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八話 黒は黒を追う 3

「「おいおい、あのお嬢ちゃん泣いてたじゃねぇか」」


 クラークの声が響く。

 すてに篠田房光の死だけを伝え、房光はその場を後にしていた。


 彼女との別れ際、彼女の頬には涙が伝っていた。

 伝えてすぐさま踵を返したのは、それを見たくなかったからなのかもしれない。


「嘘で現実を捻じ曲げる事はできない」


 律義に教える事もなく、黙っていればよかったのに。

 そう思いつつも、房光はクラークの言葉にそう返した。


「「言い方ってもんがあるぜ。それができなきゃ、せめて泣き止むまで慰めてやるもんだ」」


 その通りかもしれない。

 彼の言う通り、それくらいの優しさを見せるべきだったのかもしれない。

 たとえ、これが自分の体でなく、他人の体であっても。


「「ま、俺が言う事でもないんだろうが」」


 彼が言わなければ、自分はこの後悔をいだかなかっただろう。

 だが、この後悔は抱いてしかるべきものだったに違いない。

 そして、ふと思う。

 自分はこれまで、すてに対してそんな優しさを与える事ができたのだろうか、と。




 我妻すてに介抱されて以来、房光は頻繁に孤児院へと顔を出すようになった。


 それは恩を受けたためでもあったし、何より自分自身がそうしたいと求めていたからだ。


「まさか、ビルの上から落ちていたなんて、思いもしませんでした」


 あの日の経緯を話すと。

 すては「驚きました」と感想を述べた。


 その日はデパートへ買い物に行く事になっていた。

 大安売りのセールがあるのだという。

 二人はデパートへ向かう道を並んで歩く。


「でも、もっと驚いたのは、そんな房光さんが一日で動けるようになった事です」


 房光は一日寝て過ごすと、翌日には孤児院の庭先で薪を木刀代わりに、素振りをしていた。


「鍛え方が違う。子供の頃からずっと小生は剣を振ってきたのだから」


 それこそ、物心ついた頃から。

 いや、物心がつく前からだったのかもしれない。


「子供の頃から?」

「我が家は軍人の家系だ。男児として生まれた時から、小生は軍人になる事が定められていた」


 篠田家は生粋の軍人家系である。

 それこそ、その呼び名が武家と称されていた頃からの筋金入りだった。


 気質も血に混じるのか、本来なら軍に入らず済むはずの姉が、今や陸軍中佐を任じられている。

 その下の兄は、中尉として姉の補佐を務めていた。


「そうなのですか。それは辛い事ですね」


 言われ、房光は不思議に思った。

 目を伏せ、哀れむような態度を見せる彼女の事も同じく。


 自分の境遇が辛い物だと、房光は思った事もなかった。

 哀れまれる事など微塵もない。


 父に言われるまま、姉に言われるまま、兄に言われるまま、剣を振る事にはなんの辛さもなかった。

 しかし、その言葉の響きはなんといたたまれない事だろう。


「我妻殿は?」

「え?」

「我妻殿の家族は?」


 訊ねられ、すてはぴくりと身を竦ませた。

 そんな様子に気付かず、房光は続ける。


「名から言えば、あなたは末の子なのだろう?」


 すてという名は、「捨て」から来ている。

 こういった名前は農村などでは珍しくなく、予期せず授かった子供に付けられる名前だ。

 だから、すてが末の子である事にはすぐ思い至った。


「私は、家族の顔を憶えていません」

「何故?」


 俯けていた顔を上げて、彼女は笑顔を作った。

 そして、気丈に答える。


「私はその名前の通り、捨てられたんです」


 房光は言葉を失った。

 そんな彼が再び言葉を取り戻す前に、すては言葉を続ける。


「いえ、違いますね。私は捨てられたんじゃありません。売られたんです。村に来ていた人買いのおじさんに、冬を越せるだけのお金と引き換えに」


 房光はどう答えていいのかわからなかった。

 彼女は変わらず笑顔で、そこに曇りがあるように思えなかった。

 聞いているだけで痛ましい話であるが、当の彼女はそれを気にしているように見えない。

 それは強がりからなのか、本当に気にしていないのか。

