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七話 黒は黒を追う 2

「「お前、なんであいつを追いかけてるんだ?」」


 そう問い掛ける彼の声は、雑踏の中でありながら誰にも聞き留められる事はなかった。

 ある一人の例外を除いて。


 しかし、その例外である彼は、その問いに答えなかった。

 彼の名は篠田しのだ房光ふさみつ

 この国の秩序を守る憲兵の一人であった。

 そして彼は一昨日の夜、命を落とした。


 彼はある河川敷にて、胸を凶弾に撃ち抜かれた。

 幸いか、それとも不幸か、彼は即死せず。

 血を流し続けて死ぬまでの間、類稀な精神力は彼の意識を留め続けた。

 彼は、確実な死の恐怖を味わい続けて死んだのだ。


 死体は明朝発見された。

 そして彼を殺した犯人は、彼がその日も追い続けていた夢幻男爵。


 店先に並んだ新聞には、そう報じられていた。


 しかし、彼の魂は消えていなかった。

 死に際、彼はフランドールに出会った。

 人の魂を身に宿し、旅をする少女に。

 そうして、彼はフランドールの体を借り、今は陽射しの下、帝都の道を闊歩している。


「「なんだよ。フランも愛想のいい奴じゃないが、お前も似たようなもんだな」」


 フランドールの体には、フランドール自身ともう一人、クラークという男がいた。

 先ほどから房光に語りかけるのは、そのクラークだ。


「「私は愛想がよくないのですか?」」


 フランドールの声が響く。


「「良いと思ってんのか?」」

「「よく解かりません。私には心がないのです」」

「「お前、それ言えば何でも許されると思ってんじゃないだろうな?」」

「「滅相もありません」」


 クラークは異国の人間らしかった。

 彼もまた房光と同じく魂だけの存在で、どのような容姿なのかわからないが、あまりガラのいい人間だとは思えなかった。


「「最初はそれで納得してたけど、ここまで付き合うと流石に聞き飽きた」」

「「しかし、不可解極まりない事柄は、やはり心の有無で理解できるかできないかが決まるのではないかと……」」

「「おまえそれ、やっぱりわかんない事があったら「心がないのです」で対応してるって事じゃねぇか」」


 フランドールは淡々と機械的な話し方をするが、しっかりとクラークの言葉に返答をしている。

 確かに、話し方からすれば無愛想と取れるかもしれない。房光は密かにそう思った。


「「まぁ、機械だから仕方な――」」

「もし……」


 そう漏らすクラークの声が別の声に遮られ、肩に手がかけられた。

 儚げで、今にも消し飛んでしまいそうな声。

 雑踏の中、あまりにもか細く、聞き取る事も難しい声だ。


 だが、その声を聞き違える事など、房光にはできなかった。


 房光は確信をもって振り返る。


 そこには、おかっぱ頭の小柄な少女が立っていた。


 目が合った。

 いつもは伏し目がちの眼差しが、その時は自分の目と合わせられていた。


 声をかけた少女は、フランドールの顔を見て驚く。


「あっ」


 小さく漏らすと、少女はいつものように目を伏せ、袖を離した。


「ごめんなさい。人違いでした」


 少女は意気消沈したように、俯いたまま踵を返す。

 そのまま、行こうとする。


「お待ちを」


 房光はそれを呼びとめた。

 顔だけをこちらへ向ける彼女に、房光は言葉を続ける。


「さしでがましいが、もしや篠田房光殿と間違えられたか?」


 白々しいと思いつつ、房光はそう訊ねた。

 彼女が、このような少女の容姿と自分を見間違えるはずはない。

 しかし、彼女はきっとこの言葉に興味を持つ。

 それを知っていたから、あえて白々しい問いかけをした。


「あの方の事をご存知なのですか?」


 案の定、彼女は興味を示した。

 というよりも、その言葉へすがるように、フランドールへと強い眼差しを向けていた。


「はい」


 短い答え。

 しかし、その短い返答に、彼は複雑な感情を巡らせた。

 それは自分自身が篠田房光である事からくる虚偽の答えを相手に吐いたためであり、彼女の気持ちを慮っての事であり……。


「私は、あなたの事も知っている。我妻あがつますてさん。篠田殿とは、恋仲であったと聞いている」


 恋仲であると他人の口から聞いて恥かしくなったのか、すては頬を赤らめて顔をさきほどよりも一層俯けた。

 可愛らしく、愛くるしい。

 それが自分を想っているからこその仕草だと思えば、この後に事実を告げる事が躊躇われる。


 それを聞いた彼女は表情を曇らせるだろう。

 それが心苦しい。




 彼女と初めて出会ったのは、一年程前の事だった。

 その頃はまだ、夢幻男爵も新参の盗人として活動を始めたばかり。


 今でこそ、ある程度追い詰められるようになったが、奇術師めいた服装、奇妙な道具、奇抜な逃走経路、奇怪な妙技。

 それらを以ってしてまんまと憲兵から逃げおおせる夢幻男爵に、当初の憲兵は翻弄される事しかできないでいた。

 唯一、房光だけが夢幻男爵と渡り合える存在であったが、それでも捕らえるには至らなかった。


 その日もまた、夢幻男爵を追い、房光は夜の町を駆けていた。

 ビルからビルへと飛び移る夢幻男爵。

