二十三話 終わりに来たる憧憬 3
あれ以来、義父はベッドから起き上がる事ができなくなっていた。
数日経っているにも関わらず、私は未だ義父の願いを保留したままだった。
ただ、義父を安心させるために、一応研究室には顔を出していたけれど。
研究室には、椅子に座り続ける彼女がいる。
生まれて間も無い大きな体の赤ん坊は、まだ立つ事もできなくて、目の前にある光景を興味津々に眺め続ける。
初めて見る世界を全て知ろうと、大きく目を見開いて。
そんな赤ん坊も、少し経てば動き回るようになる。
まわりの世界を知ろうと、手の届く場所を探検する。
けれど、彼女がその行動に至る事はない。
彼女には、人間よりも達者に動く体がある。
それでも、彼女がずっと座り続けているのは、既にインプットされた知識が好奇心を生まないからなのか――。
そこが、人と機械の境目かもしれなかった。
そんなものに、心を持たせる事ができるのか……。
義父に頼まれたとしても、そもそも私にそんな事ができるのか……。
「あなたは、誰ですか?」
彼女は私に訊ねてくる。部屋に入ってくるたびに、同じ質問をする。
それだけしか言えない、玩具の人形のように。
私はいつもその問いに答えず、部屋を出て行くのだった。
三ヶ月ほどして、義父は息を引き取った。
義父は死の直前、何も言葉を遺さなかった。
ただ、私の頭を撫でて笑うだけだった。
義父が笑う所を初めて見た。
そんな驚きと喜びも束の間の事。
悲しみがすぐに拭い去る。
結局、私は義父を安心させるための言葉を伝える事ができなかった。
私に残されたのは、少しのお金、その大半を義父と過ごした家、後悔、そしてあの人形。
私はそれからしばらく、何も手につかなくなった。
何もしたくなかった。
綺麗に掃除していた家は、見る間にかつての清潔感を失っていく。
しかし、それは好都合だったかもしれない。
掃除してしまうと……。
元の光景に戻してしまうと……。
義父を思い出して泣き出してしまっただろうから。
研究室のドアも、開けなくなって久しかった。
正直に言えば、私はそのままあの人形を放っておきたかった。
もう、顔も見たくなかった。
ただ、義父の頼みを思い出せば、それもできなかった。
「私は昔から体が弱く、ずっと病院のベッドで過ごしてきました。その時に、私は彼女と出会ったんです」
ベッドに横たわり、義父は私に語ってくれた。
「私は彼女を愛していました。彼女は私のような虚弱体質ではなく、致死の病を患っていて若くして亡くなりました。しかし、私はそれからもずっと、彼女だけを愛し続けてきたのです」
「ずっと?」
「はい。今でも、彼女への愛しさは消えません」
あまりにも、一途な告白だった。
義父の声には、愛おしさが滲み出ていた。
「もう彼女と会う事はできないけれど……。もし、彼女との間に子供を残せたら……。そんな事を考えて、私はあの子を造りました。だからあの子には幸せになってほしい」
やはり、義父は自分の子供としてあの人形を造ったのだ。
恐らくそうだろうと思っていたが、義父から直接そう言われると落胆を覚えずにいられなかった。
しかし、そんな義父の願いを踏み躙る事は、私にできなかった。
たとえ、義父が私よりも彼女を大事にしていたとしても……。
私もまた、家族として義父を愛していた。
義父がどう思っていたとしても、私にとって義父はかけがえのない肉親だった。
「あなたは、誰ですか?」
私が研究室に入ると、彼女は決まってそう問い掛ける。
何日も隔てた今でさえ、それは変わらなかった。
しかし、一つだけ変化はあった。
その変化は、私に起こったものだ。
「私は、あなたのお母さんよ」
私は彼女に返事をした。
「ちょっと、エリシア」
私は彼女を呼ぶ。
エリシアという名前は、義父が書いた設計図から判明した彼女の名前だ。
「何でしょう、お母様」
淡々と事務的な声で、エリシアは返事をする。
その口調に義父の面影を感じたような気もするが、実際は彼女に心がない事に原因があるのだろう。
「残留電子信号観測と残留電子信号記録って何?」
私は義父の願いであった研究の完成を目指すため、義父の残した資料を読みふけっていた。
資料は義父らしく、大半が数式による物だ。
私ぐらいにしか、解読できないだろう資料だ。
なんとなく、そこに絆を感じてしまう。
その中で、珍しく数字ではない単語が記されていたのを見つけて、私はエリシアに訊ねてみた。
「空気中に残留した電子情報の読み取り、もしくは観測する機能です」
「残留した電子情報をもっと具体的に、限定的に言ってくれない? 専門的単語も除外して」
「人が生命活動を終えた時、人体から放出される電子情報です」
「初耳ね。人間の体からそんなものが出るの?」
「はい。現に、お父様の電子情報が死後私の前に訪れました」
「え? どういう事よ」
私は驚きのあまり、彼女の両肩を勢い良く掴んでしまった。
エリシアは表情を変えず、私を見返してくる。
「いや、いいわ」
何かを言おうとするエリシアを制して考える。
「それは、幽霊って事?」
半信半疑に私はそう質問する。
「一般的にはそう呼ばれています」
科学の申し子が非科学的な事を言っている。
