(絶望の栞) 0:終わりの始まり
私は、すぐに振り返ることができなかった。見る前であれば。確定させる前であれば。
何かが起きた。でももしかしたら何も起こっていないかもしれない。
そんなシュレディンガーじみた一縷の望みを捨てずに済む。
……今なにか、とてつもなく巨大なものが背後に落ちてきた。ように思う。
響く地響き。強烈な異臭。致命的な破砕音。
そして以前からたまに、どこからともなく聞こえてきていたノイズ混じりの鳴き声。
ああそうだ。これはいつもの幻聴だ。誰にも聞こえない、私の頭のバグ。
そうに違いない。そうであってくれ。
そして……私は振り返ってしまった。
最悪の現実を確定させてしまった。
そこにいたのは5メートルを超す巨大な化け物。
まるで小学生の書いた出来損ないのザリガニ。
16本の脚をもつ、甲殻類。まるで嘘を練り固めたような怪物。
それが。
私の家を踏み潰していた。
「は?」
誰か、気を失わなかった私のことを褒めてくれ。
ザリガニもどきは私のことなんか目もくれず、周りを伺うように、執拗に足踏みをしている。
おい、そこに、何だ、何をしている、やめろ。やめろ!
傘を取り落とした私は咄嗟に、まったく後先考えずにビームを放ったものの……。
それは、そいつにかすり傷も与えることができずに消えてしまう。
でもようやく、そいつは私のことを認識したようで。
その巨体を冗談みたいに空に跳ね上げさせた。
私に近づこうと。あわよくば同じように踏み潰そうと。
……踏み、潰す?
同じようにって、何のことだ……?
私はここに至って、ようやく『未来』を開放した。
展開される未来。私が踏み潰される未来は2割に満たない。
ああいや、違う。こんな未来はどうでもいい。
力を収束させる。させ続ける。無理やり、強引に、はち切れそうなくらいに。
さっきみたいな弱い力では駄目だ。もっともっと、過剰なまでに注ぎ込め。
腕を砲身に見立てて、化け物に極光を放つ。
制御不能なそれは、当然このままではまるで見当違いの方向に放たれるだろう。
だからそれを、無数の未来の中から、無理やり当たる未来を選んで変える。
それだけではない。そのままこいつを、確実に殺す未来にするんだ。
……何かが凄まじい勢いで私から零れ落ちた感覚とともに。
先ほどまでとは桁違いの光が、化け物を飲み込み、いとも簡単に消し去った。
果たしてどちらが化け物なのかわからないくらい、本当にあっさりと。
肩で息をする私の目の前には、嘘みたいな光景が残されている。
ああそうだ、今日はエイプリルフールだった。
もしかしたら嘘なのかもしれない。
ほら、午前中なら、どんな嘘も許されるんでしょ?
だから、嘘だっていってくれたら私は許すよ?
私はフラフラと、家だった場所に帰る。
未来を。
未来を探さなくては。
私は、どんなことだってできる神様気取りの化け物。
探すんだ。望む未来を。
何千、何万の未来の果てに、きっとあるに違いない。
探せ。探せ。探せ。探し続けろ。
この、
2つになった妹を。
頭をどこかに忘れた母を。
風通しの良くなった父を。
元に戻せる未来が、必ずどこかにあるはずなんだ。
探さなくては。
私にはそれができる。
できるに決まっている。
そうじゃなきゃ、何のための力だっていうんだ。
私は何のためにここにいる。
できるかできないかじゃない、やれ。やるんだ。
やってみせるんだよ化け物……!!
