或る同窓会
中学校を卒業して、最初の同窓会が行われたのは成人式のときだった。
中には、着物姿のまま出席した人もいたけど、私は普段着で参加していた。相変わらず、中学生のときの面影を残している人もいれば、パッと見ではわからない人もいたことを、今でも覚えている。私は、前者と言うより、差ほど変わらないらしかった。
皆、大人になったんだなぁ、と周りの女子たちを見て思ってたっけ。化粧も様になってて、口紅とアイシャドウだけの私なんかとは比べ物にならなかった。
それでも、皆と騒ぐのはあの頃と全く変わらない。皆、そういうときだけは、心も中学生に戻っていた。
今回は、もう何回目の同窓会かな。
成人式のとき以来、毎年のように行われていたけど、いつしか一年おき、二年おきと間隔が広がっていった。それでも、人数が集まったのは曜日に関係なく、日にちを決めておいたから。
四月一九日。
特に、誰かがこの日にしようと決めたわけではない。たまたま、二、三年この日に同窓会を連続して開いたため、翌年からこの日に決められた。
私は長年幹事を務めていた。今回も例外なく、幹事は私。初めの方は委員長だった坂口さんが幹事を務めていたけど、坂口さんが幹事を務められなくなったとき、代理として幹事をさせてもらった。そこからは、私の役回りとなった。
前回から五年も経ってしまったことに、私は少し焦っていた。最低でも、三年に一回は開きたかったのだけど、幹事である私の都合が合わなかったばっかりに、とうとう開けずにいた。
誰かに幹事を任せることは考えなかった。委員長でもないのに、自分から進んで幹事を務めておいて、都合が悪いから他の人にお願いなんて、とてもじゃないけどできない。
ともあれ、今年こそは同窓会を開ける。皆に会えるんだ。
たった一組だけだったけど、だからこそ、当時の思い出が深く刻まれてるんだと思う。行事も部活も、友達関係も恋愛事情も。こんな年になっても、鮮明に覚えている。
もちろん、都合により来れない人もいるけど、夜の八時に集まるように呼びかけた。場所は、相変わらず、駅前のコンビニの上にある居酒屋。中学生のころ、私の好きだった溝口くんがバイトをしていた場所。
「久しぶり、金子」
声をかけてきたのは、親友の真里菜だった。親友といっても、今となってはそれほど頻繁に会うことはない。
どの学年にも一人はマドンナがいる。例外はない。私たちの学年では真里菜こそがマドンナだった。それは、今でもきっと変わらないと思う。それと同時に、やはり今でも、親友である真里菜がマドンナでいることを、私は誇りに思う。
マドンナの宿命とも言うべきなんだろうな。彼女は、一度も同窓会を欠席したことはなかった。誰もが憧れる存在であり続けるために。誰にでも癒しを与えられる存在であるために。
「金子は、ずっと変わらないね。中学からずっと無垢で、まるでアタシの本当の妹みたい。この、可愛いヤツめ」
そう言って、私の髪の毛をくしゃくしゃにしてくる。
「やめてよぉ。私たち、もういくつになったと思ってんの? 四五よ、四五。おばさんじゃない」
真里菜の手を払いのけると、彼女はとぼけたような顔をして笑った。
中学生の頃の思い出は、まるで昨日のことのように覚えているのに、気づけば私たちはもう四五。自分の言葉が、むなしくも可笑しく思えた。
十分と経たないうちに、次々と旧友が流れ込んできた。いそいそと姿を現す委員長の坂口さんは、私にポツリと挨拶した。
堅苦しい挨拶もさることながら、各々の談笑が場を弾ませていく。私も興に乗ってきたころ、一人の老人が目に留まった。
「遠藤先生!」
しわりと顔をくしゃくしゃにして、輪の中心に入ってくる。私たちの学年を支えてくれた、まさに恩師だった遠藤先生。いつも厳めしい顔をしているにもかかわらず、生徒の行いに褒めるときは仏のような笑顔を振りまいていた。今となっては、厳格な表情の面影なんて欠片もない。
「先生、こっちに来て“優しさの授業”してくださいよ」
私の席から離れたところで、昔の悪餓鬼が声を張り上げた。本当なら、そんな端の方じゃなく、今いる輪の中心でその話をして欲しかった。きっと、そう思ったのは私だけじゃないはず。
それは、とても授業と言えるものではなかった。それもそのはず。だって、その話をしたのはホームルームだったんだもの。
“優しさという名の凶器”――先生はしばしばそれを口にしていた。だから、この話は“優しさの授業”といっている。
誰かに何かを与えることが優しさなのではない。誰かに尽くすことが優しさなのではない。手を差し出し、助けてあげることが優しさなのではない。そんなものは“凶器”だ。優しさという名の“凶器”だ。いかに諭すか、いかに正すか、その人に対していかに厳しくなれるのか。そこに優しさがあるのだ。お前たちの考えている優しさは、最低限のマナーであり、甘えという“地獄”へと誘う“凶器”だ。いいか、それは優しさという名の“凶器”なんだぞ。
私は、未だに先生の言葉が理解できなかった。嘘を包み隠さず、安心を非ずものにするのが本当に優しさなのでしょうか。でも結局、その疑問を消失させることはできなかった。
「おい、金子、ちゃんと飲んでるのか?」
遠くへ席を移し“優しさの授業”をする遠藤先生に目を奪われていると、ふいに誰かが私に絡んできた。
