スタンピードの危局⑨
張り詰めた空気が和らいだのを感じて、コメットはこっそりとトーマスに近付いて耳打ちする。
「……ねえ。怪我してる人、みんな治ったの?」
「いや、骨折してる奴は動けないらしいから、全員ってわけじゃないな」
「そっか」
フロストが治せるのは表面上の怪我だけのようだ。充分とんでもない能力だが、万能ではないことに少しだけほっとする。
(村長、本当にベアルフの民のこと全然知らなかったんだな……知ってたら『絶対に隠せ』って言ってたはずだし)
仮に忠告されていたとして、彼らの怪我を見て見ぬふりできただろうか。
……多分、無理だ。だからこの現状は避けられないものだった。仕方ない、と諦めて挑むしかない。
「……コメット、確認なんだけど」
「ん?」
「もしかして俺たち、今すごーく答えづらい質問して、困らせてる?」
気まずそうなジェラルドの問いに、コメットは目を見張り、声を抑えつつ頷く。
「……うん」
「じゃあ一つ教えてあげる。ここにいる全員、コメットとフロストが何者なのかは、そんなに重要じゃないんだよ。この奇跡をどう受け入れるか、そこを気にしてるの」
「ふむ……?」
いまいちピンと来なかったので、コメットは少しだけ想像を膨らませた。
今の彼らは怪我をして困っていた。
そこに通りすがりのよくわからない奴が現れる。
よくわからない薬を塗りたくられて、よくわからないが治されてしまった。
怪我は治って嬉しい。しかしよくわからないものが三つも揃えば、普通に怪しむ。素直に喜べない。
よくわからない奴――コメットとフロストは、『通りがかった魔法使いとその犬』のままでいい。
残りの二つ、『薬の正体』か『治された目的』のどちらかを知って、納得する材料にしたい、ということだろう。
つまり、『治された目的』のために『わかりやすい対価』を求めれば良いのか。
コメットは杖――世界樹の枝を恭しく両手で持ちながら口を開く。
「フロスト、おいで」
呼びかけ一つで兵士たちの間をすり抜けてフロストはコメットの足元に駆け寄ってくる。
視線が集まっているのを受け止めつつ、堂々と胸を張った。
「私たちが何をしたのか、これは話せない。魔法使いの力は魔法使い以外の人に詳しく明かしてはいけないってことになってるから」
これは事実。体面とか特別感を保つためとか、既得権益とか、貴族の事情とやらは色々あるらしい。
「でも一つだけ信じてほしいことはある。あなたたちを治したのは、世界樹の意思だよ」
「世界樹の、意思……?」
「魔法は世界樹から授かった祝福がないと発動しない。私がどれだけ願っても祈っても、世界樹が応えてくれなければ何も起こせないの」
魔法の発動はかなり不安定だ。学院の実践では安定して発動するもの、座学は再現性の低い魔法を学んだ。数で言うなら圧倒的に後者が多い。
代表的なものは雨を降らせる魔法だが、コメットが散々使い倒した雷の魔法も実は再現性が低い。とはいえ不発になったことはないため、コメットとしては実感は薄い。
この不安定さをコメットは在学中に『世界樹の意思』と提唱した。
……興味深いと耳を傾けてくれたのはイオスと数人の先生だけで、その他大勢からは馬鹿馬鹿しいと否定されたが。
「みんなは奇跡が起きたように見えていると思うけど、それは私も同じ。世界樹が『あなたたちの怪我は治るべきだ』って応えたから、この奇跡は起きたの」
魔法は世界樹から授かった祝福であることも、彼らの傷が治ったのは世界樹による力であることも正しい。
ただ、実は全く関係ない二つの話を繋ぎ合わせているのは、嘘だ。
世界樹の力を使ったのも、奇跡を彼らに届けたのもフロストだ。そこを隠すためにコメットの持論で埋めた。
詳しくない人に対して、専門家の立場であたかも事実のように持論を語る。……やっていることは詐欺まがいの行いなので心苦しいが、コメットが考えられる中で最善の選択だ。
(こう言っておけば治癒魔法の噂が尾ひれつけて広まっても、大抵の魔法使いは『馬鹿馬鹿しい』って否定してくれるでしょ)
兵士たちには黙っていてほしいと頼むつもりだが、どうせ広まる。人の口に戸を立てられないなら、真偽不確かなものにしてしまえばいい。
深堀されても出てくるのは学院の問題児だった平民の名前だ。始祖の一族に辿り着くことはない。
尋常ではない早さで情報が回る村社会で生まれ育ったコメットはシビアだった。
不意に、ぐらりと眩暈がする。
コメットは自分の限界を感じて、早々に本題を切り出す。
「――――まぁ、私は聖職者じゃないから、仲介人として普通に対価を請求するね」
奇跡に立ち会ったような感動を浮かべていた彼らに向けて現実を浴びせると、それぞれ違った緊張を露にする。
兵士長が眉間にしわを寄せながら低く問う。
「……要求は何だ?」
「睡眠時間」
「は?」
「今すっっっごく眠い。あのね、昨日ほぼ一日歩きっぱなしでこの村に来て、そのまま一晩中飛び回ってたの、私。眠い。も~~~~むり、そろそろ本当限界。五時間くらい撤退するの待ってて。寝かせて」
このやりとりでも精神的に疲れた。心身共にくたくただ。眠い。眠過ぎる。五時間が無理なら三時間でもいい。
疲労で重い瞼をこじ開けていると、愕然とした顔の兵士長が弾けたように笑い出した。
「はっ、――はははっ! 随分と、破格の奇跡だな。商売が下手すぎるぞ、魔法使い」
「別にいいよ。私の本職農家だし……あ、今は無職だった」
思わず漏れた独り言に数人が笑うのを堪えるようにそっぽを向いた。トーマスとジェラルドは震えたり咳き込んでいる。失礼な。
「それで、だめなの? 五時間がきついなら三時間でもいいけど」
「値切るな」
誰かが耐えきれないとばかりに噴き出し、湯が沸く直前のケトルみたいに喉を鳴らす音まで聞こえる。なんなんだ、気を遣ってるのに。
むっと口を曲げていると、コメットが持つ杖に兵士長が拳を当てた。
「愛する家族と故郷に捧げた我が身命、しばし、偉大なる世界樹の代行者殿に貸し与えよう」
「……代行者?」
「ま、細かいことは気にせず休め。おかげさまでゆっくり休めたからな。交代だ」
肩をぽんと叩いて、兵士長がテントから出て行った。
コメットが目を瞬いている間に、順々に兵士たちが差し出した拳を杖に当てていく。「ありがとう」「感謝している」「今度は俺たちに任せてくれ」と、温かい言葉を残しながら。
そうして最後に残ったのは、コメットとフロスト、トーマスとジェラルドだけになった。
「さて、俺たちはコメットとフロストがのびのびと寝れそうな寝床準備するか」
「だねー。寝る前に何か飲む? 水か湯か酒なら用意できるけど」
「じゃあ、お水で……」
笑われたと思ったら、今度はなんだか至れり尽くせりだ。
不思議に思いつつも眠気で頭が働かないコメットは、まぁいいかと心地よい厚意に甘えることにした。




