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Apple Field  作者: 水晶柘榴
零章 醒
5/8

(0) 04 アガタ視点

「ハァ!」


 たくさんの巻藁(まきわら)は無残に砕け、或いは整った切り口を見せ、或いは消し炭になっていた。巻藁(まきわら)には限りがあるが、これらは毎日見習いや奴隷が補充しているので、多少使えなくなったところで問題はない。


「おい、あれ見ろよ」


 アガタの耳に、声が聞こえた。離れているから聞こえていないと思っているのであろう。だが、生来アガタの耳は遠くの音をよく拾った。


「ああ、アガタ殿か。懲りない方だ」


 おそらく彼らは既に職務を終えたのだろう。視界の端にとらえた男たちは、アガタより位の低い武官だが、その口調は明らかにアガタを馬鹿にしていた。


「そういえばアガタ殿、(いとま)を言い渡されたらしい」

「へえ、ついに厄介払いか」


 この耳の良さのおかげで、アガタは多くの戦場を生き抜いた。しかし、いまはその耳がひどく恨めしかった。男たちが、鍛錬に励むアガタを遠巻きに見て、厄介払いだと言っている。それにはアガタも心の底から同意であった。仮にそうだとして、それ自体はどうでもいいが、人の噂話に上がることは非常に不本意であり、それだけが疎ましかった。武人ならば、口ではなく武を示せと、そう言ってやりたい。


「……(いとま)か」


 すでに日は落ち、いたるところで松明(たいまつ)に火が入れられている。時折鼻をかすめる油の匂いに、もうそんな時間なのだと、今更のように思った。視線の先には、(グウ)がある。鍛錬所からそう遠くない場所にある(グウ)の一室に、アガタに(いとま)を申し渡したヤカタがいる。長い(いとま)だ。いつ終えるやもしれぬ、長い、ヒマとは名ばかりの戦い。命令ならば、アガタは喜んで拝命(はいめい)する。武人として、戦いに身を投じること以上の喜びを、アガタは知らない。


「ん? あれは……」


 松明(たいまつ)が照らす渡り廊下を歩く小さな影。見慣れたそれに気が付き、アガタは声をかけた。


「ココノ殿!」

「アガタさん!」


名を呼ばれたココノは、そちらを振り向き、名を呼んだ人物がよく知る者だと分かると、頬をほころばせた。二人は仕事中に顔を合わせることも多く、比較的親しい間柄なのだ。


「救世主殿は一緒ではないのか?」

「カツミ様のことですか? いま、部屋までお送りしてきたところなんです。アガタさんは……?」

「ああ、たった今、鍛錬を終えたところだ」

「お疲れ様でございます」


 ちょこんと頭を下げるココノに、アガタも思わず頬を緩める。ココノと言う少女はどこか庇護欲を誘い、所作の一つ一つに愛玩動物のような愛嬌を見せる。そんな彼女にはつい構い倒したくなってしまい、思わずその頭に手を伸ばし、そのままかみ髪に触れる寸でのところで、手を引っ込める。突然頭を撫でるのは、相手に失礼な行為であろう。たとえ相手の身分が低くとも、武人であるアガタは目下の者に対する礼儀こそ大事に思っている。


「私はそれほどの身分でもあるまい。そうかしこまる必要もないから、頭をあげなさい」

「はい」


 頭を上げたココノは、まっすぐにアガタを見つめる。実のところ、アガタはこのいかにもと無垢と言った目が苦手だった。嫌いというわけではなく、むしろ愛くるしいとさえ思っているのだが、自分にもこのような時があっただろうかと考えると、妙にむず痒い気持ちになってしまう。


「これから仕事か?」

「いいえ、少し休憩を取ります。それから、戸締りを確認したら、寮に戻ります」

「戸締りなら別の者に命じておこう。今日はもう上がりなさい。おそらく明日は忙しくなる」


 アガタは、彼女が己の同胞であることを知っている。ヤカタは自分以外にも(いとま)という形で命令を下しているのだ。ココノは召喚されたというカツミを中心に、一行の世話役を命じられていると記憶している。


「でもっ」


 ココノはわずかに頬を染め、それから戸惑い、慌てふためいている。キョロキョロと辺りを見回し、それから困ったようにアガタを見つめる。まるで初々しい恋人にも見えるやり取りだが、もちろん二人はそんな間柄ではない。二人は女同士で、禁じられた感情も持ち合わせていない。アガタがそこいらの男以上に勇ましくとも、ココノがあまり類を見ないほどに愛くるしくとも、(グウ)で時折囁かれているような間柄ではない。


