五話 荒野の墓標 5
あの日の事はよく憶えている。
決闘の前日は、いつもあの酒場でヴェルキンオリジナルを飲む事にしていた。
それはジンクスのようなものだった。
これが飲み収めになるかもしれない、そういう理由もあった。
死ぬかもしれないって時は、好きな物を飲んでから死にたいものだから。
相手が歳若い小僧だったとしても、それは変わらない。
その日もまた、いつもと同じように酒を飲んで、少し早めに家へと帰った。
その帰り道で誰かに襲われた。
頭を殴られ、満足に銃を抜く事もできず、ずた袋を頭に被せられて、体の自由を奪われた。
ごとごとと乗り心地の悪い馬車に乗せられて、次に視界が晴れたのはあの岩の前。
目の前には、数人の男達。
男の一人が頭に銃口を突きつけて――
頭を殴られたような衝撃が頭を揺らした。
それで俺の人生は終わりだ。
案外、苦しいものじゃなかった。
間抜けにも、そんな事を考えた。
それからずっと、恨みを懐いて、荒野を見据え続けた。
そして今日、長い時をかけて、その決着をつけられる。
「さっきは、助かったぜ」
フランドールは歩きながら、相手もいないのに言葉を発する。
「「お気づきになられていないようでしたから。一応、これは私の体なので、傷を付けられては困ります」」
そうは言うものの、その声はなんら責めるような口調でもなく、聞いているかぎりでは困っているようにも聞こえなかった。
「ああ、そうだったな。悪い。でも、これからはさっきよりももっと危険な目に合わせるぜ」
「「危険だと判断したならば、私はあなたの意志に関係なくその場から離脱します。それまでは、どうぞご自由に」」
「OK。だったらお言葉通り、ご自由にさせてもらおうか」
彼女は立ち止まる。
飾り気のない木造建築が建ち並ぶこの町で。
フランドールの目の前には、白亜の壁を纏う屋敷が建っていた。
この街に不似合いとしか思えない屋敷だ。
それはきっと、自己顕示欲が形を成したものに違いない。
他との調和も考えずに、ただ見栄を張るためだけに造られた醜悪な建物だ。
前へ進んで行くと、次第に視界が屋敷の大きな扉に占められていく。
「そういえばさっき、どうしてわかったんだ? 俺はガベイの方にしか目を向けていなかったのに」
さっき、とは決闘の際にライフル銃を持った男の存在を教えられた時の事だ。
「「私の体には、多種多様のセンサーが内蔵されています。音波、赤外線、レーザー。あらゆるもので、様々な状況に対応できます。たとえば――」」
声が響くと同時に、フランドールの視界から扉が消えた。
変わりに、扉の向こう側が透けて見える。
入り口から見てまず目を惹くのはホールを挟んで存在する大階段。
そしてそのホールと大階段では、幾人もの男達が銃器を持って待ち構えていた。
大階段に、六人。
ホールの左右には倒したテーブルのバリケード。そこに隠れる男達が十人ずつ。
二階の廊下に五人ずつ陣取っている。
どうやら、もうこちらが向かっている事を知っているらしい。
ご丁寧に歓待してくれている。
「「このように、センサーによって中の状況を知る事ができます」」
「すげぇな、これは。丸見えじゃねぇか」
「「本当に見えているわけではありません。センサーによって得たデータを視覚に反映しただけです。実際は予測データでしかありませんので、多少の誤差はある事でしょう」」
「でも、殆ど変わりねぇんだろ?」
「「はい」」
「便利なこった。でもな、もうあんたの力は必要ねぇぜ。これからは俺の戦いだ。これだけは、譲れない俺の戦いなんだ。邪魔はされたくねぇ」
「「……わかりました」」
視界が、再び扉に遮られる。
フランドールは銃を抜き放ち、腰の周辺で腕を固定する。
親指で撃鉄を引き上げる。
腰溜めに構え、左手を撃鉄の上に添えた。
今は決闘じゃない。
抜き放ったまま、銃を撃つ事ができる。
確か、六人だった。
フランドールは階段の前にいた男達を思い浮かべる。
場所は変わっていないはずだ。
助けは要らないと言ったが、それでも既に知ってしまった事だ。
無理に拘るとこっちがやられてしまう。
だから、この情報は利用させてもらおう。
フランドールは扉を蹴破った。
そして、眼前の六人を狙い撃った。
撃つたびに左手で撃鉄を上げ、連続で射撃を繰り返す。
六人は、個人差はあれど全員銃をこちらに向けようとしていた。
