旅立つまでのエトセトラ⑦
母の死とフロストとの新生活を機に、大規模な模様替えをした。そのおかげで引っ越しの片付けは想定より早く済んだ。
引っ越しの挨拶がてら使える不用品を渡し回っていると、村民たちは口を揃えて「寂しくなる」と言ったが、言葉とは真逆に表情は明るかった。
「で、結婚式はいつ? ちゃんと予定空けとくから!」
こんな調子で引っ越しの理由を全員が勘違いをしていた。
フロストに関してわからないことが多いため、『本来世界樹の側にいるべオルフの民が辺境の村にいる』という事実を隠しておくには都合のいい勘違いだった。
ただ、さすがに何の説明も無くお別れというのは冷たすぎるので、事情をぼかした手紙を村長に預けておくつもりだ。
(結婚、か……)
一緒に帰郷する時、結婚の話はしていた。しかし断られた。生活が安定するまで待ってほしいとイオスから懇願され、保留になっていた。
当時のイオスは貴族の生き方しか知らなかった。生活力無し、職も住居も無し、遠く離れた庶民の地で親のコネも伝手も無し。彼はコメットといるためだけに、苦難の道を選択してくれたのだ。
そんな彼を抱える気満々で結婚の提案をした。彼もそれをわかっていて断った。誠実なイオスの決断に惚れ直したことを昨日のことのように覚えている。
最初はコメットの家に下宿して村人たちの手伝いから始め、翌月には隣町で仕事をもらいつつ家を見つけ、さらに翌々月に町役場の職員になっていた。
『来年、改めて僕のほうからプロポーズをさせてほしい』
そう言ってくれていた話も、結局流れた。
理由はプロポーズされるより前に母が死に、喪に服す期間に入ったから。そして何より、フロストの存在が大き過ぎた。
犬と暮らせる広い新居の当てがない。ならば新築するかと考えると金が心許ない。役場職員は町に常住するのが当たり前なので、隣村にあるコメットの家で暮らすのも難しい。
話題に上がっては行き詰まるを繰り返し、とにかく喪が明けるまでは、ということで再び保留になっていた。
そして喪が明ける頃合いの今、このバタバタの引っ越し騒ぎだ。
(私、結婚に恵まれない運命なのかも……?)
家の明け渡し日が迫る中、イオスにどう話そうか悩み続けていた。
正直に洗いざらい話せば、彼は今の生活を投げ捨ててコメットについてきてくれるだろう。どんな長旅でも、未知に満ちた世界樹の側で暮らすことになっても、イオスと一緒なら大丈夫だ。
……それは、コメット個人の話。
見知らぬ土地で一から築き上げた信頼と実績を捨てさせるなんて、イオスの二年間の努力を踏み躙る行為だ。
しかもこれが二度目。
ふざけるなと憤り、結婚どころか交流すら終わらせてもおかしくない。
(勝手すぎるって怒って、見限ってくれたほうが、気は楽かもしれない)
イオスはきっと、コメットの意思を優先する。やむを得ない事情があるのだろうと察し、自分の苦労をそっちのけで寄り添うことを選ぶ。
そんな彼の優しさをわかっているから、事情を話そうと考えるたびに口が重くなる。
事情を明かせないなら、コメットが取れる選択は一つだけだ。
ちゃり、と硬貨がぶつかる音に、思考の渦に飲まれていたコメットの意識は現実に引き戻される。
今日は収穫した野菜を卸す名目で隣町を訪れ、引き取り手がなかった不用品も売った。二ヶ月は生活に困らない現金をコメットはひとまず安堵する。
(とはいえ、遊んで暮らせるほどじゃない。あまり時間はかけられないけど、道中で稼がなきゃ)
杖に乗って飛んでいけば、おおよそ一カ月くらいで世界樹まで行ける。ただし、杖は持ち主専用の一人乗り。フロストを乗せることはできない。そうなると地上での移動になる。
遮蔽物のない空と違い、世界樹まで一直線で向かえる道など無いため、最低でも三ヶ月以上、下手すれば半年近い長旅になる。こんな寒い季節に連日野宿は厳しいので、旅費はあればあるだけいい。
村に戻ろうと町中を歩いていると、ふと足音が近付いてくる気配に気付き、硬貨袋をしまい込んで荷車の取っ手を掴み直す。
「コメット! 来ていたのか!」
「イオス……!」
一ヶ月ぶりの思わぬ再会に込み上げてきたのは驚き、喜び、困惑、苦悩――コメットは表に出す感情がわからなくなり、歪な笑顔になってしまう。
どうにか「おかえり」を絞り出すと、イオスは「ただいま」と甘く微笑みを向ける。いつも幸せになれる笑顔なのに、今は見ただけで胸がちくりと痛んだ。
