スタンピードの危局③
「向こうから帰ってくる怪我人は五人だから、コメットはここのテントですぐに寝れる場所を確保しておいてー!」
「五人!? りょ、了解!」
先程の笛の音だけでそこまでわかるのかと驚愕する。しかし悠長に驚いている暇もなさそうで、走っていくジェラルドの背中に返事をしてからコメットはテントの中に入る。
大きなリュック、脱ぎ散らかされたぐしゃぐしゃの服、薄手の毛布。寝具になりそうなものは当たり前のように無くて、仕方なく重いリュックと服を端に退けて地面に毛布を敷いた。
その途中で複数の木簡――手紙を、見てしまった。
『父さんと母さんへ 無事に帰れなくてごめん』
盗み読むつもりはなかったのに。宛名と最初の一文、たった二行だけで両親に向けた遺書だとわかってしまった。それ以上は読まないように目を逸らしながら荷物の中に押し隠す。
「っ……もう、もう! こんなこと、キリがないってわかってるのに……!」
歯を食い縛っても耐え切れず、恨み言のような怒りが口から溢れ出た。逃げ出した者がいる中、残った者は決死の覚悟でこの場に留まっている。誰かを、何かを守るために。
なのに誰も助けに来ない。通りすがっただけのコメットしかいない。
(ここに、イオスがいてくれたら――――)
彼なら知識でも魔法でも、コメットが思いつきもしない方法で兵士たちの力に――彼らの希望になれただろう。イオスがまだ学生だった頃、行き詰まっていたコメットが進むべき道を明るく照らしてくれたように。
(……でも、ここには私しかいない)
歯痒さから握り締めた拳をほどき、卑屈から俯いていた顔を上げる。
コメットにできることなんてたかが知れている。事実はもうどうしようもない。コメットは己の未熟さを悔やむので、兵士たちも各々自分の不運を嘆き、妥協してもらう他ない。
「フロスト、匂いで探してほしい場所があるの。もしかしたらしんどいかもしれないけど、頑張ってくれる?」
「わん!」
「じゃあ、この村のゴミ置き場まで案内して!」
「わふ!?」
☆彡
元々待機班は十人いて、討伐班も四組だった。計五十人、獣狩りとしては充分な人数だった。
今残っているのは三十四人。その内二人はテントの中で寝たきり状態。十一人はこの拠点にすら帰ってこられず、残り五人は逃げ出した。
逃げた五人を臆病者だと誹る者はいなかった。彼らはただ賢しく、帰る場所が遠方にある幸運に恵まれただけだ。
大切な場所がコギー村から離れた場所だったら、きっと命惜しさに逃げ出していた。少なくともトーマスはそう考えている。
逃げても状況は好転しない。なら戦い続けるしかない。たとえ勝ち目がなかったとしても。最早それだけの理由で留まっていたのに、トーマスは目の前の現実に打ちひしがれそうになっていた。
「昨日も三十は仕留めたはずなのに、どうして増え続けているんだ!?」「やっぱり何かおかしい! 異常繁殖の域を越えている!」「なぁ、本当に増援は来ないのか? 俺たちが戦えなくなってあいつらは消えたりしない! 村どころか、島全体の問題だぞ!!」「トーマス、どうしよう、俺を庇ったせいで、兵長の目が……!!」
今朝、死相が浮かび上がりそうな顔で出発した面々が、地獄から帰ってきたような勢いで喋る。静かなのは呆然自失しているか、意識がない者だけだ。
足の怪我で討伐班から離れて一カ月、トーマスが知らないうちに状況は悪くなる一方だ。こうして彼らの報告と反応で実感するたびに、もどかしくてやるせなくなる。
荷車を引く馬をテントへ誘導しながら彼らの声に耳を傾け、同時に全員の怪我の具合を目視する。
「持って行った分で応急処置間に合ったのか?」
「なんとか……」
暗い声色から残り少なかった医療箱の在庫状況も察して、トーマスはますます気が重くなる。今この場の過半数に合わせて、自分も不安を無意味に大声で叫んで自棄になってしまおうかと考え、すぐに思い留まる。
「……このまま、逃げてもいいぞ」
荷車の中で横になっていた一人がゆっくりと起き上がる。頭と片目を血まみれの包帯で覆われた大男、ここに残る兵士たちの長が感情を押し殺した声で静かに告げる。
「俺が最後までここに残る。だからその間に逃げて、できるだけ多くの人を遠くまで逃がして、一秒でも長く生きろ。その間に国が動けば、運良く生き残れる」
「兵長、そんな……」
「この怪我じゃ、もう殿くらいしかやってやれることがなさそうだ。この場所を取り戻せなくて、すまない」
残った全員、愛郷心だけで戦っていたわけではない。率いてくれるリーダーという存在に支えられて立っていた。その拠り所が、希望が失われる。
兵士長の言葉に誰かが嗚咽を漏らす。あとは伝染したように全員が泣き始め、トーマスは顔を上げた。目の前に広がる燃えるような夕焼け色の空が、それによく似た髪色の少女という存在がそこにはあったから。
「いいや、魔法使いが一人、俺たちに力を貸すと今ここに来ている!」
全員が目を見開いて、奮起を促したトーマスのほうへ視線を向ける。その瞳には赤い空の色と微かな期待が映っていた。
「だから、まだ諦めなくてもいいんだ! 彼女と相談して、全員で作戦を立て直そう! そうしたら、まだ何かやれることが、」
「――今日向かった西の山で、共食いが起きていた」
トーマスの言葉に流されまいとするような、どっしりとした声色の兵士長が語り出した内容に、同じ景色を見て帰ってきた班員たちの顔色が曇っていく。
「人数が減って、しばらくあっちのほうまで手が回らなかったからな。酷いことになっていた。それでも数は減っていないし、確実に増え続けている。今はまだ数十匹が漏れる程度だが、いずれ山から溢れ出してあちこちに大移動し始める」
「なっ、他の山に向かったところで余裕なんてどこにも……!」
「無い。まだ安全な山がもう二つ三つ似たような状態になって密集状態が落ち着けばいいが、このまま数が増え続けるなら、奴らのテリトリーは広がっていく一方だ」
力勝負で勝てない相手に数でも負けたら、人間の領域は狭まっていく。少ない安息地を奪い合い、やがて山の中で起きたことが起こる。
だから止めなければならなかった。しかし、もう止められない。この村も、トーマスの故郷も、もはや諦めるしかない。
トーマスは俯く。そして見下ろした地面には、日暮れ特有の影が長く伸びている。
自分の影、その頭上に位置する箇所に不自然に揺れる人影が目に飛び込む。
「こんばんは」
頭上から降ってきた声にトーマスは顔を上げた。討伐班全員が驚いた顔で仰いだ空を、コメットが悠々と浮かんでいる。
さっき話していたことを早速試したのか。ぼんやりと考えていると、長杖に乗っていたコメットはゆっくりと地上に降りて討伐班の前に立った。
「あんたが、助けに来たなんて酔狂なことを言った魔法使いか?」
「……手伝えることがあれば、できる範囲で力になりに来ただけだよ。私は魔法使いだけど、万能じゃない。怪我を治したり、痛みを無くすことはできない」
「なら、あんたは何を手伝えるって言うんだ?」
殺気立っているからか、コメットに向ける言葉が刺々しい。トーマスが思わず前に出ようとするが、コメットの答えのほうが早かった。
「――――私はここにいる全員を、寝かしつけにきた!」
明瞭快活に、意気揚々と、オカンみたいな宣言した魔法使いに、兵士たちの心は一つになった。
「何言ってんだお前」




