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第二十一話 奸計

 暗い部屋の中で、一つ光るは、電池式のランタンの光。

 キャンプ場で昔、古いタイプを一回だけ見たことがある。夜に灯すと、幻想的で、光を浴びる場所が外か、家の中かの違いでしかなかったのに、真っ暗な草原の上に輝くその光だけは、やけに特別だと感じたものだ。

 俺はどちらかというとインドア派の人間で、幼少期でもそれは変わらず、キャンプに行く前はイヤだイヤだ、と駄々をこねていた。

 でも、思い出とは不思議だ。

 こうして思い返すと、また、誰かとそういうキャンプ、行ってみても良かったかもしれない。そう思えるから。

 まるで脳の中には万華鏡(カレイドスコープ)でもあるかのように、過去の憧憬はいつも美化される。

 でも、それでもいい。例えそれが作られた美化でも、悲しい現実から離れられるかもしれないなら、やってみるべきだ。

 そうだ、次行く時は、きっと、家族でも、友達でも、……恋人でも、連れて。


 



 馬鹿げた妄想を、花開く前の蕾の花弁を、毟って散らす。





 



 俺に残された未来に、希望なんてない。

 そんなものは、あの日、彼女の命と共に全て失った。


 目を開けると、そこに映るのは、茶色の壁に囲まれた、殺風景な部屋。

 ベッドや机、光源である電池式ランタンと壁にかけられた鏡のみの部屋。窓さえない。ドアはある。

 まるで、囚人の部屋のようだった。


 あれから、何度か部屋にある鏡を見た。

 俺の目は、変わっていた。

 いや、実際には変わってなんていない。だけど、確かに変化()わっていた。

 今まで、どうやって世界を見ていたんだと思ってしまうほど、今の目は、常に力んでいて、よく見えて、よく動く。

 憎悪だ。

 憎悪で、目が格段に動くようになった。

 俺を絶望に落としたあいつらを、今度会った時逃さないように。


「やっと目を覚ましたのね。……知らない天井だ、とか、お決まりの一言もないの?」


 凛とした声。強気な少女の声だ。

 

「目を開けたかと思えば、そのまま鏡の方を見てじいいぃいぃぃっと。あなた、私が居たことにも気づいてなかった。そうでしょ?」


 力なく顔を上げると、部屋のドアの前に『明らかにこいつが声の主だ』と一目でわかるほど、まあるい髪型の強気そうな銀髪少女が立っていた。

 しかし、その表情の割に、背は小さい。年は16くらいだろう。

 銀色のつややかな髪をかき分けた後、警戒心を露わにするように腕を組んでこちらを見下ろしているが、整った鼻立ちに、長いまつ毛は人形のような精巧ささえ感じる。一言で言えば、黙っていれば儚げな印象の美少女だった。