・・・
私は、どうやら自分が思ってたよりも頑張れないやつだったらしい。
何億もの未来を視続けて、私の心は折れてしまった。
そんな未来はどこにもない。
……また、雄叫びが聞こえた。
そうだ、少年のところに行かなければ。
そうだよ。私は少年を迎えに行くところだったんだ。
力を使って身体強化をし、雨に打たれて震える足で、必死に駆け出す。
少年と親友は隣同士の家に住んでいる。
でも私の家は少しだけ離れていて、そこにたどり着くまでに普通だと10分。
強化された今の足なら1分もかからずに着ける。
そして、私は見た。
何がなんだかわからない表情のまま親友を庇っている少年がそこにいた。
親友は何か見てはいけないものを見てしまったかのように表情を凍り付かせていた。
少年ごと親友を触手で貫いている気持ち悪い化け物がいた。
未来を視る。雑魚だ。物の数にも入らない。
力を使って丁寧にその触手を切り離してから、本体はビームで消し飛ばす。
ほんと、少年ってやつは流石だよ。
弱いけど、弱いなりにちゃんと守ろうとしたんだね。
でも駄目じゃないか。どっちも助かってないなんて。
ホントに駄目なやつだ。
二人の未来は、もう視るまでもない。
視る気力もない。ホント私は、最低で薄情だ。
だから、代わりに二人を抱きしめた。
自分のことを棚に上げて、二人のことを冗談交じりに怒る。
駄目じゃないか。また遊ぶって約束もしたでしょ。二人とも嘘つきだよ。
……背後にいくつも気配がした。あの触手は弱い分、数が多いみたいだ。
そいつらが、一斉に私に向かってきて。
「あ?」
邪魔すんなよ殺すぞ。もう殺したが。
二人を、比較的綺麗な少年の家に運ぶことにする。
──邪魔な触手を殺す。
ああ、そういえば少年の家に入るのって結構久しぶりだな。
──邪魔な触手を殺す。
玄関からじゃなくて申し訳ないけど。
──邪魔な触手を殺す。
この毛布でいいかな。借りるよ少年。
──邪魔な触手を殺す。
二人をソファに座らせて、深すぎる傷を隠すように、毛布を掛けてあげる。
──触手を殺す。
こういう時って、まぶたを閉じさせてあげるんだっけ。
──触手を殺す。
こうやって目を閉じて寄り添う二人を見るとなんだかさ。
──触手を殺す。
まるで、恋人同士が寝落ちしてるみたいだよね。
──触手を殺す。
──殺す。
──。
また、雄叫びが聞こえた。
……少年。
私はやっぱりヒーローにはなれなかったよ。
私はこれから。
悪魔になる。
・・・
私は『未来』の悪魔。
『過去』には無力な、愚かな化け物。
これは単なる八つ当たりだ。子供の癇癪に過ぎない。
誰かを守ろうとしたわけでもない。結果として誰かが守られただけだ。
もし、私が本当のヒーローならきっと、もっと町の犠牲は少なかったんだろう。
だって私は別に、誰も助けてはいないのだから。助けの声なんか最初から聞く気もない。
そう。私はただ、怪物を殺して回っただけ。
声に導かれるように飛び回り、力の限りそいつを殺す。
力がたくさん使って足りなくなりそうになったときに、未来から補充する方法も探して見つけて。
片っ端からひたすら殺して、どんどん効率よく殺せるようになって。
ほんと、どっちが化け物なんだか。
最後まで、私にとって脅威となりえる存在はなかった。
そして、そいつらの声がついに聞こえなくなったとき。
私は家に帰ることにした。
雨に濡れたぐちゃぐちゃのお弁当を見つけて。
綺麗な顔のままの妹の隣で、それを食べた。ちょうどお昼ご飯だ。
なんだか砂の味がするよ。母も料理に失敗することあるんだね。
ご馳走様でしたと、手を合わせて。
天井を失った食卓だった場所から、降り続ける雨空を見上げて。
そこで、ついに私の心の糸が、千切れた。
時刻は、嘘がなくなる午後を迎える。
・・・
あれからどれくらいの時間が経っただろうか。
近くに、私に似た力を感じた。
そうか。それもそうか。
あんな化け物がこの世にいて、私みたいな力を持った人が私だけな訳ないよね。
いたのは私みたいな不思議な力を感じさせる少女。
一瞥もせずに未来を探った。
何も問題ない。万一戦闘になっても、百万回戦おうが私が勝てる。
そんなこと、するつもりも必要性も無かったんだが。
探った未来の中から、この少女がそれなりの実績を持っていることも知る。
となるとやはり、この子たちから見ても私は、化け物なのか。
遅れてやってきたこの子たちに対して私は何の恨みもない。
これらは全て、本当なら私だけで何とかできたはずのことだ。
だから恨むなら、私は過去の、臆病な少女の私を恨む。
あの日の臆病を、幾多もの未来の中で悔やんだ。悔やみ続けた。
それに何の意味がなかったとしても。その感情には抗い難かった。
私はどうあがいても、過去には無力だ。
後悔なんか意味がない。反省なんか価値がない。
それでも思ってしまう。考えてしまう。
私にあるのは、少女の人生と大人の記憶。
もしも私の精神が、もっと大人だったらと考える。
大人の精神で、大人の知識で、大人の経験で、力を使いこなす。
事前にみんなを守ることもできて、ついでに町ももっと無事だっただろう。
それでこそ、ヒーローじゃないか。
私は何故、私なんだ。
何故、私は私として生まれてきたんだ。
何のために。私の意味は、いったい何なんだ。
・・・
あの戦いはどうやら、大規模な災害と事故の合わせ技として扱われるようになったらしい。
私も被災者の一人として病院送りとなった。あとはもう、ずっと横になって眠っている。
もう何も、する気力がない。だから何もしない。
だって、何かしたら、私の未来は元通りになるのか?