 房光には、その真意が見抜けなかった。

 だから――。


「そうなのか」


 と、いう言葉で留めておく。

 少なくとも、どちらにしても、この言葉で彼女はこの話を続けなくていいはずだろうと思ったから。


 しかし、その目論見は浅はかな妄想でしかなかった。

 すてはあえて話を続けた。


「でも、よかったのかもしれませんね。捨てるはずのものに値打ちがついて、売る事ができたんですから」


 彼女には珍しく、自虐的で皮肉っぽい言い回し。

 その言葉には、どこか仄暗い色があった。


「やめろ」


 聞くに耐えず、房光は制止する。

 だが、すてはなおも続ける。


「そのおかげで、みんなが囲炉裏を囲んでぬくぬくと過ごせたなら。私が厳しい寒さに震えていても、みんなが温まっていられたなら――」


 房光がすての両肩を強く掴んだ。

 立ち止まり、二人は向かい合う。

 自然と、二人は見つめ合った。

 その間、二人は黙したままだった。


 彼女の目は濁ったような、仄暗い色をしていた。

 それは恨みの色かもしれない。


 どんな人間にも、闇はある、か。


 その色はすぐに消える。


「すみません」


 やがて、すては顔を俯けながらぽつりと呟いた。

 二人はまた、歩き始める。

 また、沈黙が続く。


 先に言葉を発したのは、すてだった。


「篠田様。私は、決して捨てません。そのためなら私は……」


 孤児院の子供達の事を言っているのだろう。

 彼女は決して強い女性ではない。

 だが、それでも一人で孤児院を切り盛りし続けられるのは、きっと彼女の生い立ちがそうさせるのだろう。

 か弱く、いつか折れてしまいそうな人だ。房光はそう思った。




 安宿の一室。

 床は畳で、窓際の座敷机以外に家具のない部屋。

 窓からは紅い日の光が差し込んでくる。

 その部屋で、房光は黙ったまま正座をしていた。


「「もう、日が沈むぜ?」」


 クラークが房光に語りかける。

 答えは返ってこない。


「「まったく。飽きもせずよくやるぜ」」


 返答が無い事に舌打ちし、クラークは悪態を吐く。


「「集中しているのですよ。今夜のために」」


 返事をしない房光の代わりに、フランドールが答える。


「「あの変な奴か。まぁ、自分を殺した奴なんだから、復讐したくもなるわな」」


 よくわかる。

 という風に、クラークは妙に納得した様子で言う。


「私怨ではない」


 答える房光の声は、きっぱりとしていた。

 その言葉が嘘でない事をうかがわせる声音だ。


「「じゃあ、仕事だからか? 死んでまで職務に忠実なんて馬鹿みたいじゃないか」」

「小生は軍人だ。生まれてから、死ぬまで。死んでからも」


 クラークは溜息を吐く。


「「自由のない生き方だな」」

「辛い生き方だと思うか?」


 昔、すてと交わした会話を思い出し、房光は訊ね返した

 が、それをクラークは笑いながら否定する。


「「はっはっは、そんなわけねぇだろ。むしろ、そんな生き方は楽だろうさ」」

「楽、だと?」

「「ああ、そうさ。

 自由な生き方は、どんな事でもできる生き方だ。

 でもな、そのできる事が多すぎて、逆に何をしていいかわからなくなるんだ。

 その分、何かに縛られた生き方ってのは、選べない分、やる事が決まってるから楽なんだよ。

 どんなに険しい道でも、行き着くところは決まってるんだから」」


 そうかもしれない。と房光は納得する。

 言われるままに剣を振り続ける事。

 そこに辛さはなかった。

 軍人になる事が決まっていて、他の道を選べなかったとしても苦にならなかった。

 案外、自分は意志薄弱な人間だったのかもしれない。


「「ま、それも知り合いからの受け売りなんだが」」


 似合わない事を口にしたと思ったのか、クラークはどこか照れているようだった。


 結局、自分は彼女に何をしてあげただろう?

 房光は、ズボンのポケットから指輪を取り出した。

 石のついていない、シンプルな金色のリングだ。


 せめて、これだけでも渡しておきたかった。

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