三話 荒野の墓標 3
酒場の二階。
「ちょっと、大丈夫なの? あの保安官、色ボケだけど腕は確かなのよ?」
ニエットは廊下を歩きながら、心配そうに訊ねた。
「さあな。やってみなければわからない」
「んもう、心配になるじゃない。こういう時は嘘でも勝てるって言うものよ。あ、ここよ」
ニエットは部屋の前で立ち止まり、ドアを開けた。開け放たれた先は、質素だが掃除の行き届いた部屋だった。
「いい部屋だな。いいのか? 宿泊費はタダで」
「構わないわよ。助けてもらったし、マスターもなんだかあなたの事を気に入っているみたいだし」
「まぁ、そっちがいいと言うなら、こっちは喜ぶだけだからいいんだが」
フランドールは言いながら、真っ白なシーツのベッドに腰掛ける。
「いいわよいいわよ、構わないわよ。それじゃあ、ごゆっくり」
「おう」
「じゃ、お腹が減ったら適当に下りてきてね。今日の夕食は、ビーフステーキだから」
ニエットはそう言って、ドアを閉めた。
元気で強い娘だな。
こんな場所に住んで、あんなにまっすぐ育つとはたいしたものだ。
元が強くなければ、きっとああはならない。
贔屓目を差し引いても、素直にそう思う。
しかし、疲れた。
マントを脱いで、椅子にかける。
すると、体のラインがぴったりと浮き出るスーツに身を包んだ体が現れた。
フランドールは自らの薄い胸元を眺める。
「色気がある格好してるのに、色気のねぇ体だなぁ」
自分の事であるはずなのに、他人事のように呟いた。
「「申し訳ありません」」
心の中で、そんな声が囁いた。
「こっちこそ失礼したな」
フランドールはそう言ってベッドへ仰向けに倒れた。
ベッドの程よい弾力に、身を預ける。
体を動かすのは久し振りだ。
もう、体を動かす事は忘れてしまっていたのに、動ける体が手に入ればどうだ、現金にも動き過ぎるくらいによく動く。
でも、やっぱり前の方がタフだったように思える。
決闘後、こんなに疲れるなんて事は今までなかった。
久し振りの決闘で、精神的に参っているのかもしれない。
「「少し、眠りますか?」」
心の中の声が訊ねる。
「いや、起きてるよ。でも、ずっと俺がこうしているのも悪いな。しばらく、ひっこんでるぜ」
「「わかりました」」
そんなやり取りがフランドールの中で行われてからしばらくして、フランドールは起き上がった。
そのまま立ち上がり、簡素な備え付けの机に着く。
「「それにしたって、案外他人の体も自分の体と変わらないもんだな。こんな細腕で、あそこまで思い通りに動けるなんて思わなかったぜ」」
フランドールの内で、低い男の声が響いた。
「わたしのスペックは通常の人間よりも数段優れています。どのような方の動きもトレースする事は可能です」
「「小難しい言い方だな。つまり、生前の俺と変わらん動きができて当たり前だって言いたいのか?」」
「はい」
「「だったら、そう言ってくれよ。そっちの方がわかりやすいだろ」」
「申し訳ありません。今後は善処します」
「「で、お前は何をしようとしているんだ?」」
フランドールの視線は、先ほどから机の上に注がれていた。
そして、その目線の先には、二丁の拳銃が置かれている。
「この拳銃は、見たところ撃鉄を上げなければ撃てない仕様になっています。それよりも、引き金を引くと同時にシリンダーを回転させ、撃鉄が引きあがるように改造しようと思いまして」
クラークの銃はシングルアクションという仕様の銃だ。
フランドールはそれをダブルアクションという仕様に改造しようとしていた。
「「ばっかやろう! 俺の相棒をそんな風にするんじゃねぇ!」」
「非効率です。そちらの方が、早撃ちに適していると思われます。何より、二丁の拳銃を使うためには、不可欠の処理だと思われます」
「「違う。誰も同時に使おうとは思ってねぇよ。多人数と戦うなら、いちいちリロードするより、二丁を持って一丁ずつ使った方が早いんだよ」」
「それも非効率です。どうして、オールレンジを捨ててまで拘るのでしょう?」
