1話 牙の森
眠りから覚めると、俺は森の中で寝ていた。
「ここは、どこだ?」
背中には草の葉の感触が柔らかく、風は心地良く森の香りを運ぶ。
覚えている記憶は何故か曖昧だ。
「確か、怪しい女から殺しの依頼を受けて・・・ふむ、その辺りから記憶がボヤけるな」
俺の名は、黒鉄仁、殺し屋だ。
恐らく昨日、俺は殺しの依頼を受けた。
依頼人は銀髪の女だ。
美しい女だったのは覚えているが、顔はハッキリとは思い出せない。
確か、その女は◯◯◯を殺せと言っていた。
駄目だな、ターゲットの名前の記憶も思い出せない。
作為的に記憶の改竄を行われた感じだ。
恐らく薬か魔術による記憶障害だろう。
取り敢えず、わかる範囲で現状の分析をするしかない。
先ずは自分の衣服や荷物を確認する。
服は黒いロングコートに黒いパンツと黒いブーツ、それに革の手袋。
いつもの仕事着だ。
「荷物や食糧は特に無しか・・・広さも分からない森で彷徨うには少々心許無いな」
先ずは地理を把握して、目的地を定める必要がある。
俺は、手頃な背の高い木を見つけ、登った。
頂上まで登ると、周囲を見渡してみる。
北は山々へと続いており、南は海へと続いていた。
西にはひたすら森が続いているが、東の方角には、森の中に屋敷らしき建造物を発見した。
「ふむ、行くなら海か屋敷のある方角だが・・・森の中に屋敷か」
食糧調達を優先するなら海が良いだろう、人探しを優先するなら人工建造物がある方角に行くべきだ。
今は人とのコンタクトを取り、情報を入手する事の方が優先だな。
人里から離れた場所に位置する屋敷と言うのは少し臭うが、今はリスクを負ってでも人を見つける方が優先だ。
木から飛び降りると、屋敷の方向へ歩き始めた。
距離は約2キロ先、徒歩で半刻も掛からないだろう。
森の中を進んで行くが、特段何も起こらずに、屋敷の前に着いた。
屋敷には立派な鉄の門が有り、周囲を鉄格子が囲っていた。
まるで要塞の様な守り・・・いや、むしろ刑務所に近いか。
鉄格子には、返が付いた槍が付いているが、槍先は全て内側へと向けられており、まるで中の人間を外に逃がさない為の様な作りだ。
屋敷は三階建てで、横に長い建物だった。
中々に立派だが、かなりの年代物で、時代を感じさせる。
それに、森に囲われているせいか、屋敷の壁や囲いに蔓が伸び、絡まっている。
庭にはかなり雑草が生えている様だが、所々に掘り返した様な跡がいくつもあり、全く手入れがされていないわけでは無い様だ。
噴水の水も流れており、人が生活している形跡がある。
「人は、住んでいる様だな」
俺は、真っ直ぐに屋敷の扉へ進み、ドアを叩いた。
ドンッ!ドンッ!
「・・・留守か?」
暫くしても、出てくる気配は無い。
空を見上げると、かなり日が落ち始めており、次第に夜が近づいていた。
「ふむ、野宿はあまりしたくは無いんだがな」
俺は、もう一度ドアを叩いた。
ドンッ!ドンッ!
「誰か居ませんか?」
その瞬間、ゆっくりと扉が開く。
ギイィィィ
古いせいか、嫌な軋み音を上げて扉が開いた。
中をよく見ると、執事らしき老人が扉の向こうに立っている。
ちょうど影になっている場所に立っているせいか、顔が見えにくい。
「お待たせ致しました、何か御用でしょうか?」
日が完全に落ち、夜が来た瞬間、執事の老人が一歩前に出て、礼をする。
「突然の訪問で驚かせたらすまない、森で迷ってしまって、できれば一晩泊めて頂きたいんだが」
俺は半歩前に出て頭を下げる。
正直、この屋敷に泊まる事はあまり気が進まないのだが、見知らぬ森で野宿するよりはマシだろう。
「さようでございますか、では主人に確認を取って参りますので、暫しお待ち下さい」
執事は、一礼すると、滑る様に屋敷の奥へと消えて行った。
屋敷の中は灯りの類が付いておらず暗いにも関わらず、執事は迷いなく暗闇の中を進んで行った。
まるで、見えているかの様な動きだ。
「主人・・・ね」
俺は、死臭に満ちた屋敷の奥を見つめ、軽く短息する。
「野宿の方がマシだったかもな」
◆屋敷の主人の部屋◆
足音も無く部屋に滑り込む様に入ってきたのは、執事のアルゴラだ。
「センティノウス様、宜しいでしょうか?」
アルゴラは、頭を下げ許可を待つ。
「何用だ?」
「来客で御座います」
「2日続けて来客とは珍しいな、どんな奴だ?」
こんな辺鄙な森の中を訪れる人間などそうそう居ない。
確か、昨日この屋敷を訪れた娘は冒険者だと名乗っていた。
「はい、20歳前後の男性で、この屋敷に一晩泊めて欲しいと言っておりますが、如何致しますか?」
男か・・・あんまり好みでは無いが、仕方ないか。
「良いだろう・・・その男も運が無い奴だな」
「畏まりました・・・昨日捕まえた小娘は如何致しますか?予定では本日の夕食にとの事でしたが」
「そうだな、娘はメインディッシュとして明日のディナーに取っておこう・・・今夜は不幸な雄の血で喉の渇きを潤すとしよう」
「畏まりました」
アルゴラは、頭を深く下げると、暗闇に溶ける様に消える。
◆屋敷の入口◆
「お待たせ致しました」
足音を立てずに暗闇から先程の執事が現れた。
殺しのプロでもここまで完璧に足音を消せる人間は余りいないだろう。
「それで、泊めて貰えるのかな?」
「はい、この屋敷の主人であるセンティノウス様が快く許可して下さいました」
執事はニヤリと笑みを浮かべるが、気味が悪い笑顔だ。
「・・・それは助かる」
「ではこちらへどうぞ、部屋と夕食を用意しております」
俺は、執事の後ろに続いて、一階の奥にある部屋へ案内された。
「こちらが客間になります、ごゆっくりとお過ごし下さい」
案内された部屋は10畳程の広さの部屋だ。
ベットが一つとテーブルに椅子が置いてあるだけの簡素な部屋で、窓には鉄格子が設置されていて出る事は出来ない。
「立派な部屋を用意して頂きありがとうございます」
俺は執事に礼を言う。
「では、夕食の準備が整いましたらお呼び致しますので、これで失礼致します」
執事は、そのまま部屋から出て行った。
「なるほどな・・・泊める人間の名前も聞く必要が無いか」
この屋敷に来て、俺は一度も名前を聞かれなかった。
つまり、俺に関心が無いという事だ。
果たして、これから自分の家に泊める人間の素性が気にならない人間がいるだろうか?
「・・・出来れば、先に情報だけでも入手しておきたいところだな」
俺は、部屋のベットに横になり、天井を眺める。
部屋には蝋燭の火が壁にあるだけで、薄暗い。
森の奥とは言え、今時、電気設備も無い家か。
「俺は、一体どこに来ちまったのかな」
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