が、一人も銃爪を弾けなかった。
抜き撃ちではなく、抜き放った銃を弾くフランドールの速さは、一秒も経たぬ内にシリンダーの六発全弾を撃ち尽くすほどだった。
それも放たれた銃弾を一発も撃ち漏らす事無く、全ての銃弾は六人の男達の眉間を正確に穿つ。
その男達が倒れるのも見ず、もう一丁の銃へと持ち替えて、左側の十人を狙い撃ちながら向かって走る。
また一発も撃ち漏らさず、バリケードからわずかに覗いていた頭だけを撃ち貫くと、そのままテーブルの内側に飛び込んだ。
しかし、シリンダーには六発しか装填できない。
テーブルの内側には、まだ四人の男達が残っていた。
飛び込もうとするフランドールに、銃弾が放たれる。
銃弾が頬をかすめながらも、フランドールは着地する。
そして、すかさず死体となった男の一人から銃を奪い、地面に倒れこみながら四人を撃った。
四人が倒れ、動かなくなる。
その時には、もう敵はフランドールの位置を完全に把握していた。
銃弾が、雨のように彼女を襲う。
彼女は無人になったテーブルのバリケードに隠れ、なんとかやり過ごす。
残りの二発を向かい側の十人に向けて撃ち、ついでに銃を投げ捨て、またテーブルに隠れた。
「くそっ、思っていたよりきついな」
悪態を吐き、彼女は空になった薬莢を捨てた。
腰のポーチから銃弾を取り出す。
「リロードの間、なんとかなるか?」
焦りが口を衝いて出る。
十二発の銃弾を一発も無駄にせず撃ち込める。
そんな自信が彼にはある。
だが、その自信と腕を持つだけに、彼は今まで十二人以上の大人数と戦う事はあまりなかった。
あったとしても、こうした屋内で戦う事は初めてだった。
密度の濃い銃弾の雨の中、逃げ道の限られるこんな場所で、リロードを行うのは焦りが強かった。
果たして、冷静に手が動くだろうか?
少しだけ不安を覚えた。
しかし、手は思っていたよりも、それどころか自分でも信じられない程の高速で弾をシリンダーに運んだ。
むしろこれは、手を自分以外の者が動かしているかのようで……。
「そういえば、「お前の体」だったな」
「「これくらいなら、構わないでしょう?」」
「そうだな。それなら、大歓迎だ」
あっと言う間に、銃弾は装填される。
それを見計らい、フランドールは銃撃を二階廊下の男達に浴びせた。
百発百中の命中精度は、無為な銃弾の雨を降らせる男達を着実に減らしていく。
異常なまでの装填速度も相まって、彼女に死角はなかった。
「それにしても、よく動く体だな。まるで、若い頃に戻ったみたいだ」
弾切れの合間に柱の陰へ向かい跳んで受身を取る。
そして、躊躇いなく銃を弾いた。
弾切れのはずだった銃が、当然のように火を吹く。
飛び出す最中に、不安定な体勢ながらも銃弾を装填したのだ。
「「私が解析した所、あなたは三十代であったはずですが?」」
「三十過ぎりゃあ、それなりに体も重くなるんだよ。四十に近付きゃ、すぐに肩がこりやがる」
フランドールの表情には、まったく緊張が感じられなかった。それどころか、笑顔すら浮べていた。
「そういえば、お前にとってこの状況は危険じゃないのか?」
「「常人ならばそうでしょう。でもあなたにとっては、たいした事ではないはずです」」
「お前に比べれば、俺も凡人だと思うぜ」
「「私自身に、能力はありません。あなたの技能があるからこそ、私は力を発揮できるのです。それより、一つ疑問があります」」
「なんだ?」
「「どうして、他に落ちている銃を使わず、リロードに拘るのでしょう? 最初は奪ってお使いなさったのに」」
「あのときゃ、流石に時間もなかったからな。装填の隙がなくなったんなら、これ以上浮気したくないのさ」
そんな会話を交わしながら、フランドールは次々と相手を屠っていった。
そして、数分後。
死屍累々と死体が散乱したホールに、彼女一人だけが立っていた。
「なぁ、お前には、一人で残された奴の気持ちがわかるか?」
外装と同じように白い壁が続く、赤い絨毯の敷かれた廊下。
フランドールはその廊下を歩きながら、呟いた。
「「私に心はありません。おそらく、あなたのおっしゃる事は、心を持っていてこそ答えられる質問でしょう。機械である私に、心はありません」」
「だからわからない、か。俺にもわからねぇ。物心ついた時には、親父もお袋もいなかったから。残されるって感覚はなかった」
