第3話 人生最大のやらかし
「おいおいおいおい? 終わっとけって言っておいたよなぁ? 無能かぁ?」
「申し訳ありません……」
「全く、この上田というやつは本当に困る社員でな。全く使えない上に、誰でも1時間はあれば終わる作業を何日やってもこなせない無能なんだよ、あっはっは!!」
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●草
●上田ザマァwww
●使えなさすぎワロタ
●完全に窓際族ルート一直線じゃん
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そんな簡単な仕事を引き受けた覚えもなければ、自分の本名を勝手に公開して、その上誹謗中傷して良いなんて許可もしたこともない。
俺の冷え切る心と反比例するが如く、コメント欄は大荒れだ。
唇を噛む。体の震えをなんとか抑える。
何が1時間で終わる量だ……!
先程まで、瞼が痙攣するほどまでに徹夜してやっていた作業がそれだ。山のように積まれた資料、その一枚一枚に、びっしりと小フォントで文字がびっしりと詰まっているのだ。それを、1時間で……!?
「っ、お言葉ですが課長――!」
「良いのかなぁ? 訴えたら、キミのような無能、どこでも雇ってくれなくなるよ?」
「……!!」
反論しようとした矢先に、悪魔の囁きが耳元で木霊する。
「……ぐっ」
それを言われると、こちらにはもう何もできない。
そうだ。この不景気で、そう簡単に途中退社できるものではない。
ここまで育ててくれた両親や他の人を心配させないためにも、クビになることだけは避けなければ……!
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●上田顔真っ赤wwww
●無能を見ながら飲む酒サイコー!!
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課長とのやり取りを聞くことが出来ない動画の視聴者には、俺が反論できないただの無能に見えているらしい。
いや、見えているらしい。じゃないのか……。実際に俺は、声を大にして何も反論ができないんだから。
証言台で明かされない真実なんて、被疑者の戯言にも劣るのだ。
…………苦しい。
黒い蜘蛛の巣が心臓に引っかかってるみたいな感覚に、反吐が出そうだった。
どうして、自分は、自分だけが自由じゃないのか。
今すぐ滅茶苦茶にしてやりたい。何もかもを忘れて、俺の人生と共に、こんな会社を
ぐちゃぐちゃの――!
メチャクチャの――!
ギタギタに叩き潰して――!
駄目だろ。
震わせた拳をぶらりと下げて、なんとか抑える。落ち着け、落ち着くんだ上田進。我慢するんだ。誹謗中傷がなんだ。世間はこんな一般人の俺のことなんて、誰も覚えない。
――我慢!? 我慢ってなんだ? 終わりの見える苦痛を耐えることの名称じゃないのか!? 終わりの見えない苦痛なんて、我慢できる人間がいるはずがないだろッ!
違う、考えるな。帰って、風呂入って飯食って、好きな配信者のASMRでも聞きながら寝れば、こんなの忘れるはず。
忘れられる、はずなんだ……!
だが、あろうことか、課長の標的は、俺だけにとどまらなかった。
「じゃあ次の標的はぁ……、倉敷 澪。お前だぁ」
「……ッ、な、なんですか……!!」
俺の隣で、ぐるるっ。と、犬歯をむき出しにして小さく威嚇する澪。
だけど、そんなのは所詮、小動物が必死に抵抗している様にしか見えなくて。
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●なにこの子、怯えててかわいーww
●未成年?
●なんか威嚇してるけど全然怖くなくて草
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まるでトラの群れに放り投げられた子鹿だ。
嗜虐心に飢えた視聴者が、一斉に澪を次の標的に牙を剥く。
ぞっとする話だ。
中には、女性軽視のようにも取れる酷いコメントもある。
人は、言葉で傷を負わせることができるのだ。
「やめ……、映さないでくださいっ」
「おいおい、誰が顔を隠すことを許可した? その手をどけろっ、よ!」
コメントの暴風雨から身を守るように、焦りながら両手を顔の前に出す澪だったが、課長によって、その腕を掴まれる。
俺は……。それを、唇を噛んで見ることしかできない。
――なにやってる!? 眼の前で、後輩が困っている。助けろ、助けろォッ!!!
無理だ、配信されている! 止めようとして返り討ちにでもあってみろ。課長のことだ。そのまま俺を最大限辱める。それこそ、もう社会復帰なんて一生できないくらいに!!
「助けて……先輩……っ」
だが、そんな時。
か細い、小さい声。ただ、それは確かに、今度こそ俺の耳に届いた。
コンクリートで固められたが如く、重たい首をなんとか、動かす。
そこには、必死に、縋るように目に涙を浮かべた澪が、こちらを見ていた。
「…………くっ……!」
それを見て、俺は……………………。
――全力で、足を動かしたんだ。
二人から、遠ざかるために。
「せ、せんぱ、い…………?」
呆然。これほどその言葉が当てはまる声色は存在しないだろう。
遠ざかる俺を見て、背後から絶望に染まった澪の声が聞こえた。
「……っ、く、あは、あぁああぁっはっはっははははッッ!!」
次いで、課長の、心底楽しそうな笑い声。
「逃げたぞ、あいつ! 可愛い後輩を捨てて! 自分だけ助かりたくて、走って、配信の画面外へッ!!! うおおおおおおおぁあぁああっははははっはっはッッ!!!?」
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●ワロタ
●神回確定
●上田雑魚すぎね? もうクビにした
方が良いだろまじで。
●これはパワハラもやむなし
●澪ちゃんの絶望顔からしか得られ
ない栄養素がある
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画面に映るコメントは、大盛りあがりだ。
だけど、今は気にしている場合ではない。どんどん、どんどん足を動かせ。
「くーっくくく……! やばいな、ここまで腹を抱えて嘲笑ったのは久しぶりだぁ……ッ!!」
「そ、…………そんな…………」
へたり。と、地面に座り込む澪。ポロポロと、水滴が、床に落ちる。
それを見て、課長は膝をばしばしと叩いて嬉々乱舞する。
「あーっ、気分がいい。さて、動画視聴者の諸君、今日は大サービスだ。この澪くんを抽選で一人のコメントの要望通りに――」
何やら、下衆なことを言っている。
――その光景が、ぐんぐんと、すごい勢いで接近する。
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●なんか、帰ってきてね?
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察しの良い一つのコメントが、流れた。
運動不足は怖い。
前まで出来てた動きが、久々にやると予想以上に出来なかったりすることがある。
だから、激しい動きをする前は、あらかじめ体を少し動かすんだ。これは怪我しないようにとか、健康のためとか、周りを巻き込まないようにとか、ああもう、そんな大人な理由を探して言い訳はもういいや。
認めよう。
俺はただ、小さな子供みたいに、むかついたから"助走をつけた"んだ!!
左足を、強く強く踏みしめる!
右足が、大きく後ろに反り上がる!
「せ……、せんぱ――?」
「なっ、なんだ……!!?」
俺の接近に、二人がそれぞれ、別の意味で驚きの顔を俺に晒す。
あぁ、駄目なんだろうがな。
課長の間抜け面に、片方の口角を上げた笑みが出てしまう!!
俺は、仕事が遅くて要領が悪くてトロい方だと自負しているが――。
「あんたも大概トロいな、課長ッッ!!!」
トロ仲間を見つけた喜びを、右足に込める。
俺の足は、勢いよく円上を描いて床を通過し、上昇し――俺の接近に気づくのが遅れた課長の横腹に、深々と刺さるッ!!
「ぐほッ――!!」
横に回転しながら、課長がその体を床に引きずりながら、壁へと一直線へぶっ飛ぶ。