「「二丁拳銃って言っても、目は二つ前方を向いてついているんだ。どっちにしても、別方向の物を同時に狙えるわけがない。確かに弾をばら撒けるのはいいが、その殆どは無駄弾になる。俺は不確かな利便より、正確な不便を選びたいんだよ」」
「一理あります。ならば、メンテナンスだけを行いましょう」
喋りながらも、まったく止められなかった彼女の手は、拳銃を綺麗に分解し終っていた。
「「それもいい。自分でやる。愛銃は自分で面倒見る」」
「わかりました」
言うのと同時に、フランドールの雰囲気がまたも変わる。
フランドールは深い溜息を吐くと、分解された銃に目を向けた。
何年経ったのか、正確な時間はわからない。
標がなければ、人の感覚は時間を把握できないものだ。
あんな何もない寂しい場所にずっといたんだ。
それも仕方が無い。
そうして失った時間は、自分にとっても、あの子にとっても貴重なものだったはずだ。
それを思うと、思えばこそ、未だに怒りが煮えたぎる。
そんな自分にずっと、この銃は付き合ってくれた。
フランドールは銃の掃除を軽く済ませて、また組み立てていく。
ずっとホルスターの中にしまわれていたためか、思っていたほど傷んではいなかった。
銃を軽く撫でる。
十年近く、屍を荒野に晒し続けた自分。
幾人もの旅人が自分を見て、去っていった。
そんな中、この銃はずっと自分のそばにあった。
誰に盗られても、おかしくはなかったのに。
神様なんて信じてはいない。
東方には物に魂が宿るという伝承があるらしいが、それも子供の描くファンタジーにしか思えない。
そんな事を言ってしまえば、今の自分も十分ファンタジーだろうが。
でもそんな身の上になったからこそ、この銃は自分の意思でずっとそばにいてくれたんじゃないか。そう思えてきた。
こいつが通りかかるまでずっと、俺のそばで……。
神様は目に見えないが、目の前に確かに存在するこいつだからこそ、そう信じたい。
「お前、何者なんだ?」
フランドールは虚空に訊ねる。
当然の如く、虚空は答えない。
だが、返事は届いた。
「「ワルキューレタイプバイオロイド。プロトワン。フランドール」」
一度訊ねた事だった。
そして、帰ってきた答えも一緒だ。
機械的な一定のトーンもそのままだ。
「わかんねぇよ」
たった一人。
こいつだけが、自分に気付いて話しかけてきた。
そして、どういう仕組みなのか、自分はこいつの体の中に取りこまれた。
「「クラークさん。もしかして、あのガベイという方とお知り合いなのでは?」」
「ああ。どうしてわかった?」
「「彼を目にした時、若干脈拍に乱れがありました。マスターさんやニエットさんに会った時よりも、強く」」
「まるで心を読まれているみたいだな。隠すつもりもなかったが」
フランドールは寝転がった時に落ちたテンガロンハットへ目を向けた。
ぼろぼろのテンガロンハットには、一つの小さな穴が開いている。
「あいつのせいで、お気に入りに穴が開いちまった。それだけさ。借りは返さなきゃな」
穴のふちは黒く焼け焦げていた。
室内にノックの音が木霊する。
「フランドールちゃん、夕飯冷めちゃうよ」
ノックとその声で、フランドールは目を覚ました。
眠ってしまっていた。横になっていたけれど、眠るつもりはなかったのに。
フランドールはベッドから下りて、ドアを開けた。
「あらら、寝ちゃってたの? 寝癖ついてるよ」
ニエットは笑顔を向けて、フランドールの銀髪を無遠慮に弄った。
「髪の毛柔らかいね。すぐ直っちゃった」
「帽子被ってくる」
言って、フランドールは一度部屋に戻った。
「被ってない方が綺麗なのに」
確かにこのテンガロンハットはボロだが、アイデンティティはそう易々と手放せない。
二人で一階の酒場に下りると、昼間とはあまり変わらない光景が待っていた。
客達は相変わらず、馬鹿笑いしながら酒を飲んでいる。
窓の外が暗い事以外は、まったく同じだ。
「ほら」
カウンター席に座ると、鉄のプレートに乗った大きなステーキが供された。
ジュージューと音を立てて、実においしそうだ。
ほのかに漂うのは、ウイスキーの甘い香り。ステーキソースの隠し味に違いない。