「「…………」」
「なぁ、さっき殺してきた奴ら。見た顔がいなかったか?」
「「途中の援軍を含め、四十三人。その内、六名は酒場で見かけた記録があります」」
「ああ。金で雇われたんだろうな。普段、直接関わる事はないけど、同じ酒場に集う仲間なのにな。しょっぱい悪巧みして、げらげら下品に笑って、酒の味もわからねぇから一番安い酒をがぶ飲みしてる奴らだ。雇われなきゃ、今も酒場でそうしていただろうにな」
そう語るフランドールの言葉は抑揚なく、ただ淡々としたものだった。
「見知った顔が、酒を酌み交わした相手が、その次の日には敵になる。ここじゃあ、珍しくもない。それほどここは、命の安い場所だ。そんな場所に、たった一人残されるのはどんな気分だろうな」
「「私には、あなたの問いに対する明確な答えが用意されていません」」
「俺にだって答えられねぇ。それに答えが知りたいわけじゃない。ただ、そんな状況はたまらないだろうな、と思っただけだ」
フランドールは、一つの扉の前で立ち止まった。
「ここに、居るだろう?」
「「はい。視覚に反映しますか?」」
「いらねぇよ。見えなくても、なんとなくわかる」
フランドールには、この扉の先の光景が予想できた。
悪人面の男が一人。
こちらへと銃を構えて待ち構えている。
この扉を睨みつけて、今か今かと、この扉が開かれるのを待っている。
訪れる者をぶち殺すために。
殺気が、それを教えてくれる。
長年、幾度も決闘をして、その度にこんな殺気をぶつけられてきた。
だから、わかるのだ。
壁越しであろうと、向かい合い、撃つ事だけに従事するこの状況は、まさしく決闘そのものなのだから。
「フランドール。放つ銃弾が、確実に一人の人間を取り残す事になる。それを知っていたとしても、決して心に躊躇いを持ち合わせない。それが、ここでのルールだ」
有言を実行するかのように、フランドールの指は淀むことなく流れた。
銃声が響き、扉に穴が穿たれると同時に、部屋の中からどさりという何かの倒れる音がした。
「「生命活動の停止を確認。視界ゼロの中、眉間への命中。お見事です」」
機械的な賛辞が、フランドールの中に響いた。
来た時と同じように、フランドールは一人で町の入り口の門をくぐった。
そこから数歩進み、ふと立ち止まる。
そして、振り返って看板を見上げた。
「さよなら、だな」
呟くと、フランドールはテンガロンハットを被り直す。
「そんな事を言わずに、もっと長居すればいいのに」
思わぬ声に、フランドールは目線を下ろした。
さっきは気付かなかったが、門の柱にニエットがもたれかかっていた。
「私、あなたに借りができちゃったみたい」
「何の事だ?」
「あなたの言った場所に、クラークは眠っていた。カラカラに干からびて、骨なのか皮膚なのかわからないような姿で」
「その事か。そんな物は借りじゃない。たまたま見かけて、それを伝えただけだ」
「あなたにとってはそうでも、私にとってはまったく違う事なのよ」
言って、ニエットは柱から離れ、フランドールの目の前まで進み出た。
「私は今日まで、いろんな重いものを背負ってたの。でも、あなたの言葉が――あなたにとっては他愛のないその言葉が、それを下ろしてくれた。それに対するお礼がしたい。だから、そのお礼が済むまで、一緒に暮らそうよ」
ニエットはフランドールに手を差し出す。
だが、フランドールはその手を取らず、背を向けた。
「やっぱり、駄目なんだ。ま、そうだよね。じゃあ、せめて……」
ニエットは溜息混じりに呟く。
フランドールは後ろからの衝撃に、少しだけ体勢を前に崩した。
首に、細い腕が回される。
それで、ニエットが抱きついてきたのがわかった。
ちゅっと、軽い音と感触が頬に伝わる。
本当に軽い、子供のキス。
しかし、フランドールは動揺して、目を泳がせた。
頬に触れた唇がそのまま耳元に行き、ニエットの声がそっと囁きかける。
「ありがとう。……これだけは、言わせて」
ニエットはそれだけ言うと離れた。
振り返るフランドールの目の前で、照れたように笑うニエット。
「でも、それで全部返したわけじゃないからね。また、この町に来てよね。絶対だからね!」
どちらが借りを作っているのかわからないような言葉を告げて、ニエットは町の門をくぐった。
