旅立つまでのエトセトラ⑤
「フロストー、ごはんだよー」
コメットの呼びかけに子犬――否、成犬に成長した犬はコメットの足元で嬉しそうに尻尾を大きく振る。
「そっかそっか、嬉しいの。お母さんと一緒にごはん食べようねー」
母の死からもうすぐ一年。
フロストと名付けた子犬との生活も安定していた。
最初はいずれ野生に返すことも考えた。しかし、コメットやイオス、村長だけでなく、老若男女問わず村人たちと仲良くなり、暖炉の横で仰向けになって熟睡する姿を見て、『無理だな』とすぐに悟った。
生涯面倒を見る覚悟を決めて、コメットはフロストの『お母さん』になった。
今年も暖炉に火を入れる季節になってきた。またあの無防備な姿が見られる。出会った頃は片手で持てるくらい小さかったのに、今では立ち上がるとコメットの胸まで前足が届く。飾りのように短かった尻尾は長く伸びて、当たるとなかなか重くて痛い。
今年はきっと暖炉の前は占拠されてしまうだろう。少しばかり困る光景を思い浮かべて、コメットは笑みを溢す。
「フロストは本当に大きくなったけど、そろそろ落ち着いたかな?」
犬は生後一年で成犬になる。フロストの誕生日はわからないが、もう大きさは頭打ちする頃合いだろう。
家にやってきた頃はやんちゃだったが、最近はコメットの話をきちんと聞けるほど落ち着いてきている。体の成長は止まっても、心の成長はこれからも見守っていける。
コメットは色んな思いで胸がいっぱいになり、幸福に浸りながら夕食を済ませた。
そして翌朝。
いつものようにフロストと添い寝していたはずだが、触れたのは柔らかな被毛ではなく人肌だった。
あれ? 昨日イオスが来てたんだっけ?
それにしては妙に肌質が柔らかい。お腹でも出てきたのか?
……いや、本当に触ってるのはお腹か?
…………そもそも、イオスは今、出張していたはず……。
寝惚けたままゆっくりと目を開けると、目の前に見知らぬ少年がいた。裸で。
どうやら触っていたのは、その子の背中から脇腹らしい。それに気付いたのは冷静になった後々のことで、現在のコメットにそんな余裕は欠片も無かった。
「ギャッ!!」
慄きながらコメットはベッドから転がり落ちる。その物音に気付いて少年が起き上がった。
黒と白に分かれた不思議な色の髪はところどころ寝癖がついて跳ねて、大きな金色の瞳はとろんと微睡んでいる。眠たげな子どもはコメットに
「お母さん、おはよぉ」
「おッッッッ!? お母さん!?!?」
とんでもなく混乱しているのに、親愛が込められた可愛らしい声で呼ばれて思わず胸がときめいた。
何もかも謎めいた存在なのに、不思議と不気味さはない。十歳くらいの子どもだからか、警戒より困惑のほうが優る。
とりあえず裸のままでは寒いだろうと、布団で包んだ。子どもはさも当然とばかりに素直に受け入れていて、ますます謎は深まる。
「あれ? 声、変。体、変なとこある。お母さん、どうしよう」
「ど、どうしようと言われましても……」
絶対に助けてくれる、そんな信頼の含んだ視線を向けられる。
心当たりのないコメットのしかし、目の前の存在が何者であれ、お金どころか服すら着てない子どもを放り出すほどコメットは冷血にはなれない。どうにかしてあげたいとは思う。
(なんか、放っておけない感じなんだよね)
知らない子どもなのに、何故か親身になりたい気持ちが込み上げてくる。何故、と考えると似たような経験をしたからだろう。
助けてほしいと訴える目を知っている。
子どもと同じ毛色、瞳の色を持つ、我が子同然の家族のような――。
瞬間、様々な謎が一本の線に繋がる発想がコメットの頭に降ってくる。
いつも同じベッドで寝ている愛犬の不在。代わりに眠っていた子ども。『お母さん』と呼ばれる理由。
「……フロスト?」
子どもは首を傾げる。
フロストが『呼んだ?』と駆け寄ってきて見上げた時と、同じ仕草だ。
「ふっ、フロスト――――!?」
驚愕の余り絶叫したコメットに子ども――フロストはびくっと強張り、おろおろした後、前足ではなく片手を顔に当てて、反省の表情で『とりあえずごめんなさいのポーズ』をした。
とんでもない事態を一人で抱えきれず、コメットはフロストを連れて、村長宅の扉を叩いた。
フロストにはコメットの古着を着せて、靴がないので荷車に乗ってもらった。寒そうに毛布に包まっていたので、遠巻きに挨拶をした村人は荷物を運んでいるようにしか見えなかっただろう。
そうして家から出てきた村長は、激変したフロストの姿に目玉がこぼれ落ちそうなほど開眼した。
「村長、こんにちはー」
「フロスト、今はまだおはようの時間」
「わかった! 村長、おはようー」
「……とりあえず入りな。寒くて仕方ない。すぐに茶……はまずいか? ミルクをあっためてやる」
村長が湯とミルクを温めている間にコメットは今朝の出来事を話し始め、会話に混ざろうと「そうだよ」とフロストの元気な合いの手が入る。そんなほんの数分で、村長は疲れたように溜息を吐いた。
「……これ本当に今朝急に人型になったんか? あまりにも言葉が達者すぎないか?」
「お母さんがお話いっぱいしてくれて、覚えた。フロスト、えらいぞ!」
「…………コメットが普段から犬に話しかけてた内容が、そのまま伝わってくるな」
「村長やめて」
きちんと伝わっていない時もあったが、フロストはいつも耳を傾けてくれるから、つい一方的に話しかけていた。結果、フロストの言語学習に役立ったのは良い。ただ少し気恥ずかしい。
コメットと村長が茶を、フロストも見よう見まねでミルクを飲んで一息ついた後、コメットは口を開く。
「それで、村長はフロストが人になっちゃった心当たりない?」
「あのな、わしが何でも知ってると思うなよ。まぁ心当たりは、あるが」
温かい茶と雑談を挟み、落ち着きを取り戻した村長は部屋の奥に向かい、古びた本を持って戻ってきた。
開いたページは『世界樹』について書かれている。