 そんな彼女が、ベッドの上で体を起こすこちらの前へと歩み寄ってくる。


 心底、どうでも良かった。


       ぐ

 心の内を、る ると回る衝動。

       ぐ


 まるでガソリンが青い炎で爆発し続けているのに、ずっとブレーキを踏み続けているように、抑えるのに必死だった。

 我慢できず、思わず拳が震え始める。その様子を見て、少女が少し眉を上げた。


「…………、ふん、あなたが動ける様になるまで、私がある程度ご飯とか調達してきてあげるけど、あまり長くは続けられないから。早いところ、復活してよね」


 人に厳しそうな顔の割に、俺の気持ちがわかったのだろうか。

 一言もお願いなどしていなかったのに、そそくさと部屋から出て言ってくれた。


 あぁ、良かった。本当に。

 もし、俺の前に破壊衝動を治めてくれるものが存在したのなら。

 獲物を前にした蛇のように、一瞬で体の筋肉全てを跳躍させて、そいつをメチャクチャに壊したかった。訴えたかった。泣きたかった。


 人がいなくなった瞬間、一応、まだ俺の心にも物悲しさというものが存在していたのか、怒りの衝動の中から、ぽっかりと空洞のような空虚な感情が芽生える。


 …………嘘だと。

 何度も、嘘だと思った。

 だって、そんな、おかしいじゃないか。今まで、幸せとは言わなくとも、普通の人生で、普通の生活で……。別に、俺たちは特別でも、なんでもなくて。


『どうしてまた記憶、取り戻しちゃうんですかね』


 思い浮かぶは、あの時の、静留と呼ばれた女がニヤニヤと笑いながら放った言葉。


 …………そうか。

 普通じゃ、なかった。

 俺は本来、普通じゃなかったんだ。

 それが、せっかく今まで、普通にできてたのに、そんな平和な暮らしも、全部、全部、作り物の、紛い物の、幻想で。


「………………殺したい」


 許されるなら、今すぐにでも頭をかき乱しながら、澪を殺したあいつらを、何もできなかった俺も、そんな俺を生かしたあの銀髪の少女も、この世界も。


 …………………………八つ、当たりだ。


 前半はともかく、後半は駄目だ。僅かに残った理性を振り絞って、俺は今、何もせず、ただ空虚に、部屋の壁を見続ける。

 グルルと、空腹の獣が牙を剥きながら涎を滴らせる心に、冷水をかけ続けた。


 あの日――澪の目から光が消えた時、動けない俺の頭上……、あの部屋の天井で大きな爆発が起きた。

 降り注ぐ天井の破片。俺の横から飛び退く大夜に、すぐさま魔法を構える静留。集まる黒布達。阿鼻叫喚の配信コメント。そして、天井から現れた、何人かの謎の人影。

 怒号に悲鳴、血しぶきに、欠損した体が飛ぶ光景。

 だけど、それら全てが、その時の俺にとってはどうでも良かった。

 天井から突入してきた何人かの知らない奴と、先程俺の部屋にやってきた銀髪の少女が、俺をどこかへと運ぶのも、どこか夢の世界の出来事のようだったんだ。

 

 ……やめてくれ。

 澪も、彼女も、連れて行ってくれ。置いて行かないでくれ。

 崩れ行く部屋の中で、俺はただ、ずっと1人でそう願っていた。







 それから、何日か経過した。

 

 あの少女は毎日俺のところへと通ってくれて、お世辞にも美味しいとは言えない携帯食料的な缶類を置いていっては、俺が体を震わした瞬間に出ていく。

 

 …………澪は、一回も姿を現さなかった。 

 

 話は聞いていたが、この事実を持っていて、俺はようやっと『あ、本当に、もう彼女はこの世に居ないんだ』と理解してしまった。

 銀髪少女は言っていた。彼女は死んで、俺は助かった。

 俺は、澪を守れなかった。

 彼女は、最後に俺を見ていた。何かを訴えようとしていた。

 あれから、長い時間が過ぎた。今なら、彼女が何を伝えたかったのか、わかる。


「…………一応、意識はちゃんとしてたんだ」


 いつも無表情だった彼女が、少し目を大きくしたのは、俺が涙を流していたからか。

 顔をみっともなく、ぐちゃぐちゃにしながらも、指を缶詰の端で切っても、気にせずに中身の鯖をモチャ、モチャ、と咀嚼する。

 味なんて感じなかった。

 ただ、生きるために食うんだ。


『死にたくない』――澪はずっと、俺にそう訴えかけていた。


 だから、俺が彼女の分まで、生きる。どんなに死にたくても、生きる。

 あいつらを、あいつらの関係者を、俺が全員殺すまで。

 そのためには、強い肉体が必要なんだ。与えられた食料を食べないなんて、もってのほかだ。

 

「そんなにがっつかなくても、鯖は逃げないわよ。箸くらい使って――」

「出て行ってくれ」

「…………」

「頼む、出て行ってくれ。…………頼むよ……」


 俺の拒絶の言葉に、何を考えているのか、銀髪少女がしばらく無表情で固まっていたが……やがて無言のまま席を立つ。

 扉が閉まる音と、意地汚い咀嚼音がしばらく、部屋に響いた。

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