スタンピードの危局①
「お母さん、おはよう!」
目を開くと、見慣れない部屋と天使のような笑顔がそこにいた。
ここ、どこだっけ? 起きたばかりでぼんやりとしたままコメットは起き上がり、周囲を見回してようやく昨夜入った宿の一室だと思い出す。
(もう家じゃないんだった)
イオスに別れ話をした後、コメットは大急ぎで荷物をまとめ、無理矢理村長を起こして鍵を返し、夜明け前に村を発った。
半日以上歩き続けて町に辿り着いたところで緊張の糸が切れた。猛烈な疲れに耐えられず、フロストと一緒にベッドに沈み込み、こうして朝まで眠ってしまっていたらしい。
そわそわと挨拶の返事を待っているフロストの頬を両手で覆い、わしゃわしゃと撫で回す。
「ん~……フロスト、おはよう。おなかすいてるよね」
「うん! おなかすいた!」
空腹の中でもコメットが自発的に起きるまで待っていてくれた健気な存在に愛おしさが込み上げる。
守らねば、と使命感を噛み締めながらコメットはベッドから下りた。
旅に出ると決めてから、フロストをどう扱うか悩んだ。
人の姿でいれば被服、移動費、宿費などの旅の必需経費が二人分必要になる。犬の姿ならいくらか節約できてフロスト本人も移動が楽になるが、宿での同室宿泊が厳しくなる。了承を得られるか、馬同様外に繋がれるかは宿次第。
そういうわけで、宿や乗合馬車など一緒にいたい場合は人の姿で息子として、野宿や徒歩での移動は犬の姿で旅の相棒として扱うことにした。
そうして必要に駆られてフロストに服を着させてみたら、何でも似合うし可愛いのなんの。旅の最中でなければ服が増え続けていたので、ある意味助かった。
白黒のボリュームがある髪に隠れて見えにくくなっているが、耳だけは人の形にならなかったので、ニット帽だけは欠かさず被せている。
「おお、このへんじゃ見かけない顔だな。姉さんとおでかけかい?」
「お母さんだよ!」
「おッ!? え、お母さん若くない? ちょっと歳の離れた姉弟にしか見えないんだけど」
「よく言われる」
……その帳尻合わせのため、十九歳のコメットは二十代後半と年齢詐称するはめになり、複雑な気持ちになったのは蛇足である。
「親子二人で王都まで行くのか。大変だなぁ」
村を出発して二週間。移動し続ける生活も少し慣れてきた。
乗合馬車で丸三日移動。暇を持て余す予定だったが、同乗した壮年の男性が二日間乗りっぱなしらしく、早々に打ち解けた。
柔らかく穏やかな対応にフロストはあっさりと懐き、子ども好きらしい男性も締まりのない表情で膝の上に乗ったフロストの頭を撫でる。
「行くところの名前、おーとだったっけ?」
「行くところはもうちょっと先だけど、まずは王都ね」
世界樹の周辺は王家管轄の土地だ。元々住んでいて国民ではない始祖の一族とは違って、コメットは国民の義務として通行証が必要になる。
魔法学院の卒業生なので一般の平民より手続きは楽だろう。面倒だし、魔法を使って強行突破もできるが、今のところ旅は順調そのものでフロストの体にも大きな変化はなく、一分一秒を焦る必要もない。
魔法は数少ない人間に与えられた世界樹の恩恵。世界樹のため、国のため、人のために扱う力と心得よ。誤った使い方は恩恵に対する冒涜行為である。魔法使いであれば律せよ。
――そんな学院の戒めを散々叩き込まれたので、緊急事態でもない限りコメットは卒業生としてお行儀よくするつもりだ。イオスや他の卒業生、在校生や恩師など、学院に関わる魔法使い全体の印象を悪くさせたくない。
(ついでに学院に顔を出してみよう。ベアルフの民について、先生が何か知ってるかもしれない)
世界樹の側を離れると老化が進むベアルフの民。フロストと親らしき同族が遠く離れたコメットの村の近くまでやってきた理由がわからず、ずっと気がかりなままだった。
ただの偶然ならまだいい。だが、世界樹の側を離れなければならない明確な理由があったとしたら――コメットのこの旅は、フロストにとって悪い選択だったかもしれない。そんな予感がずっと頭の片隅にある。
「おじさんもおーと行くの?」
「おじさんはもっと手前におうちがあるから、そこでバイバイだよ」
「そうなんだ~フロストは、お母さんとおーとに行ってくるね!」
俯きかけたコメットの耳にフロストの楽しげな声が響く。
何が正しいのか、この選択が間違っているのかもわからない。明かりのない道を進み続けているような不安は、胸にこびりついたままだ。
(見て見ぬふりをしてフロストを死なせるより、ずっといい)
イオスに向かって『与えられた役目をやり遂げて』なんて偉そうなことを言ったのだ。コメットには自分で選び取った役目をやり遂げる責任がある。
気持ちを引き締めてコメットは顔を上げる。くねくねと身を捩らせている遊んでいるフロストと、浮かない表情の男性が目に映った。どうかしたのかと口を開くより先に同乗していた女性が話に割り込んだ。
「突然ごめんなさいね。王都に向かうってことはコギー村のほうに行く予定? 急ぐ旅じゃないなら、もう少し手前で降りて迂回したほうがいいと思うわ」
「えっ、この先で何かあったの?」
「獣害がひどいらしいのよ。熊や猪が活発に動いていて、ここ数カ月で二十人は死んでるって話よ」
「数カ月って……領主は何もしてくれてないってこと?」
「いいえ、討伐が追いついてないの。死者の半分以上は領主様の兵士よ」
どの乗合馬車に乗るか相談のため立ち寄った町役場の職員が『王都にまっすぐ向かうならこのルートですが、今は移動制限があって……』と妙に口ごもっていた理由がわかった。
他のルートではかなり遠回りになってしまうので、特に追求しないまま今の最短ルートを即決してしまった。もう少し詳しく聞いておくべきだったと反省しつつ、コメットは馬車の進行方向に視線を向ける。
「教えてくれてありがとう。なるべく早く行こうと思う」
「えっ? あ、あなた、子どもも一緒なのに何を言って、」
「大丈夫。私は魔法使いだから」
同乗者たちは驚きと期待の視線をコメットに向ける。
軽装で乗合馬車を利用するということは、近隣に住む人間なのだろう。コギー村周辺の獣害が収束できなければ次に被害を受けるのは……と、恐怖を身近に感じていたのかもしれない。
しかし、その期待に応え切れるかどうかは別だ。コメットは少し気まずそうに視線を逸らす。
「……まぁ、その、大したことはできないけど、手助けできることはあると思うので」
剣を扱う予定なんてないので戦闘訓練は受けていないし、専攻していたのはバリバリの文系。学年首席で卒業したイオスに比べれば、コメットの実力は劣る。それでも、一介の魔法使いとして見て見ぬふりで通過はできない。
……とはいえ、問題解決するまでとことん付き合うつもりもない。獣害というものは一過性ではなく、慢性的に続くものだから。
あくまでコメットが一番優先するのはフロストだ。最短ルートを使わせてもらうための通行料として、後悔しない範囲で力を使い、気持ち良く通過させてもらう予定だ。
(害獣駆除なら実家でもやってたんだから。大丈夫、私ならうまくできる! ……多分)




