42話 母親
ーーーーー
リアナとアナがアマネの元で生活し始めて一年が経った。
アマネが新しく始めた事業、喫茶店"パップパブン"の経営は順調に進み、アナとリアナもそのささやかなながらの仕事がきっちりと板についていた。
「アナ、これ洗ってくれるかい? あとリアナに新しい雑巾二十枚追加で縫うように頼んだいてくれるかい?」
「わかりました、おばさん。あとで店のテーブルも拭いときますね」
アナはすっかりと厨房を任せられるくらいに頼もしくなっていた。忙しい仕事の中でも受け答えもしっかりとし、アマネとの関係も好調だった。
だがアマネはまだ一つ煮え切らない思いを持っていた。
(リアナはまだ人と話すのが苦手なのかい、今日も全然顔を出さない。アナの方はすっかりと常連の客たちと顔なじみになってるのに)
それはリアナのことだった。誰とでも親しそうに話す姉のアナとは違い、リアナは姉以外とは全く話そうとはせずにアマネさえほとんど口を交わすことがない。
リアナは寝室にある二段ベッドの下の段で裁縫や店の売上金の整理など人との関わりを必要としない仕事ばかりをしていた。
(もう一年。なんとかしてリアナにきっかけを与えてあげないと……アナ曰く元々内向的な性格らしいけども)
アマネはなんとかしてリアナとの心の距離を詰めようと考えてきた。
しかしもしリアナが未だに母アルナの死を心の傷として残しているのならアマネにとってリアナとわかり合うのは容易なことではなかった。
なんせアルナはアマネのために死んだ。アマネはこのことを二人に話してはいないが、リアナがもし母親の死の真相を問うてきた場合、嘘偽りなく本当のことを打ち明けないといけない。
(そんなこと、できるわけないじゃないか。あたしがこの一年間少しずつだけれども積み上げてきたものが全てなくなるかもしれない。
けど、隠したままだと一生リアナと相入れることはないかもしれない)
アマネは客にコーヒーを運ぶと、店内に置いてある二つの薔薇の柄が入ったコーヒーカップを目にした。
それらはちょうど一年前にここにきたばかりのアナとリアナにアマネが用意したものだ。
これを貰ったときアナはありがとうございますと律儀に頭を下げて、リアナも姉とお揃いものが貰えたのが嬉しかったのだろう。
歯を出し笑っていた。
"ありがとう、アマネさんっ!!"
黄色い声でリアナが出した声。今ではアナと同じく敬語を使うリアナが唯一このときだけアマネに敬語を使わなかった。
(もう一度、あの声が聞きたい。あの子はあんなに可愛い声を出せるんだ。変わってしまう前にもっとあの声を誰にでも発せられるようになってほしい)
そしてアマネはなぜこれまで思いつかなかったのかというくらい単純な方法を思いついた。
(可愛い子には旅をさせろ……そうだね。アナのお使いにアナもついて行かせようっ!)
アマネは早速店内が空いた頃を見計らい、部屋にいるリアナをアナとともに市場へと買い物に出かけさせた。
「えっ、あっ、あのなんで私までいかないといけないんですかっ?」
「そんなに気に揉まなくても大丈夫だよ、リアナ。お姉ちゃんと一緒だから」
そしてアナは手元からなにやら金色の手鏡を取り出し、リアナに握らせた。
「ほら、リアナ。お母さんも一緒だよ」
それはアルナが生きていた頃、ずっと持っていた手鏡だった。
アマネはそれがアナとリアナにとっての母親の形見だとすぐに分かった。恐らく、唯一の。
アマネはその二人のやり取りを見て切ない気持ちになった。
「……うん、わかった。お姉ちゃんが一緒なら」
アナの後押しもありなんとかリアナを外に送り出すことができた。
「あんたら、気をつけて行くんだよっ!」
アマネは子供が一つ成長したのを喜ぶ母親の心地でいた。
リアナとアナが出かけたのはまだ陽が暮れていない頃だった。
しかしこの数時間後、事件は起きた。
ーーーーー
「遅いねぇ、あの子達……」
アマネはとっくに陽が暮れた頃、未だに帰らない二人を心配し出していた。
(やっぱり二人だけで行かせるのはいけなかったのかねぇ)
カリスの政策により、それまでタウンPDと呼ばれる貧民街への補助がなくなった結果、そこに住む人々を見下すという風潮ができていた。
それもそのはず、タウンPDに住む人がタウンPDから出るためには通行料を払い、首輪をつけなければならない。
こんな人でなし政策が行われていては人の心も荒む。
更に例のカリスに持ち込まれたリリースライズ教もこの頃にはすっかり浸透しており、恐喝じみたことをする輩も増えていた。
つまり、治安は最悪だ。
幼い子ども二人を付き添いな死に出かけさせたのは間違いだったかも知れないとアマネは思い始めた。
(どうしようかね、今もまだ客が居るし迎えに行くわけには……)
アマネが店を閉めようかどうか迷い始める。
そのときだった。
「アマネさんっ! 大変だっ、アナちゃんたちがっ!!」
店の常連である中年男が突然店のドアを突き破る勢いで店内に押し入り、アマネに迫ってきた。
「なっ、なんだいっ!? アナがどうかしたのかいっ?」
アマネがアナの名を聞いて、逆にその中年男に詰め寄る。
中年男は半ば言うのを戸惑う仕草を見せながらもアマネの顔を直視し、告げた。
「……アナちゃんが、殺された。カリスの部下に」
「えっ、なんだって!! 嘘だろ……」
アマネはその事実を知った途端にその場で倒れた。
あまりにも大きなショックを受けたために立ち上がれない。
アマネはその後に聞こえてきた中年男の声が妙に他人事のように感じた。
"アマネさんっ、リアナちゃんが持っていた金の手鏡を市場にいた男が取り上げようとしたんだっ!
