旅立つまでのエトセトラ③
雪がちらつく中、なだらかな山道を上っていく。
鳴き声は断続的だが、徐々に近付いている。進んでいる途中でイオスも声が聞こえたようでコメットを引き留めた。
「効くかはわからないが、誘導灯の魔法を使おう」
「あ、その手が!」
「――世界樹に捧ぐ。望んだ祝福に報いる感謝を」
イオスが杖を取り出して詠唱すると、小さな白い光が現れる。
コメットが試しに「たすけて~」と小声をかけると、光はコメットを照らすようにゆっくりと近付いてきた。
問題なく動作する様子を見て、これでよし、と思ったコメットに対し、イオスは杖先で数回光を叩く。光は白から緑、青、そして赤へと色が変化する。これなら雪が降る木々の中に向かって移動しても、見失うことはないだろう。
「さすがイオス」
「褒めるのが早すぎるよ。きちんと向かうかどうか」
クーン……。
先程より近くに聞こえた声に反応して赤い光が動き出す。「さすがイオス」と改めて伝えてから、やや早足で光を追う。『助けて』に反応する誘導灯の光が動いたということは、あの鳴き声は、そういうことだ。
整備された山道から逸れて山肌が剥き出しになった獣道を歩く。赤い光は背の高い草の中に入り込んでその場で止まった。
草をかき分けた先にいたのは、力なく横たわる四つ足の獣だった。
特徴的に犬か狼に見える大きな個体の腹部に寄り添うように、小さな個体が丸まっている。二匹は親子だろうか。白と黒の毛並みの獣は、己の頭上に浮かんでいる赤い光を不思議そうに眺めていた。
「くぅ……?」
赤い光からコメットとイオスに、金色の瞳が向けられる。
生後間もないであろう小さな体に合った、あどけなく無垢な眼差し。コメットは胸を押さえ、イオスは片手で顔を覆う。
「ぐっ……! 可愛すぎる……ッ!」
「わかる。気持ちはすごくわかるよイオス。でも冷静になってねイオス」
そして落ち着こうねコメット、とコメットは胸の内で自分自身に言い聞かせ、周囲を見回す。
他の生物の気配はない。野生動物の親子が人里の近くにいただけのようだ。動けない人の側で飼い犬が鳴いている、という逼迫した状況ではなかったことに一心地する。
コメットが周囲を確認している間に、イオスは親犬の様子を見ていた。長い毛の中に手を滑り込ませ、ゆっくりと首を横に振る。
「……亡くなって、数時間は経っている。見る限り大きな外傷はないから、病死だろう」
「そう……」
コメットは子犬に視線を向ける。突然現れた人間に警戒せず、逃げ出そうともしない。
親の庇護を失ったこの子は、きっと長くは生き残れない。このまま衰弱するか、捕食者に狙われるか。
だが、仕方がない。それが自然の在り方だ。生まれ育ったこの地で似たようなことは何度も見た。
怪我をした動物を見た。隙間に体が挟まって身動きが取れなくなった動物を見た。その度にどうにか助けられないかと胸を痛め、『仕方がないことだから』と大人たちに宥められ、諦めたことも何度もあった。
『悲しいかもしれないけど、これは自然の中でどこにでも起きる仕方のないこと。でも……そうね』
幼い頃、母からかけられた言葉が頭をよぎる。
『コメットの心がそれでも、どうしても、どうにかしたいと、強く願ってしまうなら――最後まで責任を持つ覚悟をして、間違えなさい』
コメットは上着の前を開き、おそるおそる子犬を抱き上げた。
母のために着た礼服が泥で汚れるのも構わず、温めるように包み込む。子犬はもぞもぞと身動ぐが、抵抗せず腕の中に収まってくれた。子犬の体温は高く、温めるつもりが温かさを実感するのはコメットのほうだった。
泣き腫らして涙腺が緩んでいるせいか、たったそれだけのことで、ぼろぼろと涙が溢れ落ちる。
「コメット……」
「こんなこと、キリが無いってわかってる。でも、このまま死んじゃうかもしれない子を置いていけない……!」
これは、ただのエゴだ。これから生きようが死のうが、選択する自由がこの子にはあったのに。コメットはそれを奪おうとしている。
誘拐と何も変わらない。それでも、コメットの心は子犬を放っておけない。死んだ親から離れられない子の姿に、自分の姿を重ねてしまったから。
「きゅぅ……」
腕の中の子犬が小さく鳴いた。
すると付かず離れず側で浮かんでいた赤い光が、ゆっくりとイオスの元へ戻っていく。
子犬はもう助けを求めていない――役目を終えた機能的な動きの意味に、コメットは堪えきれなくなり泣きじゃくった。
「早く帰ろう。本当は、コメットには今夜ゆっくり休んでもらいたかったけど、そうもいかなくなってしまった」
相当みっともない姿だろうに、イオスはそこに関しては何も言わず優しく微笑む。
一度コメットを抱き締め、涙でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭ってくれる。
「コメットはまずこの子を洗って。その間に僕は村長に話を通しておこう。揃えておいたほうがいい物も多いだろうから手分けをしよう」
「……たすけてくれる?」
「いつでも頼ってほしいと言っただろう」
母を失った痛みはまだ心に残っている。それでも今、コメットの胸の中は多幸感で満たされて、泣きながら微笑んだ。




