車を運転していて、一番楽しいこと 〜 車は動物だ 〜
皆様今晩は! シサマという者です。
いよいよ今年もあと僅か、日本全国で本格的に冬が到来しました!
私の暮らす北海道釧路市は、雪こそ余り積もらないものの、日本屈指の寒さで路面はまるでスケートリンク。
少子高齢化も顕著であるため、車の運転には細心の注意が必要ですね。
大学時代から住んでいた京都市から、地元の釧路市に戻る決意とともに運転免許を取得してちょうど10年と半年。
初めての車は、まるで測った様に10年で車検を通らなくなり、秋に2代目の車がやって来ました。
釧路市で生活するには、車は半ば必需品です。
この10年間で、冬場に軽い追突や接触事故を2回起こしてしまい、後部ガラスが全壊する程の激しい追突を喰らったこともあります。
しかしながらこれらの事故で、相手は勿論、私自身もかすり傷ひとつ負ったことはありません。
後部ガラス全壊の追突は、さながらハリウッドのアクション映画ばりでしたが、私はスタローンやシュワちゃん、チャック・ノリスの映画で育っているので(?)、バックミラーで青ざめる追突車両の運転手の顔を見ながら、背筋を伸ばし、シートから背中を離して追突に備えていました。
当時としては、何故私がそこまで冷静だったのか分かりません。
人智を超越した何かが働いたのでしょうね。
そんな10年が過ぎ去りましたが、私は今まで一度も車の運転が怖いと思ったことはありませんでした。
その理由はふたつあり、まずひとつは私が音楽やラジオを聴くのが大好きだということ。
基本的にひとりの空間で、運転を理由に多少は電話に遅れてもいい環境は、極めて快適ですね。
そしてもうひとつはこのエッセイの本題である、「車は動物だ」という感性に目覚めたからです。
『小説家になろう』サイトに来て、更に文章まで書いてしまう人というのは、私を含めて、多少なりとも世間一般とは異なる感性を持っているはずですよね。
なろうのランキングで大人気の主流派作品が、世間一般では余り評価されていませんし……ってのは皮肉ですが。
私は港町釧路で育ったので、幼い頃から魚に親しみ、彼等の顔を見て「このお魚さん、釣られて悔しそう」とか、「このお魚さん、運命を悟った顔してる」とか言って、近所の奥様方を爆笑させたものでした。
この様な感性は、男性で持っている人は少ないのかも知れませんが、女性にはかなりの確率で通じます。
この感性のお陰で、現在の仕事でも高齢の女性とは馴染みやすいですね。
そして、顔から生き物の心情やキャラクターを想像するこの癖が、ある日、ふと目が合った対向車線の車に発動してしまいました。
皆様、自動車を正面から見て下さい。
フロントガラスはおでこ、ワイパーは眉毛、ヘッドライトは目、ロゴマークは鼻、通気孔は口、ナンバープレートは出っ歯……。
どうです?
車の正面は動物の顔じゃありませんか?
ヘッドライトの角度で気の荒そうな顔だったり、両目が離れすぎて間抜けな顔だったり、カラコンしてるみたいな瞳だったり、出っ歯が左右にずれていて嫌味な奴だったりしますよね?
そして、近年の車の大半は、ずんぐりと丸っこいボディを持っているので、タイヤを短い足だと考えれば、どう見ても4足歩行の動物です!
正面からその顔を確認し、側面から体型と足を見比べ、後ろ姿から何とも言えない愛嬌や哀愁を感じる……。
車という、「動物」の生活を、私達は普段意識することもなく目の当たりにしているのですね。
仕事を終えた後は、家路という名の巣に帰るため、肩を寄せ会う様にひしめき、皆が目的をひとつにちょこちょこと動き回ります。
その背中には沢山の食べ物や娯楽品が詰まっていたりして、子どもやパートナーの喜ぶ顔を見たがっているのかも知れない。
何やらやらかしてしまったのか、それとも寝過ごしたのか、朝食を与えられず、空腹のままコンビニに行ったりする動物もいます。
渋滞やマナー違反で嫌な思いをする時もありますが、どんなに大切にしても10年くらいで寿命が来てしまう所も含めて、私はそんな車という「動物」がいとおしくて仕方がありませんね。
私達は人間です。
人間だから当然、車の「中の人」の全てを好きになる事は出来ないでしょう。
でも、そんな時には、私達の間に立って人間をサポートし、時には「中の人」の素直な愛や欲を見せてくれる、憎めない車という「動物」に愛情を見せてあげて欲しいのです。
……まだ新しい一週間、朝が来た様ですね!
行ってらっしゃい、今日もお気をつけて……。