それを見たアナちゃんが咄嗟に売り場のナイフで刺し殺したんだ。
でもその殺した男が不幸にもカリスの部下である兵士だった。
アナちゃんはカリス城に連れていかれて……殺されたらしい。たしかにアナちゃんの断末魔のような叫びが城の周りに響いて、命が消える音がしたんだ。
俺が実際に聞いた間違いねぇ。
恐らくリアナちゃんも……"
アマネはそれらが全てが別の世界の出来事に聞こえた。
(嘘……なんで急に。アナが死んで……つい数時間前まで笑顔だったのに。
どうしてどうしてどうして、何がいけなかったんだい。
あたしはただ変えたかった。
リアナに母親のような存在と認めて欲しくて……あの子と本当の家族になりたくて。
その一歩として送り出したのに……なんでなんでなんで。
なんでだっっ!!!
あたしは今、親友との約束も、一年間育んできたものも……全て失った。もう……戻らない)
その瞬間、アナとリアナ、二人と過ごした記憶が今目の前で起こっていることかのようにアマネの中で蘇る。
"アマネさん、この薔薇のデザインとても気に入りました!ありがとうございますっ"
"アマネさんっ、リアナにもできる仕事を考えたんですっ。
裁縫っ! あの子にもやらせてあげてくださいっ!!
きっと上手く言えないだけであの子もアマネさんのお手伝いがしたいんですっ!"
"ほらリアナッ! ちゃんとアマネさんに薔薇のコーヒーカップのお礼言わないとダメだよっ!"
"えっ? あっえっと……ありがとう、アマネさんっ!!"
全ての記憶が通り過ぎて行ったときアマネは自分の何かが死んだ気がした。
それからアマネはまるで生きる本能を失ってしまった野生動物のようにただパップパブンで一人働き詰める日々を送った。
リアナとアナが消え、棚に置いてある薔薇のコーヒーカップだけが二人の存在があったことを表していた。
ーーーーー
そしてまた一年が経った。
アマネは今日も憂鬱そうな表情で接客をする。
笑顔など作れるはずがなかった。
まだアナとリアナを失った傷は癒えていない。
そのぶっきらぼうと化したアマネの働きぶりに店に足を運ぶ客足は減ってゆき、遂に常連の客しか入ってこないようになっていた。
(アルナ……あんたが言っていたいつかワイアラ王国を取り戻すという約束、あたしにはもう果たせないよ。
それどころか、あんたの子供二人まともに育てなかった。
あんたは今頃、天国であたしのことを恨んでいるのかい?
それともあたしのことなんて忘れてアナたちと仲良く暮らしているのかい?)
毎日悲しみと罪悪感に押しつぶされそうになる日々。
手足も震え、何度もコップや皿を割る。
かつて国のために戦った戦士の面影は全く残っていなかった。
毎日が真っ黒。
働いてはいるが、まるで無為徒食。
(あたしに生きている意味なんてあるのかね?)
そんな自問自答をアマネは毎日繰り返していた。
その自答がノーであることなどわかりきっている。
それなのに何故か生きている。
それがアマネには不思議だった。
そこに店のドアが開く音が響く。
「はぁい、いらっしゃーーーー!?」
入ってきたのは常連のあの中年男。
その男はアマネの口を手で握った。
そしてアマネが何をするんだいっ、というよりも早く中年男はアマネを厨房に押し入れた。
「なっ、何をするんだいっ!? 冗談だとしても許さないよっ! こんなーー」
「違うっ!! アマネさんよ〜く聞いてくれっ!