にわかには信じられないが、この子が嘘を吐くわけもない。
「それって、私にも見える?」
「モニターに繋げば観測した映像を出せます。ご覧になられますか?」
即答するにはためらわれる。
正直、ちょっと怖い。
「……ええ、お願い」
しかし、研究を始めるにはまず既存の情報を全て把握しておく必要がある。
恐ろしかろうと見るべきだ。
研究者として……。
「では、少し外に出てきます?」
「え? ちょっと」
私が止める間も無く、彼女は研究室から出て行った。
彼女とは一緒に町へ繰り出す事もあるので、一人で外出させても問題はないはず。
しかし、心配は残る。
あと、少しの嫌な予感もあった。
三十分ほど経って、彼女は無事に帰ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました。お母様」
帰ってくるまでに私が用意しておいたモニターを見つけて、エリシアはそちらに向かった。
手首が直角に折れ曲がり、手首の断面からコードを引っ張り出す。
彼女はそのコードをモニターに接続した。
モニターが、ヴンッ、と音を立てて起動する。
映し出されたのは、町外れにある墓場だった。
予想もしていなかった場所が映って、私は噴き出した。
「こんなところまで行ってきたの?」
「はい。この辺りでは、ここぐらいでしか観測できません」
まぁ、死体などそこらに転がっているわけでもないから、道理と言えば道理か……。
そうこうしていると、画面に似つかわしくない物が映った。
小さな子供の一団が、画面を横切ったのだ。
「何でこんな所に子供が?」
わぁいと楽しげに、子供達は何度も画面内を走り回る。
町に行けば、珍しくない光景だが、しかしこれは場所が悪すぎる。
こんな場所で遊んでいては、墓守も怒りそうなものだ。
「今映っているのが、情報体です」
「ええ? 今のが幽霊だって言うの?」
「はい」
やはり、にわかに信じられない。
などと思っていると、子供の一人が転んだ。
その弾みで、子供の頭がごろりと転がった。
「げぇ!」
私はその光景に戦慄した。
「わぁ、びっくりした。びっくりするほどにびっくりして、本当にびっくりした」
どきどきと高鳴る心臓を治めようとするが、こんな物を見てはなかなか治まりそうになかった。
ホラー映画のような恐怖はないが、これが本物の幽霊だと思うとそれだけで恐ろしく感じた。
「もういいわ。ここまでにしましょう」
「情報体のサンプルはまだございますが?」
「いいよ、もう」
「そうですか」
ちょっと残念そうに見えたのは、私の錯覚か?
幽霊を見る装置。
過去の資料を漁ると、設計図が出てきた。
義父がどうしてこんな物を作ったのか、なんとなく理解はできる。
若くして亡くしたという恋人に、もう一度会いたかったからなのだろう。
エリシアの元へ義父が死後に訪れたと聞いた時、少しだけ羨ましかった。
そして、悔しかった。
エリシアに会いに行った事もそうだけど、それを感知する事ができない私が悔しかった。
きっと、義父は同じような思いをしたのだ。
会いたくても会えないもどかしさと悔しさを覚えたのだ。
義父は若くして亡くしたという恋人に、もう一度会いたかったのだろう。
だからこの装置を作った。
これがあれば、たとえ死んでしまっても、また話をする事ができるのだから。
生死が別つその境、その垣根を飛び越えて死者と会おうとした。
「ねぇ、エリシア」
「はい、何でしょう?」
「お義父さんって、もういないの?」
「はい。既に、天へ昇りました」
人が成仏する時、情報体は光の粒子になって天へ向かうらしい。
もう心残りがなかったという事なのだろう。
私なら、もう心配ないと……。
買いかぶりすぎだよ。
エリシアがいるからそれほどでもないけど、やっぱり寂しさはあった。
もっと一緒に、居て欲しかったよ……。
私は研究者としてではなく、一人の人間としての人生を歩み始めた。
女性らしい青春を過ごし、人間らしい営みをした。
恋をした。
友達と楽しい時を過ごした。
腐れ縁の悪友とアホな所業に手を染めた。
戦争を経験した。
素晴しい事ばかりではなかったが、概ね素敵な人生だった。
少なくとも、退屈はしなかった。
そんな私の人生の傍らにはいつもエリシアがいた。
義父の残した研究があった。
義父の何倍もの時間をかけて、私は研究の終着へたどり着こうとしていた。
私の前には、かつての私と同じ金髪の少女が座っていた。
エリシアと同じ顔、ほぼ同じ構造のバイオロイドだ。
この頃はもう、戦争は終わっていた。
統一された国家において、バイオロイドはオーバーテクノロジーだ。
本来なら、許されない。
が、私も無駄に長く生きていない。
国家の勝利にそれなりの貢献をしている。
政府が目溢ししてくれる程度の権力は持っていた。
「チェック、完了しました」
エリシアが言い、私は頷く。
私は、彼女を起動した。
彼女の目が、ゆっくりと開く。
彼女の穢れない瞳が、私を捉えていた。
「あなたは誰?」
エリシアの時と比べて少しばかり無遠慮な問いに、私は答える。
「あなたのお母さんよ」
そう言うと、彼女はにこっと笑った。