「どうせ咎めるものなどおらぬよ。行っておいで」

「……では、お言葉に甘えます。ありがとうございます」


 ココノは丁寧に頭を下げ、それからパタパタと駆けて行く。そんなココノの様子はあまりにも微笑ましく、アガタはつい笑みを漏らした。


「……さて」


 不意に、ココノが今しがた出てきた建物を眺めた。来賓用に使われている物だが、昔ほどに国同士の交流は盛んではない。そのせいか、来賓用の棟はカツミ一人で使っている。


「バレバレだな、救世主殿」


 アガタはそうつぶやくと、小さく嘆息した。その歩みはココノが向かった方向とは真逆を向いて庭に出た。そうして茂みの傍に立ち、一息ついたと同時に、真上から何かが降って来る。


「っと。……ん?」


 ずいぶんと身軽とでもいうべきか、手慣れた様子で、降り立ったのは、昼間出会った男だ。月明かりを照り返す珍しいその髪色に、アガタはやはりと言いたげに苦笑を漏らす。金の髪と青い目という、この国ではなかなか見えない特徴の青年は、アガタを見るや否や眉を寄せた。彼女にとって予想していた反応なので、とくに気に障ることはない。かなり強引に(グウ)に連れて来たので、恨まれることは許容範囲であったし、アガタという武人にとって、目の前の男は大きな脅威ではなかった。


「アガタ……」


 気に食わないと言いたげなその眼差しが心地よい。その眼には戦意がこもっていた。アガタは彼への武術指南を命じられている。(グウ)の中で陰口をたたく武官たちに比べ、幾分好ましい態度である。この時間に(グウ)を出るということは、抜け出すつもりかもしれない。

 アガタは彼を足止めすべく挑発する。まずはココノの境遇を簡単に教えてやり、良心に訴えかけた。それから無知を指摘してやり、行動を自ら制限するよう誘導する。おそらくカツミはアガタに反感を抱くだろうが、そこは問題ない。カツミの戦意を目にして、すでに接し方は確定していた。

 カツミが戦意を向けるならば、アガタもまた、戦意で交流する。武術指南役として、相性は悪くないように思う。話の流れでカツミはその事実に気が付き、ますます意欲を見せた。好戦的な目を好ましく思い、久しぶりに純粋な手合わせが出来そうだと胸を躍らせる。

 アガタは(ノベル)でしまい込んでいた棍を二本取り出し、一方はカツミに投げた。カツミは一度それを不思議そうな顔で受け取り、それから構えるように棍を持った。




 アガタはカツミを鍛錬場へ連れ出し、互いに向き合った。アガタがまっすぐに立ち棍を構えるのに対し、カツミは腰を落としている。戦いに慣れている。そう感じた。記憶はないはずのカツミだが、なるほど、戦人(いくさびと)として召喚される適正は帯びていたらしい。


「打ち込んでくるがいい。私は一度、其方の全力を受けたいのだ」


 アガタの言葉にカツミの口角が上がる。深く踏み込んだ脚が、攻撃を繰り出す。


「ふっ」


歯を食いしばり、息を漏らした攻撃は、思っていたよりも重い。棍を通じて、ジィンと心地よい痺れが伝わる。カツミはそのまま元の位置へと飛びのいた。


「どうだ」

「悪くなかったぞ」


短く交わす会話で、互いの期待が伺いしれた。相手の力量をもっと感じたい。相手を打ちのめしたい。交わされる視線が語っていた。


「……次は―――私が行く!」


 アガタもまた、足を踏み出し攻撃を繰り出す。カツミは受けるのではなく、避けることを選び、一度飛びのいたかと思えば、すぐに攻撃を繰り出して来た。なかなかに重い攻撃を繰り出してくる一方で、切り返しが早い。アガタはその攻撃を好ましく思い、受け流しながらも期待をますます高めていく。


 そうしてアガタとカツミの二人は高揚感を高め、何時間も手合わせを続けることとなった。アガタは東の空の色が変わり始めたことに気付いたが、カツミはそれを気にする様子を見せない。