大事なことなんだよっ」
中年男はアマネの問答など無視し、すぐに本題に入りたがった。
アマネもその男の慌てっぷりに思わず、暴れるのをやめる。
「一体何があったんだい?」
アマネは問うた。
そして中年男が話し始める。
「実はーーーーー」
「なんだってっ!? それは本当かいっ!?」
「嘘じゃないっ! 俺がわざわざあんたにこんな嘘つくわけないだろっ!!」
「だったら……すぐに行かなきゃ、迎えに行かなきゃいけないじゃないかっ!!」
「えっ、ちょっと、アマネさんっ!!」
アマネはその中年男を突き飛ばし、店を飛び出した。
店をほっぽり出すことになるが致し方ない。
アマネは迷うことなく走り出した。
ーーーーー
「ちょっと待て! ここから先はーー」
「うるさいよっ!! 黙って通しなっ!」
中年男の話を聞き、アマネが来たのはカリス城だった。
アマネはそこの門兵を自前の体術で蹴散らし、カリス城の中へと入って行った。
「ここがカリス城。初めて来た。でも、何か、確信できるよ」
アマネはそのまま吸い込まれるようにその城の長い廊下を走り出した。
そして一つの大きなドアの前に辿り着く。
アマネは戸惑うことなくそのドアを開いた。
「ここかいっ!!」
アマネはその大きな部屋に足を踏み入れた。
今気づいたことだが、城中が宝石のような石でできている。
そしてその部屋の中は他と比べ、至極輝いていた。
アマネが不覚にもそれに見入っていると、一人の男の声が響いた。
「全く何の用だ? こんな時間に」
アマネはその重々しい声に身震いする。
部屋の奥の玉座に一人の大男が座っている。
「あんたが……カリスかい?」
「ああ、そうだ」
そう、この男こそがカリスだった。
カリスは目の前に侵入者がいることに殆ど動揺する様子もなくアマネをじろりと見ていた。
アマネはそのカリスが自分をじとりと見ているのを認め、叫んだ。
「あたしの店の常連がね、ここの城の窓から確かに見たって言ったんだよ……一人の少女……リアナの姿を見たってね!!」
アマネは言い終わったがすぐにカリスを睨みつけた。
リアナを確かに見た、そう中年男が言っていた。
すぐ酒に酔うが、絶対に嘘をつかない男だ。
「なるほど、お前か。リアナを一年だけだが育てた女というのは」
カリスはニヤリと顎を撫でて笑った。
「そんなに会いたければ、会えばいい。リアナ……俺の娘にっ」
「なっ……!」
アマネがそのカリスの言葉に食いつきそうになる。
しかし後ろから聞こえてきた少女の声がアマネのその苛立ちをなだめた。
「呼びましたか、お父様?」
「はっ……リアナ!!」
アマネはすぐさま後ろを振り返った。
そこにいたのは間違いなくリアナ本人だった。
体は成長し、目の調子も変わっているが間違いない。
アマネがずっと死んだと思っていた少女、リアナ。
「リアナ……あんた……会いたかったよ!!」
アマネは考える前にリアナを抱きしめに走った。
だがその瞬間に、アマネの腹に激痛が走る。
そのままアマネは前かがみに倒れた。
「うっ、がっああああ……」
アマネは気づいた。
リアナが駆け寄ってくるアマネに足で一撃を加えたのだということを。
「なんでだい……リアナ?」
吐血しそうになる。
その口を押さえながらアマネは信じられないという顔つきでリアナの顔を見た。
その顔はアマネを懐かしむ顔ではなかった。
まるで侵入者を察知した猟犬のような目。
少なくともアマネに対し、一寸の感情も持ち合わせていないことが分かる。
「アマネ、お引き取り願おうか?」
カリスは玉座から降り、倒れるアマネの頭を持ち上げて言った。
「リアナがもうお前の娘でないことがよくわかっただろ?
この子が、月眼の持ち主だと知った俺は姉が死に、行き場のないこの子を自分の子として育てることにしたんだ。
俺の実の息子三人と同じくらいの愛情を注いでなっ」
「何言ってるだいっ!! アナを殺したのはあんただろっ!」
そうアマネが喚くと、カリスは目の色を変え、鬼神のような目でアマネの頭に力を加えた。
「おい、あまり調子に乗るなよ。お前がこの国でかつて統術師として戦っていたことは分かっているんだぞ。
お前が生きていることはつい最近調べがついていた。
だが何故お前が今の今まで生きてこられたか分かるか?
それはお前が一時期であれど、リアナの母親であったからだ。
俺の気が変わらないうちにさっさと家に戻れっ。
そして二度とここに現れるなっ!」
そのカリスの必死な訴えるような叫びにアマネはどこか父親が持つような特有の力強さを感じた。
(なんで、こんな奴がリアナの父親なわけないよっ!!)
そうしてアマネはカリス城から追い出された。
一年振りに見たリアナは変わり果てていた。
ほんの少しあった心の闇が膨れ上がったみたいな。
そんな目をしていた。
しかし、このリアナが生きていた事実がこれから先アマネが生きてゆく糧となったのだった。
ー*ー*ー*ー*ー
そしてアマネは現在カリス城の牢屋に収監されている。
自身の弟子として育て上げた天人を庇ったことによって。
「リアナ、あんたを必ず取り戻す。それが今まであたしみたいなクズが生きてきた理由だよ」
アマネはただ大人しくそこでうずくまっていた。
天人とアルトがアマネを見捨てるわけがない。
それはアマネ自身が分かっていた。
(あたしはこんな状況をやっぱり望んでいたのかもしれない。あの二人が、カリスを討つのを)
アマネはカリスを倒すことを望んでいた。
でも決してそのためだけのために天人たちを鍛えたわけではない。
だがしかし、今は天人たちがカリスを倒すのではないかと期待している。
リアナがそれで戻ってくることを願っている。
もう引き返せない。アマネが今ここで捕まっているのも必然ではない。
アマネはただことの成り行きを待った。