「驚いた。帰るのは二、三日後だって役所の人に聞いてたから」
「予定はそのくらいだったけど、良い報せができるからと先に帰らせてもらったんだ。僕一人なら山の迂回路を避けられるから」
コメットの村周辺は山岳地帯で、通れる道が限られている。山向こうの隣町に行くため、山を五つ迂回する。
そんな面倒な土地だが、空を飛べる魔法使いには瑣末な問題だ。
「ここ数ヶ月あちこち飛び回ってた仕事、上手くまとまりそうなんだ?」
「昨日、ようやくまとまったんだ。関係各所の合意と国の承諾を得られた。後々発表されるけど、ヒズミ山のトンネル採掘が始まるんだ」
「えっ!? トンネルができるの!?」
山を迂回するものではなく、通り抜けられる新しい道路ができる。
地形に恵まれず閉鎖的だった故郷の村に、光が差し、新しい風が吹き込む。そんな想像が膨らんだコメットは、初めて空を飛んだ時と同じくらいの解放感と高揚感に思わず声が上擦る。
「すごいすごい! そんなすごいことしてたんだ……! ありがとう!! あっ、違った。おめでとうイオス」
「ありがとうで間違ってないよ。トンネル採掘を提案したのは色々な理由があるけど、そこには僕がコメットのためにできると思ったのも、大きな理由としてあったからね」
イオスがコメットの左手を恭しく掬い取る。
「……トンネル採掘の件で、責任者の一人として選ばれた。昇進して、来年から給料も上乗せしてもらえることが決まったんだ」
「え……」
心臓が大きく高鳴る。直前の喜びとは逆に血の気が引いていく。冷たい恐怖に全身が動かなくなる。
(あ、これ、私たち今、擦れ違ってる)
向き合っているはずなのに、別の方向を向いている。
嵐の中に放り出されたような荒れ狂った心の片隅で、冷静な部分が現状を理解する。
イオスの顔は晴々としている。ここに定住するコメットとの未来のために、彼はゼロから今の立場を築き上げたのだ。素晴らしく、誇らしい。喜ばなきゃいけないのに、コメットの顔は強張っていく。
(駄目だ。フロストのことも、何もかも、話せない)
事情を話せば、イオスは笑って『コメットについていく』と言う。彼が積み上げてきた努力を、コメットがまた壊してしまう。
もう、彼が当たり前に持つべきものを手放せたくない。
「だから、改めて今後の話をしたい。コメットも考えておいてほしい」
頑張っているイオスを応援したい。そのためには、コメットの存在は邪魔だ。
傷つけることになる。裏切りだと思われてもいい。ただ一緒にいたいだけのコメットの恋のせいで、イオスの人生を振り回したくない。
(これからも、イオスと一緒にいたい。ついてきてほしい、結婚してほしい、私だけを見てほしい、ずっと傍にいてほしい。…………でも、こんな気持ちは許されない。私が、もう許さない)
恋人になり、一緒に帰郷してから今まで、ずっと後ろめたさから目を背け続けていた。彼が好きだったから。大好きな人と一緒にいたかったから。
でも心のどこかでわかっていた。これは我儘で、愛じゃない。
彼を心底大切にして、愛しているなら。彼の功績をお気に入りのカーペットのように踏みつけて、居心地の良さを噛み締めたりしない。
(一緒に、いられなくてもいい。イオスならどこでも幸せになれるから)
自分自身に言い聞かせるための強がりで込み上げてきたのは、悲しさと寂しさと苦しさと、安堵だった。
――ようやく彼を解放してあげられる。遅すぎるくらいだけど、きっと手遅れではないはず。
じくじくと疼く傷口に消毒液をかけられたような、痛くて冷たくて、これでもう大丈夫だと体の中に染み込んでいく感覚がする。
(……ああ。私、ちゃんとイオスのこと、愛せていたんだ)
身を引き裂かれるような痛みと共に、イオスへの愛を実感する。
今まで口にした愛の言葉が身勝手の塊だったように感じるほど、想いが熱を帯びて大きくなっていく。これが結ばれた時ではなく、別れを決意した直後に起こるのだから、ままならないものだ。
もっと、彼を大事にできたらよかったのに。
コメットは後悔を飲み込んで、精一杯の笑顔をイオスに向ける。
「わかった。今日は疲れてると思うから……明日の夜に会える? 久々に一緒にご飯食べに行こう?」
何もかも今日中に終わらせて、明日の夜には村を発とう。コメットの決心は固まった。