見た目も、匂いも、音も、どれも食欲をそそる。
ナイフを入れると、肉の断面には若干の赤みが残っていた。
フランドールは嬉しそうに笑う。
好みの焼き具合だったからだ。
一切れ、口に運ぶ。
残念ながら、こんな辺境には口に入れただけで蕩けるなんて上等な肉は無い。
だが、工夫次第で肉は美味くなる。
きっと、その例が今、自分の口の中にあるのだ。
筋を切り、入念に叩き、しっかりと下ごしらえがされているのだと、一口食べてわかった。
昔、何度も食っていた物だが、何年も食べていないと改めてこれが最高に美味いと思えた。
涙すら出てきそうだ。
「美味いな。でも、物足りない」
「これか?」
言いたい事を察して、マスターは酒を出した。
昼間に飲んでいたボトルだ。
フランドールはニカッと無邪気に笑った。
ボトルから注がれた琥珀色の液体を一口含む。
嚥下する前から、酒気が喉を焼いた。
それは久し振りだったからなのか、それともこの体が酒を飲みなれていないからなのか……。
どちらにしろ、好ましい感覚だ。
喉を通る感覚。
胃に食物がたまる感覚。
食べる事がこんなに楽しい事だとすっかり忘れていた。
「また、そのお酒なのね」
給仕のためにホールを回っていたニエットが戻り、ボトルを見咎めて不機嫌そうに言った。
「いけないか?」
「卑怯者が飲んでたお酒なんて、飲まない方がいいわよ。あの時だって、その一本を残して全部打ち捨てられたんだから」
ニエットはそれだけ言うと、ぷいと目を背けて、またホールに向かった。
「どういう事だ?」
マスターは一つ溜息を吐いた。
言い辛い事なのか、その表情は浮かない。
それでも、マスターはポツポツと語りだした。
「昼間にも言ったが、この町には早撃ちの名手がいたんだ。実はあんたの飲んでいるそのウイスキーは、そいつがいつも飲んでいたものなんだ」
ヴェルキンオリジナル。
安価にして、優良なる名酒。
長い間酒を飲んできて、彼にとってこの酒ほど口に馴染むものはなかった。
だから彼は、ずっとこの酒を飲んでいた。
毎夜、この店で。
「そしてそいつはある日、決闘をする事になった。
相手はガベイ。昼間の保安官だ。
あいつは今でこそ保安官だが、昔はこの店にたむろする荒くれ者の一人だったんだ。
腕も悪くなく、早撃ちもかなりのものだった。
自信も腕も若さもあった。
あいつに挑むのは当然だったのかもしれん」
「それで?」
「だが、あいつは決闘の日。現れなかった」
「なるほど、卑怯者、か……」
決闘から逃げる事は、ガンマンにとって最低の汚名だ。
どんなに偉大なガンマンも、そんな事をすれば誰からも侮蔑され、罵声を吐きかけられる存在へと成り下がる。
この町に彼の味方はいないのだろう。
ニエットが彼を嫌うのは当然だ。
「だが、俺は信じない」
マスターの言葉に、フランドールはグラスに下ろしていた目線を上げた。
「あいつは逃げるような奴じゃない。勝負から逃げるくらいなら、勝負の中で散ろうとする奴だ」
「そうか……」
敵ばかりじゃないんだな。信じてくれる奴もいるんだ。
フランドールは小さく「ありがとう」と呟いた。
「それにガベイの場合、他のガンマンとは事情が違う。
奴は、この町の顔役の息子なんだ。
影響力なら、この町で一番だっただろう。
人を使って、あいつをどうにかする事もできたはずだ。
あいつが、汚い手を使ったに違いないんだ。
そうに決まっている」
「もしそうなら、生きてはいないな。その早撃ちの名手は」
マスターは顔を俯けて、黙り込む。
「だから、帰ってこないと言ったんだな?」
マスターは答えなかった。
フランドールは酒のボトルに目を向けた。
最後の一本。
そう、ニエットは言っていた。
彼が町から姿を消すまで、誰もが彼の強さにあやかりたいとこの酒を飲んでいた。
それは憧れであり、畏敬だったに違いない。
だが、そんな憧れの存在は卑怯者として去った。
だから、その憧れの気持ちと共に、この酒は皆に打ち捨てられたのだ。
「帰ってきたぜ。この酒を飲みに……」
「何?」
フランドールは答えずに、席を立った。