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第2話 やみおちとパニック

「先輩、これを見てください」

「これは……レモン?」

「えぇ、そうです。……あのパワハラ課長、よく食堂で唐揚げを注文するじゃないですか」

「そういう日もあるな」

「ふっふっふふ」


 要領を得ない。なんだこの会話は。

 眉をひそめていると、彼女は察しの悪い獲物に、死の宣告をするが如く、手元で口を隠しながら……、俺に囁く。


「これをぉ……、課長のからあげに、許可を取らず勝手に、ぴゅッ! です」

「な、…………に……!?」


 体中に電撃が走るとは、このことか。

 到底会社で味わうべきではない、神経へのダメージに、俺は愕然(がくぜん)として彼女を見やる。

 

「お前、それは……ッ」


 息が、できない。

 頭に、血が届かない……!

 自分の肺が機能を停止しているッッ!!


 それほどまでの衝撃。彼女の提案はそう、禁忌・タブーだ。

 それをこの少女は、いとも平然と、やってのけると宣っているのだ。

 手が震えて、警察に電話するための腕さえまともに動かせない。蛇に睨まれたカエル、いや、レモンを漬けられたはちみつのように、ねっとりとした体が動かない。


「かはーッ! かはぁーッッ!!」

「過呼吸になるほど恐ろしいなんて……。くくくっ、やっぱり、想像力が異常に良すぎて、すぐパニックになる先輩には少し刺激強すぎましたね? 大丈夫ですか? 酸素マスクいります? 背中擦りましょうか?」


 こすこす。と、邪悪な笑みと共に小さな手で俺の背中を擦り、それと同時に酸素ボンベらしきノズルを手に持つ澪。とにかくアフターケアがすごいッ。

 しかし、そんなのでは駄目だ。今回の衝撃はとてつもなかった。考えるだけで恐ろしかった。

 あれが、……あの、最強の回復手段が必要だ……!!


「A、ASMRを……」

「は、なんですかそれ」


 俺のか細い声に、澪がきょとんと小首を傾げる。


「耳元で甘い言葉を囁いてくれる、最強の回復魔法だ……! 俺の好きな配信者が、その動画を投稿してくれているんだ……ッ。俺のスマホの動画ファイルに入ってる。そいつのASMRを今すぐ耳元で聞かせてくれ……!」

「…………その配信者って、女性の方ですか?」

「あ、あぁ……? そうだが、それがどうしたんだ……!?」


 ――何が逆鱗に触ったのか。

 澪の目にある光が、スッと、一瞬してかき消えた。


「……………………いやです」

「はッ!?」

「いやです。いくら先輩の頼みと言えど、私、そんなこと協力したくありません」


 唯一の希望が

    ガ

     ラ

    ガ

     ラ

      と瓦解する。空いた口が塞がらない。


 ど、どうしてだ……!? こんなに意地の悪いことをする澪なんて、初めて見る。


「あ、あぁああぁあぁ……!!」

「…………か、代わりに、ですけど……」


 絶望の怨嗟を上げている俺の横で、顔をうっすらと赤く染めた澪が、自身の背中に腕を回しながらもじもじとそっぽを向く。今度はなにっ!?


「せ、先輩が望むなら、……わ、私が、耳元で、先輩の囁いてほしい言葉を、囁いてあげたり、し、したって、良いんですよ……? …………ぅ、い、言っちゃった……きゃぁ……っ」


 なんか長々と何か言って一人で両手を頬に当てたりしてるけど、途中から声小さすぎて全然わからん!! 隣の俺の様子わかってる!? 死にそうなんだけど!! 


「意味が、わからん……ッ! ま、まずいっアアァアアァアやばい、力尽きるっ!!?」

『パワハラ、タァアアァアァアイムッッ!!?』


 その時、社内に響き渡った号令。

 人の恐怖心を解消する方法は、更なる恐怖を与えること。

 一難去ってまた一難。俺のパニックは、背後から飛んできた絶望の報せによって解消された。


「げほっ、けほっ、……こ、この合図は……っ」

 

 何度も咳込み、辛うじてパニックから脱しながら、俺は澪と共に戦々恐々と背後を見る。この会社の悪しき風習、パワハラタイムの時間だ。

 この中央資料室のど真ん中で、まるで何かのカーニバルでもあっているかのように、巨大なモニターを携えた土台の上に半裸の女性と、醜悪な笑みを浮かべた課長が踊っていた。


 ピロリ♪ と共に、スマホから通知音。

 確認すると、そこには『配信が開始されました』との文章が。


----------------------------------------------------

●パワハラタイムキタ━━━(゜∀゜)━━━!!

   ●これでまたメシが美味いw

●今北産業。…………いや、三行じゃなくて

もいいわ。何が始まった?


----------------------------------------------------


 多種多様なコメントと共に映し出される、今俺が見ているものと全く同じ光景。そして、その様子は、カーニバル土台の上のモニターにもでかでかと映し出されている。

 そう、パワハラタイムは、一種の娯楽映像として配信されているのだ。

 

 人類とは、自分以外の不幸な人間を見ると、安心を覚え幸せになれる。

 これは、脳科学でも証明されている、悲しき事実だ。

 その本能を我が社では逆手に取り、過激なパワハラをパフォーマンスの一種として、配信サイトで流し、収入を得ているのだ。


 だが、これは世間が知られているような、ただのエンターテイメントではない。


 壇上に立つ課長が、下卑た顔で、こちらをじろりと顔を向ける。


「さてさて、今回のパワハラ相手はぁ……。……おい上田ぁ? さっきまで何やら騒いでいたが、今日中に終わらせろと言っていた資料、もう終わったんだろうなぁ?」

 

絶望の水滴が

       |

       |

       |

       |

       |

       |

     ぴちょん。


 と、地面に落ちた錯覚。


「…………終わって、いません」


 どすどすと近づいてきた杉谷すぎたに課長に、俺は静かに、なるべく心を無にして答えるしかない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 気になる展開です!! ブクマして読ませていただきます!!
[良い点] テンポの良い地の文がここちよく、自然と次話のボタンをクリックさせます。 [気になる点] さぁ、これからパワハラタイムはどうなるのか、ドキドキします。 [一言] >蛇に睨まれたカエル、いや、…
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