 それに続き、房光もビルの谷間を飛び越える。

 そうして、彼は夢幻男爵をビルの屋上へと追い詰めた。


 周りに飛び移れるビルもなく、あるとするならたった今飛び立ったビルだけ。

 しかし、その前には、房光が立ち塞がっていた。


「しつこいな、君は。私について来る人間がいる事も驚きではあるが、誠に感服すべきはその執念深さであろうな、篠田君」


 追い詰められながらも、夢幻男爵は余裕を以って語る。

 そんな夢幻男爵から目をそらさず、房光は黙って腰に佩いた軍刀の鞘と柄を握り、夢幻男爵へとにじり寄る。


 今夜こそは、追い詰めた。

 房光は確信する。

 しかし、詰め寄る房光に対して、夢幻男爵は高らかに笑った。


「だが、いくら執念が強かろうと、感情が物事を成功へ導くわけではないだろう?」


 言うと同時に、あらかじめ用意されていた仕掛けが作動し、屋上の四隅より黒煙が上がった。

 房光は追い詰めたのではなく、誘い込まれたのだった。


 黒に染まる視界の中、房光は左手の袖で口を覆いつつ、右手で軍刀を抜き放った。

 そして、満足に見えない前方へ向かって跳躍する。

 黒煙に包まれ、その行動に移るまでに一切の逡巡はなかった。

 今まで、夢幻男爵のいた場所を思い描き、軍刀を振り下ろす。


 黒煙が刀になぞられて風の軌跡を描き、空を切る。

 剣風に吹き散らされ、黒煙が晴れると、着地するべき場所には地面がなかった。


 体が、重力の枷に囚われ、落下を始める。

 跳躍の勢いも相まって、落下速度は結構なものになっていた。

 落下によって生じる風が、痛いくらいに体を打つ。

 ビルは五階建て。落ちれば、間違いなく死ぬ事だろう。


 だが、房光は諦めなかった。

 落下地点の近くにゴミ袋の集められた一角を見つけると、ビルの壁を蹴り、軌道を修正する。

 軍刀を投げ捨て、両腕で頭を庇いながら、ゴミの山に落ちた。

 ゴミの詰まった袋はある程度の衝撃を吸収してくれたが、それでもあれだけの高さからでは完全に吸収できなかった。


 穏やかとは言い難い衝撃が、体を襲う。

 肺が潰れるような痛みが走り、房光は口から空気を吐き出す。


 体の節々が痛い。

 動かそうとすれば、激痛が走る。


 しかしそれは、生きているという事だ。

 その事を実感すると、房光は意識を失った。




 次に意識を取り戻したのは、布団の中だった。

 見上げた先にある木目の天井は、色が濃く、年代を感じさせた。


 房光はビルから落ちた事を憶えていた。

 しかし、そこからこの場所に寝かされるまでの経緯はわからない。

 どうしてここにいるのか、考えを巡らせる。


 軍の病院かとも思ったが、あそこはコンクリートの建築物で、木造ではない。

 何より、病院ならばベッドに寝かされるはずだろう。


 房光は辺りを見ようと、頭を横に向けた。

 と同時に、大きく見開かれた目と目が合った。

 それは二、三歳ぐらいの子供だった。

 やんちゃなのか、鼻っ柱に絆創膏を張られた少年は、房光と目が合うと立ち上がり、襖を開けて部屋から走って出て行った。


「ねえちゃん! 憲兵さん起きたよー!」


 元気の良い声がここまで聞こえてくる。

 次いで、どたどたとした足音が、こちらに近付いてきた。

 開かれた襖から顔を出したのは、割烹着姿の少女だった。

 歳の頃は房光と同じか、それよりも下に見える。

 というのも、彼女のかむろ髪が幼く見せているだけなのかもしれないが。


 少女は房光の顔を見ると、「あっ」と小さく声を出して笑顔になった。


「気が付かれましたか」


 少女は房光に近付き、正座する。


「ここは?」

「八千代孤児院です」


 房光が訊ねると、少女はそう答えた。


「孤児院?」

「はい。身寄りの無い子供を預からせていただいております」


 視線を感じて房光が見ると、部屋の入り口からいくつもの幼い顔がこちらを覗いていた。


「小生は、どうしてここに?」

「昨日の夜、ゴミ捨て場で倒れているあなたを発見いたしまして。見過ごすわけにもいかず、こちらに運ばせていただきました」


 見たところ、少女は体格に恵まれているようにも見えず、それどころか袖から覗く腕も細く、全体的に華奢だった。

 そんな身で、気絶した男を運ぶのは大変な事だっただろう。


「すまない」

「いえ、こちらこそ、このような所で」


 伏し目がちに、なおかつ申し訳無さそうに、彼女は言った。


「お医者様を呼ぼうかとも思ったのですが、特に怪我をしているご様子もなかったので」


 確かに、目立った外傷はないのだろう。

 落ちた先に、ゴミ捨て場があったおかげだ。

 だが、あの高さから落ちて無事であるはずもない。

 現に、体はガタガタだった。


 とはいえ、それをこの少女が知るはずもないが。


「小生は、篠田房光。憲兵中尉の地位にある者だ」


 房光が名乗ると、少女は自分が名乗っていない事に気付いて返答する。


「申し遅れました。わたくしは、我妻すて。当孤児院の院長をしております」


 軍人が相手だからか、少し緊張したように畏まって彼女は名乗った。

 これが、我妻すてとの出会いだった。

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