溝口くんだった。今も昔も変わらない、好青年。
「しかし、金子も相変わらずだな。中学のときのまんまだ」
「ちょっと溝口くん、もう酔っ払っちゃったんじゃないの? 四五のおばさんにいう台詞じゃないよ」
笑った顔も素敵。
これまた、私はとうとう彼に思いを告げることはできず、中学校を離れてしまった。こんな調子で、色々な女子と絡むから彼は輝いているように思えた。誰からも好かれる人気者。本当にそう思えた。
それでも、私は彼と格別仲が良かったと自負している。ただ、仲が良すぎたんだと思う。
「溝口、あまり金子をいじめないでよね」
発泡酒を片手に真里菜が割って入ってきた。
あの頃と変わらない。彼女のせい、というわけではないけど、私が溝口くんに思いを告げられない原因がここにもあった。私のすぐそばにはいつも真里菜がいた。誰よりも仲が良かったし、誰よりもかけがえのない友達だったから、それは当たり前だったんだ。
私は二人との関係を崩したくなかった。ずっと、仲が良いままで時間を刻んでいきたかったんだ。ううん、本当は怖かったのかもしれない。だから、崩したくなかったのかもしれない。
「か、金子……?」
途端に、溝口くんが呆気に取られたような声を出した。
「金子が、泣いてる……」
頬を伝うものを感じて、その言葉を聴いて、私ははっとした。私は、初めて涙を流した気がした。
「良かった。やっと、夢が叶ったよ!」
今度は、私が呆気にとられてしまった。はしゃぐ溝口くんと真里菜。委員長の坂口さんも口元を両手で覆い目を細めていた。
「あとは涙だけだったんだ。人間だった頃の金子に戻るためには」
「良かったね、本当に良かったね、金子!」
――人間だった頃の、私?
私が遠藤先生の方を向くと、先生は何度も頷いていた。瞬間、私の脳裏に凍り付いていた記憶が融け始めた。
それは、中学三年生の真冬の出来事だった。卒業式の行われる少し前に、下の学年がお別れ会を開いてくれる。その恒例の行事がある当日、私は寝坊というしがない理由で遅刻していた。あとから入ってきて目立ってしまうことばかり気になって、とにかく学校へと急いでいた。今更、どうしようもないことだけど、気づいたときには、私は光を失っていた。
「あの事故のあとね、金子は人形のように何も感じなくなって、何も話さなくなってしまったの」
私の物語を綴ってくれたのは真里菜だった。
「アンドロイドに近いのかもしれない。脳に機械を植えてね、一つずつ、感情と言動を思い出させてきたのよ。ただ……副作用なのかな。本当に人形みたいに、容姿は年をとっていかなかった。不思議、だよね。年はとっていくのに、姿形は中学生のときのままだなんてさ」
皆の安堵する顔が私を覗き込む。
今流れているこの涙が、嬉しいのか悲しいのか、私にはわからなかった。本当なら、私が戻ってきたことを皆と分かち合うはずなんだけど、私にはどうしてもそれができない。
歓喜の顔の奥に、遠藤先生の顔が見えた。涙のせいでぼやけているけれど、皆とは違う表情を浮かべているのだけはわかった。先生は、何も言わずに頷いてくれた。
だから――
「それが、皆の隠し事だったんだね――」
言わなければならない――
「今度は、私の隠し事を、話すね――」
私が素直に喜べない理由。
皆が私に対して隠し事をしていたと言うことを、私は最初の同窓会ですでに知っていた。どんな隠し事なのかを知らないだけで、何かを隠しているのだと言うことくらいは知っていたんだ。
私たちが二五歳になる五回目の同窓会で、お返しと言うわけではないけど、私にも隠し事ができた。今も、その時と変わらず、全然嬉しくない隠し事。
私は、皆みたいに喜ぶことなんてできないよ。
「私が初めて幹事を務めたその同窓会で、この居酒屋と共に皆、炎に包まれてしまったの」
さっきまで明るかった居酒屋が、黒ずんだ廃墟へと変貌した。私と遠藤先生は知っていた、この場所に居酒屋なんてないことを。
「霊は年をとらないなんて、一体誰が考えたんだろうな」
言いながら遠藤先生は私の方へ歩み寄ってきた。
あの時、先生を同窓会に呼ぼうとした私は幹事でありながら、遅刻してしまった。
「隠し事がわからないままお別れは嫌なんだとさ、金子は」
ようやく私の所まで来た先生は、真里菜の方を向いた。決して責めるわけではなく、当時は滅多に見られなかった微笑を真里菜に向けている。
その微笑に答えて、真里菜は私の方を向いてくれた。
「ありがとう……教えてくれて」
「本当はさ、俺たちもわかってたんだぜ。金子が何か隠し事をしてるって」
次に口を開いたのは溝口くんだった。垣間見える、中学生のときの瞳が今も私を焦がせる。
坂口さんが彼の後ろからお辞儀をしてくれた。
ふと溜息をつくと、目の前には暗闇が広がるばかりだった。お別れの言葉は何度もいってきた。でも、今度こそ本当のお別れなんだ。
「先生。私、先生の言葉が少しだけわかったような気がします」
「隠し通していくことだけが、優しさなんかじゃない」
「はい」
とうとう、私たちの同窓会が終わってしまった。
「一つ、お願いがあるんです、先生」
「なんだい?」
ふと、もう一つ終わらせなければならないことを思い出した。
「卒業証書、ください――」
【完】