私の未来は、もう未来の中に存在しない。
私に未来はない。
生きる意味もない。だけど生きている。
それはただ、死んでしまうほどの気力すらないってだけにすぎない。
ただただ、寝て、食事を与えられて、寝て、緩やかに死ぬ。
私の未来は、もうそれでいいと思っている。
そのまま終わってしまっても、別にいい。もうどうでもいい。
いつからか私のことを的外れに称賛する馬鹿な青年がやってくるようになったけど。
そんなのだってどうでもよかった。
私の未来は過去にしかない。だからいいんだ。
どうか私のことは放っておいてくれ。
どれくらいの月日が経ったのか。
いつも通りどうでもいいことを話していた青年が珍しくネガティブなことを零した。
気の迷いか、ほんの少しだけ興味を惹かれて、黙って聞き流していたのだけども。
その青年の言葉が、暴力的なまでに私の核心を突いた。
そうだ。そうだった。私は普通の子供なんかじゃない。
私は大人だ。一生分の記憶があり、知識も丸ごと備えて経験も忘れていない。
私が守られる存在だって?
馬鹿にするな。私からみたらお前だってまだ子供だ。
前世は今世の何倍も生きている。
だから。
これっぽっちしか生きていない少女が私であるわけがない。
私は、かつての男。大人の、おっさんだ。
……ちょっと響きが良くないな。おじさんにしよう。
そうだ。少女の未来など、初めから望むべきではなかったんだ。
今世は、おじさんのロスタイムに過ぎない。ゴールを決めるために残された僅かな時間。
きっとこれがこの世界に望まれていた、与えられた記憶と力の責務なんだ。
幸せな世界を作らなければならない。
頭にフルスイングされた気持ちだった。
視界がクリアになり、思考のモヤは全て晴れた。
そのまま、久しぶりに未来を視始めた。
今度は、子供の私の視点ではなく、大人の視点で。
未来の最適解を見つけるために。
そして、無限とも思える一瞬の中。
数億ではきかない気が狂いそうになるほどの観測の果て。
砂漠のダイヤをついに見つける。見つけてしまった。
全ての絶望的な過去を否定する、完璧な未来。
現実世界と異世界の齟齬。
世界が違うからこそのでたらめな理論。
そうか、そういうことが、できてしまうのか。
これなら救える。みんなを救えるんだ。
だから君たちも、ついでに救われるといい。
喜べ。青年の夢はついでに叶うぞ。
私は、英雄になる。
十万億土の未来を超えて、私は私の未来を取り戻す。
・・・
(で、おじさんが生まれたってわけ)(ドヤ顔)
(……)
(ねぇちょっとー? 『伝達』ちゃんリアクションうっすいよー)
(……ぁ)
あれ、通信切れちゃった。
いいか、このままでもその気になられたら伝わるだろうし。
次の日までの移動中、寝ようと思ってたら向こうから恐る恐るつなげてきた通信だけど。
なんか質問されたからちょっとおじさん生誕祭の話をしたらリアクションが消滅しちゃったんだよね。
どういうことなの……?
まぁ流石にちょっと話が暗かったかなーっては思ったけど。
ちょっぴりハートブレイクしながらも、まあ私も寝なきゃだし。
明日も長いからねぇ。みんなのために頑張らなきゃ。
そいじゃ、おやすみー。
・・・
絶望の終わり。
次回『開示』




