことに。
恐る恐る手を置く。
じわりと温かさが広がる。視界の奥に、淡い図形が浮かぶ。線と点の集合。広間と通路と空洞、そしてその先に、ぼんやりとした影。
さきほど見た“広がり”の断片だ。
完全には表示されない。
だが、存在だけは示されている。
悠真は唇を噛む。
外がある。
それも一つではないかもしれない。
もし、あの点在していた光が、それぞれ別の空間だとしたら。
ここは、その一つ。
繋がる可能性がある。
同時に、繋がれる可能性もある。
ぞくりと背筋が冷える。
自分が外へ出るだけではない。
外から、何かが来る。
その瞬間、空間の奥で小さな軋みが走った。
石の擦れる低い音。
通路のさらに向こう。
まだ手を加えていない方向からだ。
悠真はゆっくりと振り向く。
音は止まった。
だが、空気が変わっている。
流れが、わずかに乱れている。
境界に触れたせいか。
それとも。
慎重に通路を進む。光の空洞を通り過ぎ、そのさらに先へ。
そこは、まだ探索していない領域。
曲げただけの通路が続いているはずだった。
だが、壁の一部に、細い亀裂が走っている。
昨日はなかった。
裂け目の奥から、かすかな風が吹き込む。
外気。
いや、正確には“別の空間”の気配。
悠真は立ち尽くす。
自分が触れた境界とは、別の場所。
自然に薄くなっている部分。
このまま放置すれば、いずれ穴になるかもしれない。
心臓が早鐘を打つ。
繋がる。
準備も整っていないのに。
塞ぐべきか。
それとも、様子を見るか。
悠真はゆっくりと手を伸ばし、亀裂に触れた。
冷たい。
だが、向こう側から確かに流れ込んでくる何かがある。
魔力と呼ぶべきものかどうかも分からない、異質な揺らぎ。
石台の鼓動が、遠くで強くなる。
この空間が、何かを待っているように。
悠真は、しばらく動けなかった。




