2話.褪せることなき便り
手紙は、確かにそこにあった。もう開かれることのない、あなたからの最後の言葉。指先でそっと触れると、薄くなった紙の感触が、あなたの手の温もりを思い出させる。どれだけ時間が経っても、その存在だけが、私をこの場所に繋ぎ止めていた。
季節は巡り、私は歳を重ねた。あなたのいない世界にも、時間は容赦なく流れていく。街には新しい建物が建ち、人々の話し声は絶え間なく聞こえる。けれど、私の心の中だけは、あの日のまま、止まったように凍り付いていた。
ある日、ふと立ち寄った本屋で、私は一冊の詩集を見つけた。何気なくページをめくると、そこにあなたの好きだった詩が載っていた。それは、あなたがよく口ずさんでいた、旅立ちと別れを歌ったものだった。
その瞬間、忘れていたはずのあなたの声が、鮮明に脳裏に響いた。まるで、あなたが隣にいるかのように。私はその詩集を抱きしめ、静かに涙を流した。
枯れたと思っていた涙が、まだこんなにも残っていたことに驚いた。
それから、私は少しずつ変わっていった。あなたのいない世界で、どう生きていくべきか、ずっと分からなかったけれど、あなたの残した言葉や、共に過ごした時間が、私の中に確かに息づいていることに気づいたのだ。
私は、あなたの好きだった場所を訪れるようになった。二人で歩いた大学のキャンパス、一緒に笑ったカフェ、そして、あなたが夢を語った丘。それぞれの場所に、あなたの面影が宿っているように感じられた。
ある夕暮れ時、私は丘の上に立っていた。茜色の空が広がり、遠くの街の灯りが瞬く。風が頬を撫で、あなたの声が聞こえるような気がした。
「寂しくなったら、開けてくれ」
あの日のあなたの言葉が、再び胸に蘇る。そして、あのメッセージカードに書かれた、あなたの帰国の日付。私の誕生日。
その日、あなたは何を伝えたかったのだろう。きっと、私を驚かせたかったに違いない。最高の誕生日プレゼントを計画していたのに、と悔やむ気持ちは今もある。けれど、もしあなたが無事に帰ってきていたら、私たちはどんな未来を歩んでいただろう。そんな、もう叶うことのない未来を想像するようになった。
私は、ポケットから、ずっと大切にしていたメッセージカードを取り出した。指紋で擦れて、色褪せてしまった一枚の紙。けれど、そこに刻まれたあなたの文字は、いつまでも鮮やかに私の心に焼き付いている。
私は、そのカードを空にかざした。夕焼けの光が透かし、まるで、あなたの笑顔が浮かび上がるようだった。
「ありがとう、あなたの言葉は、決して色褪せることなく、私の心を照らし続けている」
私は、静かに呟いた。手紙は、もう枕元にはない。代わりに、私の心の中に、あなたの存在が、永遠に刻まれている。悲しみは消えない。けれど、それはもう、私を縛り付けるものではない。あなたのくれた愛は、私を未来へと導く光になったのだ。
雨の音が聞こえるたびに、あなたの最後の言葉が、今も私の耳元で囁く。それは、もう私を苦しめるものではなく、温かい思い出として、そっと私を包み込む。私は、あなたの分まで、この世界で生きていこうと心に決めた。あなたの夢も、私の夢も、共に胸に抱いて。