 アガタは武人だ。それも多くの戦場を駆け抜けた、武人である。戦争ともなれば何時間も戦い続けることだって珍しくない。アガタは動きを最低限にとどめ、体力の消耗を押さえて戦いに務めた。対するカツミは常に全力投球だ。何時間もずっと、全力で戦い続けるなど、人間業ではない。だというのに、カツミは高揚感から疲れに気付かず、それをやってのけている。面白い男に会ったと、純粋にそう思った。まだまだ強さはアガタに及ばない者の、才能だけならばアガタを上回るだろう。


(この才能を潰すわけにはいかないな)


 アガタはわざと隙を見せ、カツミに打ち込ませた。何とも容赦ないことに、カツミはアガタが女であるにもかかわらず、腹を狙ってきた。アガタはその攻撃を心の中で評価しつつも、棍を払ってそのまま弾き飛ばした。それから、カツミの喉元に棍を突き付けて降参の意を引き出す。


「救世主殿、座ってみろ」


 アガタが茶化すと、カツミはうんざりとしたように眉をよせ、名で呼ぶようにと指摘した。アガタが名を呼ぶと、それも気に食わないと言うように眉を寄せ、アガタの言葉にならい座り込んだ。そうすると、今まで気づかなかった疲労に気が付いたらしく、カツミは戸惑ったように脱力した。

 アガタが思うに、カツミの強さは天性の物だ。生まれつきの才能と、環境が作り上げた物である。それ故に、カツミには鍛錬や加減と言った当たり前の技術や習慣を身に着けていないように思う。最初はこの辺りの指導をすべきであろうか。アガタはそう思いながら、干し豆を取り出す。故郷の名物の豆で作った携帯食だ。干し豆の入った小袋を投げ込み、カツミがそれを口に入れることを確認したところで、先ほど弾き飛ばした、棍を拾い上げた。不意に金属の擦れる音が聞こえ、そちらを振り向く。


「やはりここにいたのですね」

「ヒイズ殿」


鎖の擦れる音には覚えがあった。癖のある茶色の髪は、早朝の風にわずかに揺れ、歩くたびに彼の両手にはめられた枷の鎖が擦れる。


「よくまぁ、ここが分かったものだな」

「アガタ殿がいる場所は、限られますからね。貴女の姿を、少なくとも圖書寮(ずしょりょう)で見かけたことはありませんでしたよ?」


 その言葉にはさすがに苦笑が浮かんだ。アガタの生まれは武家の中でもとりわけ名門で、物心ついたころから、武器の鍛錬を受けていた。無論読み書きや兵法(ひょうほう)は学んだこともあるのだが、本を読む時間があるのならば、体を動かしていたいと思ってもおかしくないだろう。


「……ちなみに、この屋外鍛錬場以外で、どこにいると踏んでいたのだ?」

「屋内鍛錬所、食堂、馬房、水飲み場、仮眠室ですかね」

「随分断定的だな……」

「他の場所に行くのですか?」


 アガタは口を開くが、その後言葉は出なかった。確かにそれらの場所はよく用いる場所なのだが、一方で他の場所というものが、自分にも浮かばなかったのだ。ヒイズの質問に答えることができず、少々悔しい。アガタは武人らしく、負けず嫌いなのだ。


「……ん? そういえば、カツミはヒイズ殿と……あ?」

「おや」


 アガタはカツミの存在を思い出し振り返る。たしか彼は、ヒイズと顔を合わせているはずなのだが、反応がない。喧しい類の人間ではないだろうが、それでもなんの反応もないことはおかしい。そう考え話題を振ったわけなのだが……。


「これは、寝ているのか?」

「疲れているようですね。満足げではありますが……いったいどれほどの時間を鍛錬に費やしたというのですか?」


 ヒイズに尋ねられ、思わず視線を逸らした。間合いを取り、睨み合っている時間が休息だというような手合わせをしていた気がする。カツミがついてくるものだから、つい楽しくて手合わせを続けてしまった。楽しい時間を過ごしたことに違いはないが、後先考えない行動であったと反省する。


「……よく寝るな。(グウ)に連れて来た時も、ずっと眠っていたというのに」

「気絶と睡眠では全く違うものですよ?」

「それはわかっている」


 武人なのだから、それくらいの違いは分かっているつもりだ。どうやらヒイズに、アガタの冗談は通じないらしい。芝生の上で、大の字になって眠るカツミの様子が、あまりにも気持ちよさげなので、こちらまで毒気を抜かれてしまう。前髪がやや長いせいで、あまり意識はしていなかったのだが、眠る姿はあどけない少年のようだ。