そして、小さく手を振った。
それを見て、フランドールは再び荒野へと向き直った。
「約束はできないんだがな」
そう呟きながらも、フランドールの表情は笑顔を作っていた。
荒野を少女が歩く。
少女に表情はなく、数分前に笑顔を浮べた人物と同じだとはとても思えなかった。
少女は、不意に呟きを漏らす。
とても他に聞こえるような声ではない、小さな呟きを。
「ニエット嬢とクラーク=ケイロスのDNAデータの一致を確認。99パーセント以上の確率で、親子関係にあるものと思われる」
「「何だよ、突然」」
ちょっと慌てた声が、フランドールの内で響いた。
「擬似体の体温上昇。羞恥を感じていますね。私に知れた事がその原因なのならば、どうしてそう思うのか理解できません」
「「うるせぇ。心を読むなよ」」
「すみません。今後は控えます」
「「控えるだけか。まぁいいがな。理解できなくて当たり前だ。俺にもわからないんだから。でも、なんか恥かしいんだよ。改めて、人様から娘なんだって言われると」」
きっと彼の顔が見えるなら、とてもばつが悪そうであるか、顔を真っ赤に染めている事に違いない。
「「どうしてわかったんだよ」」
「各パーツの類似から、出会った当初にそうではないかと思っていました。確信したのは、先ほどの口付け。直に接した事で、DNAパターンを読み取りました」
「「無粋だな」」
「心がないので、それもわからないのです。お許しください」
「「まぁいいさ。それより、娘の分も合わせて俺からも礼を言う」」
「それは結構です。私にも私なりの利点がありますから。憶えていますよね? 私の願いを叶えていただくと」
「「そうだったな。それで? 今の俺に聞ける事ならばいいぜ。できるだけわかりやすく、具体的に言ってくれ」」
「私に力を貸してほしいのです」
「「具体的に言いすぎだ。どういう風に貸せばいいのかわからねぇ」」
「あなたの射撃の腕を私にいただきたいのです」
「「それはつまり、今までと同じか?」」
「少し違います。今までは、あなたがあなた自身の力を私の体を通して使っていました。しかし、私の言うそれはあなたという人格を消去し、技だけを継承するというものです」
「「要約すると、俺は消えて、俺の技だけはあんたが使うって事か?」」
「はい」
思案しているのか、彼は黙り込む。
そして、しばらくしてから喋りだした。
「「元々、俺は死んでいるんだよな。なら、消える事に未練を感じるのもおかしなものだぜ」」
彼には、原因がなんとなくわかっていた。
復讐だけに繋ぎとめられていた自分が、復讐を果たしてもなお未練を残してしまっている。
それはきっと、彼女との約束のせいだ。
また、この町に来てよね。
そんな一言だけの小さな約束。
いや、約束がなくても、彼自身、今の彼女を見てしまった事が原因なのだろう。
娘を見守りたい。
そんな未練が生まれたのだろう。
「「成仏するのも、悪くないか……」」
口に出してみても、やっぱり未練は消えそうになかった。
「今まで通り……」
「「え?」」
フランドールの呟く言葉に、訊ね返す。
「今まで通りのまま、行くのもいいかもしれませんね」
それは願ってもない言葉だった。
「「いいのかよそれで?」」
なのに、つい、そんな言葉が出てしまう。
「いずれは、消えてもらわなければならないかもしれません。ですが、別段急ぎでもありません。決心がつくまでは、このままというのもいいでしょう。あなたは興味深い人間ですからね」
「「それは――――――願ったり叶ったりだ、な」」
言うと、彼は微かに笑った。
そしてその笑い声は、次第に大きくなった。
「「思ったより、長い付き合いになりそうだな。じゃあ、改めて自己紹介しないとな。俺の名は、クラーク=ケイロス。得意なのは早撃ちだ」」
「私の名前は、ワルキューレタイプバイオロイド。プロトワン。フランドール」
「「長げぇよ。フランドールでいいだろう」」
「では、改めて。私の名はフランドール。得意なのは残留電子信号観測。残留電子信号記録」
「「得意分野も長げぇな。まぁいいけどな。じゃあ、よろしく」」
「はい。今後ともよろしくおねがいします」
この話の終盤の会話を書いた時。
あ、某名作RPGのセリフと一緒だ。と著者は気付き、フランドールはワルキューレタイプという名称になりましたとさ。