「……ヒイズ殿、どう思う?」

「どう、とは……?」


 問いかけるアガタに対して、ヒイズが首を傾げた。しかしその眼は鋭く、どこか確信めいたものがあるようにも思える。おそらくおおよその話は分かっているのだ。


「救世主を喚んだのは、各国に対して示すべき姿勢があるからだ」

「そのように聞き及んでおります。事実、各国では“未蕾(みらい)”の被害が相次いでおり、我が国には被害は月に数件程度。水晃(ユクミツ)の沖からは、零彗國(レンゼイこく)がうっすらと見えるにも関わらず」


 アガタは浅く頷いた。

 虹澑國(グリュウこく)の東に位置する港町は、漁が盛んである。沖に出ると遠くにうっすらと、零彗(レンゼイ)特有の楼閣(ろうかく)の影が見えるらしいのだ。零彗(レンゼイ)の大地には、陽妻(タカヅマ)(グウ)よりも、ずっと背丈のある建物が建ち並び、道は石膏(せっこう)のようなもので、綺麗に舗装されているのだという。虹澑國(グリュウこく)の者はあまり国外に行くことはないのだが、それでも、零彗(レンゼイ)に足を踏み入れた者は、口々に、異世界に旅をしたと言ったらしい。そんな先を行く国が、未蕾(みらい)によって滅ぼされたのだ。


「そう。だからこそ、各国の者も、対抗する戦人(いくさびと)がおれば、歓迎するだろう。だが……」

「……(グウ)の者ですか」


 アガタは答えず、眠るカツミに視線を落とした。眠りが深いのか、横たわる青年はピクリとも動かない。胸から腹部にかけて上下するので、眠っているのがわかる程度だ。


「なぜ、(グウ)に仕える者に明かされないのか。表向き、私たちには(いとま)を出されたことになっています。各国には声明が出されるでしょうに……。言いたいことはそれですか?」

「……焦臭くはないか?」


 気が付けばあたりは既に明るい。遠くから聞こえるざわめきに、人々の活動時間が近いことを知り、まるで示し合わせたように、二人は頷き合う。


「……私は、早くここを去りたいです。今までこんなことはなかったというのに、急に、上の方々の思惑が想像できず、恐ろしいのです」


救世主が召喚されたという話は、寝耳に水であった。内密に告げられたそれらは、決して(グウ)の者に明かしてはならないという。それが不思議で、ヒイズもカツミに同情した。いや。記憶がないという時点で、かもしれない。記憶のない者が、右も左も分からぬ状態で、国の事情に巻き込まれたのだ。カツミの行動が、理解できないわけではなかった。


「良い考えがあるのだが、乗らないか」

「えっ?」


 アガタはカツミを担ぎ上げるとニヤリと笑い、ヒイズはキョトンとした顔で、小首をかしげた。アガタの肩に担がれたカツミは腕をダラリと投げ出し、ぴくりともしない。そんな様子にヒイズはもう一度、仕方ないと言いたげに、苦笑を漏らした。


「時に、アガタ殿?」

「ん、どうされた?」


 ヒイズは前を歩くアガタに声をかけた。勤め人が起きだす時間ということもあり、何度か人とすれ違い、視線を感じたが、(グウ)の中でも武官の領域であれば、気にすることはない。アガタの特訓で新人が倒れ、担がれることはよくあり、すれ違う者たちは、またかという哀れみの視線を向けている。だがその視線の中には、珍しいカツミの容姿を気にする者もいるに違いない。金の髪の者など、少なくともこのあたりの人間ではないので、視線を集めているのだ。


「最後に水を飲んだのはいつでしょうか?」


夜にカツミと会い、それからずっと戦っていた。後ろを歩くヒイズの視線が背中に痛い。特に意識していなかった荷物(・・)が急に重く感じる。


「み、ず……」


 アガタは一日ぐらい水を飲まずに戦ったところで問題はない。もっと辛い前線を経験したこともあり、体も少々人の常を超えて丈夫なので、特に気にかからなかった。カツミが平気そうにしていたこともあり、気に留めていなかったのだが、アガタに大きな責任はないはずだ。

 ……ないはず、なのだが。


「アガタ殿……?」


 アガタは何故か、後ろのヒイズに向き直ることができなかった。


カツミを宮に連れて行ったアガタは、ずっと鍛錬しておりました。その後は見てのとおり。

水分補給や塩分の補給はこまめに行いましょう。

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